王子の苦悩

忍野木しか

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第二章

業の螺旋

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 14.07.12 / PM.17.21 / 理科室。

「──そうして、あたしはやっと、やっとこの国のこの場所で王子との再会を果たせたのです。ああ、なんと、なんと長い旅であったことか。いつかの時に死に別れた王子とあたしは、長い長い移り変わりの果てに、様々な業をその身に背負いつつも、またお互いの手を取り合う事が出来たのです。当然、王子にその記憶はありません。ですが、あたしはそれでも嬉しかった。だって、だって王子と再び出会えたのですもの。王子の声を再びこの世で聞くことが出来たのですもの。ああ、なんという幸福でしょう。田村しょう子と山本千代子として再会したあたしたちの心はまた昔のように一つとなれたのです」
 スッと目を閉じた姫宮玲華の頬を一雫の涙が伝った。夏空はまだ青い。窓から差し込む西日が会議中の理科室を明るく照らした。
 頬の涙を拭い、少し照れ臭そうな笑みを浮かべた玲華は、うほん、と咳払いをすると再び両腕を前に広げて赤い唇を開いた。
「だが、悲劇は終わってはいなかった。いや、それが始まりだったのかもしれない。長い長い月日の果てに、数え切れぬ程の業を背負わせ、背負わされてきた王子の背後には漆黒の闇が迫っていました。それは因果であり、呪い。ああ、人の業はかくも恐ろしい。そう、あの未曾有の大戦はまさに悲劇でした。再びこの学校で出会えたあたしと王子の身を戦争という名の大炎が呑み込んだのです。ああ、恐ろしや。学び舎で夢を語り合う若人に迫り来る螺旋の業火。人の業の衆合。ちっぽけなあたしには想い続けることしか出来ません。なんとか王子の業を取り払うことは出来ないか、と。なんとか王子を幸せにすることは出来ないか、と。ああ、火が、火が迫ってくる。大炎だ。赤い血が、炎が、わたしたちを取り囲む。血が、血が乾く。絶叫が轟音に呑まれる。ああ、涙が、涙が枯れていく。ああ、なんということだろうか。再びこの世で出会えたはずの儚い命が、王子とわたしの儚い願いが、消えて無くなっていく……」
 玲華の絶叫が沈む西日に最後の青い光を残す大空の彼方へと消えていった。線香の残り香のような静けさが理科室を包む。三原麗奈の静かな寝息が静寂を流れた。
「そうして王子とあたしは再び業の螺旋に囚われてしまったのでした。永遠に終わることのない人の業。業が戦争を生み、戦争が業を生む。業は自然の摂理なのでしょうか。旅の果てを求め続けるわたしたちは……」
「長いっつのよっ!」
 睦月花子の怒鳴り声が玲華の声を吹き飛ばし理科室の窓ガラスを激しく振動させた。うたた寝をしていた麗奈がはっと目を開く。理科室の端で携帯を弄っていた徳山吾郎は驚いて飛び上がった。
「早く本編に入りなさいよ! いっつまで長々とプロローグ語り続けてんのよ、このドアホ! 日が暮れるっつの!」
「むー、始めっからずっと本編なんですけど?」
 細い腕を腰に当てた玲華は唸った。語りを途中で遮られて不機嫌な様子である。
「んな駄文、人前で披露すな! とっととヤナギの幽霊を出しなさい!」
「だ、駄文……」
「つーか、今、会議中でしょうが! アンタの自作小説オナニーに付き合ってる暇なんてないのよ!」
「もう帰る!」
「れ、玲華様、鬼の戯言です。どうか冷静に……」
 ムスッと赤い唇を結んだ玲華が黒い実験台を叩くと、立ち上がった宮田風花が怒れる乙女の背中を撫でた。
「なぁ姫宮くん、あの黒い肌の女生徒……ほら、僕が消化器を噴射した……あの時の彼女がしょう子とやらなのか?」
 徳山吾郎の声に唇を尖らせた玲華が振り返った。
「アレは千代子だよ」
「ふむ、そうか。要は彼女が元凶なのだろう?」
「うん、さすがご……書記さん、鋭いね」
 頬を緩めた玲華の口元に何処か照れたような笑みが浮かんだ。その玲華の表情の変化に花子は眉を顰める。
「で、僕らは何をどうすれば……いや、君は何をどうしたいんだね?」
「取り敢えず、王子が王子である事を皆んなに思い出して貰いたいかな」
「うん、君は相変わらずのようだね。全く、思い出すとはいったい何のことやら……。いや、まさか……。いやいやいや、まさか……。まさか、我々の知らないところで、過去が変わってしまっていた、とでも言うのか?」
 吾郎の頬からサッと血の気が引いた。シン、と静まり返る理科室。風花が喉が震えると、顔面を蒼白とさせた太郎のスクエアメガネの位置がズレた。
「ううん、それは心配しないで、君たちが生まれてからこの位置で過去が変えられたのは一昨日の一回だけだから」
 血の気を失ったまま固まってしまった三人に玲華が優しく微笑みかける。そんな眼鏡トリオを横目に花子は舌を鳴らした。
「じゃあ思い出すって何なのよ?」
「思い出すって表現が悪かったようだね。要は王子が王子であることを皆んなの共通認識として貰いたいんだよ」
「それが意味分かんないっつの! ヤナギの幽霊と関係のある話をしなさいよ!」
「関係あるよ」
「はあん?」
「それが千代子の願いだったから」
 ほんの微かに唇を歪めた玲華の細い指がそっと麗奈の頭を撫でた。目を半開きに夢心地だった麗奈はその柔らかな心地に微睡んだ。
「千代子千代子って、アンタさっきから誰の話してんの?」
 腕を組んだ花子は顎を横に傾ける。窓の向こうでは、ほんのりと薄暗くなった空を橙色の雲が流れていった。
「ヤナギの幽霊だよ」
「はああ? そ、その千代子ってのがヤナギの木に取り憑いた戦前の女生徒なの?」
「うん。別にヤナギの木に取り憑いてるわけじゃないけどね」
 日暮れ時の校舎は静かだった。メガネの縁に指を当てた吾郎は不安げに辺りを見渡す。腕を組んだまま花子は何かを思案するように窓の外に視線を移した。
「……で、それをすれば全て解決するってわけ?」
「分かんない」
「分かんないじゃないっつの! いい加減にしときなさいよ、アンタ!」
「……色々と複雑怪奇なんだよ。あたしにもまだ分かんない事ばっかりなの」
「ちょっと待ってくれ。君はあの時、ヤナギの幽霊が自分だの何だのと言っていなかったか? 我々にとってはわけの分からん事ばかりだが、君はある程度この状況を理解しているのだろう?」
「うん、だからさっき丁寧に説明してあげてたのに、誰かさんに邪魔されちゃったんだよね?」
 またツンと唇を尖らせた玲華が花子に冷たい視線を送った。花子はといえば何気なく吐き出された吾郎の言葉に強いショックを受けたのか、ポカンと口を開けたまま固まってしまっている。
「先ほどのあれは説明だったのか?」
「どういう意味かな?」
「てっきり自作の戯曲でも披露しているのかとね。いや、よく出来てはいたよ」
「むー、書記さんまで」
「いやいや、すまない」
 玲華の膨らんだ頬に吾郎は苦笑する。何やら怪しげな二人の様子に風花の瞳から感情が消えていった。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ! はあ? ちょ、このクレイジーサイコレズ女がヤナギの幽霊ですって?」
「誰がレズ女なのかな?」
「アンタに決まってんでしょうが! つーか、アンタの何処がヤナギの幽霊なのよ! 生言ってんじゃないわよ、おこがましい!」
「あたしはレズじゃありませーん。す、好きな男の人だっているもん!」
 いそいそと前髪を整えた玲華の視線がチラリと隣に立つ吾郎に送られる。白目を剥いた風花の体が床に倒れると、あんぐりと口を縦に開いた太郎と花子は目を見合わせた。吾郎はといえば、うたた寝を続ける麗奈の様子が気になるのか、玲華の視線には気がついていない様子である。
「コ、コイツ、男の趣味までイカレてんの?」
「どういう意味かな!」
「ま、まあまあ……。それより玲華さん、話を戻してはくれないか……?」
 ズレ続けていたスクエアメガネの位置をやっと直した太郎は、剣呑なムードが漂う玲華と花子の間に割って入った。床に倒れたままの鴨川新九郎に意識を向けるものは誰一人としていない現状である。
「話って、ヤナギの幽霊の?」
「そう、その話だ」
「さっきも言ったけど、まだ分かんないことが多いんだよね」
「分かってることだけ教えてくれ」
「うーん、まぁ取り敢えず、ヤナギの幽霊は全部あたしなんだよ。ただ、記憶が曖昧なせいで、一人一人のことはあんまり覚えてないの」
「全部? 一人一人? ヤナギの霊って一人じゃないのか?」
「ヤナギの幽霊はあたしを含めて五人だよ」
「ご、五人!?」
「五人ですって!」
 花子と太郎の叫び声が夕焼けに赤い窓ガラスを揺らすと、床に倒れていた風花と新九郎が同時に目を覚ました。
「先ずは山本千代子でしょ。次が鈴木英子。三人目が村田みどり。四人目がまだ分かんなくって、五人目があたしだよ」
「鈴木……英子……? 英子ですって……? やっぱりアイツはヤナギの幽霊だったのね!」
「うん」
「いや、ちょっと待て、ヤナギの霊が五人だと? どうなってんだよ。いったいこの学校で何が起きてんだ!」
「繰り返されてるの」
「繰り返されてる?」
「うん、抜け出せないの」
「いや、何からだよ?」
「千代子の業から」
「なんだよ、それ」
 玲華の視線が実験台に肘をついた麗奈に向けられた。麗奈は未だに夢の中である。夕刻の校舎を覆う闇。暗い廊下を見つめた吾郎の瞳に恐怖の影が宿り始める。
「正確には王子の業なんだけどね。まぁ、とにかく、早く千代子をなんとかしなくちゃいけないんだよ」
「なんとかって何よ? なんとかしないとどうなんのよ?」
「このままだと、また王子が死んじゃうから」
「……は?」
「王子が死んで、あたしが死んで、そしてまた一人、ヤナギの幽霊がこの世に生まれるの」



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