黒豹陛下の溺愛生活

月城雪華

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二章

探し人 1

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「──悪いな、遅くなって」

 酒場を出てからしばらく歩いていると、ふと思い出したようにレオが呟いた。

 街に入ったと言ってもまだ序の口だったようで、周囲はまばらに建物が点在しているだけだ。

 時折子どもの声が聴こえるが静まり返っているためか、レオの声はいやに大きく響いた。

 それまでアレンはレオの半歩ほど後ろを歩いていたが、まさか話し掛けられるとは思わず一瞬その場に立ち止まりかける。

 しかし答えずにいるのも悪いため、傷付けないよう言葉を選びながらアレンは口を開いた。

「全然、遅くなんかない。……むしろ俺のために、いらない手間まで掛けさせて」

「謝るな」

 ごめん、と続けようとした言葉はわずかに早く遮られる。

「あの馬鹿が最初に言ったことだが……俺が好きで案内役を買って出てるんだ。だからこれくらい手間でもなんでもないし、そんなに気を遣わなくていい」

 するとレオは立ち止まり、こちらを振り返って続ける。

「あいつ……凛晟もいた方がよかったか? それとも、俺と一緒は嫌だったか」

「あ、っ」

 じっと見つめてくる男がどこか寂しげに微笑んだ気がして、アレンは小さく声を漏らした。

「……凛晟が初対面の奴にあそこまで懐くのも珍しくてな。もう仲良くなってたと思ったんだが、違ったか?」

「えっ、と……」

 緩く首を傾げて問い掛けられ、どうしたものか考え込む。

 確かに昨日の今日、酒場に来た時も真っ先にアレンの隣りに座ってきた。

 セオドアと話している時でさえ仲良さそうだと思ったのに、まさか自分に対しても心を許してくれているとは思っておらず、感情の行き場が分からない。

 アレンはもそもそと指を組んでは離してを繰り返し、無意識に俯く。

「はぁ……まぁいい」

 短く息を吐くとレオはまっすぐに前を見つめ、ゆっくりと歩き出した。

 よもや呆れられてしまったかと思ったが、黒く艶のある尻尾が一度揺れたかと思うと、レオは肩越しにこちらを振り返る。

「後ろからじゃ分かりにくいだろ。隣りにおいで」

 やや片頬を上げたレオが微笑んでおり、先程とは打って変わって柔らかな口調に引き寄せられるように、アレンはおずおずと脚を進めた。

「ん、いい子だな」

「っ……」

 隣りに来ると、ぽんと頭に大きな手が触れて、アレンは小さく息を漏らす。

 同時に胸が締め付けられるような息苦しさを感じ、レオに気付かれないよう細く息を吸って吐いてを繰り返す。

 顔を上げればレオがおり、改めて頭一つ分以上はある身長差に知らず動きがぎこちなくなってしまう。

(相手は俺と同じ肉食系獣人なのに)

 レオの傍は不思議な威圧感があり、それは酒場の二階で対面した時よりもわずかに強くなったように思う。

 ちらりとアレンはレオを見つめた。

 まっすぐに前を向いて歩く姿勢はしっかりとしており、動きにくいであろう下駄を履いているというのに、その足取りは少しの乱れもなかった。

 


「──そういえば」

 やがて酒場から十分ほど歩いたところで、ぽつりとレオが口を開いた。

 低く静かなレオの声に、アレンは顔を上げた。

 同時にまばらだった建物とは反対に、様々な店がのきを連ねているのが視界いっぱいに広がった。

「──安いよ、今日の朝採れたてだよ!」

「そこのお兄さん、ちょっと見ていかないかい?」

 果物から野菜、果てには雑貨などの可愛らしいものまで売られており、客の賑やかな声に混じって店主らしき獣人らの声がそこかしこで響き渡っている。

「……もう少し歩くか」

 どうやらここでは駄目だと思ったらしく、レオは苦笑して緩めていた脚の動きを早めた。

「あ、待っ」

 周囲に視線を巡らせていたアレンは一瞬気付くのが遅れ、慌ててレオの傍に駆け寄った。

 身長差に加えて歩幅が違うため、この人混みの中をやや小走りで着いていくには息が切れる。

 しかし立ち止まっては更に距離が広がってしまうため、アレンが広く大きな背中を必死で追っていた時だ。

(これ……)

 視界の端に映った『それ』に、今度こそ脚が止まる。

 人混みの流れから少し逸れ、簡素な屋根に布を張っただけの小さな店の前にしゃがみ込んだ。

 籠の中には細かな装飾がほどこされたネックレスに指輪、髪飾りなどが入れられている。

 アレンはその中の指輪を手に取り、そっと空中にかざした。

「……こんな所にいたのか」

「ひっ……!?」

 着いてくる気配がないためか、改めて戻ってきてくれたらしいレオの声が間近で響き、アレンはびくりと肩を竦ませる。

「おっと、すまん。……それ、欲しいのか?」

「え、いや」

 アレン以上に目を丸くしているレオが不思議で、視線が指輪に向けられているのに気付くとすぐさま籠に戻す。

「すまん、これ包んでくれ」

 しかし目敏く気づかれ、アレンの持っていた指輪を摘むと店主らしき獣人を呼ぶ。

「はいよ! ……ってレオじゃないか! どうしたんだ、また可愛い子連れて」

 呼ばれた獣人はレオの姿を認めるとにこりと笑みを浮かべ、アレンに視線を向けた。

 やや灰色のかった茶色の耳は肉食系獣人のもので、笑う時に見える目尻の皺はいかにも優しげだ。

 スラムでよくしてくれていた獣人の姿を思わせ、アレンは無意識に観察してしまう。

 獣人の男としては細身だが、レオまでとはいかないまでも体格はしっかりとしており、身にまとう衣服は質素ながらもどこか気品があった。

「昨日こっちに着いたばかりでな、案内してるんだ」

 落ち着いた声はレオらしく、店主と顔見知りのようだった。

「そうかい。にしても可愛らしいね、幾つだい」

「あ……十八、です」

 唐突に自身に振られた柔らかな声音に、アレンは少しもたつかせながらもはっきりと唇を動かす。

「おっと、うちのより年上だったか。……よし、少し待っておいで」

 そう言うが早いか店主はさっさと店の奥に引っ込み、何かを探しているようだった。

「へ」

 アレンは目を瞬かせながら黙って見守るしかできず、するとレオがそっと肩に手を置いてきた。

「気にするな、あの人はいつもああなんだ」

 振り仰ぐと苦笑して店主を見つめるレオがこちらを見つめており、不覚にも心臓が音を立てる。

「いつも、って」

 その違和感に両手を握り締めて耐え、アレンは小さく問い掛けた。

 はつらつとしていて気安そうな獣人だと思ったが、どうやらレオの口振りを見るにこうした事は日常茶飯事らしい。

「ああ、お前みたいに細っこくて……可愛い奴を見ると何かあげたくなるんだと」

「っ!」

 レオの口から『可愛い』という単語が出たことで、図らずも短く声が漏れる。

(違う。これは成り行きで……俺に言ったんじゃない!)

 アレンはぶんぶんと首を振り、浮かんできた考えを打ち消そうとする。

 しかし尻尾までは感情を抑制できず、揺れてしまうのをただただ顔を俯けて耐えるしかできなかった。

 ちらりとレオを見ると既にこちらを見ておらず、新たにやってきた他の客と談笑している。

 そのさまにアレンは人知れず胸を撫で下ろした。

(よかった……のか?)

 誰とでも仲良くなれるのはいい事だと思うが、こうして見るとレオが羨ましく思う。

 自分は初対面の者とすぐに打ち解けられず、話すまでに時間を要するというのに。

 レオは天性のたらしなのかもな、と思っているとぱたぱたとこちらに向かってくる足音を耳が拾った。

「──おまたせ!」

 明るい声と共に店主が袋いっぱいに何かを入れ、いそいそと戻ってきた。

「はい、これ。でっかくならないと駄目だぞ、それくらいならまだまだ育ち盛りだから」

 半ば無理矢理押し付けられる形になり、アレンは戸惑いながらも袋を覗き込む。

 そこには野菜や果物がこれでもかと入っており、可愛らしい布で何かが包まれていた。

 その布をそっと開けると、先程レオが渡した指輪があった。

 あまりよく見ていなかったが、宵闇のような小さな石が嵌め込まれている。

「……あの、指輪買うつもりはなくて」

 見れば見るほど自分には似合わない気がして、慌てて店主に声を掛ける。

 そもそも綺麗だなと思い見ていただけで、言葉通り買うつもりは少しも無かったのだ。

 振り返った店主は目を丸くしていたが、安心させるようににこりと微笑んだ。

「ああ、お代なら気にしなくていい」

 金の心配をしていると思ったらしく、アレンは尚も言い募る。

「や、でも。そ、それに……こんなにたくさん、貰えない」

 スラムでは食うに事欠く生活をしていたが、それでもここまでの食べ物を一度に貰う事も買う事も無かった。

 だからか指輪以上に戸惑ってしまい、どうしたらいいのか分からない。

「──素直に貰っておいた方がいいぞ」

「っ!」

 不意に背後から掠めるような声が聞こえ、びくりと尻尾が震える。

「やっぱりレオは分かってるねぇ。……そういうことだ、貰ってくれ。ただ、どうしてもって言うならそこの色男に払わせる」

「おい」

 店主の言葉にレオは批難の視線を向け、しかしすぐに口角を上げた。

「……けど、これくらいなら構わん。返そうとしなくてもいいから、そんな顔をするな」

 ぽんと背中を叩かれ、アレンは驚きながらもレオを見つめる。

(そんな顔、って)

 あまり感情が分からない方だと自負しているが、それほど酷い顔をしているのだろうか。

「ん?」

 レオの小さな黒い耳は、アレンの感情に呼応するかのようにぴるぴると動いている。

 それがなんだか可愛らしく、しかし気付かれないようふっと視線を逸らした。

「ごめん。……ありがとう」

 ぺこりと頭を下げると、小さな忍び笑いが聞こえた。

「へ、っ……?」

 何かおかしなことをしてしまったのか、と不安に思っているとやがて笑いを収めたレオが唇を開いた。

「……いや、すまん。こっちの話だ」

「え、あ……そう、か」

 尚もくすくすと漏れる笑い声を聞きながら、店主に挨拶して先程レオが歩いていた道を着いていく。

 袋いっぱいの食料を胸に抱え、アレンは他人事のように心の中で呟いた。

(どうしよう)

 流されるまま貰ったはいいものの、そもそも住む場所がない。

 果物であればそのまま食べられるが、野菜ともなると生では食べられないものもある。

 セオドアの酒場の厨房を借りればなんとかなりそうだが、泊めてくれて朝食を振る舞ってくれただけでもありがたいのに、あまり迷惑を掛けたくなかった。

「アレン?」

 どうかしたか、とレオが立ち止まって問い掛けてくる。

 すぐ隣りにある顔を見れず、アレンはきゅうと唇を噛み締めた。

(本当ならこんな事してる場合じゃない。一刻も早く、あの獣人を見つけないといけないのに)

 仲間たちが懸命に聞き込みをしてくれ、都へ続く道中で教えてくれた子どもからの情報を照らし合わせると、その獣人は都──この近くに住んでいる可能性が高い。

 今もどこかにおり、すれ違っている場合すらあるのだ。

「あっ」

 そこでアレンは昨日凛晟が言っていたことを思い出す。

『多分だけど、レオに聞いた方が早いと思う。あいつは情報通だからさ』

「あの、レオ」

「なんだ」

 静かで柔らかな声に続きを促され、その優しさに勇気をもらった。

「……俺、探してる人がいて。凛晟が言ってたんだけど、レオに聞いたらいいって言われて」

 ここでは邪魔になるだろうから、と脇道に逸れてひと通りの少ない所まで移動する。

 そこでアレンは掻い摘んで獣人の特徴を教えた。

 少しつっかえた拍子に軽く舌を噛んでしまったが、レオは『ゆっくりでいい』と何度も言いながら聞いてくれた。

 あらかた伝え、少しの沈黙の後レオがそっと唇を開く。

「──それだけじゃすぐに特定するのは難しい。……知っての通りここは国の都市部だからな。もっと有力な、そうだな……一人でもはっきりと顔を見ている奴がいたら、まだ希望はあった」

 アレンがその顔を見ていないのはもちろんだが、仲間たちが得てくれた情報がそもそも嘘を摑まされたかもしれない、という。

 というのも、黒い耳を持つ獣人『だけ』であればごまんと居るらしい。

 百年前に起きたロドリネス王国との戦争を経て、王国の移民がこちらに流れ着いた。

 肉食系獣人というだけでもある程度絞られるが、それでも都市部に集まっている獣人はあまりにも多過ぎる。

 手当り次第に探すにも時間と労力が必要で、そうしている間にどこかの街や他国へ逃亡されるだろう。

 スラム街には行き場のない草食系獣人が多く居るのは周知の事実で、その者が逃げるために嘘を言った──というのがレオの最終的な予想だ。

「──とまぁ、こっちで色々言って悪いが。俺の方でも知ってそうな奴にあたってみる」

 そう言うとレオは目線を合わせ、こちらに手を伸ばしてくる。

「っ、わ」

 ぽん、と大きな手の平が頭に置かれたかと思えば、耳ごと混ぜるように撫でられる。

「それでも大丈夫か?」

 低く柔らかなそれは、まるで幼い子に語り掛けるような声音だった。

「……ん」

 アレンはぎこちなく首肯する。

 子ども扱いするなと思う反面、それ以上にレオの言葉が何よりも頼もしかった。

 しかしなぜか悪い予感がしてしまい、アレンは素直に喜ぶことも礼を言うこともできない。

「……よし、じゃあ行くか」

 アレンの様子に気付いているのかいないのか、レオは最後にひと撫ですると頭にあった温もりが離れる。

 すると大きな手が己のそれに触れ、ついでに持っていた袋を奪われた。

「へ、行くって……いや、その前にこれ、っ……!」

 唐突に自分以外の体温が手の平を通して伝わり、アレンは慌てて声を上げる。

 すんなりと言葉が出たことに驚きもあったが、どんな思いでレオが手を繋いできたのか分からない。

 軽々と袋を片手で持ちながら、レオが首を傾げる。

「ほっといたらすぐにどっか行くだろ? 危なっかしそうだし、はぐれたらセオや凛晟にどやされる」

 迷子防止だ、とレオはにっこりと笑った。

「な、っ……!?」

 その表情に、思ってもみなかった言葉に、アレンの顔が赤く染まる。

(やっぱり子ども扱いされてる……!)

 つい今しがた思ったばかりのそれを改めて自覚し、渾身の力で振りほどこうとする。

 しかしすぐに手の平の力が強くなり、アレンはしばらく逃れようと自由になっている片手を合わせて格闘した。

「は、っ……はぁ」

「何遊んでるんだ」

 肩で息をしていると、頭上から笑いを含んだ声が聞こえた。

「ちゃんと着いておいで」

 アレンはレオに手を引かれ、店の間を縫って歩く。

 振りほどけないほどの強さで握られていた手は柔らかく握り直され、脚取りはアレンの負担にならないようにゆったりとしたものに変わった。

(……変な人)

 そう心の中で言うと、ほんの少しだけ胸が空く思いがした。
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