黒豹陛下の溺愛生活

月城雪華

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二章

探し人 3

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「──ってすまんな、皆。いきなり騒がしくしちまって」

 ふと己に向けられている数多の視線に気付いたレオが、やんわりと周囲に向けて言うとアレンに微笑みかける。

「セオのとこの酒選ぶんだったよな、俺はこれが」

「お酒なんて後でもよろしいのでは?」

 レオは手近にあった酒瓶を手に取り、アレンに向けてくる。

 しかしアレンとレオの間に少女が割って入り、ひょいと酒瓶を取り上げた。

「すみません、こんな人の相手してもらって……あの、何かあれば私が対処しますので。街で見掛けた時は遠慮なくお声掛けください」

「ホゥホゥ!」

 少女はアレンに向き直るとにこりと微笑み、肩に乗っているフクロウも楽しそうな声を上げる。

「おい待て、買おうとしたのに戻すな」

 流れで少女が瓶を棚に戻そうとすると、すかさずレオが手首を摑んで止める。

「え、だって見ていただけなんでしょう? いらないって言ってるも同然じゃないですか」

「いや、確かに見てたけどそうじゃない──あー、面倒くせぇ」

 ぼそりと呟かれた低い声はおよそ普段のレオからは想像できず、耳だけでなく尻尾がぶわりと逆立つ感覚があった。

(な、なんだ……?)

 どこかレオらしくない雰囲気を肌で感じ、アレンはぱちぱちと目を瞬かせる。

 それもこれも少女が姿を現してからで、レオのようでレオではない形容し難い何かが喉まで出かかる。

「……俺はこいつに用があったんだ。だから今日は帰れ、マナ」

「っ!」

 不意にぐいと強い力で肩を抱かれ、アレンはそこで思考を切り替える。

 衣服越しに触れてくる温かい手の平に、図らずも心臓が一際大きく高鳴った。

(やっぱりこんなの、おかしい……)

 初対面の時から凛晟までとはいかないまでもレオも距離が近く、次第に胸が痛むようになった。

 尻尾も手で抑える事ができず、嬉しいという感情と不安とがぜになる。

 マナと呼ばれた少女はじっとりとした視線をレオに向けたものの、やがて諦めたように溜め息を吐いた。

「……仕方ありませんね。でも、日が落ちる前に帰ってくるんですよ? 絶対に、絶対にですからね!?」

「ああうるさい。お前は俺の親か何かか」

 その声にマナは答えることなく、ただにこりと微笑むだけだ。

「行こう、ティアラ」

 未だレオを威嚇しているフクロウはマナの手に抱えられ、数回瞬きをすると入ってきた時と同じく、ふっと姿が見えなくなった。

「っ、え……消え、た……?」

 花の香りを残してマナの姿が跡形もなくなり、アレンはきょろきょろと視線を巡らす。

 しかしマナの居た場所は何もなく、フクロウの羽一つ無い。

 不思議に思っていると肩に触れていたレオの手が離れ、そっと顔を覗き込んできた。

「悪いな、びっくりしたろ」

 こちらを気遣ってくれる声は優しく、ともすれば心配しているようにも聞こえる。

 確かに驚きはしたものの、マナの様子はどこか目上の者に対するそれに見える。

「……レオ、は」

 ぽつりと呟くとレオが目線を合わせてきて、距離が近くなった。

「うん?」

 よくよく観察してみると、緩く首を傾げるさま一つ取っても品がある。

 時折動く小さな黒い耳も、こちらを見つめる黒い瞳もアレンに向けられているものだが、なぜかレオが違う者に見えた。

 アレンは何度かゆっくりと瞬き、やがて意を決して唇を動かす。

「貴族様、だったり……?」

 どう形容したものか分からず、ただ頭に出た言葉を口にする。

 この国の貴族は地位が高い者が多く、加えてセオドアから聞いた話ではこの街に住んでいる貴族は特に多いという。

 アレンが気付いていないだけで、綺麗な格好をした獣人のほとんどが爵位を持っているのだろうか。

「ふっ」

 すると不意にレオが顔を背け、小さな声が聞こえたかと思うと肩が小刻みに揺れた。

 静かに笑いを堪えているようだが、それならばいっそ大声で笑ってくれとすら思うほどだ。

(そんなにおかしいこと聞いたのか)

 少しの罪悪感と羞恥で、どうにかなってしまいそうだった。

 その優しさが時には仇となることを、この男は知らないのだろうか。

「はぁ……いきなり何を言うかと思った」

 やがてレオは笑いを収め、しかし未だ口角は上がったままだ。

「俺のことが気になるか?」

 笑みを含んだ声で問われ、アレンはぱちくりと目を瞬かせる。

 そう尋ねられるとはこちらも思っていなくて、アレンはそっと瞼を伏せた。

「いや……聞いてみた、だけ」

 それを聞いてどうしたいのか、とてもではないが今の自分には分からない。

 仮に貴族だったとしても、こうして助けてくれて優しくしてくれる事がありがたいのに変わりはないのだ。

「そうか」

 レオはゆっくりとそれだけを呟くと、目の前に酒瓶を差し出してきた。

「奢りだ」

「へ、っ……?」

 アレンは訳も分からず酒瓶を受け取り、レオを見つめた。

 宵闇のような瞳はすぐに柔らかく細められ、ぽんと頭を撫でられる。

「酒買いに来たんだろ、ほら」

「わ、ちょ、あぶな……っ」

 もう一本同じ酒瓶を渡してきて、アレンは慌てて受け取る。

 袋も持っているため不格好だが、なんとか二本持ったのを見届けるとレオは続ける。

「あいつが好きそうなのはあれと……これだったか。すまん、これと同じやつをあと二本くれ」

 レオは手際よく酒を選び、他の獣人の接客をしていた店主を呼ぶと何かを耳打ちした。

「──よし、アレン」

 その光景に何もできず棒立ちになっているアレンを呼ぶと、ぐいと背中を押された。

「なんでも持っていけとさ。あ、お代は俺持ちな。気にしないでいくらでも買っていいぞ」

「レオが来てくれたら助かるよ、セオドアさんはお得意様だからねぇ」

 レオだけでなく店主もにこにこと笑顔で、その表情でアレンは何か不穏なものを感じ取った。

(やっぱりレオは貴族様、なのか……?)

 こうも気前よく金を使う事自体珍しくないらしく、はぐらかされてしまったが、アレンが聞いたこともあながち間違っていないのかもしれない。

 短いやり取りだけだったが、マナの態度も見方を変えればレオが主人かのような口振りだった。

 貴族がお忍びで街に出る事があるのならば、皆の態度が気安いのも納得出来る。

 ただ、貴族ともなれば庶民は敬称を付けるものだから、違う可能性の方が高いのだが。

「えっと、じゃあ──」

 アレンは頭を切り替え、慣れないながらもレオと共に酒を選び、凛晟が好きそうな酒も追加で買った。

 店主は終始にこやかに様々な酒の種類や味はもちろん、セオドアのちょっとした『噂』も教えてくれた。

「あれでも元は貴族様だったとか。まぁ多少口は悪いが、納得するところはある──あ、口が悪いって言ったのは内緒だよ」

 店主は口元に人差し指をあてる仕草をすると、他の客に呼ばれてその場を離れていく。

 その拍子に周囲を見渡すと、少しずつ店内が賑わってきていた。

「あらかた必要なものは買ったし、そろそろ行くか」

「あ、うん」

 レオの一声で揃って酒屋を出てからしばらく。

 結局のところ十本以上買ってしまったが、レオはなんら気にしたふうでもなく、軽々とすべての酒瓶を背負っている。

 対してアレンは元々持っている袋を持っているだけで、己の非力さ以上にレオに対しても苛立ちが募る。

 加えて袋が酒を買う前よりも重くなっている気がして、二重の意味で悲しくなった。

(一本くらい持つって言っても、全然聞いてくれないし……レオは頑固過ぎる)

 どこかやきもきした感情を抱え、アレンはセオドアの待つ店の道を歩く。

 しかし隣りにレオが居てくれるからか、苛立ちよりもむしろ浮き足立っている自分がいた。



 ◆◆◆



 住み込みでセオドアの店の手伝いをするようになり、更に五日が経った。

「──なぁアレン」

 アレンが慌ただしくテーブルと厨房とを行ったり来たりしていると、不意に凛晟の声が聞こえた。

「うん?」

 どうしたんだ、と目線だけで問い掛けると凛晟は何を言うでもなく、頬杖を突いてじっと見つめてくる。

 いつもの席らしい椅子に座り、あちこちへ向かう自身に寄越される視線には気付いていたが、もしや身体に何か付いているのだろうか。

 柔らかく細められている瞳はいつもよりずっと優しく、頬もほんのりと赤く色付いていた。

 緩く上がった口角からは八重歯が覗き、尻尾も感情に呼応して機嫌よく揺れている。

(凛晟が酔ってるなんて珍しい)

 己は酒に弱いと知ったばかりのため、酔いに身を任せている凛晟が少し羨ましかった。

 それと同時に無性に凛晟の柔らかそうな頭を撫でたくなったが、ぎりぎりのところで手を下ろして我慢する。

 スラムでは幼い子どもによくしていたが、凛晟とて成人している男に撫でられるのは嫌だろう。

 その証拠にセオドアはもちろん、レオから頭を撫でる気配があれば素早い身のこなしで避けているのだから。

「……凛晟?」

 しかしアレンを呼んだきり、にこにこと微笑むばかりの凛晟に疑問を抱く。

 思い出せば、出会ってから毎日のように店にやってきては閉店間際までおり、セオドアに叱られてすごすご帰るまでがセットだった。

 それ以前に今日はやけに酒を飲むペースが早く、数分前に入れたばかりだというのに、グラスの半分以上がなくなっている。

「──いや。アレンがここに来て、結構経ったなって」

 ぽそりと呟かれた言葉は少し甘く、ふわふわとしていて頼りない。

 凛晟はグラスに入っている氷を指先でそっと撫でたかと思えば、アレンを見つめながら殊更ゆっくりと続けた。

「……毎日、会いに来てごめんな」

「え、いや……そんな、謝らないでくれ。俺だって凛晟と話すの楽しいし、仲良くしてくれて嬉しい」

 突然謝罪され、アレンはしどろもどろになりながら答える。

 凛晟が酒に酔っているところはあまり見た事はないが、酔うと弱気になってしまうのだろうか。

「もうここには慣れたか? 何か他に困ってることとか、ない?」

「い、今のところは……ない、けど」

 唐突な話題の転換に慌てつつも、それもまた本心だった。

 本当ならば『母を殺した獣人を知っているか』と尋ねたいが、今日も今日とて酒場には客が多い。

 あまり不用意に言っては耳聡い者に聞かれてしまい、加えて凛晟までも己の問題に巻き込みたくはなく、この会話が精一杯だった。

「そっかぁ」

 凛晟はふにゃりと微笑み、無意識にテーブルに置いていたアレンの手に己のそれを重ねる。

「アレンに会えてオレ、嬉しいんだ」

「へ!?」

 温かなそれは少し大きく、アレンとあまり変わらない。

 きゅうと柔らかな力で握ってきて、ともすればあやすように手の甲を撫でられる。

「い、いきなり何言って……!?」

 同族それも男同士で、ここまでの戯れをした事はほとんど無い。

 だからか戸惑ってしまい、しかしすぐに凛晟は酔ってるからだと思い直す。

 スラムの大人が言っていたが、酒を飲むと饒舌じょうぜつになるというのは、あながち間違ってはいないようだった。

「んーん、本心だよ。前なら毎日来なかったけど、お前に会えるって思ったら、もう店に行ってるんだぁ」

 セオドアさんには会いたくないけど、とこの場に店主がいないのをいい事に凛晟が笑って続ける。

 全体的に口調がおぼつかないが、酔っている時の記憶が翌日にも残っていれば、後悔するのは凛晟の方だろうと思う。

 普段から距離が近いが、酒を飲むとそれ以上に触れてくる。

 酔っ払いの相手をしたことはあるが、普段から距離の近い者はもっと近くなるとは知らず、次第に頬が熱くなっていった。

(毎日ここに居るから酒に充てられたんだ、きっとそう! 絶対にそうだ……!)

 既に十日以上をこの酒場で厄介になっており、閉店後もセオドアと共に掃除や仕込みの手伝いなどをしている事が多い。

 他の獣人に比べて鼻は良い方だと自覚しているが、こうも酒で充満した場へ長く居るのは、未だに身体が慣れていないのだろう。

 そう思うことでアレンは己を律しようとした。

 酒を飲むとその者の本性が見える、と誰かが言っていた。

 だから凛晟の言葉は本心だと理解しているが、自分があまりにも身内以外の者に褒められる事や、こうして誰かと触れ合う事に慣れていないせいもある。

「──こら。飲み過ぎだ、馬鹿」

ってぇ!?」

 ごん、と派手な音を立てて凛晟の頭に拳が振り下ろされる。

 見れば凛晟の後ろには呆れた表情をしたレオが立っており、すぐにアレンと視線が交わった。

「すまん、たまに悪酔いするんだ。……おい、酔い覚めたら帰るぞ」

 アレンに柔らかく微笑んだかと思えば、レオは凛晟の首根っこを摑んで椅子から立ち上がらせようとする。

「やだ! もっと、もっと飲むんだ!」

 凛晟は両手でテーブルを摑み、いやいやをするように首を振って抵抗する。

 椅子にぱしんと尻尾を叩き付けるように揺らし、時折レオに当たっている。

(凛晟……)

 それは普段よりもずっと子どもらしく、凛晟の変わりようにアレンは目を丸くした。

 どうやら本当に悪酔いしているようで、レオは呆れたように溜め息を吐いた。

「はぁ……セオにつまみ出されるのと、このまま俺と帰るの、どっちがいい?」

「……どっちもやだ」

 聞いている方が恐怖で底冷えしてしまうような声音に負けず、凛晟はがばりと顔を伏せた。

 いつにも増して幼い口調に、レオは呆れてものも言えないといったふうに額を抑え、もう一度深く息を吐く。

 心做しか耳だけでなく尻尾も逆立っており、苛立ちを隠そうともしていない。

「えっ、と……」

 あまり無理矢理連れて行っては可哀想ではないか、とレオに手を伸ばし掛けていると、不意に背後から明るい声が聞こえた。

「──ちょっとくらい寝かせてやったらどうだ?」

「っ!」

 ぽん、とお約束のように頭に手を置かれ、アレンは唐突な事に小さく声を漏らす。

「まだ夜は始まったばっかだし、な」

 何かの用事を終えて店の裏口から戻ってきたらしいセオドアが、さも上機嫌に微笑みながら言った。

 大きな耳は楽しげにぴるぴると動き、頬も心做しかほんのりと赤い。

 尻尾は普段からあまり感情と共に動かないようだが、今日ばかりは左右へ緩やかに揺れていた。
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