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第10話 娼館で三助をしてもらう②
しおりを挟む「お召し物は」
「自分で脱げる」
婚約破棄と廃嫡を言い渡される日、前世の記憶からしっかりと事前準備をしていたマルティンは、丈夫で脱ぎ着がしやすい服をあらかじめ用意していた。貴族の着る服は女性だけでなく、男性のものも一人では脱ぎ着が難しい作りになっていて、世話をされる前提があまりにも多すぎた。もちろん、前世の記憶のあるマルティンは、ボタンの付いている服ぐらいなら難なく一人で脱ぎ着できるので、そういった服をあらかじめ仕立てておいたのだ。だから、風呂に入る前に一人で脱ぐことぐらい簡単な事だった。
「脱いだ服とお荷物はコチラに」
蓋のついたカゴが置かれたので、マルティンはそこに脱いだ服と大切な魔法カバンを入れた。
「どうぞこちらに」
風呂に行くと、三人の見習いが待ち構えていて、マルティンを椅子に座るよう案内してきた。
「まずは掛け湯を致しまして、それから湯船にお入りいただきます」
この手の作法はこの世界でも同じらしい。これだけの湯船に湯を張るにはそれ相応の魔石が必要だろうから、いきなり湯を汚されては困るのだろう。
「石鹸と洗髪剤はアスス商会の物を使っております」
そう言って、見せてきたのは貴族のあいだでは有名なアスス商会のマークが入った品々だった。
「洗い上がりが大変よろしいので、貴族のご婦人方の間で大変人気の品でございます」
もちろん、そんなことマルティンは知っている。ご婦人でなくても、大抵の貴族はアスス商会で高級石鹸を購入しているのだ。バラの香りとハチミツが練り込まれているということで、たいへんエレガントな洗い上がりになると言われている。
(乙女ゲームの世界だけあって、美容関係は充実してるよな)
マルティンはゆっくりと手足を伸ばし、湯の温かさを堪能するのであった。
「髪に湯をかけます」
椅子に座り、頭を少し後ろにされて声をかけられる。フルフラットではないけれど、なかなかゆったりとした体勢ではある。が、頭に湯をかけられる直前、マルティンは自分の真正面?に、ひとりの女が膝まづいているのが見えた。
「…………」
声を出しはしなかったものの、かなりの衝撃映像である。見習いが担当するとは聞いていたものの、まさかの出来事である。
「わたくしどもは見習いの身ですから、慣れるためにお客様のように、湯を使われる御仁のお身体を担当させて頂いております」
そんな説明をされたところで、いきなり急所に女がいたのでは驚くしかない。
「なるほど」
前世の記憶で言ったら大問題であり、そんなことしてくれるのは泡のお姫様なわけなのだけれど、それでもマルティンは貴族のご子息であったから、女性に体を洗われることは別に何とも思うようなことではなかった。マルティンにとっては、体は誰かに洗って貰うことが当たり前すぎて、うっかり反応してしまうことはなかった。が問題は、髪を洗ってくれている見習いだった。
なんと、男だったのである。湯浴み用の白いチェニックのような服を着ていたので最初は気が付かなかったが、ぬれて肌に張り付いているのを見た時、胸に膨らみがなく、小さな突起が二つ透けて見えていたのだ。
(あいつに知れたらヤバそうだな)
思い出すのは、昨日の夜の出来事である。まさか寝込みを襲われるとは思ってもいなかったが、襲われるが命の危機ではなく、貞操の危機だとは思いもしなかったマルティンである。色々な差し入れを置いていってくれた手前、髪を洗ってもらっているだけとはいえ、ヤキモチを焼かれると厄介である。
だがしかし、相手は見習いとはいえ仕事である。そんなことで仕事を奪うことはできないし、貴族ならではの嫌がらせをされてはたまったものではないだろう。前世で頭を洗って貰うのは床屋だったから、男に頭を洗ってもらうことに嫌悪感はない。なかなかな指使いで丁寧に洗われて、ついでに頭皮マッサージまでされたものだから、あまりの気持ちよさにマルティンはうたた寝をしてしまった。まぁそもそも夜なので、普通に眠気もあったのだけれど。
「湯冷めしてしまいますので、もう一度湯に浸かられますか?」
そう声をかけてきたのは髪を洗っていた見習いだった。変声期がすぎてはいるようで、よく見れば喉仏があった。
「ああ、そうさせてもらう」
椅子から立ち上がり、ゆっくりと湯船に入るのに、何故か見習いが体を支えてくれた。
「風呂上がりにマッサージをさせていただいております。お客様は足がお疲れのようなので、特に念入りにさせていただければとおもいます。オイルを使いますが、嫌いな匂いはございますか?」
そんなことを言われても、匂いなんか気にしたことなどなかった。強いていえば、母親が使っていた化粧品の匂いがやたらと鼻についた。
「やたらと甘いのは苦手だな」
「かしこまりました」
見習いが返事をした後立ち上がる。
「ごゆっくり湯をお楽しみください」
そう言って、背後から気配が消えた。
「あー、やっぱり風呂はいいな」
一人になり、マルティンは手足を伸ばして湯を楽しんだ。ギンデル侯爵家の風呂はいかにも貴族の家庭らしく、猫足のバスタブだった。乙女ゲームの世界だから、夢見る女子の夢を壊さない設定なのだろう。と思って特に気にしないで過ごしてきたけれど、こういった広い浴場もあるということは、やはり乙女ゲームに関係ないところは普通であり、乙女ゲームの仕様にはなっていないということなのだろう。何しろここは娼館という、乙女ゲームからしたら真逆の世界なのだから。
「湯を張るのに魔道具を使っているのか」
蛇口には、明らかに魔石がはめ込めそうなみぞがあった。湯を貼り終わった後に魔石を回収しているのだろう。マルティンの身体や髪を洗う時は、シャワーが使われていたから、そちらも魔石を取り外していることだろう。この部屋なら金貨一枚と言われたのは、恐らく湯船の大きさなのだろう。
「はぁ、体がほぐれる。が、確かに足が浮腫んでいるな」
まだ冒険者になってる二日目なのに、ふくらはぎにブーツの跡がくっきりと付いていた。確かに立ちっぱなしでの仕事ではあるから、今までの生活から考えれば浮腫みやすいのだろう。
「マッサージしてくれるんだったな」
そんな独り言を呟きながら湯を上がれば、見習いたちが待ち構えていた。渡されたのは、柑橘系の香りのするよく冷えた水だった。マルティンが酒を飲まないと言ったからだろう。よく見ればワインクーラーのようなものに水差しがおかれ、その中にはレモンのような果物が輪切りにされて浮いていた。立ったまま柔らかなタオルで前も後ろも水分を拭き取られ、寝台に案内される。
「うつ伏せになっていただいて、背中から足までマッサージさせて頂きます」
「よろしく頼む」
本当に風呂だけで良かったマルティンなのだが、見習いたちの練習に付き合うのもまた一興。
「オイルはコチラでよろしいでしょうか?」
顔の辺りに出されたオイルの瓶からほんのりと漂ってきたのは柑橘系の香りだった。
「甘い香りはお嫌と伺いましたので」
「ああ、悪くない」
甘い香りはようはあれだ、前世の記憶でヤン車から漂う甘いココナッツの香りを連想させるから苦手なのだ。別にマルティンが前世で陰キャだったわけではないが、確実に関わりたくない人種であったことだけは確かである。それと、満員電車での香水テロだ。ついでにいえば、元婚約者のアンテレーゼも何やら甘ったるい匂いを撒き散らしてはいたものだ。
「肩回りからゆっくりと始めさせていただきます。同時に足も始めさせていただいてよろしいでしょうか?」
どうやら三助をしてくれた三人が同時にマルティンのマッサージをしてくれるらしい。泊りをしないマルティンなので、時間短縮のためなのかもしれないけれど。たったの二日とはいえ、冒険者としての生活は貴族のご令息育ちのマルティンの体に相当な負担を敷いていたらしく、とくに足は自分でも驚くほどにむくんでいたようだ。ブーツなので特に気にしていなかったけれど、帰りに履いた時、紐を一段きつく縛りなおしたほどだった。
「ああ、忘れていた」
腰の魔法カバンを探りマルティンは銀貨を取り出した。
「駄賃だ」
娼館での作法なんて知らないから、そのまま直接手渡しだ。案内の見習いにも渡してあるから問題はないだろう。
「「「え?」」」
戸惑ったのは渡された見習いたちだった。
「気にするな。最初の小娘にも渡してある」
そう言ってマルティンは認識疎外の魔法がかけられたフードをかぶり娼館を後にしたのだった。
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