王子の苦悩

忍野木しか

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最終章

残骸の衝突

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 東側の校舎から怪奇音が迫る。
 教室の壁が吹き飛び、轟音が雪崩れ込む。
 その時、園田宗則の身にまた不可解な現象が起こった。
 真下が真横となったのだ。
 ジッと睨んでいた壁が気が付けば真下にあった。踏み締めていた床が壁となっていた。そうして抗う暇もなく破壊された西側へと落ちていった。
 だが、宗則は焦らない。
 これもまた試練の一つだろう──。
 銀の十字架をそっと掴む。目の前の陰気な男の首に腕を回す。粉塵と土埃が足先に触れた。瞬きすら間に合わない一瞬の出来事だった。二つの影が壁と衝突すると共に校舎の夜が大きく揺らいだ──。


「──いててっ」
 睦月花子は床に大の字になりながら天井を見上げた。
 粉塵と木屑は舞い上がった灰のようで校舎はどんよりと暗い。ただ並んだ窓にはひび割れの一つもなく、月の浮かんだ夜空だけは鮮明だった。
「たく、何だっつーのよ」  
 花子は腕を組むと、ネックスプリングでよっと起き上がった。姫宮玲華の声を聞き、慌てて足を止めようとした矢先の事だった。突然壁の向こうに戦車が現れた──と、そんな想像が浮かび上がるほどの衝撃に呆気なく跳ね飛ばされてしまった。車に轢かれた経験など数知れない女である。それでもあれ程の威力は覚えがなかった。花子は机の脚らしき破片をチッと蹴った。
「姫宮玲華ー?」
 壁や椅子の残骸がそこかしこに転がっていた。特に窓際などは山のようである。そこが学舎であったなどともはや想像も出来ない。ただ、先ほど玲華の声を聞いたのは確かで、他にも幾人かの気配を感じた。
 まさか皆んなぶっ飛んだんじゃないでしょうね──。
 そんな考えが当然のごとく頭をよぎる。花子は一瞬ギクリとしたが、まぁ夢の中だし大丈夫だろう、とすぐに楽観的になった。そんな事よりも気掛かりなのは吉田障子の行方である。この校舎に入り込めた時点で過去改変など朝飯前だろうと考えていた。が、実際には目的から遠ざかるばかり、その糸口すらも未だに掴めていない。このまま夜が明けてしまえば無実の彼は哀れにも犯罪者として捕まってしまうだろう。それだけは何としても阻止してやりたかった。
 花子はゴキゴキと指の骨を鳴らしながら、急ぎ足で夜の校舎を闊歩した。
「吉田何某ぃー!」
「な、なんぜよ……」
 ガサリと残骸の山が崩れる。
 花子はおっと足を止めた。
「へぇ、無事なの。やるじゃない」
 折り重なった机の下でもがいていたのは垢黒い巻き髪の男だった。手には抜き身の軍刀が握られたままである。
「ほら、大丈夫?」
「お、おお、おおきに……」
 花巻英樹の意識はハッキリとしていた。五体満足ですぐにでも暴れられそうである。だが、現状は理解出来ていないようで、視線もフラフラとおぼつかない。花子の手を借りてヨロヨロと立ち上がった彼は背中を丸めたままお礼を言った。そうして顔を上げ、すぐにハッと目を見開き、ギョッとして真後ろに飛び退いた。
「お、お、お……! おんしゃあ……!」
 軍刀の鋭い刃先がギラリと月の光を浴びる。砂埃に汚れた髪を逆立てる彼の姿はさながら野盗である。英樹は勇ましく奇声を上げると、軍刀を中段に構えた。
「おんしゃああああ!」
 軍刀の先がゆらゆらと揺れる。
 花子はやれやれと拳を出した。
「キェエエエエエイ!」
 だが、中々攻めかかって来ようとはしなかった。軍刀の先をブンブンと揺らすばかり。すぐに花子の方が痺れを切らしてしまった。
「来ないんならこっちから行くけど?」
 そう言って歩くように足を出す。すると英樹の体がわっと真後ろに転がった。ポリポリと頭をかいた花子がさらに一歩進む。英樹の体がゴロンゴロンと後転する。どうやら腰を抜かしたらしい。英樹はわっわっと刀を振り回すと、そのまま這うようにして夜の彼方へと走り去ってしまった。
「吉田何某ぃー」
 花子は気を取り直して歩き出した。両手をメガホンにして声を張り上げる。
「聞こえたら返事なさーい!」
「んん……!」
 するとすぐに呻くような男の声が耳に届いた。花子はハッと身を翻すと、勢いよく残骸の山にダイブした。
「吉田何某ぃー! ……て、違うじゃないのよ!」
「んんんっ!」
 残骸の下から現れたのは全身を荒縄で縛られた水口誠也だった。チッと露骨に嫌悪感を示した花子はそれを山に埋め直した。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよー!」
 どうやら猿轡が外れたらしい。水口誠也のくぐもった声が夜に響いた。されど花子は振り返らない。「おーい」とまた歩き出してしまう。
「ちょ、ちょ、ちょ! 花子さーん!」
「吉田何某ー」
「冗談じゃないってば! 僕、本当に動けないの!」
「新九郎ー、憂炎ー、信長ー」
「ああっ! そ、そうだ……。花子さん、その、三人なんですが……」
「あと姫宮玲華ー」
「お、お亡くなりになりました」
「はあん?」
「撃たれたんです。三人とも殺されました」
「なんですって?」
 誠也はゴクリと唾を飲み込んだ。やっと振り返った花子の表情はただただ怪訝そうだった。彼の突然の告白を理解したようには思えない。それがなんとも哀れだった。いいや、あの場にいた誠也自身でさえも未だに半信半疑である。無情にも撃ち殺された青年たち。あの惨劇──あんな人間がこの世にいるなどと信じたくはなかった。
「亡くなってしまったんです。三人は、もう……」
「何で夢の中でお亡くなりになるのよ?」
「え?」
「てか、山田くんって誰よ?」
 花子はキョトンと眉を顰めたまま腰に手を当てた。別に突然の告白が理解出来なかったわけじゃないらしい。
「いや、えっと、流石にこれは夢じゃ……。あ、あと山田くんは暴走族の青年っす」
「夢じゃないってんなら何処だっつーのよここ。まさか仮想現実?」
「あ、そういえば千代子ちゃんがここは記憶の中って」
「何で記憶の中でお亡くなりになるのよ?」
「そうだ! 玲華ちゃんのお婆ちゃんがここはヤナギの木の精神空間だって!」
「何で精神空間でお亡くなりになるのよ?」
 沈黙が訪れた。
 何で精神空間で亡くなるのか。
 そんなもの誠也に答えられるはずもない。
 そのまま無言で向かい合っていると、何処からともなくまた男の呻き声が上がった。
「いってェ……。んだっつーんだクソッ……」
「憂炎!」
 田中太郎の顔が上がる。例に漏れず土埃と木屑に頭が白くなっている。が、特に怪我はなさそうで、長身の彼が立ち上がると誠也は亀甲縛りの状態でポカンと目を丸めた。
「て、部長かよ」
「ええ、久しぶりね」
「ああ、いや、久しぶりか? てか、うわっ、なんだソイツ」
「ああ、コイツはただの変態よ。気にしなくていいわ」
「こんな時に何やってんだよアンタら」
「私がやるわけないでしょーが! 自分で自分縛って興奮してんのよこのドアホは!」
「ち、違わい! これは玲華ちゃんにやられたの!」
 誠也は縛られたまま飛び上がった。さながら雨にのた打つミミズである。太郎はビクリと後ずさった。
「姫宮玲華ですって?」
「そうなんだよ! 縛られて椅子にされて罵倒されたんだ!」
 その時の事を思い出したのか、誠也の鼻息がどんどん荒くなっていった。
「しかも玲華ちゃんの友達まで加わってさ! それがすっごい金髪の美女だったんだけど、二人して動けない僕をめちゃめちゃのくちゃくちゃにイジメるんだよ! もうほーんと大変だったんだから!」
「へ、へぇ……」
 太郎と花子はゾッと顔を見合わせた。


 先ず異変に気付いたのは荻野新平だった。
 校舎の傷跡が消えなかったのだ。
 それも複数である。
 新平は壁に刻まれた弾痕を見つめた。倒れた机はそのままである。ナイフの跡に指を当てながら、蹴り開けられた扉をまたぐと、微かに擦れた足跡が目に映った。手垢の付いた窓から月が望める。静かな夜に硝煙の香が漂っている。
 時間が止まったというわけではなさそうだった。
 どうやら時間が流れ始めたらしい。
 その事に気が付いた新平は立ち止まった。
 それは三原麗奈が夜の異変に狼狽するよりも少し前のことだった。
「真智子さん?」
 新平の脳裏を掠めたのは幼馴染である吉田真智子の表情である。あの何処までも鬱々とした彼女の瞳。そこにかつての天真爛漫な幼馴染の姿はなかった。
 新平は踵を返した。すると来栖泰造も振り返る。二人の決着はまだ付いていない。彼を追っていた新平の殺気の方向が唐突に変わったことで泰造の警戒が増した。
 
 ちょきん──。

 村田みどりもまた二人を追って来た道を駆けだした。
 新平は身を伏せると、彼女の見えざる斬撃をすんでのところで躱した。
 直後、新平の背後で銃声が鳴る。来栖泰造が応戦したらしい。三人目のヤナギの霊──村田みどりもまた異質な存在であった。みどりはいわゆる吉田真智子の前世だったが、その面影は一切ない。山本千代子や鈴木英子とも違う。村田みどりという醜い少女のみ、この夜の校舎の怪異を表すような、怨霊そのものであった。

 ばんっ──。
 
 廊下が弾ける。
 壁がメキメキと剥がれていく。
 だが、新平は構わない。嫌な予感がしたのだ。永遠の夜が揺らいでいた。それがヤナギの木の異変を示唆していた。
 もしや彼女の身に何かあったのでは──。
 と、突然、体が真横に飛ばされた。新平は咄嗟に後頭部を守った。バランスを失った体が窓に叩き付けられる。受け身を取る暇もなかった。教室の壁が一斉に吹っ飛んだのだ。村田みどりの攻撃ではなかった。何故なら威力の桁が違う。凄まじい音と衝撃だった。
 爆弾でも落ちたか──。
 新平は素早く体勢を立て直すと、徐々に晴れていく粉塵の先を警戒した。一瞬にして荒れ果てた校舎は教室と廊下の垣根が消え去り、残骸さえ除けば、横に長い講堂のようだった。そこに二つの影が立っている。来栖泰造のものでも村田みどりのものでもない。白い羽織りの優男と陰気な顔立ちの大男だ。新平はすぐに拳銃を構えた。
「誰だ」
 それは白い羽織りの優男に向けられた言葉だった。何故なら陰気な顔立ちの大男はすでに事切れていた。手足がへしゃげ、体の左半分が潰れ、左の頬から下顎にかけての大部分が無くなっている。瞳には生気がない。そんな大男を片手で持ち上げる優男の表情は月を眺める青年のように穏やかだった。
「また死人か──」
 優男が呟いた。穏やかな声である。だが、何やら擦れた感じがする。一見するとまだうら若い青年であったが、よくよく見れば疲れ果てた老人を思わせ、その痩せこけた身体はいかにも病弱なのに、血管の浮かんだ手足は鋼のようだった。
「質問に答えろ。お前らは誰だ」
「ふぅ」
 優男は小さく首を傾げると大男を放った。大男のへしゃげた手足が振り子のように揺れる。その虚ろな表情に何処か見覚えがある。あれは学生時代か──。一瞬だけ、昔を思い出した。別に回想に耽ったわけではなかった。その野生の獣が如き集中が途切れたわけでもない。にも関わらず、新平は目の前にいたはずの優男を見失った。大柄な男が廊下を跳ねる。だが、彼を放ったはずの優男の姿は既にそこにない。
「くッ!」
 新平は体を捻った。紙一重だった。すんでの所で優男の拳を躱わした。巨大な鉄球が眼前を掠めたような威圧感に新平の血が冷たくなった。
「ああ、主よ」
 新平は左手を腰に回し、ナイフの柄を握った。拳銃を取り回す余裕などない。その白装束が、異様に痩せた男の腕が、肌に触れる位置にある。新平はナイフを抜き去ると、流れるままに回し蹴りを入れ、その反動で距離を取った。鉄の像を蹴ったような感触だった。

 ちょきん──。

 優男の左腕に円形の亀裂が走る。だが、薄皮一枚弾けたのみで、その細腕が落ちることはない。

 ばんっ──。

 月の浮かんだ窓が波打った。電球が弾け、天井に亀裂が走る。
 白装束の優男は不動だった。
 新平は廊下を蹴った。
 電球の破片がパラパラと雹のように足元を跳ねる。その隙間を縫うようにして、優男の間合いに踏み込んだ新平は軽いジャブを入れるように、逆手に握ったナイフをスッと横に滑らせた。白い線が夜を走る。銀のネックレスが月の光を浴びる。優男は後ろに飛んでナイフを避けた。その後を追うように新平は左腕の真下から拳銃を構えた。そうして間髪入れず優男の眉間に銃弾を放つ。だが、それも避けられてしまう。おおよそ近接格闘の動きではなかった。優男の肉体は人間を超越していた。
「困ったな──」
 ナイフを前に構えながら、新平は銃口を真横に向けた。完全に事切れていたはずの大男が顔を上げたのだ。
 木崎隆明は何もない天井を見上げていた。潰れた左手で下顎のない顔を掻いている。のそりと立ち上がった木崎は腫れぼったい目蓋を若干見開きながら、五月蝿い羽虫でも追い払うようにそっと手を振った。
 
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