サラマ・アンギュース~王位継承者

若山ゆう

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【第三部:とらわれの舞姫】第三章

シルフィール

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 夜の警備を探るためにじっと外を見ていると、不意に部屋の扉が叩かれた。

「……はい?」

 テイジーだろうか、それとも伯爵?

 窓を閉めてから返事をする。しかし、扉の向こうから聞こえてきた声は覚えのない男のものだった。やや高めの、透きとおった声。

「失礼いたします、ナイシェ様」

 そして姿を現した男を見て、ナイシェは思わず息を呑んだ。流れるような、美しい金の髪の持ち主だ。繊細に光り輝くその髪は、ひとつに結ばれて腰のあたりまで伸びていた。しばらくの思考の中断のあと、ナイシェはあわてて椅子を勧めた。

「あ……の、こちらにどうぞ」

 いいながら、テイジーの言葉を思い出していた。この人が、シルフィールに違いない。
 椅子を用意しながら、ナイシェはすぐに彼の様子に気づいた。目を閉じたまま両手をやや前へ伸ばし、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。事情を悟り、ナイシェはそっと彼の手をとった。

「こちらです」

 彼は声のしたほうへ顔を向けると、目を閉じたまま微笑んだ。

「ありがとうございます」

 シルフィールを案内しながら、場違いなほど早鐘を打つ自分の鼓動に気づく。無礼だとは知りながら、彼の一挙手一投足から目が離せなかった。物腰のひとつひとつが優雅で、気品にあふれている。彼の周辺だけ、違う世界のようだ。

「申し訳ありません、突然お邪魔して」
 椅子に座ると、彼はそう切り出した。
「私、シルフィールと申します」

「存じています。テイジーに聞きました。きれいな金の髪を持つ、とてもやさしい方だと」

 ナイシェはシルフィールの向かいに腰を下ろすと、緊張した面持ちでそう答えた。

「きれいな金の髪……ですか。ありがとうございます。みなそういってくださるのですが、私には、よくわかりません」

 シルフィールの表情を見て、ナイシェは自分の無神経さに気づいた。

「ご、ごめんなさい……」
「いえ、いいんですよ。八歳のときに失明したものですから、もう慣れています。ナイシェ様のお顔を拝見できないのは残念ですが……」

 顔なんて――見られなくてよかった。

 ナイシェはそう思った。こんなに美しい人の前では、恥ずかしい限りだから。
 実際、シルフィールの美しさはその髪だけではなかった。目を閉じていてさえも、その端正な顔立ちは完璧に近いものだった。いやそれとも、瞳をなくしてこそ、美しいのだろうか。どちらにしろナイシェは、彼のふたつの瞳を見てみたいとも、このままでいいとも思った。

「――申し訳ありません、ナイシェ様」

 突然、彼がそういった。

「私は、カイル様があなたを欲していらっしゃると知ったときに、何としてでもお止めするべきでした」
「あなたが謝ることはありません、伯爵のすることなんて誰にも止められないわ」
「いえ……私は、幼いころからカイル様とともに育ってまいりました。カイル様はあのとおり……頑固でわがままな方ですが、私のいうことにだけは、耳を貸してくださるのです。それが、今回だけは、どうしても……」

 ナイシェのカイルへの怒りは高まるばかりだった。結局は、傍若無人な男というだけではないか。

「けれど……わかっていただきたいのです」
 ナイシェの気持ちを察してか、シルフィールが付け加えた。
「カイル様は幼いころにご両親を亡くし、ご祖父母に育てられました。それが、大変甘やかされて、ほしがって手に入らないものはないほどでした。望むままに部屋を与えられ、街で気に入った者がいればお召しになり……。そんな状態で四年前にご祖父母も亡くなられ、カイル様は自制という言葉を知らずにここまで来てしまったのです。幸か不幸か、これまでにカイル様のお召しになった方々はここでの生活を気に入られたので問題にはならなかったのですが……。ナイシェ様は、違います。カイル様にとって、ナイシェ様は自らの意のままにならない初めてのお方なのです。カイル様のあの態度は、そんな方に今まで接したことがなかったからなのです」

 ナイシェは黙り込んでしまった。

 いくら甘やかされたといっても、限度がある。確かに、根っからの悪人というわけではなさそうなのは、何となくわかるけれど……。

「でも……」

 それだけでは納得がいかないとでもいいたげに、ナイシェは呟いた。

「いえ、これでナイシェ様のお気持ちを変えようなどとは思っておりません。ただ、カイル様のお人柄をわかっていただきたくて……。ナイシェ様が踊ってくださるかどうかは、私の口出しすることではございませんので。ですが……私もできる限り、ナイシェ様のお気持ちに添えるよう、カイル様に申し上げてまいりますので……」

 そういうシルフィールの表情が苦し気なのを見て、ナイシェは胸が痛くなった。

「ありがとうございます、そのお気持ちだけでも充分です」

 ――この人なら、頼めば私を内緒で逃がしてくれるかもしれない。

 頭によぎったそんな考えを懸命に振り払いながら、ナイシェは何とかそう口にした。誠意だけで接してくれている人の気持ちを利用しようなんて、最低だ。

 束の間の静寂のあと、シルフィールが机の上に手を差し伸べた。

「……お手に……触れても、よろしいですか?」

 突然の申し出にナイシェは面食らったが、ためらいがちに自分の手を彼の手のひらに重ねた。大理石のように真っ白な彼の手は、意外にも柔らかく温かい。人間なのだから当然なことだが、それでもナイシェには不思議だった。彼の醸し出す、神秘的な雰囲気のせいかもしれない。

「……華奢な方ですね」

 シルフィールが呟く。

「カイル様がおっしゃっていました。ナイシェ様は小柄な少女で、茶の髪と茶の瞳をしていらっしゃると。踊っていらっしゃるときはそれは幸せそうで、その笑顔が見ている者を魅了するのだと。まるで生まれたての赤ん坊のように無垢な表情なので、自分のほうが恥じらいを覚えてしまったと……そうおっしゃっていました」

 あのカイルがシルフィールにそんなことをいっていようとは、とても信じられなかった。と同時に、ますます彼がわからなくなる。

「あなたの踊りを見られないのが残念です。さぞ美しいのでしょうね……」
 そういうと、シルフィールは立ち上がった。
「申し訳ありません、長居するつもりはなかったのですが。……カイル様があんなに夢中になるとはどんな方なのだろうと思いまして」

「で……でも伯爵はそんなそぶりは全然……とてもそっけなくて――」

 戸惑うナイシェに、シルフィールはいった。

「そういう方なのですよ。何というか……不器用で、感情表現が苦手なのです」

 ナイシェは何もいえなかった。彼のいう伯爵は、ナイシェの印象とはあまりにもかけ離れている。しかし、彼の言葉は不思議なくらい自然に彼女の心に染みこんだ。部屋をあとにするシルフィールの後ろ姿を見つめながら、ナイシェは先ほどまで心の大半を占めていた怒りと絶望が、いつの間にか鳴りを潜めていることに気づいていた。
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