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【最終話.婚約打診】
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さて、一方こちらはグルーバー公爵邸。
いきなり王宮の会食の席に飛び込んだりしたことで父親にたっぷり叱られたリーアンナだったが、ニセモノ聖女の件は無事に解決したので、ちょっとのんびりした日々を過ごしていた。
長椅子に深く腰掛け、メシャを相手にどうでもいい話をしていたのだが、急に父が戸惑った顔で部屋に入ってきたので、リーアンナは驚いた。
「どうしました?」
「おい、リーアンナ。婚約の話が来てるんだが……」
グルーバー公爵は信じられないといった顔をした。
「あ、お父様! ええと、ウォーレスのことですわよね?」
とリーアンナが確認すると、グルーバー公爵はもっと複雑な顔をした。
「うん。それともう一人」
「え? ウォーレスともう一人?」
リーアンナも怪訝そうな顔をした。心当たりはまったくない。
「誰ですか?」
「エルンスト殿だ」
「エルンスト様!?」
リーアンナは思わず叫んだ。
グルーバー公爵は娘の驚きは当然と大きく頷いた。
「婚約者だったイェレナ嬢と婚約破棄していたろう。で、どうする?」
「あ、ええと……」
リーアンナは歯切れの悪い言い方をした。ウォーレスとは婚約してしまっているので選択肢は一つしかない。けれどもエルンスト様が……?
父親は柔らかい目でリーアンナを見た。
「おまえは自分の気持ちに素直になったらいいよ。父だって気付いているよ。おまえはエルンスト殿を目で追っていただろう。好きなんじゃないのかね」
「わああ~お父様にまで気づかれてた!?」
リーアンナが思わず赤面すると、グルーバー公爵は、
「皆気づいてると思うが」
と反論した。
リーアンナはぎくっとする。
ウォーレスやバートレットの忠告は間違ってなかった! 中央の貴族が皆自分のエルンストへの気持ちを知っていたのだとしたら、確かに無防備にエルンストの件に首を突っ込むわけにはいかなかった!
あ、いや、でも、今はそんな話ではなくて……。
「あ、で、でも、実は婚約の件は、もう決まっていて……」
リーアンナはもじもじと父に報告しようとした。
「決まってる?」
父がそう聞き返したとき。そこへウォーレスが速足で入ってきた。
「リーアンナ! エルンストが婚約打診してきたって本当?」
「あ、ウォーレス……!」
変なタイミングでウォーレスが入ってきたことにリーアンナはドギマギした。
エルンスト様の件、怒っているのかしら? ウォーレスを怒らせたくはない。
ウォーレスを案内した執事が申し訳なさそうに扉のとこで突っ立っている。
そのときグルーバー公爵がウォーレスを咎めた。
「こらウォーレス。いくら幼馴染だからって、こんな繊細な話をしているときに堂々と入って来るんじゃないよ」
グルーバー公爵が目に入っていなかったウォーレスは、ようやくグルーバー公爵の存在に気づいて背筋を正した。
「あ、これは、お父さん!」
「まだお父さんと呼ばれる筋合いはない」
「あ、じゃあグルーバー公爵! 僕とリーアンナは婚約してるんですよ。だからエルンストだなんてやめてください」
そこへリーアンナが口を挟む。
「ウォーレス、なんでエルンスト様が私に婚約打診してきたことを知ってるの?」
「エルンストから手紙が来たんだよ!」
ウォーレスは、上質な紙に美しい字で書かれた手紙をリーアンナに見せる。
その手紙はこんな内容だった。
『イェレナとは婚約破棄となった。自分はこれまでルシルダを認められないという思いでやってきたが、同時に王太子に婚約破棄されたリーアンナのことも気の毒に思っていた。リーアンナは王太子との婚約破棄のあと、浮いた話が一つもない。こうして自分もフリーになったことだし、リーアンナ嬢をもらってやろうと思う。これですべては丸く収まると思う。君には世話になったことだし、リーアンナと幼馴染のようだから先に伝えておこう。祝福してくれるね?』
「丸く収まるか!」とウォーレスは手紙を引きちぎらんばかりに怒っている。
「ちょっとちょっとウォーレス、怒り過ぎよ。エルンスト様は私とウォーレスの婚約のことは知らないだけでしょ」
リーアンナがウォーレスを落ち着かせようと言うと、ウォーレスは勢いでリーアンナに駆け寄り手を取った。
「そりゃそうだけど。リーアンナ、まさかエルンストを選ぶなんてしないよな! 僕たち約束したよね? そりゃバタバタしてて婚約の書面はまだだったけど!」
そこへエルンストが息せき切って入ってきた。
「ちょっと、ウォーレスと婚約してるって本当なんですか、リーアンナ?」
それからリーアンナの父を目に止めて、無礼を恥じ、あわてて姿勢を正すと、「あ、ああ、いらしたんですか、グルーバー公爵」と挨拶をした。
「これはエルンスト殿。すみません、何やら手違いがあって、エルンスト殿の他にリーアンナの幼馴染のウォーレス殿も婚約を打診してきてましてね」
グルーバー公爵はこのカオスな状況にすっかり気圧されていた。
「あ、すみません、ウォーレスからリーアンナと婚約しているからという急な便りをもらいまして、それで飛んできました。ええっと、ウォーレスはリーアンナに婚約を打診……。ということは、まだ婚約はしていないということでしょうか」
エルンストが確認しようとすると、ウォーレスがキッとエルンストを睨んだ。
「でも、リーアンナと婚約の話はすでにしていて、決まっていることなんだ! だからエルンストが今から横入りしてくるのはちょっと」
「そうなの? リーアンナ」
エルンストがリーアンナに確認する。
「あ、は、はいまあ」
とリーアンナが頷くと、エルンストは途端に顔を曇らせた。
「そうか。私の方が横入りだったのですね。でも、ウォーレス。君はリーアンナが王太子から婚約破棄されたときとうしてすぐに婚約しなかったんですか? なんで2年も放っておいたのです?」
「? エルンスト?」
ウォーレスが問いかけの意味が分からず訝し気にエルンストを見つめていると、
「リーアンナが私を好きだったから? 気が引けた?」
とエルンストが言った。
「ちょっとエルンスト様! 何を仰ってるの? 知ってて?」
リーアンナが真っ赤になる。
そんなリーアンナをエルンストは微笑ましく眺めた。
「ええ、知ってました。ずっと私のこと見てましたよね。私も婚約者がいたので気持ちに応えることはできませんでしたが。まあ、イェレナの不貞のことはうすうす気づいていましたので、婚約破棄したらあなたをもらって差し上げようと思ってました」
「そ、そうだったんですか! き、気付かれてたー」
とリーアンナが恥ずかしそうに頭を掻くと、エルンストは当たり前ですといった顔をした。
「というか、あんなに好意を寄せてもらって、こちらも気になりますよ。イェレナがいたので自制心を保つのがたいへんでした」
エルンストはそっとリーアンナに近づき、それからゆっくりと背を屈めて顔を覗き込もうとした。甘い目。リーアンナはドキドキして息がとまりそうになった。
リーアンナの傍にいたウォーレスは、慌てて身を乗り出すと、二人の間に割って入った。
「ちょっと! 何してるんですかエルンスト! 僕たちは婚約してるって言っただろ!」
「でも書面はまだなんですよね?」
「でも約束してるんだ。ちょっとリーアンナからもちゃんと言って。ちょ、ちょっと、リーアンナ!? 何をぽーっとしてるの?」
ウォーレスはリーアンナの肩を軽く揺さぶる。
今度はウォーレスはグルーバー公爵を振り返った。
「グルーバー公爵! エルンストはイェレナと婚約破棄したばっかりですよ、すごいスキャンダルです。僕の方がよっぽど清廉潔白! ただでさえリーアンナは王太子との婚約破棄されて家名が汚されているんだ、これ以上のスキャンダルは嫌ですよね? 幼馴染なんだし、僕がリーアンナを守ります!」
「た、確かに! これ以上のスキャンダルは嫌だなあ。その点ウォーレスはいちおう国の代表で隣国に派遣されるくらいのエリートだし。リーアンナとは気心知れた仲だろうから、もちろん文句などない」
グルーバー公爵は、ウォーレスの言い分に納得するように小さく頷いた。
「ですよね、お父さん!」
ウォーレスはほっとする。
そこへエルンストが真面目な顔で深々と頭を下げた。
「グルーバー公爵。私にもチャンスをください。確かに私はイェレナと婚約破棄したばかり。イェレナに恋人がいると言うのも、早めに手を打たなかった私の落ち度でもある、それは認めます。しかし、そのイェレナとはきっぱり縁を切った。私は晴れて自由の身です。リーアンナは私を想ってくれている。リーアンナを幸せにできるかどうか、見極めてください。時間を少しください!」
「だからエルンスト、僕はリーアンナと婚約してるんだって!」
ウォーレスが抗議の声を上げたが、エルンストはそれを手で制した。
「それも分かった。でも君だって、リーアンナが別の男を好きなまま結婚する気はないんでしょう? 本当の意味で選んでもらわなきゃ意味がないんじゃないですか。もしリーアンナが本当の意味で君を選ぶなら、私はきっぱりと手を引きますよ」
「なんだよエルンスト。けっこうリーアンナのこと本気だったってこと?」
ウォーレスの額を汗がつ―っと流れた。その顔は険しかった。
エルンストの言うことはその通りだ。ウォーレスは汚い交換条件で釣ってリーアンナと婚約した。それを気にしてもいた。だから、本当の意味で選んでもらわなきゃというのはその通りだ。
「ふ、ふむ」
グルーバー公爵はコホンと咳払いをして、二人の青年の強い熱意にあてられたように一歩後ずさりしながら、
「私は、そのへんのことはリーアンナに任せるよ。そりゃね、王太子に婚約破棄された時点でうちも傷物だ。本当なら、リーアンナを幸せにしてくる者なら誰でもいいんだ。じゃ、ま、君たちで決着をつけてくれたまえ」
そう言ってグルーバー公爵は逃げるように席を外した。
取り残された3人は気まずそうな顔でお互いを見渡した。
「ええと」
リーアンナはおずおずとためらいがちに口を開いた。
リーアンナはどう答えてよいか分からず顔を真っ赤にして下を向いた。
リーアンナはエルンストが好きだった。
でも、交換条件とはいえウォーレスと婚約することになって、そしてウォーレスと接しているうちにウォーレスのことが胸を占めるようになってきていた。
まだエルンストのことも完全に吹っ切れているわけではないとはいえ、もうだいぶ自分はウォーレスと結婚する気でいた……。つまりそういうことだ……。
あとは、ぼんやり目覚め始めた新しい気持ちに確信が持てれば。決心するだけ。後悔のないように。
でも、いまここで返事をするのは……。
いや、でも……言わないと……ウォーレスがきっと悲しむ……。
リーアンナはおずおずと顔をあげ、小さい声で言いかけた。
「わ、私はウォーレス……」
しかし同時に、ウォーレスが、リーアンナが何とも答えづらそうな雰囲気なのを見て心が痛んだのと、エルンストもいるこの状況でリーアンナがどちらかを選ぶという雰囲気に耐えられず、声を上げていた。
「ごめん、リーアンナ。今返事をしろってわけじゃない」
ウォーレスなりの配慮だった。
エルンストもハッとした。
「すみません、私も少し感情的になってしまいました。リーアンナを妻にもらおうと思っていましたが、状況が以前とは少し違っていることもよく分かりました。本来なら婚約しているなら私の横入りなんか認められるわけがないんでしょうけど、婚約の書面を交わしていないというなら……ぎりぎりまだ私も選択肢に入れてもらえるということでしょうかね。でも……あなたはだいぶ気持ちが変わってウォーレスに……あ、いや、余計なことは言いますまい。ゆっくり考えて結論を出したらいいですよ、リーアンナ」
すると、ウォーレスがいきなりがらりと口調を変えて言った。
「この話は一旦ここでやめよう。当事者が3人揃ってする話じゃない。リーアンナが困るだけだ。ええと、他にもまだ重要な任務があるから、その話をしようか。バートレットとセレステをくっつけるって話なんだけどさ。まずは、リーアンナ。ココちゃんに会いにいくついでに、セレステにバートレットの噂話でもしてみない?」
リーアンナは、当事者の前で選択を強要されたのがつらかったので、ほっとした目になった。
ウォーレスはリーアンナの表情が柔らかくなったので少しだけ安堵したが、それは表に出さずに、今度はエルンストの方をちらっと見た。
「あ、エルンスト、おまえも手伝えよ? 飛び道具に使えそうだ」
エルンストはいきなり話題が変わったのでぽかんとしたが、場の空気が和らいだのには賛成で、ひとまずウォーレスの話に乗った。
「バートレットとセレステ嬢をくっつけるんですか? 肝心の二人の気持ちは?」
「大丈夫、たぶん両想いだから」
とウォーレスは言った。それから場をもたせるために、言葉を続けた。
「僕はね、バートレットもセレステも本当に大事な友達なんだ。セレステがブローデって奴と婚約して、すぐに調べたね、そいつのこと。隣国行ってそういうのは得意になってたから。そしたら何か交友関係が不穏だろ、何が何でも帰って来なくちゃって思って。帰国許可がなかなか出なくて焦ったけど」
「やっぱり目的があって帰ってきてたんですね。君みたいな男、今回偶然にも私の件を手伝ってくれることになりましたけど、何者かと思ってました」
とエルンストが探る目で聞いた。
「はは」
とウォーレスは笑った。
「僕はただセレステにはバートレットが相応しいと思ってるだけだよ。そして僕も婚約者がほしかったから帰国はちょうどよかった。――その婚約者候補は僕に絶対バレたくない秘密を持ってるみたいだけど。リーアンナのあの情報力……、なんだろうね?」
ウォーレスの言葉は最後の方は独り言のようになっていた。
ウォーレスは慈愛だけではない瞳でリーアンナをちらりと見た。そしてこっそりため息をついた。
まあ、なんであろうと、すべて受け入れる覚悟はあるのだけど、とウォーレスは思った。
リーアンナがさっき答えかけた名前。
自分たちはこれからだとウォーレスは希望を胸に思った。
(終わり)
いきなり王宮の会食の席に飛び込んだりしたことで父親にたっぷり叱られたリーアンナだったが、ニセモノ聖女の件は無事に解決したので、ちょっとのんびりした日々を過ごしていた。
長椅子に深く腰掛け、メシャを相手にどうでもいい話をしていたのだが、急に父が戸惑った顔で部屋に入ってきたので、リーアンナは驚いた。
「どうしました?」
「おい、リーアンナ。婚約の話が来てるんだが……」
グルーバー公爵は信じられないといった顔をした。
「あ、お父様! ええと、ウォーレスのことですわよね?」
とリーアンナが確認すると、グルーバー公爵はもっと複雑な顔をした。
「うん。それともう一人」
「え? ウォーレスともう一人?」
リーアンナも怪訝そうな顔をした。心当たりはまったくない。
「誰ですか?」
「エルンスト殿だ」
「エルンスト様!?」
リーアンナは思わず叫んだ。
グルーバー公爵は娘の驚きは当然と大きく頷いた。
「婚約者だったイェレナ嬢と婚約破棄していたろう。で、どうする?」
「あ、ええと……」
リーアンナは歯切れの悪い言い方をした。ウォーレスとは婚約してしまっているので選択肢は一つしかない。けれどもエルンスト様が……?
父親は柔らかい目でリーアンナを見た。
「おまえは自分の気持ちに素直になったらいいよ。父だって気付いているよ。おまえはエルンスト殿を目で追っていただろう。好きなんじゃないのかね」
「わああ~お父様にまで気づかれてた!?」
リーアンナが思わず赤面すると、グルーバー公爵は、
「皆気づいてると思うが」
と反論した。
リーアンナはぎくっとする。
ウォーレスやバートレットの忠告は間違ってなかった! 中央の貴族が皆自分のエルンストへの気持ちを知っていたのだとしたら、確かに無防備にエルンストの件に首を突っ込むわけにはいかなかった!
あ、いや、でも、今はそんな話ではなくて……。
「あ、で、でも、実は婚約の件は、もう決まっていて……」
リーアンナはもじもじと父に報告しようとした。
「決まってる?」
父がそう聞き返したとき。そこへウォーレスが速足で入ってきた。
「リーアンナ! エルンストが婚約打診してきたって本当?」
「あ、ウォーレス……!」
変なタイミングでウォーレスが入ってきたことにリーアンナはドギマギした。
エルンスト様の件、怒っているのかしら? ウォーレスを怒らせたくはない。
ウォーレスを案内した執事が申し訳なさそうに扉のとこで突っ立っている。
そのときグルーバー公爵がウォーレスを咎めた。
「こらウォーレス。いくら幼馴染だからって、こんな繊細な話をしているときに堂々と入って来るんじゃないよ」
グルーバー公爵が目に入っていなかったウォーレスは、ようやくグルーバー公爵の存在に気づいて背筋を正した。
「あ、これは、お父さん!」
「まだお父さんと呼ばれる筋合いはない」
「あ、じゃあグルーバー公爵! 僕とリーアンナは婚約してるんですよ。だからエルンストだなんてやめてください」
そこへリーアンナが口を挟む。
「ウォーレス、なんでエルンスト様が私に婚約打診してきたことを知ってるの?」
「エルンストから手紙が来たんだよ!」
ウォーレスは、上質な紙に美しい字で書かれた手紙をリーアンナに見せる。
その手紙はこんな内容だった。
『イェレナとは婚約破棄となった。自分はこれまでルシルダを認められないという思いでやってきたが、同時に王太子に婚約破棄されたリーアンナのことも気の毒に思っていた。リーアンナは王太子との婚約破棄のあと、浮いた話が一つもない。こうして自分もフリーになったことだし、リーアンナ嬢をもらってやろうと思う。これですべては丸く収まると思う。君には世話になったことだし、リーアンナと幼馴染のようだから先に伝えておこう。祝福してくれるね?』
「丸く収まるか!」とウォーレスは手紙を引きちぎらんばかりに怒っている。
「ちょっとちょっとウォーレス、怒り過ぎよ。エルンスト様は私とウォーレスの婚約のことは知らないだけでしょ」
リーアンナがウォーレスを落ち着かせようと言うと、ウォーレスは勢いでリーアンナに駆け寄り手を取った。
「そりゃそうだけど。リーアンナ、まさかエルンストを選ぶなんてしないよな! 僕たち約束したよね? そりゃバタバタしてて婚約の書面はまだだったけど!」
そこへエルンストが息せき切って入ってきた。
「ちょっと、ウォーレスと婚約してるって本当なんですか、リーアンナ?」
それからリーアンナの父を目に止めて、無礼を恥じ、あわてて姿勢を正すと、「あ、ああ、いらしたんですか、グルーバー公爵」と挨拶をした。
「これはエルンスト殿。すみません、何やら手違いがあって、エルンスト殿の他にリーアンナの幼馴染のウォーレス殿も婚約を打診してきてましてね」
グルーバー公爵はこのカオスな状況にすっかり気圧されていた。
「あ、すみません、ウォーレスからリーアンナと婚約しているからという急な便りをもらいまして、それで飛んできました。ええっと、ウォーレスはリーアンナに婚約を打診……。ということは、まだ婚約はしていないということでしょうか」
エルンストが確認しようとすると、ウォーレスがキッとエルンストを睨んだ。
「でも、リーアンナと婚約の話はすでにしていて、決まっていることなんだ! だからエルンストが今から横入りしてくるのはちょっと」
「そうなの? リーアンナ」
エルンストがリーアンナに確認する。
「あ、は、はいまあ」
とリーアンナが頷くと、エルンストは途端に顔を曇らせた。
「そうか。私の方が横入りだったのですね。でも、ウォーレス。君はリーアンナが王太子から婚約破棄されたときとうしてすぐに婚約しなかったんですか? なんで2年も放っておいたのです?」
「? エルンスト?」
ウォーレスが問いかけの意味が分からず訝し気にエルンストを見つめていると、
「リーアンナが私を好きだったから? 気が引けた?」
とエルンストが言った。
「ちょっとエルンスト様! 何を仰ってるの? 知ってて?」
リーアンナが真っ赤になる。
そんなリーアンナをエルンストは微笑ましく眺めた。
「ええ、知ってました。ずっと私のこと見てましたよね。私も婚約者がいたので気持ちに応えることはできませんでしたが。まあ、イェレナの不貞のことはうすうす気づいていましたので、婚約破棄したらあなたをもらって差し上げようと思ってました」
「そ、そうだったんですか! き、気付かれてたー」
とリーアンナが恥ずかしそうに頭を掻くと、エルンストは当たり前ですといった顔をした。
「というか、あんなに好意を寄せてもらって、こちらも気になりますよ。イェレナがいたので自制心を保つのがたいへんでした」
エルンストはそっとリーアンナに近づき、それからゆっくりと背を屈めて顔を覗き込もうとした。甘い目。リーアンナはドキドキして息がとまりそうになった。
リーアンナの傍にいたウォーレスは、慌てて身を乗り出すと、二人の間に割って入った。
「ちょっと! 何してるんですかエルンスト! 僕たちは婚約してるって言っただろ!」
「でも書面はまだなんですよね?」
「でも約束してるんだ。ちょっとリーアンナからもちゃんと言って。ちょ、ちょっと、リーアンナ!? 何をぽーっとしてるの?」
ウォーレスはリーアンナの肩を軽く揺さぶる。
今度はウォーレスはグルーバー公爵を振り返った。
「グルーバー公爵! エルンストはイェレナと婚約破棄したばっかりですよ、すごいスキャンダルです。僕の方がよっぽど清廉潔白! ただでさえリーアンナは王太子との婚約破棄されて家名が汚されているんだ、これ以上のスキャンダルは嫌ですよね? 幼馴染なんだし、僕がリーアンナを守ります!」
「た、確かに! これ以上のスキャンダルは嫌だなあ。その点ウォーレスはいちおう国の代表で隣国に派遣されるくらいのエリートだし。リーアンナとは気心知れた仲だろうから、もちろん文句などない」
グルーバー公爵は、ウォーレスの言い分に納得するように小さく頷いた。
「ですよね、お父さん!」
ウォーレスはほっとする。
そこへエルンストが真面目な顔で深々と頭を下げた。
「グルーバー公爵。私にもチャンスをください。確かに私はイェレナと婚約破棄したばかり。イェレナに恋人がいると言うのも、早めに手を打たなかった私の落ち度でもある、それは認めます。しかし、そのイェレナとはきっぱり縁を切った。私は晴れて自由の身です。リーアンナは私を想ってくれている。リーアンナを幸せにできるかどうか、見極めてください。時間を少しください!」
「だからエルンスト、僕はリーアンナと婚約してるんだって!」
ウォーレスが抗議の声を上げたが、エルンストはそれを手で制した。
「それも分かった。でも君だって、リーアンナが別の男を好きなまま結婚する気はないんでしょう? 本当の意味で選んでもらわなきゃ意味がないんじゃないですか。もしリーアンナが本当の意味で君を選ぶなら、私はきっぱりと手を引きますよ」
「なんだよエルンスト。けっこうリーアンナのこと本気だったってこと?」
ウォーレスの額を汗がつ―っと流れた。その顔は険しかった。
エルンストの言うことはその通りだ。ウォーレスは汚い交換条件で釣ってリーアンナと婚約した。それを気にしてもいた。だから、本当の意味で選んでもらわなきゃというのはその通りだ。
「ふ、ふむ」
グルーバー公爵はコホンと咳払いをして、二人の青年の強い熱意にあてられたように一歩後ずさりしながら、
「私は、そのへんのことはリーアンナに任せるよ。そりゃね、王太子に婚約破棄された時点でうちも傷物だ。本当なら、リーアンナを幸せにしてくる者なら誰でもいいんだ。じゃ、ま、君たちで決着をつけてくれたまえ」
そう言ってグルーバー公爵は逃げるように席を外した。
取り残された3人は気まずそうな顔でお互いを見渡した。
「ええと」
リーアンナはおずおずとためらいがちに口を開いた。
リーアンナはどう答えてよいか分からず顔を真っ赤にして下を向いた。
リーアンナはエルンストが好きだった。
でも、交換条件とはいえウォーレスと婚約することになって、そしてウォーレスと接しているうちにウォーレスのことが胸を占めるようになってきていた。
まだエルンストのことも完全に吹っ切れているわけではないとはいえ、もうだいぶ自分はウォーレスと結婚する気でいた……。つまりそういうことだ……。
あとは、ぼんやり目覚め始めた新しい気持ちに確信が持てれば。決心するだけ。後悔のないように。
でも、いまここで返事をするのは……。
いや、でも……言わないと……ウォーレスがきっと悲しむ……。
リーアンナはおずおずと顔をあげ、小さい声で言いかけた。
「わ、私はウォーレス……」
しかし同時に、ウォーレスが、リーアンナが何とも答えづらそうな雰囲気なのを見て心が痛んだのと、エルンストもいるこの状況でリーアンナがどちらかを選ぶという雰囲気に耐えられず、声を上げていた。
「ごめん、リーアンナ。今返事をしろってわけじゃない」
ウォーレスなりの配慮だった。
エルンストもハッとした。
「すみません、私も少し感情的になってしまいました。リーアンナを妻にもらおうと思っていましたが、状況が以前とは少し違っていることもよく分かりました。本来なら婚約しているなら私の横入りなんか認められるわけがないんでしょうけど、婚約の書面を交わしていないというなら……ぎりぎりまだ私も選択肢に入れてもらえるということでしょうかね。でも……あなたはだいぶ気持ちが変わってウォーレスに……あ、いや、余計なことは言いますまい。ゆっくり考えて結論を出したらいいですよ、リーアンナ」
すると、ウォーレスがいきなりがらりと口調を変えて言った。
「この話は一旦ここでやめよう。当事者が3人揃ってする話じゃない。リーアンナが困るだけだ。ええと、他にもまだ重要な任務があるから、その話をしようか。バートレットとセレステをくっつけるって話なんだけどさ。まずは、リーアンナ。ココちゃんに会いにいくついでに、セレステにバートレットの噂話でもしてみない?」
リーアンナは、当事者の前で選択を強要されたのがつらかったので、ほっとした目になった。
ウォーレスはリーアンナの表情が柔らかくなったので少しだけ安堵したが、それは表に出さずに、今度はエルンストの方をちらっと見た。
「あ、エルンスト、おまえも手伝えよ? 飛び道具に使えそうだ」
エルンストはいきなり話題が変わったのでぽかんとしたが、場の空気が和らいだのには賛成で、ひとまずウォーレスの話に乗った。
「バートレットとセレステ嬢をくっつけるんですか? 肝心の二人の気持ちは?」
「大丈夫、たぶん両想いだから」
とウォーレスは言った。それから場をもたせるために、言葉を続けた。
「僕はね、バートレットもセレステも本当に大事な友達なんだ。セレステがブローデって奴と婚約して、すぐに調べたね、そいつのこと。隣国行ってそういうのは得意になってたから。そしたら何か交友関係が不穏だろ、何が何でも帰って来なくちゃって思って。帰国許可がなかなか出なくて焦ったけど」
「やっぱり目的があって帰ってきてたんですね。君みたいな男、今回偶然にも私の件を手伝ってくれることになりましたけど、何者かと思ってました」
とエルンストが探る目で聞いた。
「はは」
とウォーレスは笑った。
「僕はただセレステにはバートレットが相応しいと思ってるだけだよ。そして僕も婚約者がほしかったから帰国はちょうどよかった。――その婚約者候補は僕に絶対バレたくない秘密を持ってるみたいだけど。リーアンナのあの情報力……、なんだろうね?」
ウォーレスの言葉は最後の方は独り言のようになっていた。
ウォーレスは慈愛だけではない瞳でリーアンナをちらりと見た。そしてこっそりため息をついた。
まあ、なんであろうと、すべて受け入れる覚悟はあるのだけど、とウォーレスは思った。
リーアンナがさっき答えかけた名前。
自分たちはこれからだとウォーレスは希望を胸に思った。
(終わり)
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『やりたくないからやらないだけ 〜自分のために働かない選択をした元貴族令嬢の静かな失踪〜』
鷹 綾
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「やりたくないから、やらないだけですわ」
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