兄の彼女/弟の彼女

逢波弦

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兄の彼女

1.兄の彼女①

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高校が創立記念日で珍しく平日が休みだった。
俺は友人達とどこへ遊びに行くということもなく、いつものように自室で親に借りたラジカセでお気に入りの洋楽をヘッドフォンで聴いていた。
こっちの曲は良いなあ、さっきのはイマイチだったけど、だなんて考えていると、
ふとジュースが飲みたくなり、一時停止のボタンを押した。

自分の部屋のドアを開けると、隣の自室から同じようにドアを開けた兄と鉢合わせた。
眼鏡を掛けた一重の目つきの悪い男は何故かギョッとした顔をしながら「何、いたんだ」と俺に声を掛けてきた。
「うん。今日、創立記念日だから」
いつも通り特に話題が広がることもなく、簡潔な会話を済ます。

そのまま通り過ぎようとすると、ロングヘアーで綺麗な顔立ちの女性が兄の背から現れた。てっきり兄だけしかいないと思っていたので、体を硬直させる。
「弟君?かわいいね」
愛嬌のあるらしい彼女はこちらを見てニコリと笑いかけてきたので、俺もつられて愛想笑いで返す。
それを見た兄が少し眉をひそめ、つかつかと廊下を通り過ぎる。横にいた彼女も兄を追いかけ足早に去っていった。

彼らの背中を見送って廊下に立ち尽くしていると、階下へ下り玄関へ向かう兄達から微かな会話が聞こえる。
「アレ、弟君に聞こえちゃったかな」
「まあでも大丈夫だよ」
「えー恥ずかしいよ」
くすくすと色の乗った声で笑い合う二人。
俺と話す時とは違う柔らかさを含んだ兄の声に何だか無性にムカムカした。

ガチャンと玄関のドアが閉まる音がする。
2人の声が聞こえなくなったので、恐らく兄は彼女を駅まで送って行くのだろう。

モヤついた気持ちで足早に階段を降り、キッチンへ向かう。冷蔵庫を開け、お目当ての2Lボトルを手に取りグラスに並々と注いだ。
一口含むと柑橘系の酸味が口の中に広がり、喉が水分で潤った。
ジュースを注いだグラスを片手に持ち自室へ戻り、ヘッドフォンをつけてさっきまで聴いていた曲の続きをかける。

耳からは先程の洋楽の続きが流れ出すが、どうにも気が散る。
先程の楽し気な二人の様子が脳裏に焼き付く。
兄は大学に入ってから、学業やバンド活動に専念して楽しそうに過ごしているとは思っていたが、彼女まで作っていたのか。
その兄が彼女と自室にいたということは、まあ、つまるところ、そう言うことだろう。
羨ましさと少しのささくれた感情が胸に刺さり、思春期さながらの思考の速さで結論を導く。

兄の嫌そうな顔も納得がいくが、自宅でなんかじゃなくてホテルに行ってやれば良いのに。
そう文句を頭の中で呟く。
質の高い音楽が耳元から垂れ流されるが、ざわついた思考はどうにも消え去ってくれない。

集中出来ずにいる中、ふと思い立って兄の部屋でエロ本を探すことにした。
よくエロ本には男の好みが出ると言う。
さっきの彼女と兄の好みが一致していれば、揶揄からかってやろうと思ったのだ。
兄はスポーツも勉強も、それこそ音楽も、どれも卒なく優秀にこなしていて、それも相まっていつも自分ばかりが揶揄われてるので、たまには反撃したって良いだろうと思い至ったのだ。

樹木に止まっている昆虫を見つけて、虫取り網で捕まえようとするような仄かな高揚感と好奇心を感じる。
思えば兄の部屋にはいつも彼の許可がないと入れなかった。未開の土地に足を踏み入れるような興奮も手伝っていたのだと思う。

急いでカセットを止めて、そろりと自室のドアを開ける。念の為、廊下周りを見回すが、誰の声も聞こえてこなかった。
兄の自室まで足を運び、ドアノブを緩く握って扉を開いた。
そこは偶に訪れる兄の部屋と何も変わらなく、強いて言えばいつもより綺麗に片付けられていた。

兄の本棚に向かい、お目当ての物がないか物色する。音楽雑誌や大学の教材は目につくが、ソレらしき本は見当たらない。念の為本を何冊か抜き出し、本棚の奥も探してみるが、特に奥に隠しているというわけではなさそうだった。

本棚には無いと判断して、次に窓際のベッドに足を向けた。ベタすぎて兄はそこには隠さないだろうとは思ったが、身を屈めてベッドの下を覗き込む。
怪しげな段ボールがあるわけでもなく、そこは埃っぽい空間が保たれていただけだった。

腰を起こして部屋を見渡す。
だとしたら他にどこにあるだろう。あまり検討がつかず、頭を悩ませる。

そう部屋に視線を巡らせる中、ベッドの隅に置かれている小ぶりなゴミ箱が目についた。
その中に入っている物を認識した瞬間、ドクンと心臓が大袈裟なぐらいに跳ねたのが分かった。

そこには使用済みのコンドームが捨てられていた。

彼らの情事の痕跡を見て、予想以上にショックを受けている自分に驚く。
微かに鼻に届くえた臭いで吐きそうな気持ちになった。

別に、兄に彼女がいたって、彼女とセックスしていたって何も構わないじゃないか。
至って健全だし、むしろ好きな人と付き合っていて体を重ねない方が余程不健全だとも思っている。
なのにどうしてこんなに胸がざわつくのか、自分が分からなかった。

自分のモヤついた感情の正体も判りたくなく、それならばこの場からさっさと立ち去ってしまいたいとも思った。



「何やってんだよお前」
後方から響いた声で我に返る。
一体いつまでここで立ち尽くしていたのだろう。

意識を取り戻した俺は、緩慢な動きで首を声の方に向けた。
目の前の男は勝手に部屋に入られた苛立ちを隠しもしない目で俺を睨んできた。
いや、レコード借りたくて、と用意してた口実を紡ぎたかったのに、俺の口は言う事を聞いてくれなかった。

「してたの?」
「は?」
「さっきの彼女と、この部屋で」
兄の綺麗に整えられた眉毛がぴくりと動くのが見えた。
「お前に関係ないだろ」
冷たく吐かれたその言葉に、人知れず傷つく。
そっか、俺には関係ないよな、分かってるんだけど。
動揺したまま、勢いで言葉を続ける。

「普段から彼女とそういうことしてるんだ」
「…何が言いたいんだよ」
兄は苛ついた様子で俺に言葉を投げつけてきた。
俺は緊張状態を切り込むように、ナイフで空を掻っ切るように口を開いた。

「彼女の体ってそんなに良いんだ」

俺らしくない嫌味が自分の口から溢れ出た。なんでこんな事を言ったのか、自分でも分からなかった。
フレームの奥の兄の目からフッと光が消えたように見えた。



一瞬何が起こったか分からなかった。
頬に鋭い痛みと熱い熱が走り、勢いで床に倒れ込む。暫くして、兄に張り倒されたのだと自覚した。
電灯に照らされて逆光になりながら立つ180センチの男の表情は窺えなかったが、見えないままでいいと思った。
俺はよろよろと立ち上がり、ヒリついた頬を無視したまま目の前の男にキスをした。
つま先を立てないと届かない距離にあることがしゃくだった。兄は目を見開いて、今度は俺の胸を突き飛ばした。

「ほんと、何やってるんだよお前」
兄の珍しく焦った顔が見え、なんだか勝ち誇ったような気分だ。
「兄ちゃん」


「彼女にしてること、俺にやってみせて」
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