好きの手前と、さよならの向こう

茶ノ畑おーど

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〇2章【波乱と温泉】

4節~距離~ 5

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山の裾をなぞるように整備された散策路。
春先のやわらかな陽射しが木々の葉の隙間からこぼれ落ち、まだらな影を揺らしていた。
鳥の声が時折重なり、吹き抜ける風は頬を撫でて、緩やかな傾斜はほどよい運動をもたらす。
それは『ハイキング風レクリエーション』と呼ぶのがぴったりな、のどかな空気だった。

「はぁ~っ、なんだかいいですねっ。空気が澄んでる~って感じで!」

両腕を広げるようにして深呼吸するもも。
ワンピースの裾を片手で押さえながら、軽やかな歩調でヒロトのすぐ横に並ぶ。
道端の小さな花に目を留めたり、茂みの揺れに驚いて「きゃっ」と体を寄せたり、鳥の声に顔を上げて目を輝かせたり――彼女の一挙手一投足が、春の景色にぴったり重なっていた。

「まぁ、普段は排気ガスとビルの森の中で生活してるからな……」

ヒロトが肩越しに答えると、ももは嬉しそうに頷いた。
そのままヒロトの歩幅に合わせて足取りを整える。

ほんの数歩、ヒロトが後ろに下がっても、ももはすぐに速度を緩めてぴたりと横に戻ってくる。
肩がかすかに触れそうになるほどの距離感を、彼女は当たり前のように保ち続けていた。

「……ちょっとは前見て歩けよ。一応、平地じゃないんだから」

そう諭すと、ももは立ち止まり、くるりと振り返った。
陽射しを背に受けた顔がまっすぐこちらを見上げる。

「……なんだよ?」

「ん~? 私が自然ばっかり見てるから、せんぱいが嫉妬したのかなーって」

唇の片端に小さなえくぼが灯り、恥じらうように笑った。
たわいない冗談のはずなのに、心臓の奥に柔らかな爪痕を残していく。

「……こんな遊びで怪我でもされたら、俺が麻衣に詰められるんだよ。知ってるだろ? うちのチームのリーダー」

「もちろん知ってますけど……む~」

ももは頬を膨らませ、不満を隠さず唇を尖らせる。
コロコロと変わる表情にヒロトは一瞬戸惑い、首を傾げた。

「今は私といるんだから……他の女の人の話、しないでくださいっ」

ぎゅっとヒロトの腕を掴み、視線を逸らさずに告げる。
それが冗談なのか本音なのか、ヒロトには測りかねる。反応が遅れた末に、短く言葉を絞り出した。

「……悪かったよ」

小さく謝ると、ももはぱっと顔を上げ、悪戯っぽく笑った。

「なーんちゃって。えへへ、やっと捕まえましたよぉ」

頬を緩めたその笑顔には悪意などなく、天真爛漫さと柔らかな押しの強さが混じり合っている。
それこそが彼女の武器なのだと、ヒロトは遅ればせながら実感した。
逃げ場をなくした右腕の感覚に、小さくため息が漏れる。



やがて最初のチェックポイントに到着した。
木陰の東屋を改装したスペースでは、すでに数組のペアがテーブルに広げた紙を囲み、真剣な顔で謎に取り組んでいる。
紙の上に頭を寄せ、額にしわを寄せる者もいれば、声を荒げて議論する者もいる。にぎやかな空気が漂っていた。

「せんぱい、せんぱいっ! 私たちもっ!」

子犬のように袖を引くももに促され、ヒロトはスタッフの元へ足を運んだ。

「はーい、お疲れ様です! お二人への謎はこちらでーす」

慣れた手つきで差し出される一枚の用紙。
ももは両手で大事そうに受け取り、目を輝かせて覗き込む。

「随分慣れてますけど、ここってこういうイベント、よくやってるんですか?」

ヒロトが尋ねると、女性スタッフはにこやかに頷いた。

「はい! 毎週末、宿泊のお客様から予約を募って、謎解きやスタンプラリーを開催しているんです」

「なるほど……じゃあ、うちの企画が無茶言ったわけじゃないんですね」

ヒロトが苦笑すると、ももは彼の袖をぐいっと引っ張り、不満げに声を上げた。

「ちょっと! ヒロトせんぱい! ナンパしてる場合じゃないでしょ~!」

「ナンパって……お前なぁ」

「ふふっ、頼もしい後輩ちゃんですね」

スタッフが柔らかく笑う。
ヒロトは苦笑しながら「……ほんとに」と肩をすくめ、ももの急かす声に押されるようにその場を離れた。

「もうっ! ちゃんと考えてくださいねっ!」

「そんな慌てなくてもいいだろ」

「急がないと優勝できないじゃないですかっ!」

ももはぷくりと頬を膨らませながらも、視線を前方に投げる。
展望台のベンチには、倉本をはじめとする見覚えのある社員たちが、頭を抱えて紙と格闘していた。

「ほら。結構難しいみたいですよ」

「……トクイなんだろ? お手並み拝見だな」

挑むようなヒロトの声に、ももは胸を張って屈託なく笑う。

「まっかせてください! 私、こういうのには強いんですから!」

春風に髪を揺らしながら笑うその顔は、真剣さと無邪気さが同居していた。
その横顔を見て、ヒロトはまた小さく息をついた。
結局、自分はこの後輩に振り回され続けるのだろう――そう予感しながらも、不思議とその予感が嫌ではないものに変わりつつあった。
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