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三章
苦悩と慟哭 4
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◆◆◆
アレンが城に滞在するようになって一週間が経った。
レオは夜になると顔を出し、珍しい甘い菓子や異国から献上された装飾品を与えようとしてくる。
前者は好奇心でつい貰ってしまうが、後者に至っては価値が分からず曖昧な返事をするしかできなかった。
それでもレオは嬉しそうで、機嫌がいい時は餌付けと称して更に美味い食べ物を持ってくるため、このままでは肥えてしまうのも時間の問題だった。
『お前は細っこいんだからもっと食え。そんなんじゃあ、でっかくなれないぞ?』
アレンが食べているところをじっと見つめてそう言うのもお約束で、その度に『もう十分食べている』と言いそうで言えないのがもどかしい。
もういらない、と言ってしまった日にはレオの落胆する姿が目に浮かぶからだ。
さすがに己の言葉で不用意に落ち込ませたくはなくて、アレンはただ与えられるものを享受する毎日だった。
それでもレオが夜に訪れる事を除いてはずっと退屈で、時折様子を見にくるマナとティアラくらいしか話し相手がいない。
食事を持ってくる使用人は極力口を聞くなと言い含められているのか、どこか拒絶しているようにも見えた。
使用人とはいえ生きているため、そんなことをする理由がない──そう思っていても、城に務める者とはそういうものなのだろうか。
一人きりの部屋では何もすることがなく、七日も経てば己の身の振り方を嫌でも考えてしまう。
レオは本当にセオドアと会わせてくれるのか、凛晟はアレンが突然いなくなって悲しんでいないか。
何より、アンナを弑した獣人を早く探さなければいけない。
アレンが身動きできない間も件の獣人はのうのうと生きており、どこにいるのかも定かではないのだ。
だからレオの機嫌がすこぶるいい時を見て、『ここに留まらせる理由』を訊ねているが一貫して『伴侶にするため』と言うだけで、その他の詳細は少しも教えてくれない。
けれども無理に聞く気にはとてもなれず、ただ黙々と日々を過ごしているに過ぎなかった。
(今日も来るんだろうな……)
なぜか今日はいつにも増して気乗りしない。
それもこれも昨日の夜、レオには珍しく真剣な表情でこう言ったからだ。
『お前はただ笑って、頷いてくれればいい』
それが何を指すのか分からなかったが、一日経ってみると否が応でも理解してしまった。
(俺がもっと強く言わなかったから、結婚の話が進んでるんだ)
レオの訪れが夜遅くなのも、そうだとすれば納得がいく。
しかし、笑って話していたかと思えばふっと無言になる事が増えた。
こちらが控えめに声を掛けるとなんでもないように微笑み、挨拶もそこそこに退室してしまう。
その様子にどこか違和感を拭えず、レオがいなくなってからは眠るしかない。
もう少ししたらレオと共に別の、それこそ大臣が部屋にやってくる事を予感させた。
アレンが逃げられないよう、レオが外堀を埋めてきているのはひしひしと感じているのだ。
しかし伴侶になると言っても、今の法律では同性との婚姻を禁じられている。
レオは国王で、この国ではレオこそが最高権力者だ。
その気になれば法律は変えられるため、アレンが知らないだけで既に同性で結婚出来る場合も十分に有り得た。
「母さんの……探さないと、なのに」
一人きりで居ると常にアンナのことや犯人のことを考えてしまい、満足に動けない環境にある己にも苛立っていた。
レオの許可を得なければ、安易に城の外へ出る事は叶わないのは分かっている。
それとなく逃走経路をマナに聞いたが、やはりこちらも一貫して『勝手に部屋を出ては駄目です』と言われてしまった。
『貴方を逃がしたとなれば私がなんと言われるか……いえ、本当ならお助けしたいんです。でも……私の一存では無理なんです』
思っていた以上にマナからしっかりと謝罪され、しかし『助けたい』という言葉を放たれるとは思わなかった。
マナは他の使用人とは違い、レオの突飛な行動には心底参っているようだ。
だからかそれ以上二の句を継げず、なんとも言えない空気の中退室していったのがつい昨日。
朝になるとマナは普段と変わらぬ笑顔を見せてくれたものの、やはりどこか落ち着きがなかった。
その様子を見ていると次第にレオが怖くなり、夜になるとよそよそしい態度を取ってしまった自覚はある。
それでも何ら気にしたふうなく、異国の王太子がつい数日前にこの国に着いた、食事をしたあと軽く歓談をした、と面白おかしく話してくれた。
時折相槌を打つのが遅れたが、レオは話を聞かせることに夢中なようでその日は指摘されなかった。
マナの放った言葉がずっと頭の中を駆け巡っており、眠っている時以外はレオに対する疑念と、アンナに対する後悔でいっぱいだった。
自分の身の上が自由であれば、アレンはとうに都を発っているはずだ。
「っ……!」
そう考えていると、こちらに向かってくる足音が微かに聞こえた。
それは耳を澄まさなければいけないほど小さな、ともすれば押し殺したような物音だ。
レオが城の中を歩く時の癖のようで、二日に一度は『窮屈で堪らん』とぼやいているのを耳にするほどだ。
(どうしよう、どうしたら……)
今はレオの顔を見たくない。
しかしどこにも隠れられるような場所は無く、逃走するにしても出入りする扉しかなかった。
仮に出られたとして、廊下は常に数名の衛兵が巡回している。
どちらにしろ、このまま強行突破してもレオに出ていくところを見られる可能性の方が高い。
レオが入って来たら部屋の中ですら不自然な態度は取れず、完全な恐怖が全身を支配する。
ぶるぶると身体が震え、耳が後ろに倒れる。
ふっさりとした尻尾も股の間に入り込み、無意識にそれを握った。
どうにもできずベッドの真ん中で膝を抱えて小さくなっていると、やがて扉が開く音がやけに大きく響いた。
「アレン──って」
同時にレオの低い声が聞こえ、続いて小さく息を呑んだ気配がした。
「何してるんだ。かくれんぼか?」
もっと上手くやらないと駄目だぞ、と笑いを含んだ声と共にベッドが沈んだ。
レオがベッドの端に座ったのだと分かり、アレンはますます顔を伏せた。
それからレオが口を開くことはなく、しばらくの沈黙が部屋の中を支配する。
なぜ普段よりもずっと明るい声なのか、なぜ己がこうなっているのに何も言わないのか、頭の中にはいくつもの疑問が浮かぶ。
(普通だったらおかしいって思うだろ)
よもや己の存在はそれまでで、心配されるに値しないと思われているのだろうか。
そうだとすれば悲しいが、それ以上の感情は湧いてこなかった。
「──なぁ」
するとレオの大きな手が頭に触れ、びくりと反射的に肩が跳ねる。
それでも撫でたり離れていくことはなく、レオは頭に手を置いたまま口を開いた。
「お前が今何を思ってるのか知らんが、そんなに怯えてるのはマナが理由か?」
「っ」
図星を突かれ、小さく肩が揺れた。
「……そうか」
ややあってレオは小さく溜め息を吐き、頭から手を離す。
心地いい温もりが離れていったことに少し寂しく思ったが、それ以上にレオが次に放つ言葉が怖くなった。
「顔……見せてくれないか」
レオには珍しく少しつっかえ、けれどどこまでも優しく低い声がすぐ傍から降ってきた。
アレンは顔を伏せたまま軽く目を見開く。
それはこちらの態度に困惑しているような、どう言ったものか迷っているような声音だった。
(違う、レオは言うことを聞かせようとしてるんだ。絶対、絶対にそうだ)
レオの言う通り顔を上げれば最後、それこそ何を言われるのか分からない。
このまま無視していたら諦めて退室すると思うが、無言を貫けるほどの忍耐力をアレンは持ち合わせていなかった。
アレンはレオの声に導かれるまま顔を上げ、伏せていた瞼も恐る恐る上げる。
「……アレン」
「っ」
思っていたよりもずっと間近にレオの顔があり、図らずも小さく声を漏らす。
加えて愛おしそうな声で名を呼ばれ、知らず腰が引けてしまった。
「──本当にお前はいい子だな」
ふっと柔らかな笑みを浮かべ、そろりと頬を撫でられる。
頭を撫でる時よりもずっと優しく、まるで壊れ物を扱うような手つきだった。
「あ、っ……」
温かく大きな手の平に、こちらを愛おしげに見つめる黒曜石の瞳に、小さく声が漏れる。
(レオ……?)
あまり見たことのないレオの表情に驚きつつも、アレンはゆっくりと瞬きを繰り返した。
「──嫌だったら突き飛ばしてくれ」
「え」
先程とは違って押し殺した低い声が聞こえたかと思えば、温かく少し湿った何かが唇に触れた。
それは確かめるように何度も擦り合わされ、離れたかと思えばまた触れてくる。
(な、んで……っ)
そこでレオに口付けられているのだと理解し、アレンは目を見開く。
黒曜石の瞳が間近にあり、唇だけでなく睫毛すらも触れ合いそうなほどだった。
しかし嫌だとは少しも思わず、むしろ心地いいとさえ思う自分に驚いてしまう。
「……何も言わないんだな」
わずかに唇を離して問い掛けられ、アレンは目を白黒させながら小さく頷いた。
言っている意味が分からないだけだったが、そのさまがおかしかったのかレオが喉を震わせて笑う。
くるくると鳴るそれはレオの祖先らしき猫化獣人特有のもので、アレンのようなオオカミ系獣人には無いものだ。
レオの纏う空気に充てられたせいか、喉から出る微かな低音にすらじんわりと頬が熱くなっていく。
それがなぜなのか分からないながらも、レオに口付けられるのは好きだと思った。
(俺、……は)
触れられたいと思う身体とは裏腹に、理性だけは頑として『駄目だ』と警鐘を鳴らしている。
そもそもアレンを昏倒させ、城の者にすら一言の断りもなく連れて来たような男なのだ。
だからレオの言っていたように嫌だと思えば突き飛ばすのが正解で、腕に力を込めようとする。
けれど少しも思うように動かず、むしろ自分からレオの上衣の袖を摑んだ。
きゅっと控えめに握ったそれはしっとりとしていて、自身の纏う絹と同じ素材なのかと場違いなことを考える。
(違う……)
「お、れ……」
たった一言『嫌だ』と言えば、レオは止めてくれる──少なくとも、先程の言葉はそう捉えられた。
なのに身体は『もっと』と目の前の獣人を欲していて、意思に反して甘えた声が出てしまう。
本当はこんな声など出したくないのに、思い切り突き放したいのに、身体は止まってくれなかった。
「……分かってる」
どこか自嘲気味に言うとレオは軽く首を傾け、もう一度唇を重ね合わせてくる。
今度は唇の形を確かめるようにゆっくりと食み、頬を大きな両手で包み込まれた。
温かな手の平が頬を撫で、何度も角度を変えて啄まれる。
かと思えば顎を摑まれ、長く口付けられた。
「んぅ、ふ……っ」
どう息継ぎしたものか分からず、短く息を止めては吸ってを繰り返す。
それでもすぐに限界がやってきて、ふっとレオが笑った気配がした。
頬に添えていた手が離れ、するりと肩から腕へゆっくりと辿っていく。
レオとは違って薄布一枚の心許ない装いのためか、すぐに自分以外の体温が伝わった。
こちらの緊張を解すためなのか、それとも単にあやしているのか、どちらとも分からない。
ただ、レオに触れられていることで先程よりも身体が熱を持ち、じくじくと下腹部が痛む。
(なに……?)
アレンはうっすらと瞳を開き、そっと己の下腹部に手を伸ばそうとする。
しかしそれと同時にザラつく舌先が唇の端を掠め、腰の奥深くを鋭い電流が走った。
「っ……!?」
未知の感覚に声を出しそうになるが、それはレオに口付けられているため叶わない。
反射的に胸を押したものの、鍛えているであろうレオと自分とでは大きな体格差があるため、少しも動かなかった。
(嘘吐き……!)
突き飛ばせば止める、と言ったのは誰なのか。
アレンはぎゅうと拳を作り、尚もレオの胸板を押した。
しかしレオは気付いていないとでもいうふうに、口付けるのを止めてくれない。
むしろ背中を抱き寄せられ、この部屋はおろかレオから逃げる隙すら無くなってしまう。
加えて何度も唇の端を舐めてはそこを短く吸われ、まるで唇を開けろと言っているようだった。
ぞくぞくとしたそれがなんなのか分からず、触れようとした下腹部も先程より痛んで泣きたい心地に駆られた。
「っ、やめ」
アレンは堪らず首を振り、レオの唇から逃れる。
しかしそう易々と逃がしてくれるはずもなく、すぐに頤を摑まれる。
「や、っぅ……」
抗議の声を上げる前に、唇よりもずっと熱い舌先が口腔に入り込んだ。
ザラリとしたそれが、突然のことに怯える舌を絡め取る。
微かな痛みが走ったが、それ以上に言葉にしきれない何かが腰の奥を駆け抜けていく。
頬の内側や歯列の一本一本まで、余すことなくザラつく舌が縦横無尽に這い回った。
「ん、っ……ふ、う……ぁ」
アレンは息継ぎをするだけで精一杯で、高揚感にも似たそれが次第に思考を鈍らせるのに時間は掛からなかった。
ふっと身体の力が抜けそうになり、堪らずレオの胸元に身体を寄せる。
その仕草がレオの何かを煽ってしまったようで、ぐいと身体を引き寄せられる。
「っ、あ」
しまった、と思った時には遅かった。
ぐるりと視界が反転し、煌びやかな装飾の施された天井が映る。
ベッドに押し倒されたと同時に、ぐっとレオの体重が重なって少し苦しい。
これから何をされるのか、同年代の者より色恋に疎いアレンでも分かってしまった。
アレンが城に滞在するようになって一週間が経った。
レオは夜になると顔を出し、珍しい甘い菓子や異国から献上された装飾品を与えようとしてくる。
前者は好奇心でつい貰ってしまうが、後者に至っては価値が分からず曖昧な返事をするしかできなかった。
それでもレオは嬉しそうで、機嫌がいい時は餌付けと称して更に美味い食べ物を持ってくるため、このままでは肥えてしまうのも時間の問題だった。
『お前は細っこいんだからもっと食え。そんなんじゃあ、でっかくなれないぞ?』
アレンが食べているところをじっと見つめてそう言うのもお約束で、その度に『もう十分食べている』と言いそうで言えないのがもどかしい。
もういらない、と言ってしまった日にはレオの落胆する姿が目に浮かぶからだ。
さすがに己の言葉で不用意に落ち込ませたくはなくて、アレンはただ与えられるものを享受する毎日だった。
それでもレオが夜に訪れる事を除いてはずっと退屈で、時折様子を見にくるマナとティアラくらいしか話し相手がいない。
食事を持ってくる使用人は極力口を聞くなと言い含められているのか、どこか拒絶しているようにも見えた。
使用人とはいえ生きているため、そんなことをする理由がない──そう思っていても、城に務める者とはそういうものなのだろうか。
一人きりの部屋では何もすることがなく、七日も経てば己の身の振り方を嫌でも考えてしまう。
レオは本当にセオドアと会わせてくれるのか、凛晟はアレンが突然いなくなって悲しんでいないか。
何より、アンナを弑した獣人を早く探さなければいけない。
アレンが身動きできない間も件の獣人はのうのうと生きており、どこにいるのかも定かではないのだ。
だからレオの機嫌がすこぶるいい時を見て、『ここに留まらせる理由』を訊ねているが一貫して『伴侶にするため』と言うだけで、その他の詳細は少しも教えてくれない。
けれども無理に聞く気にはとてもなれず、ただ黙々と日々を過ごしているに過ぎなかった。
(今日も来るんだろうな……)
なぜか今日はいつにも増して気乗りしない。
それもこれも昨日の夜、レオには珍しく真剣な表情でこう言ったからだ。
『お前はただ笑って、頷いてくれればいい』
それが何を指すのか分からなかったが、一日経ってみると否が応でも理解してしまった。
(俺がもっと強く言わなかったから、結婚の話が進んでるんだ)
レオの訪れが夜遅くなのも、そうだとすれば納得がいく。
しかし、笑って話していたかと思えばふっと無言になる事が増えた。
こちらが控えめに声を掛けるとなんでもないように微笑み、挨拶もそこそこに退室してしまう。
その様子にどこか違和感を拭えず、レオがいなくなってからは眠るしかない。
もう少ししたらレオと共に別の、それこそ大臣が部屋にやってくる事を予感させた。
アレンが逃げられないよう、レオが外堀を埋めてきているのはひしひしと感じているのだ。
しかし伴侶になると言っても、今の法律では同性との婚姻を禁じられている。
レオは国王で、この国ではレオこそが最高権力者だ。
その気になれば法律は変えられるため、アレンが知らないだけで既に同性で結婚出来る場合も十分に有り得た。
「母さんの……探さないと、なのに」
一人きりで居ると常にアンナのことや犯人のことを考えてしまい、満足に動けない環境にある己にも苛立っていた。
レオの許可を得なければ、安易に城の外へ出る事は叶わないのは分かっている。
それとなく逃走経路をマナに聞いたが、やはりこちらも一貫して『勝手に部屋を出ては駄目です』と言われてしまった。
『貴方を逃がしたとなれば私がなんと言われるか……いえ、本当ならお助けしたいんです。でも……私の一存では無理なんです』
思っていた以上にマナからしっかりと謝罪され、しかし『助けたい』という言葉を放たれるとは思わなかった。
マナは他の使用人とは違い、レオの突飛な行動には心底参っているようだ。
だからかそれ以上二の句を継げず、なんとも言えない空気の中退室していったのがつい昨日。
朝になるとマナは普段と変わらぬ笑顔を見せてくれたものの、やはりどこか落ち着きがなかった。
その様子を見ていると次第にレオが怖くなり、夜になるとよそよそしい態度を取ってしまった自覚はある。
それでも何ら気にしたふうなく、異国の王太子がつい数日前にこの国に着いた、食事をしたあと軽く歓談をした、と面白おかしく話してくれた。
時折相槌を打つのが遅れたが、レオは話を聞かせることに夢中なようでその日は指摘されなかった。
マナの放った言葉がずっと頭の中を駆け巡っており、眠っている時以外はレオに対する疑念と、アンナに対する後悔でいっぱいだった。
自分の身の上が自由であれば、アレンはとうに都を発っているはずだ。
「っ……!」
そう考えていると、こちらに向かってくる足音が微かに聞こえた。
それは耳を澄まさなければいけないほど小さな、ともすれば押し殺したような物音だ。
レオが城の中を歩く時の癖のようで、二日に一度は『窮屈で堪らん』とぼやいているのを耳にするほどだ。
(どうしよう、どうしたら……)
今はレオの顔を見たくない。
しかしどこにも隠れられるような場所は無く、逃走するにしても出入りする扉しかなかった。
仮に出られたとして、廊下は常に数名の衛兵が巡回している。
どちらにしろ、このまま強行突破してもレオに出ていくところを見られる可能性の方が高い。
レオが入って来たら部屋の中ですら不自然な態度は取れず、完全な恐怖が全身を支配する。
ぶるぶると身体が震え、耳が後ろに倒れる。
ふっさりとした尻尾も股の間に入り込み、無意識にそれを握った。
どうにもできずベッドの真ん中で膝を抱えて小さくなっていると、やがて扉が開く音がやけに大きく響いた。
「アレン──って」
同時にレオの低い声が聞こえ、続いて小さく息を呑んだ気配がした。
「何してるんだ。かくれんぼか?」
もっと上手くやらないと駄目だぞ、と笑いを含んだ声と共にベッドが沈んだ。
レオがベッドの端に座ったのだと分かり、アレンはますます顔を伏せた。
それからレオが口を開くことはなく、しばらくの沈黙が部屋の中を支配する。
なぜ普段よりもずっと明るい声なのか、なぜ己がこうなっているのに何も言わないのか、頭の中にはいくつもの疑問が浮かぶ。
(普通だったらおかしいって思うだろ)
よもや己の存在はそれまでで、心配されるに値しないと思われているのだろうか。
そうだとすれば悲しいが、それ以上の感情は湧いてこなかった。
「──なぁ」
するとレオの大きな手が頭に触れ、びくりと反射的に肩が跳ねる。
それでも撫でたり離れていくことはなく、レオは頭に手を置いたまま口を開いた。
「お前が今何を思ってるのか知らんが、そんなに怯えてるのはマナが理由か?」
「っ」
図星を突かれ、小さく肩が揺れた。
「……そうか」
ややあってレオは小さく溜め息を吐き、頭から手を離す。
心地いい温もりが離れていったことに少し寂しく思ったが、それ以上にレオが次に放つ言葉が怖くなった。
「顔……見せてくれないか」
レオには珍しく少しつっかえ、けれどどこまでも優しく低い声がすぐ傍から降ってきた。
アレンは顔を伏せたまま軽く目を見開く。
それはこちらの態度に困惑しているような、どう言ったものか迷っているような声音だった。
(違う、レオは言うことを聞かせようとしてるんだ。絶対、絶対にそうだ)
レオの言う通り顔を上げれば最後、それこそ何を言われるのか分からない。
このまま無視していたら諦めて退室すると思うが、無言を貫けるほどの忍耐力をアレンは持ち合わせていなかった。
アレンはレオの声に導かれるまま顔を上げ、伏せていた瞼も恐る恐る上げる。
「……アレン」
「っ」
思っていたよりもずっと間近にレオの顔があり、図らずも小さく声を漏らす。
加えて愛おしそうな声で名を呼ばれ、知らず腰が引けてしまった。
「──本当にお前はいい子だな」
ふっと柔らかな笑みを浮かべ、そろりと頬を撫でられる。
頭を撫でる時よりもずっと優しく、まるで壊れ物を扱うような手つきだった。
「あ、っ……」
温かく大きな手の平に、こちらを愛おしげに見つめる黒曜石の瞳に、小さく声が漏れる。
(レオ……?)
あまり見たことのないレオの表情に驚きつつも、アレンはゆっくりと瞬きを繰り返した。
「──嫌だったら突き飛ばしてくれ」
「え」
先程とは違って押し殺した低い声が聞こえたかと思えば、温かく少し湿った何かが唇に触れた。
それは確かめるように何度も擦り合わされ、離れたかと思えばまた触れてくる。
(な、んで……っ)
そこでレオに口付けられているのだと理解し、アレンは目を見開く。
黒曜石の瞳が間近にあり、唇だけでなく睫毛すらも触れ合いそうなほどだった。
しかし嫌だとは少しも思わず、むしろ心地いいとさえ思う自分に驚いてしまう。
「……何も言わないんだな」
わずかに唇を離して問い掛けられ、アレンは目を白黒させながら小さく頷いた。
言っている意味が分からないだけだったが、そのさまがおかしかったのかレオが喉を震わせて笑う。
くるくると鳴るそれはレオの祖先らしき猫化獣人特有のもので、アレンのようなオオカミ系獣人には無いものだ。
レオの纏う空気に充てられたせいか、喉から出る微かな低音にすらじんわりと頬が熱くなっていく。
それがなぜなのか分からないながらも、レオに口付けられるのは好きだと思った。
(俺、……は)
触れられたいと思う身体とは裏腹に、理性だけは頑として『駄目だ』と警鐘を鳴らしている。
そもそもアレンを昏倒させ、城の者にすら一言の断りもなく連れて来たような男なのだ。
だからレオの言っていたように嫌だと思えば突き飛ばすのが正解で、腕に力を込めようとする。
けれど少しも思うように動かず、むしろ自分からレオの上衣の袖を摑んだ。
きゅっと控えめに握ったそれはしっとりとしていて、自身の纏う絹と同じ素材なのかと場違いなことを考える。
(違う……)
「お、れ……」
たった一言『嫌だ』と言えば、レオは止めてくれる──少なくとも、先程の言葉はそう捉えられた。
なのに身体は『もっと』と目の前の獣人を欲していて、意思に反して甘えた声が出てしまう。
本当はこんな声など出したくないのに、思い切り突き放したいのに、身体は止まってくれなかった。
「……分かってる」
どこか自嘲気味に言うとレオは軽く首を傾け、もう一度唇を重ね合わせてくる。
今度は唇の形を確かめるようにゆっくりと食み、頬を大きな両手で包み込まれた。
温かな手の平が頬を撫で、何度も角度を変えて啄まれる。
かと思えば顎を摑まれ、長く口付けられた。
「んぅ、ふ……っ」
どう息継ぎしたものか分からず、短く息を止めては吸ってを繰り返す。
それでもすぐに限界がやってきて、ふっとレオが笑った気配がした。
頬に添えていた手が離れ、するりと肩から腕へゆっくりと辿っていく。
レオとは違って薄布一枚の心許ない装いのためか、すぐに自分以外の体温が伝わった。
こちらの緊張を解すためなのか、それとも単にあやしているのか、どちらとも分からない。
ただ、レオに触れられていることで先程よりも身体が熱を持ち、じくじくと下腹部が痛む。
(なに……?)
アレンはうっすらと瞳を開き、そっと己の下腹部に手を伸ばそうとする。
しかしそれと同時にザラつく舌先が唇の端を掠め、腰の奥深くを鋭い電流が走った。
「っ……!?」
未知の感覚に声を出しそうになるが、それはレオに口付けられているため叶わない。
反射的に胸を押したものの、鍛えているであろうレオと自分とでは大きな体格差があるため、少しも動かなかった。
(嘘吐き……!)
突き飛ばせば止める、と言ったのは誰なのか。
アレンはぎゅうと拳を作り、尚もレオの胸板を押した。
しかしレオは気付いていないとでもいうふうに、口付けるのを止めてくれない。
むしろ背中を抱き寄せられ、この部屋はおろかレオから逃げる隙すら無くなってしまう。
加えて何度も唇の端を舐めてはそこを短く吸われ、まるで唇を開けろと言っているようだった。
ぞくぞくとしたそれがなんなのか分からず、触れようとした下腹部も先程より痛んで泣きたい心地に駆られた。
「っ、やめ」
アレンは堪らず首を振り、レオの唇から逃れる。
しかしそう易々と逃がしてくれるはずもなく、すぐに頤を摑まれる。
「や、っぅ……」
抗議の声を上げる前に、唇よりもずっと熱い舌先が口腔に入り込んだ。
ザラリとしたそれが、突然のことに怯える舌を絡め取る。
微かな痛みが走ったが、それ以上に言葉にしきれない何かが腰の奥を駆け抜けていく。
頬の内側や歯列の一本一本まで、余すことなくザラつく舌が縦横無尽に這い回った。
「ん、っ……ふ、う……ぁ」
アレンは息継ぎをするだけで精一杯で、高揚感にも似たそれが次第に思考を鈍らせるのに時間は掛からなかった。
ふっと身体の力が抜けそうになり、堪らずレオの胸元に身体を寄せる。
その仕草がレオの何かを煽ってしまったようで、ぐいと身体を引き寄せられる。
「っ、あ」
しまった、と思った時には遅かった。
ぐるりと視界が反転し、煌びやかな装飾の施された天井が映る。
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