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#22 もう一度
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スナヅルの家からの帰りに、俺は神殿を遠目から下見しておいた。
おそらく神殿内には村の長と司祭が居るはずだが、外からその姿は見えない。
祭りの日には一人か二人神殿の近くに警邏の兵は居た気がするが、祭りも終わった今、一見したところ周囲に警邏の兵が居る訳でもなく、行く手を塞ぐ柵の様な物も無い。
今なら神殿の中に忍び込むこと自体は難しくはないだろう。
大事な大事な神殿だというのに、間抜けな程に何の警戒も備えもされていない。
しかしそれも当然の事で、そもそもこの村の者は信心深く、わざわざルールを犯して神殿の中へ入り込もうなんて輩は居ないのだ。
だから警戒する必要が無い。
それか、不届き者が忍び込んできたとしても問題が無い理由が有るのか――。
ともかく、神殿の中を調べようと思うのなら、夜間の村の者が寝静まる時間に堂々と正面から入ればいいだけだ。
入った後の事は――その時考えれば良いだろう。
しかし、相手は村一つを丸ごと洗脳し支配する神様だ。
もしかすると、一度手を出してしまえばもう二度と帰って来られないかもしれない。
(なら、その前に――)
俺の足は、自然と浜辺へと赴いて居た。
空には大きな月。歌声は――聴こえて来ない。
夜の冷たい肌を撫でる潮風、サラサラと砂を洗う波。聞こえてくる音は、それだけだ。
それでも、俺の足はそのまま砂を踏みしめて進み、冷たい海水に浸る。
足が、膝が、腰が。少しずつ、俺の身体は海の中へ。
やがて冷え切って感覚の無くなった俺の身体を、押して引く波が攫っていく。
胸が、肩が――、波が顔にかかり、口いっぱいに塩の味が広がる。
それでも、俺はそれを気にも留めない。海の中へと進む足は止まらない。
そして、大きな波。俺は波に完全に足を取られ、体勢を崩す。
頭の天辺まで海に浸かり――俺の意識は、ここで暗転した。
――意識が上昇する。
身体を起こせば、僅かな浮遊感。視界に入る景色は暗黒。
足元を見れば、累積した白い砂。
「――良かった。また、来られた……」
深海の世界だ。
あの祭りの日から、海から歌声は聴こえて来なかった。
だから、もしかしたらもう来られないんじゃないかとすら思っていた。
しかし、俺はまたここに居る。
そんな思いから、自然と安堵の溜息が零れた。
すると、この深海の静寂の中、後方から小さな音が聞こえてくる事に気づいた。
それは、誰かがすすり泣く声だ。
(――この声は……)
俺はその声の方向を見る。
そこには、夜空に浮かぶ星々の様に、小さなクラゲが淡い光を放ちながら浮遊していた。
クラゲたちはある一点を覆う様に集積している。
俺は立ち上がって、そのクラゲの群れの方へと歩みを進める。
俺が一歩を踏み出すと、クラゲはその道を作るかの如く、ふわふわと浮遊しながら左右に別れて行く。
そうして出来上がった淡い光のアーチを潜って行って、声の元へ。
「ナキさん、どうして泣いているんですか」
ナキが膝を抱えて、そこに頭を埋めながら泣いていた。
クラゲたちはそれを慰めでもするかのように、周囲を取り囲っていたのだ。
俺が声をかければ、鼻を啜る音が返事の代わりに返ってくる。
そして、ナキは目元を手で拭いつつ、ゆっくりと顔を上げた。
液状化は海へと帰れば治るのか、侵食されて透明だった部位も元の白い肌に戻っていた。
「空間、さん……。どうして」
「あなたに会いに」
「わたしは、歌っていませんよ……」
「はい。それでも、またここへ来られました」
俺はナキへと手を差し伸べる。
「あなたと共には行けないと、そう言ったはずです」
「それでも、会いたかった」
ナキは少し驚いた様に目を見開いた後、ふっと表情を緩めて、
「本当に、あなたは――いいえ」
そう言葉を切って、その小さく白い手を俺の差し出した手の上にそっと重ねた。
そうして立ち上がったナキの首には、薄桃色の貝殻が小さく輝いていた。
それから、俺たちは寄り添って淡い光の道を進み、ナキの家へ。
そして、これまでと同じように硬い岩の机と椅子に腰かけ、俺はおもむろに口を開く。
「――神殿に、行ってみようと思うんです」
「神殿って、お祭りの日に見た、あの神殿ですか?」
俺が首肯すれば、ナキは信じられないというように立ち上がって大きな声を上げた。
「駄目です! あそこは――」
ナキはそこで一度言葉を止めた。
自分が大声を出した事を恥じたのか、一度咳払いを挟んで落ち着き払ってから、
「――あそこは、良くないモノを感じます。タテシマ様が――神様が、あんなに怯えておられました」
ナキは悲し気に目を伏せる。
あの祭りの日、神殿の前で行われていた儀式を俺と共に見ていたナキは、途中で何の前触れも無く体調を崩した。
それは神殿を離れ、村外れまで行った辺りで回復を見せた。
そして、こう言った。“あの場は相性が良くない”と、そして“タテシマ様が、怖がっていた”と。
神殿の中には、何かが居る。何かが在る。
「はい。分かっています。でも、行く必要が有るんです。――実は、夢を見たんです」
俺は自分の見た夢の内容を、ナキへと伝えた。
“ワタシ”は村を見守っていた。恵みを与えた。民に信仰されていた。
しかし、その村の平穏は破られた。――“簒奪者”の手によって。
そして、簒奪者に敗北したワタシは呪いを受け――沈んだ。
ナキは俺の話を静かに聞いていた。
しかし俺が話を終えると、ぽつりと呟いた。
「――空間さんも、ですか……?」
「“も”? という事は、ナキさんも……?」
ナキはこくりと頷く。
「はい。わたしも、多分、あなたと同じ夢を見ました。海の底で泣いていた、あのお方は――」
“ワタシ”は海の底で泣いていた。震えていた。たった独りで、細くて小さな長い身体を丸めたまま。
「「――タテシマ様」」
俺とナキの声が重なる。
あの夢は、タテシマ様が俺たちに見せた物だ。何かを伝えようとするメッセージだ。
なら、そのメッセージをきちんと受け取らなければならない。
俺たちは夢の内容を思い出し、紐解いて行く。
「村とは、多分ジュウオウ村の事だと思います。かつては、タテシマ様があの村で信仰されていた」
「しかし、今あの村に居られるのは――」
「はい。村の皆は一様にヨコシマ様という神への信仰を語ります。それは盲信と言い換えてもいい程で、まるで何かに憑りつかれたみたいで、不気味で――恐ろしい」
ナキは息を呑む。
この二人しか居ない静かな空間では、彼女の息遣いすらもはっきりと感じ取れた。
「タテシマ様が信仰されていた、当時のジュウオウ村。そこに現れた、簒奪者……それって――」
「――はい。きっと、それはヨコシマ様です」
今、あの村の座にはヨコシマ様が居る。それは本来タテシマ様が居たはずの座だ。
おかしな決まり事で縛られ管理されているジュウオウ村。その村に座する神、ヨコシマ様。
「あの夢の内容を信じるのなら、タテシマ様はヨコシマ様という外から来た神によって追い出され、呪いで海に縛られたのでしょう。
それは、あの神殿に近づいた時にタテシマ様がナキさんの体調に現れる程の怯えを見せた事からも察する事が出来ます」
「それで、空間さんは神殿へ行くと言い出したんですか? ヨコシマ様が、あの村の座に居るから……」
俺は首肯する。
「タテシマ様を海に縛るのは、簒奪者の――ヨコシマ様の呪いです。なら、その呪いを解く為の手掛かりが在るとすれば、あそこしか無いでしょう」
「それは――」
ナキはそこで言葉を切った。
その先の言葉――何と言いたかったのか、俺には分かった。彼女はその言葉を自分の口で紡ぐ事は出来なかったのだろう。
だから、俺はその続きを代わる。
「――いいえ。俺の為です。俺が、そうしたいんです」
ナキは驚き目を見開く。
「タテシマ様の、ナキさんの呪いを解きたい。それは俺の“願い”です」
「嘘です。それはあなたの為の願いじゃない。それはわたしの、わたしの為の――」
「いいえ、俺の為です。俺の願いです。だって――」
俺は真っすぐとナキを見据えて、
「――ナキさんの事が、好きだから。俺があなたと一緒に居たいから」
その言葉は、自分で思っていたよりもすんなりと口から零れ出た。
「俺は迷い人だ、この世界の人間じゃない。だから、俺にとってはこの世界自体が先の見えない暗闇そのもので――。
でも、そんな暗闇の中でも、たった一つだけ輝く星が在った。ナキさんだけが、俺の暗闇を照らしてくれていた。だから、これは俺の願いなんです」
俺は、ナキと共に新たな一歩を踏み出したいのだ。
深海の歌声に誘われて、そして輝く星に導かれて、その先へと進むのだ。
願い星を、この手で掴み取るのだ。
ナキは――答えない。紺の瞳の奥には、迷いの色。
俺から視線を逸らし、さ迷わせ、俯いて、硬直。
そのまま、永遠にも思える僅かな沈黙の時間。
その間にも、ナキは時折肩を震わせていた。
手は首から下げられた小さな薄桃色の貝殻を握っている。
俺は沈黙を打ち破る様に、再び口を開く。
「ナキさんは待っていてください。何が有るか分かりませんから。でも、もし呪いが解けたら、その時は――また、答えを聞かせてください」
俺の言葉に、ナキは少しだけ顔を上げる。
そして口をぱくぱくと動かし何かを言いたげにしていたが、上手く言葉が出てこないのか、やがてまた口を噤む。
そうしていると、やがて俺は急激な眠気に襲われる。
視界がぼやけ、ぼうっとする。
(――ああ、またこの感覚だ)
もう慣れたものだ。
日が昇り、夜が明け朝になる。それは俺がこの深海の世界に居られるタイムリミットを知らせている。
しかし、もう心残りは無い。大丈夫だ。
俺はナキに伝えたい事を伝えることが出来た。最後にその顔を見れた。それで充分だった。
俺は机に突っ伏す様に倒れこみ、両の手はそのまま机の上に投げ出された。
(――駄目だ、もう意識を保てない)
俺の意識は、暗転した。
最後に感じたのは、鼻を啜る音の混じる呼吸音と、手に触れた冷たい感触――。
おそらく神殿内には村の長と司祭が居るはずだが、外からその姿は見えない。
祭りの日には一人か二人神殿の近くに警邏の兵は居た気がするが、祭りも終わった今、一見したところ周囲に警邏の兵が居る訳でもなく、行く手を塞ぐ柵の様な物も無い。
今なら神殿の中に忍び込むこと自体は難しくはないだろう。
大事な大事な神殿だというのに、間抜けな程に何の警戒も備えもされていない。
しかしそれも当然の事で、そもそもこの村の者は信心深く、わざわざルールを犯して神殿の中へ入り込もうなんて輩は居ないのだ。
だから警戒する必要が無い。
それか、不届き者が忍び込んできたとしても問題が無い理由が有るのか――。
ともかく、神殿の中を調べようと思うのなら、夜間の村の者が寝静まる時間に堂々と正面から入ればいいだけだ。
入った後の事は――その時考えれば良いだろう。
しかし、相手は村一つを丸ごと洗脳し支配する神様だ。
もしかすると、一度手を出してしまえばもう二度と帰って来られないかもしれない。
(なら、その前に――)
俺の足は、自然と浜辺へと赴いて居た。
空には大きな月。歌声は――聴こえて来ない。
夜の冷たい肌を撫でる潮風、サラサラと砂を洗う波。聞こえてくる音は、それだけだ。
それでも、俺の足はそのまま砂を踏みしめて進み、冷たい海水に浸る。
足が、膝が、腰が。少しずつ、俺の身体は海の中へ。
やがて冷え切って感覚の無くなった俺の身体を、押して引く波が攫っていく。
胸が、肩が――、波が顔にかかり、口いっぱいに塩の味が広がる。
それでも、俺はそれを気にも留めない。海の中へと進む足は止まらない。
そして、大きな波。俺は波に完全に足を取られ、体勢を崩す。
頭の天辺まで海に浸かり――俺の意識は、ここで暗転した。
――意識が上昇する。
身体を起こせば、僅かな浮遊感。視界に入る景色は暗黒。
足元を見れば、累積した白い砂。
「――良かった。また、来られた……」
深海の世界だ。
あの祭りの日から、海から歌声は聴こえて来なかった。
だから、もしかしたらもう来られないんじゃないかとすら思っていた。
しかし、俺はまたここに居る。
そんな思いから、自然と安堵の溜息が零れた。
すると、この深海の静寂の中、後方から小さな音が聞こえてくる事に気づいた。
それは、誰かがすすり泣く声だ。
(――この声は……)
俺はその声の方向を見る。
そこには、夜空に浮かぶ星々の様に、小さなクラゲが淡い光を放ちながら浮遊していた。
クラゲたちはある一点を覆う様に集積している。
俺は立ち上がって、そのクラゲの群れの方へと歩みを進める。
俺が一歩を踏み出すと、クラゲはその道を作るかの如く、ふわふわと浮遊しながら左右に別れて行く。
そうして出来上がった淡い光のアーチを潜って行って、声の元へ。
「ナキさん、どうして泣いているんですか」
ナキが膝を抱えて、そこに頭を埋めながら泣いていた。
クラゲたちはそれを慰めでもするかのように、周囲を取り囲っていたのだ。
俺が声をかければ、鼻を啜る音が返事の代わりに返ってくる。
そして、ナキは目元を手で拭いつつ、ゆっくりと顔を上げた。
液状化は海へと帰れば治るのか、侵食されて透明だった部位も元の白い肌に戻っていた。
「空間、さん……。どうして」
「あなたに会いに」
「わたしは、歌っていませんよ……」
「はい。それでも、またここへ来られました」
俺はナキへと手を差し伸べる。
「あなたと共には行けないと、そう言ったはずです」
「それでも、会いたかった」
ナキは少し驚いた様に目を見開いた後、ふっと表情を緩めて、
「本当に、あなたは――いいえ」
そう言葉を切って、その小さく白い手を俺の差し出した手の上にそっと重ねた。
そうして立ち上がったナキの首には、薄桃色の貝殻が小さく輝いていた。
それから、俺たちは寄り添って淡い光の道を進み、ナキの家へ。
そして、これまでと同じように硬い岩の机と椅子に腰かけ、俺はおもむろに口を開く。
「――神殿に、行ってみようと思うんです」
「神殿って、お祭りの日に見た、あの神殿ですか?」
俺が首肯すれば、ナキは信じられないというように立ち上がって大きな声を上げた。
「駄目です! あそこは――」
ナキはそこで一度言葉を止めた。
自分が大声を出した事を恥じたのか、一度咳払いを挟んで落ち着き払ってから、
「――あそこは、良くないモノを感じます。タテシマ様が――神様が、あんなに怯えておられました」
ナキは悲し気に目を伏せる。
あの祭りの日、神殿の前で行われていた儀式を俺と共に見ていたナキは、途中で何の前触れも無く体調を崩した。
それは神殿を離れ、村外れまで行った辺りで回復を見せた。
そして、こう言った。“あの場は相性が良くない”と、そして“タテシマ様が、怖がっていた”と。
神殿の中には、何かが居る。何かが在る。
「はい。分かっています。でも、行く必要が有るんです。――実は、夢を見たんです」
俺は自分の見た夢の内容を、ナキへと伝えた。
“ワタシ”は村を見守っていた。恵みを与えた。民に信仰されていた。
しかし、その村の平穏は破られた。――“簒奪者”の手によって。
そして、簒奪者に敗北したワタシは呪いを受け――沈んだ。
ナキは俺の話を静かに聞いていた。
しかし俺が話を終えると、ぽつりと呟いた。
「――空間さんも、ですか……?」
「“も”? という事は、ナキさんも……?」
ナキはこくりと頷く。
「はい。わたしも、多分、あなたと同じ夢を見ました。海の底で泣いていた、あのお方は――」
“ワタシ”は海の底で泣いていた。震えていた。たった独りで、細くて小さな長い身体を丸めたまま。
「「――タテシマ様」」
俺とナキの声が重なる。
あの夢は、タテシマ様が俺たちに見せた物だ。何かを伝えようとするメッセージだ。
なら、そのメッセージをきちんと受け取らなければならない。
俺たちは夢の内容を思い出し、紐解いて行く。
「村とは、多分ジュウオウ村の事だと思います。かつては、タテシマ様があの村で信仰されていた」
「しかし、今あの村に居られるのは――」
「はい。村の皆は一様にヨコシマ様という神への信仰を語ります。それは盲信と言い換えてもいい程で、まるで何かに憑りつかれたみたいで、不気味で――恐ろしい」
ナキは息を呑む。
この二人しか居ない静かな空間では、彼女の息遣いすらもはっきりと感じ取れた。
「タテシマ様が信仰されていた、当時のジュウオウ村。そこに現れた、簒奪者……それって――」
「――はい。きっと、それはヨコシマ様です」
今、あの村の座にはヨコシマ様が居る。それは本来タテシマ様が居たはずの座だ。
おかしな決まり事で縛られ管理されているジュウオウ村。その村に座する神、ヨコシマ様。
「あの夢の内容を信じるのなら、タテシマ様はヨコシマ様という外から来た神によって追い出され、呪いで海に縛られたのでしょう。
それは、あの神殿に近づいた時にタテシマ様がナキさんの体調に現れる程の怯えを見せた事からも察する事が出来ます」
「それで、空間さんは神殿へ行くと言い出したんですか? ヨコシマ様が、あの村の座に居るから……」
俺は首肯する。
「タテシマ様を海に縛るのは、簒奪者の――ヨコシマ様の呪いです。なら、その呪いを解く為の手掛かりが在るとすれば、あそこしか無いでしょう」
「それは――」
ナキはそこで言葉を切った。
その先の言葉――何と言いたかったのか、俺には分かった。彼女はその言葉を自分の口で紡ぐ事は出来なかったのだろう。
だから、俺はその続きを代わる。
「――いいえ。俺の為です。俺が、そうしたいんです」
ナキは驚き目を見開く。
「タテシマ様の、ナキさんの呪いを解きたい。それは俺の“願い”です」
「嘘です。それはあなたの為の願いじゃない。それはわたしの、わたしの為の――」
「いいえ、俺の為です。俺の願いです。だって――」
俺は真っすぐとナキを見据えて、
「――ナキさんの事が、好きだから。俺があなたと一緒に居たいから」
その言葉は、自分で思っていたよりもすんなりと口から零れ出た。
「俺は迷い人だ、この世界の人間じゃない。だから、俺にとってはこの世界自体が先の見えない暗闇そのもので――。
でも、そんな暗闇の中でも、たった一つだけ輝く星が在った。ナキさんだけが、俺の暗闇を照らしてくれていた。だから、これは俺の願いなんです」
俺は、ナキと共に新たな一歩を踏み出したいのだ。
深海の歌声に誘われて、そして輝く星に導かれて、その先へと進むのだ。
願い星を、この手で掴み取るのだ。
ナキは――答えない。紺の瞳の奥には、迷いの色。
俺から視線を逸らし、さ迷わせ、俯いて、硬直。
そのまま、永遠にも思える僅かな沈黙の時間。
その間にも、ナキは時折肩を震わせていた。
手は首から下げられた小さな薄桃色の貝殻を握っている。
俺は沈黙を打ち破る様に、再び口を開く。
「ナキさんは待っていてください。何が有るか分かりませんから。でも、もし呪いが解けたら、その時は――また、答えを聞かせてください」
俺の言葉に、ナキは少しだけ顔を上げる。
そして口をぱくぱくと動かし何かを言いたげにしていたが、上手く言葉が出てこないのか、やがてまた口を噤む。
そうしていると、やがて俺は急激な眠気に襲われる。
視界がぼやけ、ぼうっとする。
(――ああ、またこの感覚だ)
もう慣れたものだ。
日が昇り、夜が明け朝になる。それは俺がこの深海の世界に居られるタイムリミットを知らせている。
しかし、もう心残りは無い。大丈夫だ。
俺はナキに伝えたい事を伝えることが出来た。最後にその顔を見れた。それで充分だった。
俺は机に突っ伏す様に倒れこみ、両の手はそのまま机の上に投げ出された。
(――駄目だ、もう意識を保てない)
俺の意識は、暗転した。
最後に感じたのは、鼻を啜る音の混じる呼吸音と、手に触れた冷たい感触――。
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