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20.震える手
しおりを挟む職員室にいた教師は、車止めの方向からの悲鳴を聞いた。その場にいた教師数人は、部屋を飛び出して、声のする方に向かう。何があったのだろうかと思いながら。
そこで教師たちが見たのは、護衛騎士に取り押さえられたヒューム伯爵令嬢と護衛騎士に庇われるアラステア。そして、そのすぐそばで身を寄せ合っているディル子爵令嬢とベッカー男爵令嬢であった。
「これは……!」
「わたしから説明いたします」
「あ、ああ、カニンガム卿。お願いします」
その護衛騎士グレッグ・カニンガムはカニンガム伯爵家の次男で、近衛騎士団に所属している。彼は、クリスティアンの婚約者となったアラステアの護衛騎士として学院に出入りすることになった時に、バーナードとは挨拶を交わしているのだ。
カニンガムは要点を掴んで状況を説明する。カニンガムは三人が名乗らなかったこともバーナードに伝え、身元を聞き出した。バーナードはその顛末を聞いて頭を抱えた。
伯爵令嬢が侯爵令息に言いがかりをつけ、あまつさえ暴力を振るおうとしたのである。護衛騎士に取り押さえられても仕方ないだろう。
そのうえ、その侯爵令息は王子の婚約者だ。対応を誤ればとんでもないことになってしまう。
バーナードは最善の対応について考えることになった。
そして、説明を聞いている間にも騒ぎを聞きつけた学生たちが集まってきているので、早くこの場を収めてしまわなければならない。
「とにかく、場所を移しましょう」
「いえ、第三王子殿下を車止めでお待たせいたしております。先にそちらに連絡をしなければならぬのですが」
「あっ、ではすぐに連絡を。君、第三王子殿下のところへお知らせに行ってくれ」
「はいっ」
近くにいた教師が車止めに連絡に行こうとした時だ。
「いったい、何をしている」
皆は、その声のする方を注目した。それは、今まさに状況を伝えに行こうとした相手の第三王子クリスティアン殿下であった。
「アラステア、どうしたのだ?」
クリスティアンは迷いなくアラステアに近づいて、頬を撫でる。衆目のもとで恥ずかしいと思うアラステアであったが、そのようなことを顔に出してしまっては、余計に恥ずかしい。貴族らしい、感情を隠した顔で、アラステアは答える。
「はい、先ほどそこにいる令嬢たちに話しかけられたのですが、少しばかり行き違いがございまして……」
「行き違い……?」
行き違っているのは自分ではなく令嬢たちの頭の中だと思いながらも、アラステアは穏便な表現を使用した。ここは、学院の廊下であり、今は多くの学生が見ている。あまり直接的な表現をするのは望ましくないだろう。
しかし、アラステアの背筋の伸びた美しい態度は、自分に後ろ暗いところはないと示すだけの十分な説得力を持っていた。
クリスティアンが、三人の令嬢に目をやると、ディル子爵令嬢とベッカー男爵令嬢は手を取り合って身を竦めた。その様子は、学院に通う貴族令嬢にしては幼く、拙い仕草だが、クリスティアンの冷たい眼差しは、彼女たちを怯えさせるには十分なものであった。
しかし、ヒューム伯爵令嬢だけは別だったようだ。
「ああ、クリスティアン殿下……! 助けてください。わたしは、その男の護衛から暴力を受けているのです!」
護衛騎士に拘束されているヒューム伯爵令嬢は、芝居がかった哀れな声を出してクリスティアンに助けを請い、その身を捩った。
声をかけられてもいないのに王子を名前で呼び、媚びたような態度を取る。それは、アラステアや護衛騎士だけでなく、周囲の学生にとってもヒューム伯爵令嬢に対する心証を悪くするものであった。
「グレッグ、状況の説明をしろ」
「はい、殿下」
クリスティアンはヒューム伯爵令嬢の言葉を黙殺すると、グレッグに説明を求める。それは、バーナードに話したものと齟齬の無いものだ。近衛騎士団に属する者が王家の問いに虚偽で答えることは有り得ないことから、信憑性の高い証言であるといえる。
グレッグの説明が終ったところで、バーナードはおずおずと場所を移して話をしたいと切り出した。
バーナードの提案を、アラステアとクリスティアンは承諾し、ディル子爵令嬢とベッカー男爵令嬢もその話に頷く。ヒューム伯爵令嬢だけが、それに抵抗したが、学院の女性教師三人がかりで押さえつけられた。
それぞれが別の部屋で聞き取りをされることになるので、もう顔を合わせることはないだろう。
「僕は、ラトリッジ侯爵家のアラステアです。貴方のお名前を教えていただけますか?」
アラステアは三人の令嬢たちに、声をかけ、名前と家名を確認する。衆目の中で自分の名を誤魔化すことなど許されない。蒼褪めながら名乗る彼女たちを見て満足気に頷いたアラステアは、こう告げた。
「貴方たちの家には、我が家から正式に抗議をいたしますのでそのつもりでいてくださいね。
王立学院でどのような対応をされるのかとは、関係ありませんからそれは承知してくださいますように」
三人の令嬢たちは、アラステアのことを王子の庇護を受けているだけの平民か、良くて下位貴族だと思っていた。しかし、彼は侯爵令息だったのだ。ラトリッジ侯爵家から抗議をされてしまったら、どのようなことになるのか。想像するだけでも体が震える。
彼女たちは、ここに来てようやく自分たちがとんでもないことを仕出かしたのだということがわかった。
アラステア自身も公衆の面前でそのように告げることには緊張をしていたが、震える手をクリスティアンが握っていてくれたので、毅然とした態度を取ることができたのだった。
アラステアは、簡単に聞き取りをされただけですぐに解放された。
今回の件は、客観的に判断されればそれだけで三人の令嬢には十分重い処分が課されるだろう。
むしろアラステアが気になったのは、ヒューム伯爵令嬢が平民と侮った相手には暴力を振るっても良いと考えていることだ。オネスト王国には身分制度はあるけれど、自分の言うことを聞かないからといって、暴力を振るっても良いはずはない。
クリスティアンは、王家からも抗議をするが、学院の処分によって抗議文書の内容を変えると言っている。
自分たちの仕出かしたことを反省してくれたら良いと思いながら、アラステアはため息をついた。
家に帰ってこのことを報告すれば、祖父母とジェラルドが激怒するだろう。アラステアは、そう思うと気が重かった。
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