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第三章
風を切る音
しおりを挟む「うん、頼めるかな。俺もすぐに向かうから──」
長谷部幸平は腕を下ろすと、窓の外を睨んだ。空はどんよりと暗い雲に覆われており、いつ雨が降り出してもおかしくはない。それはまさに彼らの置かれた状況を示しているようで、いや、もしかするともう既に取り返しのつかない事態に陥っているかもしれないと、幸平は居ても立っても居られなくなった。もしも自分の妄想に近い仮説が正しかったとすれば、それはもはや抗争どころの騒ぎではないのだ。
ベッドから足を下ろした幸平はそろりそろりと白い部屋を出ると病院の廊下を見渡した。なんなら強行突破も厭わないつもりである。アルコールの匂いが充満した院内は静かで、足音すらも白い壁の内に飲まれていってしまう。看護師たちの白い影は視界に映らず、だが常に忙しい彼女たちの白衣がいつ廊下をはためいてもおかしくはない。幸平は運を天に任せて廊下を駆け出した。
事態は一刻を争う。
“火龍炎”と“苦獰天”はリングにすら上がらせてもらえないままに、全責任を押し付けられてしまう可能性がある。
あくまでも仮説だった。だが、幸平は不安の募りを抑えられず、とにかく行動に移らなければと病院を抜け出した。知略では遥かに及ばないような相手がさらに入念に計画したであろう舞台を乱すには想定外の行動を起こすより他ないのだ。おそらく相手は病院送りにした自分がまた動き出すことを計算に入れてないだろう。そこにほんの僅かな光明が差している筈だった。
「よぉ幸平、似合わねー格好してんじゃねーか」
病院からほど近いコンビニに一台のバイクが停まっていた。パープルピンクの髪を尖らせた彼はもはや警察など気にしていないのか、ヘルメットすらも持ち合わせていない様子である。「The・ライト・グリーンキューピッド」のギターである大野蓮也はバイクに跨ったまま親指を下に向けた。
「乗れ」
「ありがとう、蓮也」
バイクの排気音が病院に向かって唸りを上げる。白いカラスの存在が多少気掛かりだった幸平は周囲の警戒を怠らなかった。それに気が付いた蓮也は後ろを振り返ることなく左腕を横に伸ばすと、また親指を下に向けた。
「サツなら心配ねーべ」
「どうしてさ?」
「もう抗争は始まってんだ。アイツらがこんな街外れに来ることはねーよ」
風が後ろに流れていく。幸平は病院を振り返ることなくどんよりと濁った空を見上げた。
「んで幸平、どーすんだ」
「抗争を今すぐ終わらせる」
「はああ?」
風の動きが止まる。蓮也が唖然とした表情で後ろを振り返ると、幸平は厳しい表情のままに僅かに唇を緩めた。
「おいおいおいマジで冗談は止めろって、俺はその大事な抗争を抜け出してまでお前を迎えに来てやったんだぞ」
「分かってるよ。でも、とにかく一刻も早く抗争を終わらさなきゃならないんだ」
「一刻も早くってなんだよ。すぐ勝てっつってんべ?」
「いいや、もう勝敗は付けない。お互いに拳を下ろして撤退するんだ」
「んなもん無理に決まってんだろ!」
そう叫んだ蓮也は鬼の形相で背後に座っていた幸平の白いシャツを掴み上げた。だが、幸平は表情を変えることなく蓮也の目を見つめ続ける。
「冗談じゃないんだ。蓮也、俺は本気だ」
「本気だっつってぇ! マジ意味分かんねーべさ!」
「この戦いは仕組まれた罠だったんだ。俺たちは、“火龍炎”も“苦獰天”も、罠に嵌められたんだ」
「罠だって? いったい誰が何のためにそんなことすんだ?」
「おそらくキザキだ。心霊学会を潰すためにキザキがこの抗争を仕立て上げたんだ」
幸平はそう頷きつつも、自身の言葉から伝わってくる微かな違和感をどうしても拭えなかった。だが、もはやそこに思考を割く余裕などなく、とにかく何でもいいから早く行動を起こさなければと、彼は焦っていた。
「キザキキザキってよぉ……、んなもん都市伝説だって何度も言ってんべ。奴らの背後にキザキがいるって根拠を教えてくれよ」
「根拠はないよ。ただ奴らの背後に誰かがいるのは確かなんだ。とてつもなく大掛かりで大雑把な計画を一人で遂行しようとしている誰かが。そいつは頭が回り、辛抱強く、何よりも身軽である必要がある。つまり完全なる裏社会の人間ではないだろうし、ましてや俺たちみたいな不良である可能性は考えられない。それでも“苦獰天”のような暴走集団を手駒にするにはそれなりの暴力、もしくはネームバリューが必要となるわけで──まぁ何処かの資産家、もしくは権力者という可能性もなくはないけれど……。ともかく奴らの背後には神出鬼没な半裏社会の人間がいるはずで、それがキザキであろうと無かろうと、俺たちは直ちに行動を起こさなければならないんだ」
「それほどの事かよ?」
「それほどの事だよ」
「……分ーったべ。つーか幸平の言うことはいっつも正しかったもんな。俺はお前の考えを信じるさ」
「ありがとう」
「だがよ、さっきも言ったけど、今さら抗争を止めようってのはちょいと無理な話だぜ。新九郎も他の奴らも皆んなバッチバチに燃え盛ってんべ。あちらさんも、まぁちょいと戦い方は妙だったが、今日はやる気も本気らしい。俺たちだけじゃあどう足掻いても戦いは止めらんねーって」
「分かってるさ。でも一人だけそれが出来る人間がいるじゃないか」
「誰だべ?」
「花子さんだよ」
「ああ!」
蓮也は納得がいったように頷くと、バイクのハンドルを握りしめた。幸平は慌てて蓮也のわき腹に腕を回す。
「とにかく花子さんを見つけよう。花子さんならこの抗争を終わらせられるはずだ」
「人間かどうかは怪しいがな」
蓮也は自分で自分の言葉に高笑いすると「しっかり掴まってな」と曇り空に声を響かせながら、アクセルをひねった。
純白の特攻服が曇り空にはためく。
雄叫びが工場地帯の路地裏に轟く。
怒りに瞳を赤く燃やした“火龍炎”とは対照的に“苦獰天”のメンバーたちは努めて冷静に瞳を細めていた。僅か五人ばかりの小隊を数十に分散させた彼らは、ちょうど地図上の街を円運動するかのようにバイクを走らせた。“火龍炎”の無謀な特攻をひらりとかわし、誘き寄せ、そして壊滅させるという作戦を実行に移そうと。
概要はこうである。“火龍炎”との遭遇と同時に小隊のリーダーが他の隊に向かって一斉ラインを送る。ラインを送った隊はそのまま“火龍炎”を誘き寄せるように逃げつつ円運動を続け、ラインを受け取った隊が徐々に“火龍炎”の背後に迫っていく。やがて渦巻き状の円が中心に向かっていくように、小隊を追う“火龍炎”が気が付けば逃げ場のない渦の底で一網打尽に遭う。という完璧な作戦である。そう、机上では──。
どうなっているんだ……。
“苦獰天”の総長、野洲孝之助は苦り切った顔で奥歯を噛み締めていた。どうにも“火龍炎”より先にこちらの数が減ってしまっているような気がしたのだ。戦いはまだ始まったばかりであり、“火龍炎”の拳に倒れたような者は一人として見当たらない。まさか逃げたのか、と孝之助は疑心暗鬼に陥りそうになる心をグッと抑え付けていた。
抗争は早くも乱戦に移ろうとしていた。つまり作戦は失敗に終わったというわけである。机上では完璧に見える作戦も実戦では役に立たない場合が多い。何より彼らは思慮の浅い若者で、考えなしの素人で、せっかちな向こう見ず集団だった。そんな彼らが多少吟味し即実行に移したような作戦が上手くいってしまう事の方がよっぽど恐ろしいだろう。
「おい孝之助! 龍弥の隊が囲まれてるぞ!」
「総長! “火龍炎”のバイクにルートが塞がれてます!」
「新九郎だ! とにかく新九郎をやれ!」
一夜漬けに近いような作戦だった。それでも彼らはそれをある程度までは実行に移せていた。涙ぐましい努力の賜物ではない。作戦があまりにも単純だったのだ。ただ指定されたルートを走り回るのみだった。そうして敵と遭遇した隊がグループラインにメッセージを、あとはまた指定されたルートを逃げ続ければ良いだけの話だった。
作戦が一瞬で崩壊した理由の一つに速度計算の不足がある。清水狂介率いる“インフェルノ”はまるで雷光のようで、気が付けば作戦が真っ直ぐ縦に切り裂かれてしまっていたのだ。あまりの速さだった。小隊の背中が突かれるどころの話ではない。先回りされた正面から“インフェルノ”の稲妻が小隊の腹を貫いた。
「落ち着けお前たち!」
野洲孝之助が怒鳴り声を上げる。
「乱戦はむしろ俺たちの土俵だろう! 小賢しい“火龍炎”の軟弱者どもに、本当の戦いというものを教えてやれ!」
孝之助の喝に“苦獰天”たちの目の色が変わる。小賢しい“火龍炎”の策略にいいようにやられてきた彼らである。確かに乱戦こそが自分たちの土俵だと、拳を振り上げた彼らは脇目も振らず“火龍炎”のバイクに突進していった。
その様子に孝之助は満足げな表情をした。これこそが俺たちの戦い方だと。かつての兄の姿と自分の今の姿を重ねてみる。
実のところ孝之助は作戦自体には何の不満もなかった。吉田障子からその概要を聞いた際には、なるほど良い作戦だと大いに頷いたほどであり、それが失敗に終わったとてクヨクヨ悩むような後ろ向きな性格でもなかった。むしろ孝之助は雷光が如き“インフェルノ”の速度に瞠目し「敵ながらあっぱれ」と賛美の拍手を送りたいような気持ちになったくらいである。
問題はやはりこちらの数だった。まだ集まりきっていない者たちがいるとして、それでも総数の半分ほどのメンバーしか数えられなかった。まさか逃げたのか。もしや警察に捕まったのではあるまいか。
「よぉ孝之助くん、やっと会えたな」
野太い声が狭い戦場を震わせる。野洲孝之助はキツく唇を結び締めると、“火龍炎”のバイクの間から現れた金髪の大男を睨みつけた。
「鴨川新九郎……」
「ガリ勉くんが一丁前になりやがって」
鴨川新九郎のその言葉に孝之助は目の色を変える。ガリ勉くんという揶揄は彼が最も嫌う言葉の一つだったのだ。
「貴様……!」
「おっと、別にバカにしてるつもりはねーって。ただスゲェなって思っただけだよ。お前がスゲェ奴だからこそ、皆んなお前に付いてくるんだろーが」
そう言った新九郎は太い腕をぐるぐると回し始めた。平均身長の孝之助と比べて、新九郎の体躯は見上げるほどである。だが新九郎は手加減するつもりはないようで、孝之助もまた指の骨をコキリと鳴らすと“火龍炎”のバイクに近づいていった。
「おいおい待て待て待て、孝之助ッ!」
元“正獰会”の副総長である篠原卓也は慌てたように前に飛び出ると、孝之助の腕を引っ張った。
「なんだ」
「総長がいきなり前に出て、いったいどーするつもりだよ!」
「一騎討ちに決まってるだろう」
「お……ちょ、ちょっと待て……、まさか“火龍炎”の鴨川新九郎とタイマンを張るつもりなのか?」
「そうだが、何か問題でもあるのか?」
「いや……ほら、そんなことしちまったらよ……、せっかくの俺たちの楽しみが無くなっちまうじゃないか……」
孝之助は口を紡いだ。確かに一理あると思ったのだ。
このままタイマンで決着をつけてしまえばせっかくの抗争に水を差すような結果となってしまうかもしれない。それは彼としても嫌だった。だが、大将同士の一騎打ちなどは男のロマンと言え、”火龍炎”の総長はなんとしても自分の拳で倒したいと、彼は唇を結んだまま深い苦悩に眉を顰めてしまった。
「おいおいおーい孝之助くーん! まさかビビっちまってんのー?」
「誰がビビるか!」
「ならとっととぶん殴り合おうぜー。俺ぁよ、幸平をやったお前らをボコボコにしたくてウズウズしてんの」
新九郎の声色が変わる。深い怒りが籠ったような低い声だ。ぶるりと武者震いをした孝之助はそれでも顰めた眉を緩めず、抗争はまだ始まったばかりだと“苦獰天”の仲間達に向かって怒声を上げた。
「お前たち、拳を緩めるな!」
“苦獰天”の雄叫びが街に響き渡る。鴨川新九郎は肩を怒らせると、同じように“火龍炎”のメンバーに向かって怒声を飛ばした。
「孝之助くんのヘタレには呆れたぜ。“苦獰天”ってのはその程度のチームだったんだな」
「その程度の煽りで俺の心は動かん。それに俺は柔道、空手、剣道、キックボクシング、カポエイラと、格闘技を一通り習っている。素人で後輩のお前程度が俺に敵うはずないだろう」
「へっ、なーにが一通り習ってるだよ。春雄くんみたく一つのことを極めてみせろや」
「俺は全てを極めてみせる。それが俺という男だ」
「相変わらず頑固な野郎だぜ。つーか孝之助くん、大学はどうした? あんまヤンチャしてっと退学になっちまうぞ」
「今は夏休みだ。それに俺は退学になろうと一向に構わん。そんなことよりもお前のそのタメ口の方が我慢ならん」
その時、複数に重なり合ったパトカーのサイレンが工場地帯に響いてきた。振り上げていた拳を止めた彼らは互いに見つめ合うと、それぞれのリーダーの元に視線を送る。
「採石場か河原、どちらがいい」
「河原だな。あっちの方が近ぇし、最悪逃げ場も多いだろ」
「よし! 戦場を変えるぞ!」
バイクの排気音が曇り空に轟く。もはや今の彼らに憂いはない。“火龍炎”と“苦獰天”は互いに拳を向け合ったまま別の戦場に向かって走り出した。
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