攻略対象の婚約者でなくても悪役令息であるというのは有効ですか

中屋沙鳥

文字の大きさ
8 / 90

8.カフェテリアの違和感

しおりを挟む
 オメガであるアラステアは、抑制剤を毎日必ず飲んでいる。今の時代のオネスト王国では、アルファもオメガも毎日抑制剤を服用して、発情をコントロールするのが当たり前だ。昔と異なり、今の抑制剤は副作用も少なく、アルファにもオメガにも心身にかかる負担は少なくなっている。更に、飲み忘れたときにも、比較的容易に薬を手に入れられるようになっていた。

 オメガはフェロモンの測定器で発情期のサイクルを知り、それに合わせて薬の量をコントロールする。パートナーがいれば、軽い薬に代えてともに発情期を過ごし、いなければ、少し強い薬にして発情を抑えるのだ。かつては、発情を定期的に起こした方が自然だと考えられていたが、今では薬でコントロールした方が体に良いという研究結果が出ている。実際、以前は短命だったオメガの寿命は飛躍的に伸びたのだ。
 他にもオメガは、飲み忘れ防止のための抑制剤とともに、緊急避妊薬を持ち歩くのが当然のこととなっているのだが、これは、お守りのようなものだと考えられていた。

 そう、いくら薬の開発が進んでも、望まぬ急な発情やそれによる事故、また、発情促進剤を使っての強姦事件はなくならないという不幸な現実がある。そして、強姦被害者になる可能性は、アルファ、オメガ、双方にあるのだった。

 アラステアは、未だに発情期が来ていない。これは、子どもの頃に病弱であったため、機能の発達が遅れているのが原因だろうと医師からの診断を受けている。併せて医師からは、発情期の発現時期には個人差があるので心配無用だとも言われていた。アラステアは、医師の言葉を信じてはいるものの、不安がないとは言い切れなかった。


◇◇◇◇◇


 学院のカフェテリアは、全校の学生が食事をできるようになっている。そして、自宅から持ってきたランチを食べたり、カフェテリアでランチボックスを注文して中庭で食べたりもできる。自由度が高い仕様になっているのだ。
 カフェテリアは、アラステアにとってはエリオットに遭遇する確率の上がる場所になる。ローランドが接近禁止なのはエリオット側からだという正論を言ってくれなければ、家からランチを持ってきて中庭で食べていたかもしれないとアラステアは思った。

 アラステアは、いつもそばにいるローランドとクリスティアンが、そんなことを許さないだろうとは想像してはいなかったのだが。

 いつものようにアラステアがローランドとクリスティアンに連れられて来たカフェテリアは、いつもとは違う雰囲気に包まれていた。

 何人かの学生が見るとはなしに見ている視線の先には、艶のある栗色の髪に青い瞳の第二王子レイフ、そしてその隣の席には、入学式の日にアルフレッドに向かって走って来たピンク色の髪の男爵令息ノエル・レイトンが座っている。ノエルは、可愛らしい笑顔でレイフと話している様子が見て取れるので、おそらく親しい間柄になったのだろうとアラステアは推測した。

「ええー、本当に僕って男爵家に引き取られたばっかりでえ、何も知らないんですよー」
「貴族のルールはこれから学べば良いだろう」
「ありがとうございますっ。ああっ、このお魚おいしーい」

 第二王子が異なる学年の男爵令息と親しくなっているのは、皆の注目を浴びてもしかたないことだろう。それがマナーも何もなっていない者であればなおさらである。

 しかし、カフェテリアの雰囲気に違和感があるのはそれだけではないようだった。

 そして、そのレイフとノエルの向かい側に座っている砂色の髪の男。顔は見えないが、その男がエリオットであるとアラステアにはわかった。
 アラステアがエリオットの姿を見るのは、入学式の日以来だ。
 エリオットはもうアラステアとは関係のない人だし、今後も関わることは無い。アラステアは彼らから目を反らし、ローランドとクリスティアンの方に視線を移した。

「ローランド、アラステア、今日はランチボックスを頼んで中庭へ行こうか」
「それは良いけど、急にどうしたのだい?」
「ちょっとね。アラステアも良いかい?」
「はい、もちろん」

 クリスティアンは自分の顔の辺りに手をやりながら、アラステアとローランドにそう言うと、護衛騎士の一人にランチボックスの手配と、何かの伝達を命じた。そして、何の躊躇もない動作で踵を返し、カフェテリアの出口に向かったのだった。
 アラステアはローランドとともにクリスティアンの後に続く。
 ノエルのピンク色の瞳がそんな三人を見ているなどということには、アラステアはまったく気づいていなかった。

 中庭は、テーブルや椅子が配置されていて、ランチタイムの利用の他、放課後にお茶会を開くこともできる場所になっている。
 テーブルや椅子の間は程よい距離がとられているが、少なくない人数がそこでランチボックスや自宅から持参したランチを広げていた。

「中庭でランチタイムを過ごされる方も多いのね」

 アラステアは中庭でランチをとるのは初めてだったので、普段がどんな様子なのかは知らない。アラステアのぽつりとした呟きにクリスティアンから返って来たのは、思いがけないものだった。

「いや、今日はいつもより多いのではないかな。……おそらくアルファは今日のカフェテリアは避けたいだろうからね」
「え、どういうことなんだい?」

 クリスティアンの言葉にローランドが疑問符を投げた。

「カフェテリアの中にかなりの濃度のオメガフェロモンが漂っていた。もちろん、皆、抑制剤を飲んでいるから発情したりはしないだろうけれどね。誰かオメガの者が、薬を飲み忘れたのか、発情期が近いのに弱い薬を飲んでいるのか」
「毎日フェロモン測定をして自己管理するのは、オメガとして当然のことなのに……」

 ローランドは、クリスティアンの返答に驚いている。
 クリスティアンが口元を抑えるように顔に手をやっていたのはそういうことだったのかと、アラステアは気づいた。アラステアとローランドはオメガであるので、オメガフェロモンの香りを感知するのは難しい。

 そして、ローランドが言うようにアルファとオメガにとって自己管理は必須事項なのである。

「それで、そのオメガの人が危険だということはないのですか?」
「学院内が絶対安全だとは言い切れないだろうが、既に学校医には連絡する手配はしている。皆にわからないように医務室に連れて行って、抑制剤を投与してくれるだろう」

 フェロモンが流れ出てしまったオメガのことを心配していたアラステアは、クリスティアンの言葉にひと安心した。しかし、その間にアラステアにとっては、安心できない事態も進行していた。

「あの、ところでクリスティアン殿下、離れていただくわけにはいかないでしょうか……」
「んー、アラステアの髪は良い香りだね。香油は何を使っているの?」

 クリスティアンは隣に座っているアラステアの頭に顔を近づけ、髪の香りを確かめるようにしていた。王族相手にどこまで抗議しても良いのだろうか。髪の香りを確かめられるだけでも抗議するべきなのではと思うけれど、どこかに触れられているわけではない。

 アラステアは、どうしたら良いのかがわからずに、ひたすらに身を竦めていた。

「クリスティアン、アラステアからすぐ離れなさい。アルファのくせにオメガにそんなに近づいたらだめだろう」
「やれやれ、やっと落ち着いたのに残念だな」

 ローランドがクリスティアンに抗議をしてくれたおかげで、アラステアは解放された。
 しかし、これ以降、クリスティアンが「アラステアが可愛いから」というよくわからない理由で、ローランドと同様に構ってくるようになるのだが、そのことをまだアラステアは知らない。

 護衛騎士が用意してくれたランチボックスを食べながら、アラステアとローランドはフェロモンが漏れ出したオメガのこと、抑制剤のことなどについて話し込んでいた。

「予想外のことで、中庭でランチを食べることになったけど、気候もさわやかだし、心地良かったね」
「ええ、ランチボックスもとても美味しくて、楽しかった」
「ふふ、これからも時々、中庭で過ごそうか」
「はい、そうしましょう」

 食べ終わる頃には、アラステアとローランドは、中庭でランチタイムを過ごす計画を立てていた。
しかし、クリスティアンは美しい笑顔でそれを聞きながら、全く別のことを考えていたのだ。彼はフェロモンをまき散らしていたオメガが誰であるかを推測し、それに対する対応を頭の中で検討していた。

「オネスト王国の秩序を乱すことは許されないからね」

 クリスティアンの呟きは、誰にも聞かれることはなかった。




しおりを挟む
感想 76

あなたにおすすめの小説

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく

藍沢真啓/庚あき
BL
11月にアンダルシュノベルズ様から出版されます! 婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。 目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり…… 巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。 【感想のお返事について】 感想をくださりありがとうございます。 執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。 大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。 他サイトでも公開中

悪役令嬢のモブ兄に転生したら、攻略対象から溺愛されてしまいました

藍沢真啓/庚あき
BL
俺──ルシアン・イベリスは学園の卒業パーティで起こった、妹ルシアが我が国の王子で婚約者で友人でもあるジュリアンから断罪される光景を見て思い出す。 (あ、これ乙女ゲームの悪役令嬢断罪シーンだ)と。 ちなみに、普通だったら攻略対象の立ち位置にあるべき筈なのに、予算の関係かモブ兄の俺。 しかし、うちの可愛い妹は、ゲームとは別の展開をして、会場から立ち去るのを追いかけようとしたら、攻略対象の一人で親友のリュカ・チューベローズに引き止められ、そして……。 気づけば、親友にでろっでろに溺愛されてしまったモブ兄の運命は── 異世界転生ラブラブコメディです。 ご都合主義な展開が多いので、苦手な方はお気を付けください。

5回も婚約破棄されたんで、もう関わりたくありません

くるむ
BL
進化により男も子を産め、同性婚が当たり前となった世界で、 ノエル・モンゴメリー侯爵令息はルーク・クラーク公爵令息と婚約するが、本命の伯爵令嬢を諦められないからと破棄をされてしまう。その後辛い日々を送り若くして死んでしまうが、なぜかいつも婚約破棄をされる朝に巻き戻ってしまう。しかも5回も。 だが6回目に巻き戻った時、婚約破棄当時ではなく、ルークと婚約する前まで巻き戻っていた。 今度こそ、自分が不幸になる切っ掛けとなるルークに近づかないようにと決意するノエルだが……。

冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる

尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる 🌟2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟 ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。 ――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。 お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。 目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。 ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。 執着攻め×不憫受け 美形公爵×病弱王子 不憫展開からの溺愛ハピエン物語。 ◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。 四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。 なお、※表示のある回はR18描写を含みます。 🌟第10回BL小説大賞にて奨励賞を頂戴しました。応援ありがとうございました。 🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。

悪役令息に転生したので婚約破棄を受け入れます

藍沢真啓/庚あき
BL
BLゲームの世界に転生してしまったキルシェ・セントリア公爵子息は、物語のクライマックスといえる断罪劇で逆転を狙うことにした。 それは長い時間をかけて、隠し攻略対象者や、婚約者だった第二王子ダグラスの兄であるアレクサンドリアを仲間にひきれることにした。 それでバッドエンドは逃れたはずだった。だが、キルシェに訪れたのは物語になかった展開で…… 4/2の春庭にて頒布する「悪役令息溺愛アンソロジー」の告知のために書き下ろした悪役令息ものです。

もう一度君に会えたなら、愛してると言わせてくれるだろうか

まんまる
BL
王太子であるテオバルトは、婚約者の公爵家三男のリアンを蔑ろにして、男爵令嬢のミランジュと常に行動を共にしている。 そんな時、ミランジュがリアンの差し金で酷い目にあったと泣きついて来た。 テオバルトはリアンの弁解も聞かず、一方的に責めてしまう。 そしてその日の夜、テオバルトの元に訃報が届く。 大人になりきれない王太子テオバルト×無口で一途な公爵家三男リアン ハッピーエンドかどうかは読んでからのお楽しみという事で。 テオバルドとリアンの息子の第一王子のお話を《もう一度君に会えたなら~2》として上げました。

回帰したシリルの見る夢は

riiko
BL
公爵令息シリルは幼い頃より王太子の婚約者として、彼と番になる未来を夢見てきた。 しかし王太子は婚約者の自分には冷たい。どうやら彼には恋人がいるのだと知った日、物語は動き出した。 嫉妬に狂い断罪されたシリルは、何故だかきっかけの日に回帰した。そして回帰前には見えなかったことが少しずつ見えてきて、本当に望む夢が何かを徐々に思い出す。 執着をやめた途端、執着される側になったオメガが、次こそ間違えないようにと、可愛くも真面目に奮闘する物語! 執着アルファ×回帰オメガ 本編では明かされなかった、回帰前の出来事は外伝に掲載しております。 性描写が入るシーンは ※マークをタイトルにつけます。 物語お楽しみいただけたら幸いです。 *** 2022.12.26「第10回BL小説大賞」で奨励賞をいただきました! 応援してくれた皆様のお陰です。 ご投票いただけた方、お読みくださった方、本当にありがとうございました!! ☆☆☆ 2024.3.13 書籍発売&レンタル開始いたしました!!!! 応援してくださった読者さまのお陰でございます。本当にありがとうございます。書籍化にあたり連載時よりも読みやすく書き直しました。お楽しみいただけたら幸いです。

お前らの目は節穴か?BLゲーム主人公の従者になりました!

MEIKO
BL
 本編完結しています。お直し中。第12回BL大賞奨励賞いただきました。  僕、エリオット・アノーは伯爵家嫡男の身分を隠して公爵家令息のジュリアス・エドモアの従者をしている。事の発端は十歳の時…家族から虐げられていた僕は、我慢の限界で田舎の領地から家を出て来た。もう二度と戻る事はないと己の身分を捨て、心機一転王都へやって来たものの、現実は厳しく死にかける僕。薄汚い格好でフラフラと彷徨っている所を救ってくれたのが完璧貴公子ジュリアスだ。だけど初めて会った時、不思議な感覚を覚える。えっ、このジュリアスって人…会ったことなかったっけ?その瞬間突然閃く!  「ここって…もしかして、BLゲームの世界じゃない?おまけに僕の最愛の推し〜ジュリアス様!」  知らぬ間にBLゲームの中の名も無き登場人物に転生してしまっていた僕は、命の恩人である坊ちゃまを幸せにしようと奔走する。そして大好きなゲームのイベントも近くで楽しんじゃうもんね〜ワックワク!  だけど何で…全然シナリオ通りじゃないんですけど。坊ちゃまってば、僕のこと大好き過ぎない?  ※貴族的表現を使っていますが、別の世界です。ですのでそれにのっとっていない事がありますがご了承下さい。

処理中です...