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最終章
太古の魔女
しおりを挟む村田みどりは気付いていた。
自身の容姿が醜いことに。
容姿だけではない。ずんぐりした体型、艶のない肌、鼻の詰まった声、理解の遅い頭、そのどれもがお姫様からは程遠い、彼女の望むものではなかった。
一体なぜ──。
こんな容姿では誰からも好かれない。
みどりはすぐに死にたいと思った。
それでも彼女は十六歳まで生きた。
何故なら彼女は彼女と同じように、王子もまた生まれ変わっているのだと、信じていた。
だからどれだけ醜い顔を蔑まれようとも、間抜けな声を揶揄われようとも、豚のような体で踊り、ガマガエルのような口で笑わなければならなかった。
王子を落胆させてはいけない。
いいや、それどころではない。
王子に捨てられるかもしれない。
みどりは必死だった。
たくさん笑って、たくさん踊った。
たくさん嘲笑われて、たくさん虐められた。
裁縫を始めたのは家庭的なところを見せつけたかったからだ。しかし彼女には器用さすらも欠けていた。顔のない赤子のようで気味が悪い──先生からそう否定されると、みどりはハサミで人形の手足を切った。
醜い容姿を前髪で隠すと、より醜くなる。
頭の悪さを無邪気さで補うと、より頭が悪くなる。
それでもみどりは探した。
傲慢だが容姿端麗な彼が王子だろうか。
優しくて寂しそうな彼が王子だろうか。
物理の先生となった彼が王子だろうか。
私の王子は何処──。
千代子の時はしょう子が手を引いてくれた。
英子の時は一郎が追いかけてきてくれた。
けれど、みどりを迎えに来る王子はいなかった。
村田みどりは絶望した。
彼女は自分が失敗作であることを悟った。
「ロキサーヌを連れてきたのか」
姫宮玲華は凍り付いたように頬を青ざめさせた。瞬く夜空の瞳は闇に落ち、純血に塗れた唇が妖しく煌る。
「ロキサーヌを敵に回したのか」
それは懐かしき魔女の表情だった。
それでもサラ・イェンセンは恐れを隠すように毅然としてブロンドの髪を後ろに流した。
「ダカラドウシタ」
差し込む星の光にこれ以上惑わされたくなかった。
流れ込む冬の風にこれ以上震わされたくなかった。
「モウ始末シタト言ッテイル。ロキサーヌハ文久様ヲ怒ラセタ」
「あの女は死なない」
されど影に潜む影のように、しめやかに夜を流れる暗い雲は、悠然と浮かんだ月を隠すのを躊躇わない。
夜に灯された蝋燭のように、うっすらと影を伸ばす暗い光は、凄然と沈んだ鮮血を映すのを躊躇わない。
「ロキサーヌが死ぬことはない」
姫宮玲華はすでに事切れた人形のように青くなった顔を下げた。その様は肺炎に苦しむ老婆のようだった。
「なんて事だ、こんな時に、このままではまた支配者が変わる」
「アリエナイ!」
サラは激昂した。ブロンドの髪が夜闇に大きく弾かれる。
「文久様ガ始末シタノダ! 純銀ノ銃弾デ奴ノ魂ハ破壊サレタ! 私ハコノ目デ見タ!」
「死なない、あの女は死なないんだ、お前たちはあの女のことを何も知らない、アレは聖水の棺に沈められようとも死ななかった──あの女は異常なんだ」
「アノ程度ノ女ガ異常? ハ、笑ワセル。コノ夜ヲ彷徨ウ女共ノ方ガヨホド異常ダ。アノ女ハ貴方ト同ジ、タダノ始マリニ過ギナイ」
「ただの始まりか。その通りだ。始まりの魔女などと、それこそ二千年前の、あの時代に偶然生まれた女どもの呼称に過ぎない。だが、あの女は違う。ロキサーヌは遥か昔から生きる、太古の魔女だ」
「ソンナ話、聞イタコトモナイ!」
「ああ、どれもこれも昔の話さ。もはや語り継ぐ者もいない。あの日、あの場所で、あの男が死に、多くの魔女が残された。そうして後の世に始まりの魔女という呼称が生まれた。だが、それもまた昔の話だ。今や誰も太古の魔女と始まりの魔女を区別しようとしない。あの女──ロキサーヌ・ヴィアゼムスキーはシュメール人だ」
「シュメール人……?」
「アレは六千年以上前に生まれた女だ」
「嘘ダ!」
「普通ならば、あり得ない。正気を保っていられるはずがない。記憶を紡ぐことなど不可能だ。それでもあの女は生きている」
「嘘ニ決マッテイル! ソンナ事、絶対ニ……」
「だからあの女は異常なんだ」
サラは押し黙った。それ以上何を言えばいいか分からなくなった。だから玲華の次の言葉を待った。縋るように玲華の青白い顔を見つめた。
そんなサラを見返す玲華の瞳に怒りの炎が宿る。
「おい、ベアトリーチェ」
「ナ、ナンダ?」
「貴様、先程、ロキサーヌの下に付いたと言っていたな」
「ダカラ……ドウシタ……」
「この愚か者が」
シンと空気が凍り付いた。
教室の時が止まった。
「何も知らない小娘が、嬉々としてあんな女の庇護に入ったなどと、挙げ句の果てに敵に回したなどと──この愚か者が」
別に吹雪が流れ込んできたわけではない。
夜の校舎が静寂に覆われたわけではない。
ただ唖然として見開かれたサラの、そのサファイヤの瞳が周囲を凍り付かせた。
「お前は何も変わっていないな。純粋だったあの頃のままだ。ただ信じるだけで、戦い方も逃げ方も知らず、敵と味方の区別も付かない、馬鹿な小娘のままだ。お前はいつまでも親の背中を追いかけて回るだけの出来損ないだ」
「私ヲ……」
「あんな女の下に付いたという話だけでも呆れ返るというの、さらに敵に回しただと? 一体何処まで馬鹿なんだお前は」
「私ヲ……!」
「文久様が始末した? はっ、あの程度の男こそどの時代にも存在する、王といえど所詮は人の器に過ぎない。それを貴様──この愚か者の出来損ないが、一体お前は今まで何をっ」
パシンッと頬に衝撃が走った。
玲華は驚いて言葉を止めた。
痛みはなかった。しかし鋭い。そして燃えるように熱かった。
「私ヲ捨テタクセニッ!」
サファイヤの瞳が涙の海に沈む。
すると瞳はさらに青く輝く。
ルビーの唇が燃え盛る太陽に呑まれる。
すると唇はさらに赤く煌めく。
サラは子供のように激昂した。
それは親に見捨てられた子供が、心を閉ざしたまま大人となった女が、初めて他人に胸の内を曝け出すような、そんな表情だった。
「貴方ハ私ヲ捨テタッ!」
こんな風に怒りたくはなかった。
誇り高く生きていたかった。
あの人のように──。
だが胸の苦しみは増していく。
怒りと悲しみの区別が付かない。
だからまた玲華の頬を叩いた。
感情のままに泣き喚いた。
しかし力が入らず、海に沈んだ視界も不鮮明で、頬を叩くことすらも難しい。だからサラはめちゃくちゃになった。めちゃくちゃになって玲華の全身をペシペシと殴った。
「捨テタクセニッ! 捨テタクセニッ! 私ヲ捨テタクセニッ! 私ヲッ……私ヲッ……! ドウシテ……私ヲ……。ワ、私ガ、愚カ者ダッタカラ捨テタノデスカ? 馬鹿ダッタカラ捨テタノデスカ? 出来損ナイダッタカラ捨テタノデスカ?」
「ま、待て! それは違う!」
「私ハ貴方ニ捨テラレタ。愚カ者ダッタカラ捨テラレタ。馬鹿ダッタカラ捨テラレタ。デモ……デモ信ジテイタ! 馬鹿ダカラ待ッテシマッタ! 出来損ナイダカラ忘レラレナカッタ! マタ捨テラレルノニ、ドウセ一人ニナルノニ、愚カ者ダカラ貴方ヲ信ジテシマッタッ!」
「違う!」
魔女の叫びが夜を木霊する。
ギュッと、正面から、泣き叫ぶ彼女を抱きしめる。
「違う! 違うんだ! ベアトリーチェ、聞いてくれ!」
「離セ! 私ハ捨テラレタンダ! 私ハ愚カ者ダッタンダ!」
「失言だった。済まなかった。愚か者は私だった」
サラは子供のように暴れた。
そんな彼女の絶叫に玲華も涙が止まらなくなった。
「済まなかった。済まなかった。ベアトリーチェ、本当に済まなかった」
人の世が続く限り永劫の時を生きられる魔女。
その大半は、わずか数世代の生まれ変わりの後、自らの命を絶った。
それは別れに耐えられなかったから。退屈に嫌気がさしたから。新たな世界を享受できなかったから。積み重なる記憶に疲れ果ててしまったから──。
魔女の心と体は人間とそれほど変わりなかった。
もちろん生まれ変わりを繰り返そうとする者もいる。本物の魔女と呼べるのは数百年の時を超えた者のみであろう。それでも一千年の時を越えて生きる魔女はほとんどいなかった。そこまで生きる理由がない。いくら体が変わろうとも心が耐えられない。やがて魂が生を拒絶する。生き続けることに苦痛を覚える。
始まりの魔女と呼ばれる者たちがいた。
それは二千年の時を越えた魔女だった。
彼女たちは魔女の中でも畏敬の存在だった。二千年という果てない時の末に得られた知識と力は他の魔女と一線を画す。そんな始まりの魔女を恐れる者がいて、あり得ないと眉を顰める者もいる。それほど長き時を生き続けるのはもはや拷問に近い。二千年の時を越える理由など誰にも思い浮かばなかった。
私には使命がある──。
それが始まりの魔女の口癖だった。彼女たちは二千年前のとある約束に生かされていた。
「済まなかった、ベアトリーチェ、お前の言う通りだ、私はお前を捨てた。あんな時代に、あんな状況で、愚かにも私は、まだ幼いお前を捨てた。大馬鹿者は私だった。本当に救いようがない。私こそがとんでもない愚か者だった」
果てない時を越えた。限りない苦痛に耐えた。止めどない別れを受け入れた。そうして終わりない世を生き続けた。
「ああ、なんと愚かな女だ。なんと滑稽な女だ。私はただ生きただけの女だった。ただ生きて、生きて生きて生きて生きて、生き続けた。一体何のために──ここまで来た。ここまで生きた。私は全てを忘れていた。なんと……なんと馬鹿な女だ。なんと救いようのない女だ。生き続ける理由は何だったのか。そんなことすらも思い出せない。なんと愚かな……。もっと早くに気付くべきだった。もっと早くに終わらせるべきだった」
「ソレデモ貴方ハ生キルノデショウ」
サラがそっと呟いた。
二人はもう泣いていなかった。
ただ青い瞳の魔女は、黒い瞳の魔女の美しい黒髪に、ジッと顔を埋めていた。
「貴方ハ生キル、ダッテ貴方ハ魔女ダカラ」
「……君も魔女だろう」
「私ハ魔女ジャナイ、私ハ人間デモナイ」
極寒の風が向きを変える。冷たい雪が吹き込んでくる。暖かな教室が白い影に埋め尽くされていく。
「私ハ何者デモナカッタ。タダ誰カノ背中ヲ追イカケルダケノ存在。私ハ影ダッタ」
「君は魔女だ。そして君は人間だ。君はどちらも愛することが出来るし、どちらも憎むことが出来る。悲しみに正直だし、喜びに忠実だ。怒りを隠そうとしない、涙を躊躇うこともない。君の笑顔は自然なんだ。君の愛は本物なんだ。何より君は若い。君はこれから沢山のものに出会うだろう、多くのもの触れるだろう、数えきれない悲しみを見るだろう、抱えきれない喜びを知るだろう」
「私ハ……私ハ、貴方ノ事ヲアマリ知ラナイ」
「それは知らなくてもいい。私はただの魔女だ。ただ生き過ぎただけの女だ」
「貴方ガ誰カナド関係ナイ。タダ知リタイノデス。ダッテ信ジタカラ。貴方ノコトヲ知ッテ、今度ハ貴方ノ隣ニ立チタイ」
二人の魔女は視線を合わせた。
黒い瞳が宝石のようなサファイヤの瞳と重なる。
黒い髪が絹糸のようなブロンドの髪と絡まる。
そんな夜の校舎が白い影に埋め尽くされていく。
極寒の吹雪が二人を包んでいく。
「……煩わしい雪め」
玲華はスッと右手を上げた。その指先が太陽のようにパアッと輝く。すると吹雪が止まる。流れ込む雪の結晶、その一つ一つが夜の教室に浮かんだまま漂い、月の光をキラキラと反射させる。玲華はさらに腕を振った。春風が校舎を流れると、吹雪とは逆の方向に向かって、雪が押し返されていった。
「これは……確かに、魔女の力ではないな」
「ダカラ言ッタデショウ」
玲華は思わず頬を緩める。ざらざらと蠢く夜の雪を見下ろすと、サラに向かって頭を下げた。
「ベアトリーチェ、いいや、サラ、本当に済まなかった。私はお前を見捨てた。さらに許されざる暴言まで吐いてしまった」
「モウ怒ッテイマセン。貴方ノ隣ニ立ツト決メタノデス。ケレド約束シテクダサイ。貴方ノ全テヲ教エテ下サルト」
「ああ、約束しよう。だが、その前にやらなければいけない事がある」
「エエ、私モ使命ヲ果タサネバ」
「……問題はロキサーヌだ」
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