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第四章
枯れ木の怒り
しおりを挟む国道沿いの廃れた漁村である。海辺の空き地には人が集まっている。山麓から昇る煙に天は黒く、曇り空はよりいっそう暗く、まるで今にも雨が降り出しそうな、そんな空模様に集まった人々は不安げな表情をしていた。
「俺がここに残る」
すすりと煤けた純白の特攻服が潮風にはためく。大場亜香里と橋田徹の側にしゃがみ込んでいた野洲孝之助はそう言って項垂れたように肩を落とした。
「やはり総長である俺が責任を取らねばなるまい」
「僕も残るよ」
長谷部幸平が立ち上がる。その視線は山沿いに聳える心霊学会の白い巨塔に、病院服を着た彼は何かを考え込むように、こめかみに中指を当てた。
「キザキさんが……いやほら、さっき自分が主犯だって言ってたあのおじさんがさ、お前たちは何も知らないふりをしろって、妙な行動を繰り返す仲間の後を付けてきた結果、偶然あの場面に出くわしたって、警察にはそう答えろって僕に耳打ちしたんだ」
「どういうことよ?」
睦月花子が首を傾げる。長谷部幸平は、空き地の砂地に行儀よく正座した醜い老人をチラリと流し見ると、水飛沫の打ち上がる海辺に視線を移した。
「分からない。ただ、何かをやろうとしてるんだと思う。僕たちとしても何も知らなかったって方が都合が良いし、だから、野洲くんと僕がこの場に残って事情を説明するよ」
「俺たちも残るぜ」
鴨川新九郎と大野蓮也が明るい笑顔を見せる。ふっと鼻で息を吐いた花子は、未だ意識の戻らない三原麗奈と、彼女の側に付き添う吉田障子に鋭い視線を向けた。
「あの二人は連れていった方が良さそうね」
警察の影はまだ届いていない。だが時期に、この廃れた漁村も騒がしくなってくるだろう。大人となった木崎隆明の意図は読めないが、取り敢えず吉田障子だけでもこの場から避難させるべきだろうと、花子は面倒くさそうに頭を掻いた。
「ただ、移動手段がないのよね……。あ、そうだ。ねぇ八田弘?」
突然名前を呼ばれると、八田弘は正座したまま「へぇ……?」と白い顎髭を横に揺らした。
「アンタ、車の運転くらいは出来るわよね?」
「車……?」
「そうよ。アンタが運転してくれれば、万事オッケーじゃないの」
「はあ……?」
八田弘は困惑の表情でのそりと足を崩した。そうして拗ねたように膝を抱え込んでしまう。その枯れた背中から漂う哀愁に、新九郎たちは思わず視線を落としてしまった。
「部長、それは流石にないっしょ」
「何がないのよ。八田弘が運転出来るってんなら、それが最善手でしょ。私たち、今すぐにでもこの場から動かなきゃいけないんだけど、アンタそれ分かってんの?」
「いや、酷すぎますって……。このお爺ちゃんも被害者っすよ?」
「被害者だからなんだっつーのよ! 別にどこも怪我してないようだし、運転ぐらいどってことないでしょーが! つーかこのクソオブクソのクソジジイ、女子高生と一発やろうって途中でモブウサギに拉致られたのよね? なーらクソほど元気有り余ってんじゃないの!」
花子は憤ると、痩せた膝を抱えて項垂れた老人の首根っこを掴んだ。そんな小柄な鬼の背中に、新九郎と幸平が慌てて飛び掛かる。
「まさかアンタ、まーた恩を仇で返すつもりじゃないでしょーね?」
「ちょ、花子さん!」
「部長! 老人っすよ!」
「むかーし夜の校舎でアンタを助けてやった恩と、今さっき助けてやった恩、きっちりこの場で返して貰うわよ」
新九郎と幸平の体がふわりと空き地の隅を転がる。花子の吐息が老人の枯れた首筋を撫でると、すぐ側で聞き耳を立てていた徳山吾郎の背筋が凍り付いてしまった。猛獣の唸り声だ。だが、老人は一切怯えたそぶりを見せず、むしろ高ぶった感情に、瞳が赤く燃え上がった。
「は、離せ……!」
「あん?」
「離さんかぁ……!」
八田弘はそう声を絞り出すと、以外にも強い力で肩をゆすり始めた。そんな彼を猫のように持ち上げたまま、花子は怒鳴り声を上げる。
「そもそもアンタが心霊学会なんて怪しい宗教団体作るから、こんな事態になったんでしょーが! 人に迷惑ばっかかけておいて、自分は安穏と余生を送りたいだなんて、んな甘ったれたこと考えてんじゃないわよ!」
「ち、違うっ、違うわ……! 心霊学会などと、あ、あんなもの……! 僕が作ったんじゃない……!」
老人の枯れた瞳から涙がじわりと溢れ出してくる。そこに恐怖や悲しみの感情は見られない。ただただ湧き上がってくる悔しさに激昂が抑えられないような、そんな表情だった。
「僕に、僕なんかに、あんなものが作れるか……! 幽霊なんて、悪趣味な……! あんなもの作ってたまるか……! 僕は、僕は宇宙が大好きで……、物理の教師だったんだぞ……!」
「物理ですって?」
花子は少し驚くと、腕の力を緩めた。消防車のサイレンが遠くの空から響いてくる。
「だったらどうして学会の尊師なんて呼ばれてんのよ」
「教師を辞めさせられたからだ……! あの後、あの悲劇の後、僕は学校を追われた……!」
「それって一年D組の悲劇とかいうあれのこと?」
「そうさ。生徒たちが、た、高野先生がいなくなってしまった、あ、あ、あの後……。いいや違う、違うぞ、あ、あの前からだ……僕はどのみち嫌われていたから……。今は知らないけど、僕が教師だったあの時代、あの頃は学校がひどく荒れていて……、ああそうさ、それも全てあの……あの丸メガネの教頭、子供嫌いの三島のせいだ……! アイツは子供だけじゃなく、僕のことも大嫌いで……。あの悲劇にかこつけて、アイツが僕を学校から追い出したんだ……! 全部三島のせいさ……! 荒れた学校を放置して、特定の生徒ばかり優遇して、いつもいつも僕を目の敵にして……イジメて……だ、だから僕はこんな風になってしまったんだ……!」
「なぁ花子くん、そろそろ不味いよ」
山火事を見上げる人の目が増えていく。海沿いの道に赤い車の影を見ると、徳山吾郎は不安げな息を潜め、焦ったように花子の服の裾を引っ張った。
「とにかく移動しよう、タクシーでもバスでも何でもいい、早く吉田くんと三原さんをこの場から逃さないと」
「待ちなさい。まだこのクソジジイとの話が終わってないわ」
吾郎の焦りなど花子は意に返さない。老人の首から手を離した花子は彼と向き合うと、怒りと悔しさに涙の浮かんだ彼の瞳を見つめ返した。
「教師時代のアンタに何があったかは知んないけど、どうしてそれで宗教団体のトップになっちゃうのよ。その三島とかいう教頭に何か仕返しがしたかったわけ?」
「仕返しなどと……このたわけ! あ、あの頃の……若い頃の僕がいったい、いったいどんな状態だったか、お前のような乱暴者のクズに分かってたまるものか!」
「すぐ誰かのせいにするアンタだってよっぽどのクズよ!」
「早くどっかへ行ってしまえ、このたわけ者のクズ女め! どうしていつもいつも僕の周りをウロウロと……ああそうだ、そうだった、昔からだ……! いつもいつも、変なやつばかりが僕の周りに集まってくる……! 戸田の馬鹿者に、姫宮さん、そして英子さん……。僕は化学が好きで、ただ宇宙の勉強がしたくて、幽霊なんて非科学、まっぴらだったのに……! それなのに、大人になってからも、教師になってからも、いつまでもいつまでも僕の周りを……。僕は、僕はただ必死に生きてきただけなのに……!」
「アンタの苦労話なんてこれっぽっちも興味ないっつの! なんで心霊学会のトップになったか、その理由をさっきから聞いてんのよ!」
「別に、なろうと思ってなったわけじゃないさ……! ただ、気付いたらああなってた……。仕事がなくなった僕の元をまた戸田の奴が訪ねてきて、俺の仕事を手伝ってくれないか、と……。あの頃の僕はただ怖くて、ただ不安で、全てが悲しくて、ずっと苦しくて、でも死にたくなくって、出来ることなんて何もなくて、だから初めは成り行きで彼を手伝ってた……」
「ああ、道教とかいうアレのことか。手伝うってアンタ、いったいそこで何してたのよ?」
「くだらん事さ。戸田の馬鹿者は超常現象に妙な憧れを抱いておった。だから本当にくだらん事ばかりを手伝わされた。だが、そうだな、あの頃は忙しかった……。今にして思えば、随分と懐かしい……。そうだ、そうして暫くしてか、かつての生徒が僕たちの元を訪れたんだ……。皆んなが消えてしまったあの悲劇の、あの時の恩を返したいと、小野寺くんが僕に頭を下げてきた……。ああそうだ、そうだった、小野寺くんがいたから僕は心霊学会の尊師になったんだ……。だって心霊学会は彼が作り上げたから……」
「小野寺くんって?」
「小野寺くんは昔から本当に怖い子だった……。誰も彼には逆らえず、教師たちからも一目置かれ、でも僕はね、彼の心根が清らかなことを信じて疑わなかった……。運動が出来て、頭が良くて……そりゃあ学校にいた頃は随分と叱ったものさ、でもそれはいつか彼が皆の良きリーダーになるって、信じていたからなんだよ……。そうさ、小野寺くんはいい子なんだ……」
「おーい、だから小野寺くんって誰なのよ?」
そう首を傾げ、花子は肩を落とした。老人は完全に自分の世界に入ってしまったようで、下を向いたままブツブツと、もはや花子の声になんの反応を示さない。消防車が山道に入っていくと、徳山吾郎は、三原麗奈の顔を隠すように腰を落とした。
「たぶん衆議院議員の小野寺文久のことですよ」
長谷部幸平がそう声を潜めると、花子は怪訝そうな表情で、病院服姿の同級生を振り返った。
「なんでアンタがそんなこと知ってんの?」
「いや、さっき学校で戸田さんという背の高い老人が話してくれて。なんでも学会の影の支配者がその小野寺文久なんだとか」
「へー、モブウサギとクソジジイにボコられた伝説のヘボ男が学校にねぇ……。じゃあ三島とかいう教頭のことは?」
「いや、それは知りませんけど……。もうお亡くなりになってるんじゃ……?」
「ふーん」
荒れた海と重なる薄墨色の空に青い線が見え隠れする。
花子はグッと背筋を伸ばし、そして、大きく欠伸をした。寝過ぎて眠いというやつだろうか。そんなことを考えた花子の頭の中から学会に対する興味が消え失せていく。
「まぁいっか、昔の話なんて。憂炎と秀吉のことが心配だし、そろそろ学校に帰ろうかしらね」
「いや花子くん、その移動手段が……」
「乗れ」
そう一言、涼しげな男の声が花子たちの耳に届く。低いエンジン音。振り返った花子は、黒のワゴン車の運転席から長い腕を出した清水狂介の、ブラック&グレーの髑髏のタトゥーに怪訝そうな表情をした。
「いや、誰よ?」
「誰でもいいだろ。おい女、それとそこのメガネ、少年と青目の女をすぐに車に乗せろ」
「青目の女?」
「暴走族でないお前たちの存在が蛇足だ」
パトカーの白いサイレンが山を越え、荒波を避け、寂れた漁村を訪れる。花子と吾郎はチラリと視線を交わすと、急ぎ三原麗奈の身体を助手席に寝かせ、そうしてオロオロと肩を丸めた吉田障子と共に、ワゴン車に飛び乗った。広い車内はバールやらバットやらと何やら不穏な物でごみごみしていた。サードシートでは顔を異様に汚したスタイルの良い女が、赤く腫れた右腕を胸の前に折り曲げた長髪の少年の額の汗を拭っている。
助手席に移った花子は水平線の彼方に目を細めると、清水狂介の耳のピアスを横目に睨んだ。
「てかアンタ、名前は何?」
「清水京介だ」
「ふーん、京介ね。アンタも新九郎の友達なの?」
「そうだ。あと、京介の京は“狂”と読め」
車がのそりと群衆の側を抜け、潮風を押し返し始める。彼らの視線はもうもうと山を曇らせる黒煙に向けられるばかりで、車体の影に気が付いた者はない。
「まぁなんでもいいけど、アンタ、ナイスタイミングじゃないの。いい車持ってるわね」
「俺の車じゃない」
「はあん?」
「車の運転は初めてだ。舌は噛むなよ」
「……免許持ってる?」
返事はなかった。何も言わず、清水狂介がアクセルを踏み締めると、花子以外の皆の体がすてんと後ろに倒れる。そうして潮風を切り裂くと、黒いワゴン車はパトカーのサイレンなど気にも止めず、海沿いの国道を走り抜けていった。
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