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「冷えてしまったな」
「これくらいなら、問題は……」
部屋で暖まる私の頬を撫でるレイフ様。手を伸ばそうとしたその動きに、一瞬だけ身体が強ばったが、すぐに彼は私に暴力をふるう人ではないと思い直し、緊張を解く。どれだけ心にふたをしても、刻まれた恐怖は忘れられそうにない。
「ユーニス……」
「……大丈夫です」
彼も、わかっているから、辛そうな顔をする。そんな顔、しないでほしいのに。だって、私の身体に傷は残ってないのだし、気にすることではないと思う。
「大丈夫じゃない。君の心が、傷ついたままだ。身体の傷は、たしかにいつかは癒えていく。だが、君の心は、ずっとそのままだろう」
「こ、ころ……」
「そう、心だ。もうフタをしなくていい、我慢しなくていいんだ。俺は君の心を感じたいと思っている、ありのままの君の心を」
「……」
隠さなければならない、考えないようにしなければならない。それは私を守るための防壁だから。考えてしまえば、どうして私には与えてもらえなかったのか、と苦しい思いが私を支配してしまう。そして心の奥底に眠っている恐ろしい感情を呼び起こす。そんなことは、できればしたくない。
「ユーニスは、優しすぎる」
「いいえ、私は優しくなど……」
「いや、優しすぎる」
「……」
「君の心が感じたことは、全て君だけのものだ。その中に憎しみや怒り、悲しみがあるのも当然。それらを持つことは悪いことじゃない。善人がネガティブな感情を持っていないわけではないのと、同じことだ。どれほど心が優しくとも、怒りや憎しみを持つことはある。そこからどう、その感情を受け止めるのか、どう対処していくかが、大事なだけで、その感情を否定する必要はない」
目から鱗が落ちるようだった、憎しみや怒り、悲しみから目を背けなくていいなんて。私の中にはなかった考え方だ。
レイフ様との間に沈黙が生まれる。その静けさは、嫌なものではない。まるで優しく包んでくれているような、そう思えるほどに温かな沈黙。
「小さいころは、母がいたからまだ……幸せでした。でも……」
悲しいと思えば、苦しくなるから考えなかった。母のいない淋しさ、誰にも相手にしてもらえない苦しさ。いつだって孤独は私の当たり前だった。誕生日を祝ってもらえるあの子と、祝ってもらえない私。同じ伯爵家の娘なのに、いつもあの子だけが幸せそうに笑っていて。
それが私は、酷く憎かった。
父とは、半分でも血の繋がりがあったにもかかわらず、私には見向きもしない。優秀であろうと、勉強だって頑張った。その努力は、いつか認めてもらえる日が来ると信じていた。
「いつかきっと、なまえを……呼んでもらえるって。わたしのことも、あいしてくれるって……」
信じていた、ずっと。わずかな希望を抱いて、叩かれても蹴られても、食事がもらえなくても、待っていた。私も娘として恥ずかしくないようにと、自分なりに努力をして、待っていたはずだった。
「どうして……どうしてっ!」
私が捨てずに持っていた希望は、ひび割れができて、そして割れてしまった。一度壊れたものは元通りには戻せない。魔法があっても、全く同じようにはならない。特に、形のない物ほどそれは顕著である。私の持つ心も、形がないから元通りにはできない。
「俺は、側にいる。俺は、ユーニスを愛している。名前も、たくさん呼ぶ。ユーニス、ユーニス……」
「っう……あ……!」
ほしいと願って、手を伸ばして、結局は届かなかった。私が大切にしていたものも、守り切れずに失っていった。母が私に残してくれたプレゼントだって、みんな継母とカミラに取られた。私に残されたものは、形のない思い出。
もう、母の温もりも声も、正確には思い出せないのに。会いたいと願っても記憶の中の母は薄れていく。それがどれほど私を苦しめるか。私の記憶に残っているのは、母に会えない淋しさと、母を恋しいと思う感情ばかり。
勝手に流れ落ちていく涙を止めたいけれど、次から次に溢れて止まらない。無理に抑えようとしてしゃくりあげる私を、レイフ様は何も言わずにそっと抱き寄せた。その温もりは、なんとなく残っている母の温もりよりも温かった。
「これくらいなら、問題は……」
部屋で暖まる私の頬を撫でるレイフ様。手を伸ばそうとしたその動きに、一瞬だけ身体が強ばったが、すぐに彼は私に暴力をふるう人ではないと思い直し、緊張を解く。どれだけ心にふたをしても、刻まれた恐怖は忘れられそうにない。
「ユーニス……」
「……大丈夫です」
彼も、わかっているから、辛そうな顔をする。そんな顔、しないでほしいのに。だって、私の身体に傷は残ってないのだし、気にすることではないと思う。
「大丈夫じゃない。君の心が、傷ついたままだ。身体の傷は、たしかにいつかは癒えていく。だが、君の心は、ずっとそのままだろう」
「こ、ころ……」
「そう、心だ。もうフタをしなくていい、我慢しなくていいんだ。俺は君の心を感じたいと思っている、ありのままの君の心を」
「……」
隠さなければならない、考えないようにしなければならない。それは私を守るための防壁だから。考えてしまえば、どうして私には与えてもらえなかったのか、と苦しい思いが私を支配してしまう。そして心の奥底に眠っている恐ろしい感情を呼び起こす。そんなことは、できればしたくない。
「ユーニスは、優しすぎる」
「いいえ、私は優しくなど……」
「いや、優しすぎる」
「……」
「君の心が感じたことは、全て君だけのものだ。その中に憎しみや怒り、悲しみがあるのも当然。それらを持つことは悪いことじゃない。善人がネガティブな感情を持っていないわけではないのと、同じことだ。どれほど心が優しくとも、怒りや憎しみを持つことはある。そこからどう、その感情を受け止めるのか、どう対処していくかが、大事なだけで、その感情を否定する必要はない」
目から鱗が落ちるようだった、憎しみや怒り、悲しみから目を背けなくていいなんて。私の中にはなかった考え方だ。
レイフ様との間に沈黙が生まれる。その静けさは、嫌なものではない。まるで優しく包んでくれているような、そう思えるほどに温かな沈黙。
「小さいころは、母がいたからまだ……幸せでした。でも……」
悲しいと思えば、苦しくなるから考えなかった。母のいない淋しさ、誰にも相手にしてもらえない苦しさ。いつだって孤独は私の当たり前だった。誕生日を祝ってもらえるあの子と、祝ってもらえない私。同じ伯爵家の娘なのに、いつもあの子だけが幸せそうに笑っていて。
それが私は、酷く憎かった。
父とは、半分でも血の繋がりがあったにもかかわらず、私には見向きもしない。優秀であろうと、勉強だって頑張った。その努力は、いつか認めてもらえる日が来ると信じていた。
「いつかきっと、なまえを……呼んでもらえるって。わたしのことも、あいしてくれるって……」
信じていた、ずっと。わずかな希望を抱いて、叩かれても蹴られても、食事がもらえなくても、待っていた。私も娘として恥ずかしくないようにと、自分なりに努力をして、待っていたはずだった。
「どうして……どうしてっ!」
私が捨てずに持っていた希望は、ひび割れができて、そして割れてしまった。一度壊れたものは元通りには戻せない。魔法があっても、全く同じようにはならない。特に、形のない物ほどそれは顕著である。私の持つ心も、形がないから元通りにはできない。
「俺は、側にいる。俺は、ユーニスを愛している。名前も、たくさん呼ぶ。ユーニス、ユーニス……」
「っう……あ……!」
ほしいと願って、手を伸ばして、結局は届かなかった。私が大切にしていたものも、守り切れずに失っていった。母が私に残してくれたプレゼントだって、みんな継母とカミラに取られた。私に残されたものは、形のない思い出。
もう、母の温もりも声も、正確には思い出せないのに。会いたいと願っても記憶の中の母は薄れていく。それがどれほど私を苦しめるか。私の記憶に残っているのは、母に会えない淋しさと、母を恋しいと思う感情ばかり。
勝手に流れ落ちていく涙を止めたいけれど、次から次に溢れて止まらない。無理に抑えようとしてしゃくりあげる私を、レイフ様は何も言わずにそっと抱き寄せた。その温もりは、なんとなく残っている母の温もりよりも温かった。
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