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第三章
共犯
しおりを挟む「声を掛けられたって本当なの?」
「今朝の登校中にもあったらしいぜ」
「信じないと不幸になるんだってさ」
「どうしてそんな」
「なんでも、折伏だって噂だよ──」
田川明彦は青ざめた。
偶然ではないと考えたのだ。吉田障子からあの依頼を受けたのはつい先日の事だ。吉田障子にその情報を渡してからまだ一週間も経っていない。このご時世に折伏などと、絶対に偶然ではないと彼は考えていた。吉田障子が何かをやらかしたのだと田川明彦は青ざめていた。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経──。
流れ続けるお経を振り払うかのように首を振った明彦は三階の校舎を目指した。睦月花子に相談しようと思ったのだ。
月曜日の朝は空気が穏やかだった。夏休みが目前に迫っている為か、すれ違う生徒たちの表情は比較的柔らかい。ただ、中には頬を強張らせた者たちもいた。恐らく昨日と今朝の折伏の件で警戒心を抱いているのだろう。オカルトブームが冷めやらないこの現代社会において、心霊現象と宗教関連は生徒たちの心を揺さぶる起爆剤となり得るのだ。
「よう、田川クン」
三階の踊り場だった。田川明彦は全身の筋肉を硬直させる。絶対に会いたくない人物と顔を合わせてしまったのだ。まるで待ち構えていたかのように、踊り場の壁に背中を預けた吉田障子は微笑んでいた。
「よ、よう」
取り敢えず挨拶を返した明彦は、急いでいるんだとアピールするかのように片手を上げると、吉田障子の前を通り過ぎようとした。だが、吉田障子はそれを許さない。
「キザキに俺のこと喋りやがったな」
冷たい声だった。キザキという名詞に明彦は立ち止まってしまう。いったいコイツは何を言ってるんだと、怪訝そうな顔をした明彦は振り返った。
「喋ってねーよ」
「じゃあ何でキザキは俺のことを知っていた」
「そういう男だからだろ」
「お前からの紹介だってことも、知ってやがったぜ」
「う、嘘だろ」
「変装してった俺が間抜けだったよ。なぁお前さ、どう落とし前つけてくれんの」
「落とし前って、そんな……」
明彦は混乱した。本当に何も喋っていなかったからだ。
やはりあの男と関わるべきではなかったか。いや、関わるべきでなかったのはこの男か。
今、考えるべきは事は何か。今、言うべきは言葉は何か。
「お前の方こそ、何やってんだよ」
明彦は声を低くした。キザキのことは考えても仕方がないと思ったのだ。それよりも差し迫った問題は、吉田障子が何かやったであろう折伏の件だ。そう考えた明彦は目に力を込めて、吉田障子の顔を睨み付けた。
「生徒が折伏を受けたって、学校中で噂になってんぞ。信じないと不幸になるって脅されたって。お前、マジでヤベェよ」
「え、何がヤベェの?」
「何がってお前そりゃ、強要罪とか、脅迫罪とか……」
「はは、それって俺、関係ねーじゃん」
「そ、それは、そうかもしんねーけど。そもそも、今どき折伏なんて話がおかしいんだよ。お前が何かやらかしたんだろ?」
「やらかしたって何だよ。俺が何をやらかしたらそんな事態になるってんだ」
「それは……」
吉田障子の依頼の内容は、法華経を信仰する生徒、もしくは親族が熱心な法華経信者である生徒がこの学校には何人いるか調べてくれ、というものだった。
生徒一人一人を調べていくという作業の繰り返しには気が遠くなったものの、それは明彦にとって別段難しい依頼というわけでもなかった。ただ、不気味だった。目的が分からなかったからだ。さらに報酬ばかりが異様に高いのだ。頭の隅に引っ掛かりを感じつつも、大体四十人近くの生徒が法華経と関わっていると分かった明彦は、その生徒の名前と宗教を紙切れに綴って吉田障子に渡したのだった。目的は分からず終いに、吉田障子という存在から目を背けたまま、明彦は今日を迎えたのである。
一体その情報を使って何が出来たのか、明彦は様々なパターンを頭の中で想定してみた。だが、何も結び付かない。確かに法華経という繋がりはあった。それでも、渡した情報と今回の折伏騒動がどう結び付いているのかを想定することは出来なかった。
「いや、でもよ、やっぱ偶然にしては出来過ぎてるって。もう先生たちは警察に通報したって言ってるし、お前さ、俺の情報を使っていったい何をしたんだ?」
「だから、まだ何もしちゃいねーって。舞台は始まったばかりなんだ」
「まだ……?」
「それに警察は動かないぜ。だって、実態がねーんだもん。法華経関連の団体をしらみ潰しに調べるわけもねーしさ、こちらの役者が押さえられない限り、ヤベェ事態にはならねーんだよ」
「ま、ま、まさか、お前が……」
明彦は言葉を失った。そんな明彦に向かって人差し指を伸ばした吉田障子は、明彦の広い額と自分の頬を交互に指差した。
「共犯」
「あ?」
「俺たち、運命共同体だな」
「は……?」
「指示したのは俺だが、薪を集めたのは田川クン、お前だぜ」
「ち、ちが……」
「もうすぐ薪に火が付けられる。そしたら山を呑み込むほどの大炎になる。ウサギたちはもう逃げらんねーんだ」
「ふ、ふざけ……」
「田川明彦、お前にまた依頼がある」
髪を染めた男子生徒たちが三人、明彦と吉田障子の間を通り過ぎる。彼らは会話に熱中しているようであり、踊り場で向かい合っていた小柄な男子生徒たちに意識を向けることはなかった。
「ふざけんなよ……!」
明彦は腹の底から息を絞り出した。だが、その声は小さく、二階の廊下に下り立った男子生徒たちが振り返ることはなかった。
「俺が依頼した情報を大場亜香里に渡せ。ただし、さりげなくな」
「ざけんな、ざけんな、ざけんなって。誰が、誰がやるかよ、テメェ、いい加減にしとけよ!」
そう叫んだ明彦は三階に上がろうと吉田障子の横を通り過ぎた。睦月花子の元へ急ごうと思ったのだ。
「あの女に相談しても無駄だぞ」
吉田障子の声が明彦の後を追う。まるで明彦の行動を予測しているかのような、そんな言葉に足がすくむ思いがした明彦は、階段の三段目で立ち止まると後ろを振り返った。もはや鬼の力でもどうしようもない事態かもしれない。それはまさに明彦自身が考えていたことだった。
「なんの話だ?」
取り敢えず明彦は惚けてみせた。まだ一年生の吉田障子が、自分と睦月花子の関係を知る筈などないと、拳を握り締めた明彦は唾を飲み込んだ。
「あれは小物さ。お前の助けにはなんねーよ」
「小物って、だから一体なんの……」
「使えない小物は舞台から降ろす。睦月花子も例外じゃない」
「しょ、正気か……?」
「いいか、田川明彦。お前はお前自身の力でお前の身を守らなければならないんだ」
そう言った吉田障子は右手の薬指を左頬に当てた。その仕草は何処か女性的で、その視線は役者の演技を凝視する演出家のように鋭かった。
あり得ない、と田川明彦は戦慄した。踊り場から自分を見上げる吉田障子の姿が、恐怖の対象である三原麗奈の姿と重なってしまったのだ。
「お前には二つの未来が残されている」
「ふ、二つ?」
「使える駒として舞台に上がるか、使えない駒として捨てられるか。もちろん選ぶのはお前じゃない」
「……何をすればいい」
再び踊り場に降り立った明彦は視線を落とした。そんな明彦に向かって吉田障子は満足げな笑みを浮かべる。
「大場亜香里に情報を渡せ」
「四十人近くいるけど……」
「取り敢えず、藤田優斗の名前だけは確実に伝えろ」
「藤田の名を?」
「祖父の名は出すな、どの宗教団体かも告げるな、アイツの家庭が法華経を信仰しているという事実のみでいい」
「あ、ああ……」
「あとは女生徒の名前を率先して伝えろ。もし聞かれたなら全部答えてやれ。いいな」
「分かったよ……」
「明日か明後日だ。折伏の話題が十分な燃え上がりをみせたあたりで、不自然なく伝えろ。その辺の裁量は全てお前に任せる。期待してるぞ、田川明彦」
期待しているとは、裏を返せば失望させるなという警告だろうか。
明彦には頷くことしか出来なかった。関わるべきではなかったと今さら後悔したところで遅い。関わってしまったからには付き従うより他ないのだ。
ただ、何処かで逃げる算段をつけておかなければならない。降ろされる前に自ら舞台を降りなければならない。
もしこの吉田障子という男が三原麗奈と似たタイプの人間ならば、最後には必ず切り捨てられてしまうだろうから。
そうなる前に逃げなければならない。
明彦が頷くのを確認した吉田障子は唇を横に広げた。そうして吉田障子が二階に下りると、視線を落とした明彦は現状把握が先だと頭を働かせながら、三階の校舎へと階段を上がっていった。
教室の白いカーテンが夏の風にはためく。開け放たれた窓の向こうは紺碧の夏空だ。
2年E組は爽やかな空気に包まれていた。茹だるような夏の暑さはいつも通りである。ただ、期末テストが終わり、夏休みを目前に控えた彼らの心には涼しげな風が流れていた。
三原麗奈の表情もまた凍り付いているかのように涼しげだった。
夏の暑さをものともしない彼女は、手元の答案用紙に書かれた「0」という文字から目が離せないでいたのだ。赤点補習など何のその、取り敢えず夏休みの予定ができたぞ、と夢見心地に現実から目を背けた麗奈は折り畳んだ答案用紙を机の奥に仕舞い込んだ。そうして彼女は代わりに取り出した演劇の台本の黙読を始める。
演劇部の部活に顔を出したのは昨日の事だ。だが、やはり演技など出来る状態ではなく、広い教室の隅で麗奈はジッと他の部員たちの練習風景を眺めていたのだった。正直の所、麗奈は演劇には興味がない。ただ、妹である千夏や部員たちの熱い期待と、身体が入れ替わっているであろう吉田障子の言葉に乗せられたが為に、夏休みは部活に出てみようかなという気持ちになったわけである。
テストの結果に対する贖罪の気持ちもあった。なんでも吉田障子の方は追試で全教科満点に近い点数を取ったらしい。追試という事で点数評価は二割ほど下がるという話だったが、それでも麗奈は頭が下がる想いだった。いや、そもそも一年生と二年生の学力ではフェアじゃないだろうとは思っていた。だが、それでも全教科赤点を取ってしまった事実には後ろめたさを感じていたのだ。
ふっと大野木紗夜の息が麗奈のうなじをくすぐる。昼食に行こうと、紗夜の白魚のような指先が麗奈の肩にかかった。
話し合えば何か解決策が見つかるかもしれない。そう自分の元の体を思い浮かべた麗奈は、紗夜に手を引かれるままに教室を後にした。
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