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1章
王冠の行方
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それからも状況は悪化の一途をたどった。国内は『国益を考えている人間』『国益より目先の利益に釣られている人間』『この国を食いつぶそうとする外国勢力』の三派に分かれて混乱している。相変わらずリリーは周りを引っかき回している。父ウィルフレッド王の時代の安定と繁栄は遠く去った。それを身にしみて感じずにはいられない日々だ。
「流行病はそれほど広がっているのか」
「はい。どうかこの一角よりお出ましになりませんよう。ご不自由でございましょうが、御身をお守りするためでございます」
瞬く間に広がった流行病は、王宮でも罹った者が出るほどになったという。世継ぎもいない今、国王であるレジナルドが罹患することのないように、自室のある王宮の一角に籠もることになった。
王妃リリーは別の場所にいる。妻の身を案じる気持ちと、こんな状況ではさぞ不安定になっているだろう妻のお守りをしなくていい安堵とが交々わき上がってくる。
病がうつらないようにと、人との接触を必要最低限に留めて過ごす。世話をするために使用人たちが出入りするだけで、誰ともまともに会話をしていない。はじめは気楽でいいと思ったが、半月も経てばさすがに倦んでくる。宰相や側近を呼ぼうとするが、言を左右にして応じない。レジナルドの中でじわじわと違和感が膨らんでいった。
そして、ある日。レジナルドは久しぶりに自室のある一角を出た。略式の謁見にも使われる一室に誘導される。なぜかいつもとは違う場所に席がしつらえられていたが、謁見ではなく会議だからだと納得した。
「流行病はどうなったのだ。おさまったのか?」
「その病に罹っているのは貴方お一人ですわ、ご心配なく」
その声の主は、辺りを払うような美しさだった。昼間だけに衣装も装身具も控えめだが、彼女自身の金色の髪と青い瞳、それ自体に人の目を惹きつけるかがやきがある。青い瞳――『王家の青』だ。
「エレノーラ……」
エレノーラ・シェフィールド公爵令嬢はしとやかに一礼した。その流れるような優雅な動きに、一瞬気をのまれた後、レジナルドはかっとなった。なぜ国王に対する最敬礼ではないのか。
「甥御様にご説明して差し上げてはいかが?宰相閣下。どうやらおわかりではないようですから。他の皆様とは違って」
居並ぶ重臣たちに目をやってから悠然と腰を下ろすエレノーラの傍らに、剣を佩いた男が立った。この城の騎士の服装ではない。
略式の礼に、帯剣した護衛。王に対して許されないはずの非礼を静かに受け入れる重臣たち。
国王レジナルドは、足下が崩れ落ちていくような錯覚をおぼえた。
「陛下。貴方様はご病気なのです。王たる重責に耐えうるお体ではございません。王妃殿下との間にお世継ぎのない今、もっとも継承順位の高いシェフィールド公爵令嬢が女王として即位なさいます」
「何を馬鹿な、俺は病など……!」
「そういうことにして差し上げる、ということですわ。
別にわたくしは貴方方を簒奪者として断罪してもかまいませんけれど」
「簒奪者……?」
レジナルドは臣下たちの顔を見て悟った。確かに、この中で自分だけが知らずにいるのだ。
「……責は私一人に。陛下は事に関わってはおられません」
急変した先王ウィルフレッドの末期に、医師を除いては義弟であるラザフォード候一人が立ち会った。先王は遺言だけではなく、死の間際にしてはしっかりした筆跡による遺書も残した。そして、先王の遺志は
“エレノーラ・シェフィールド公爵令嬢に王位を譲る。王配は女王の意思に任せる。”
「馬鹿な!俺は父上のただひとりの子ではないか!」
「私もそう愚考致しました」
ラザフォード侯爵は考えた。唯一の王子を廃してその婚約者を即位させる。同時に婚約を解消する。それでは、国が混乱するのではないか。法で禁じられていないとはいえ、前例のない女王に人々は従うまい。ならば予定通りに継承すればいい。どうせエレノーラが王妃になるのだから、実体はそう変わることはないだろう。
だが、彼の目論見は大きく外れた。
エレノーラとの婚約解消、リリーの王妃冊立。重臣たちをいったん退けた後の暴走。すぐに呼び戻されるだろうと高をくくってみれば、完膚なきまでに叩き潰された先王の治績に、重臣たちは揃って頭を抱える羽目になった。
こうなっては宰相として、保身や身内への情よりも王家や国を優先せざるをえない。自分の犯した罪をあきらかにしても、エレノーラを呼び戻すことを決意した。
「だが、それで貴族共が、民が納得するのか?」
即位以来の失策の数々が脳裏をよぎり、口にするそばから言葉が力を失っていく。それでも例のない女王よりは、人心を得ているはずだ。レジナルドは従妹をにらむ目に力を込めた。
エレノーラは艶然とほほえんだ。
「それこそご案じになることではありませんわ。
もはや貴方が王でいられるのは、この部屋だけですもの」
「流行病はそれほど広がっているのか」
「はい。どうかこの一角よりお出ましになりませんよう。ご不自由でございましょうが、御身をお守りするためでございます」
瞬く間に広がった流行病は、王宮でも罹った者が出るほどになったという。世継ぎもいない今、国王であるレジナルドが罹患することのないように、自室のある王宮の一角に籠もることになった。
王妃リリーは別の場所にいる。妻の身を案じる気持ちと、こんな状況ではさぞ不安定になっているだろう妻のお守りをしなくていい安堵とが交々わき上がってくる。
病がうつらないようにと、人との接触を必要最低限に留めて過ごす。世話をするために使用人たちが出入りするだけで、誰ともまともに会話をしていない。はじめは気楽でいいと思ったが、半月も経てばさすがに倦んでくる。宰相や側近を呼ぼうとするが、言を左右にして応じない。レジナルドの中でじわじわと違和感が膨らんでいった。
そして、ある日。レジナルドは久しぶりに自室のある一角を出た。略式の謁見にも使われる一室に誘導される。なぜかいつもとは違う場所に席がしつらえられていたが、謁見ではなく会議だからだと納得した。
「流行病はどうなったのだ。おさまったのか?」
「その病に罹っているのは貴方お一人ですわ、ご心配なく」
その声の主は、辺りを払うような美しさだった。昼間だけに衣装も装身具も控えめだが、彼女自身の金色の髪と青い瞳、それ自体に人の目を惹きつけるかがやきがある。青い瞳――『王家の青』だ。
「エレノーラ……」
エレノーラ・シェフィールド公爵令嬢はしとやかに一礼した。その流れるような優雅な動きに、一瞬気をのまれた後、レジナルドはかっとなった。なぜ国王に対する最敬礼ではないのか。
「甥御様にご説明して差し上げてはいかが?宰相閣下。どうやらおわかりではないようですから。他の皆様とは違って」
居並ぶ重臣たちに目をやってから悠然と腰を下ろすエレノーラの傍らに、剣を佩いた男が立った。この城の騎士の服装ではない。
略式の礼に、帯剣した護衛。王に対して許されないはずの非礼を静かに受け入れる重臣たち。
国王レジナルドは、足下が崩れ落ちていくような錯覚をおぼえた。
「陛下。貴方様はご病気なのです。王たる重責に耐えうるお体ではございません。王妃殿下との間にお世継ぎのない今、もっとも継承順位の高いシェフィールド公爵令嬢が女王として即位なさいます」
「何を馬鹿な、俺は病など……!」
「そういうことにして差し上げる、ということですわ。
別にわたくしは貴方方を簒奪者として断罪してもかまいませんけれど」
「簒奪者……?」
レジナルドは臣下たちの顔を見て悟った。確かに、この中で自分だけが知らずにいるのだ。
「……責は私一人に。陛下は事に関わってはおられません」
急変した先王ウィルフレッドの末期に、医師を除いては義弟であるラザフォード候一人が立ち会った。先王は遺言だけではなく、死の間際にしてはしっかりした筆跡による遺書も残した。そして、先王の遺志は
“エレノーラ・シェフィールド公爵令嬢に王位を譲る。王配は女王の意思に任せる。”
「馬鹿な!俺は父上のただひとりの子ではないか!」
「私もそう愚考致しました」
ラザフォード侯爵は考えた。唯一の王子を廃してその婚約者を即位させる。同時に婚約を解消する。それでは、国が混乱するのではないか。法で禁じられていないとはいえ、前例のない女王に人々は従うまい。ならば予定通りに継承すればいい。どうせエレノーラが王妃になるのだから、実体はそう変わることはないだろう。
だが、彼の目論見は大きく外れた。
エレノーラとの婚約解消、リリーの王妃冊立。重臣たちをいったん退けた後の暴走。すぐに呼び戻されるだろうと高をくくってみれば、完膚なきまでに叩き潰された先王の治績に、重臣たちは揃って頭を抱える羽目になった。
こうなっては宰相として、保身や身内への情よりも王家や国を優先せざるをえない。自分の犯した罪をあきらかにしても、エレノーラを呼び戻すことを決意した。
「だが、それで貴族共が、民が納得するのか?」
即位以来の失策の数々が脳裏をよぎり、口にするそばから言葉が力を失っていく。それでも例のない女王よりは、人心を得ているはずだ。レジナルドは従妹をにらむ目に力を込めた。
エレノーラは艶然とほほえんだ。
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