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奇妙な出会い
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ミカイルが学園へ行ってから早数ヶ月、僕の元には宣言通り、彼からの手紙が毎日忘れず届いていた。
しかし、その内容についてはほとんどが僕との思い出話ばかりで、肝心の学園に関してはあまり書かれていない。せっかくだから学園での話を聞かせてくれと返事を出したら、ならユハももっと手紙を書いてほしいという不満で埋め尽くされた文が頻りに届くようになった。
これでも頑張ってる方だと思っていたのに、ミカイルにとってはまだまだ足りないらしい。
手紙には必ず僕に会いたい、帰りたいという言葉が綴られていて、新天地で過ごす彼の寂しさを感じさせられた。
だから僕もできるだけ毎日頭を捻らせて手紙を書くようになると、ミカイルからも時々、その日食べた食堂のメニューや、面白かった授業の話などが書かれるようになった。
このまま手紙のやり取りをしていれば、寂しさもいつか消え失せるだろう。ただ、卒業する頃にはミカイルの手紙で部屋を埋め尽くされそうなのが唯一の懸念点だった。
「「ユハン、お誕生日おめでとう!」」
今日は僕の15回目の誕生日。
朝起きると母さんと父さんが、いの一番に祝ってくれる。毎年の習慣だ。
二人に感謝をして水を飲みにキッチンへ行けば、執事のトールがちょうど朝食を作っているところに出くわした。
「お坊っちゃま、15歳のお誕生日おめでとうございます」
「もうお坊っちゃまなんて呼ぶのはやめてくれ。僕はもう15歳なんだ」
「ほっほっほっ。それは失礼いたしました、ユハン様」
トールが茶目っ気に僕を見て笑う。それに少しムッとしながら水を飲んだ。
けれど心の中は、彼が我が家に残ってくれて本当によかったという想いでいっぱいだった。
あの事件以降、最低限いた使用人の数は更に減ってしまい、今や祖父の代から勤めてくれているトールしかいない。僕の誕生日は毎年、小規模ながらも家族と使用人達によってパーティーを開いてもらっていたから、どうしても寂しさを感じてしまう。
いつも祝いに来てくれるミカイルも今年はいないのだ。
それでも両親やトールには心配をかけさせたくなくて、態度にはなるべく出さずにいようと心掛けていれば、父さんが街へプレゼントを買いに出掛けようと誘ってくれた。はたして僕の気持ちに気づいたからなのかは分からないが、僕は出掛けるのが好きなので、即座に行きたいと返事をした。
母さんは毎年僕の誕生日にケーキを作ってくれるから、それの準備のために留守番をするみたいだ。
父さんと二人、馬車へ乗り込むと、母さんが手を振って見送ってくれる。
行き先は、ここから三時間程で着くザイフロンという街。大都会というわけではないものの、隣国から来る商人も多く、常に活気があって僕は好きだった。
楽しみだな、と思いながら馬車が動き始めるのを感じる。すると、父さんがそわそわとした様子でこちらを伺っているのが視界に入った。
「ユハン、何か欲しいものは思い付いた?今日は誕生日だからね、欲しいものがあれば何でも言ってごらん」
優しげに微笑んだ父さんがそう言う。
しかし、何でもとは言ってもあまり贅沢はできないことは分かっていた。
それでも父さんの気遣いを無駄にはしたくなくて、何か良い案はないか考える。なるべく高くなくて、常用できる物……。
「あ」
「思いついた?」
「ペン……、ペンが欲しい」
「ペン?そんなものでいいの?」
「ああ。最近ミカイルに沢山手紙を書いているんだけど、僕にはあまり合ってないみたいで手が痛くなるんだ。だから、書きやすいペンが欲しい」
「そっか。…それなら、いい店を知ってるんだ。そこでユハンの手に合った特注の物を作ろう」
父さんが納得したように大きく頷く。別に特注のものじゃなくてもいいのだが、意気込んだ父さんを前にしてそんなことは言えなかった。
それに、僕が遠慮していることを知ったら父さんはきっと悲しんでしまうだろう。ここは子供らしく、僕も甘えることにした。父さんの喜ぶ姿を僕も見たかったのだ。
ザイフロンへ着くと、父さんに案内され早速店へと向かった。
大通りから少し外れた場所にあるその店は、アンティーク調のお洒落な外観をしている。
ちょうど中から人が出てくるのが見え、父さんがぶつからないよう端へ避けたのに気付き、僕もそれに続こうとした。が、店から出てきた人物を見て思わず足が止まってしまう。
非常に端正な顔立ちをした、僕よりも僅かに年上に見える青年。僕はミカイル以上に綺麗な人間とこの先会うことはないだろうと思っていたのだが、そんな彼とも張り合えるくらい目を引く男だった。
しかし、僕が驚いたのはそれだけではない。彼は、黒曜石のような深く光沢のある黒髪を肩まで伸ばし、薄く色づくルビーのような赤い瞳をしていたのだ。
黒髪は、王族の象徴であり、同時に魔力持ちであることの証明も併せ持つ。
この王国にも魔法というものは存在して、魔力を持っているのは王族とその血縁者のみだった。それ以外に例外はない。
そんな中でも、赤い瞳を持つ者は魔力が著しく高いと言われており、それが当てはまる人物は今のところ、現国王とその息子である第二王子しかいなかった。
つまり、今目の前にいる青年は僕の推測通りにいくと、年齢的に国王であるはずはないから第二王子でしかない。
何故こんなところに王子がいるのか。お忍びにしては顔も隠さず堂々とした格好に、僕は驚きが隠せなかった。
父さんが動けない僕の手を引いて、道を空ける。
その青年はこちらをちらと見た後、そのまま通りすぎていき、やがて喧騒に紛れると姿は見えなくなった。
「ユハン。ぼーっとしてたけど、どうかしたのか?」
「どうかしたのかって……さっき出てきた男、父さんも見ただろ!?黒い髪に、目の色も赤かった!」
「男?さっきのおじいさんのことか……?それに、黒い髪だなんて、王族の方がこんなところにいるわけがないよ。ユハンの見間違えじゃないのか?」
「…………はっ?」
父さんの言っていることが、まるで信じられなかった。
確かにこの目で僕は青年を見たのだ。しかも、おじいさんだって?どこからどう見てもそんな年には思えなかった。
けれども、父さんが嘘をついているようには見えない。それに、ここでそんな突拍子もない嘘をつくメリットもなかった。
「ごめん父さん。僕、少しだけ見てくる」
「え……?ちょ、ちょっと!どこに行くんだユハン!」
僕はその場から駆け出した。その青年が歩いていった方向は見ていたから、すぐに追い付けると思ったのだ。
しかし、どれだけ探しても再びあの姿を見つけることはできなかった。心配しているだろう父さんのことも気がかりで、あと少しだけ見て帰ろうと足を伸ばす。
そのつかの間の出来事だった。
突如横から腕を捕まれ、そのまま路地裏へと連れ込まれる。急すぎる出来事に僕は声も上げられず、体を固まらせる。声も出ない。誰かが顔を覗き込んでくるのが分かって、必死に瞳を動かした。
「お前、さっきオレを見て驚いてたよな?」
黒髪に、赤い瞳の青年。
その人物は、まさしく僕が今探していた男だった。彼は先程店の前で見たままの姿をしており、やはりおじいさんなどではない。僕の見間違えではなかった。
「あ、あの、貴方は……」
「オレの髪何色に見える?」
「え?……黒、ですよね?」
僕の言葉に青年の赤い瞳が大きく見開かれる。ただ見た通りの答えを言っただけなのだが、彼はとても驚いたらしい。
「おいおい。こんなことってあり得るのか?本当にオレの魔法が効いてないみたいだ」
まさか魔力持ちか?いや、そんなわけないだろ────男はぼそっと呟く。
「あの……、僕の父さんは、貴方を見ておじいさんに見えたと言っていました。でも、僕には全くそう見えないんです」
「ああ、お前のオトウサンが言ってることが正しいよ。お前がオレをちゃんと認識できているのがおかしいんだ。現に、街のヤツらも誰も気づいてないだろ?」
言われてみれば、確かにそうだ。
青年は街の中を普通に歩いていたが、誰一人として彼を見ている人などいなかった。こんなに目立つ容姿をしているのにも関わらず、だ。
「店の前でオレを見て驚いた顔をするから、まさかとは思ってお前を連れてきたんだけど……アタリだったな。今日のオレはツイてる」
目の前の青年は目元を怪しげに光らせると、ニヒルに笑った。
途端、背筋に冷たいものが走って咄嗟に体を押す。発光する足元。不気味な紋様が地面に浮かび上がる。
彼はもう一度僕の腕を掴むと、逸る気持ちを抑えるように告げた。
「よし、善はイソゲだ。行くぞ」
「ちょ、ちょっと待ってください!何してるんですか!?」
「あー?何って……オレの研究室へ行くんだよ。こんな珍しい体質、調べなくちゃもったいない……。ん?お前まさか、テレポートも効かねえのか?」
途中まで意気揚々と喋っていた彼が、驚いたように首を傾げる。僕は怖くなって、逃げようと腕を振り回した。
「おいおい、これじゃ連れて帰れねえじゃん」
「は、離してください!!」
「あ、ちょっと、暴れるなって」
彼は意外と非力なのか、思ったよりも簡単に腕を振りほどくことができた。僕が恐怖で震えていなければ、本当はもっと早く逃げ出せたのかもしれない。
僕は急いで距離を取ると、青年を睨んだ。
「何する気だったんですか!?」
「だぁから、お前をオレの研究室に連れていって調べるって言っただろ!なのに、はぁ……。オレ、こっから馬車で帰るとかムリなんだけど…」
随分とがっかりした様子で肩を落とす。
だがそれも一瞬で、すぐに気を取り直すと今度は彼の足元だけに紋様が浮かんだ。
「まあでも、お前とはまた会える気がするんだよな。オレのカンって当たるし、今日は諦めてやるよ」
「え!?ちょ、ちょっと待って……!」
「またな~」
そのまま彼は手をひらひらと振ると、姿を消した。足元の紋様もなくなっている。
まるで夢のような出来事に、僕は暫く、呆然とその場を見ていることしかできなかった。
結局、彼の正体も、何故僕だけが彼をちゃんと見ることができたのかもよく分からない。
容姿だけで言うならば、彼は第二王子なんだろう。
だがしかし、あんな乱暴な言動を王族がするのか?という疑問もあった。彼の言っていることは何一つとして理解することはできなかったし、僕をどこかに連れていこうとするのも怖かった。
それでも、もしまた会えれば、今度はちゃんと話をしてみたいと思う。そうでなければ、あまりにも不可解すぎる事が多すぎて、この胸のモヤモヤがいつまで経っても取れそうになかった。
「ユハン!いるなら返事してくれー!」
近くで聞こえた僕の名前に、ビクリと体を揺らす。父さんの声だ。
急いで路地裏を出て大通りに戻れば、必死な顔をして僕を探す父さんの姿があった。
「父さん!さっきは一人で走っていってごめん!」
「ユハン……?」
慌てて駆け寄ると、心の底から安心したような表情で父さんは僕を抱き締めた。
「ユハン!良かった、無事で……」
「……心配かけてごめん」
「本当だよ……。心臓に悪いから、もう二度とあんなマネはしないでくれ」
「……うん」
どれほど不安にさせてしまったのか、胸の中が申し訳ない気持ちでいっぱいになる。感情に任せて動いてしまうのは、僕の悪い癖だった。
「でも、何もないみたいでよかったよ。一体どこに行ってたんだ?」
「ちょっと、気になることがあって……」
「さっき店の前で会った人のこと?結局会えたのかい?」
「いや、うーん。やっぱり、僕の見間違えだったみたいだ。…………そんなことより遅くなったけどさ、さっきの店に戻ろうよ」
僕は先ほどの出来事を隠すことにした。多分言ったところで信じてもらえないだろうし、また心配をかけるのも嫌だったのだ。
その後、僕達は店に戻ってオーダーメイドのペンを注文した。
ミカイルの手紙を書くときに使うものだから、柄は彼の瞳によく似た琥珀色のペンにした。なんだか小っ恥ずかしい気もするが、ミカイルにはどうせ知られることもないだろう。
納品は後日になるそうで、店を出るともうすっかり日も暮れ始めていた。
帰宅すると、母さんの手作りのケーキと、トールの作った沢山のご馳走が僕を待っていた。
どれもすごく美味しくて、僕はお腹がいっぱいになるまで食べた。僕に寂しさを感じさせないよう、両親とトールが頑張ってくれたんだと思う。それが感じられただけでもすごく幸せな一日だった。
ミカイルからの手紙も当たり前のように届いていて、お祝いの言葉と共に手作りの押し花の栞が入っていた。花びらの色は奇しくも今日、僕が選んだペンの色と同じだ。
彼は行く前に自分のことだけを考えていて、と言っていたから、わざとミカイルを思い出させるような花を送ってきたのかもしれない。
一体何という花だろうかと気になって母さんに聞けば、ヴェラリール学園に咲いているスイズレクナという名前の花だと言う。何故か母さんはこれを見てクスクスと微笑ましげに笑っていたが、その理由は教えてくれなかった。
どうやら、聞くならミカイルに直接聞いた方がいいらしい。何故そんなに頑ななのか分からなかったが、せっかくなら今日注文したペンが届いた後に、それを使って手紙で聞くことにした。
しかし、その内容についてはほとんどが僕との思い出話ばかりで、肝心の学園に関してはあまり書かれていない。せっかくだから学園での話を聞かせてくれと返事を出したら、ならユハももっと手紙を書いてほしいという不満で埋め尽くされた文が頻りに届くようになった。
これでも頑張ってる方だと思っていたのに、ミカイルにとってはまだまだ足りないらしい。
手紙には必ず僕に会いたい、帰りたいという言葉が綴られていて、新天地で過ごす彼の寂しさを感じさせられた。
だから僕もできるだけ毎日頭を捻らせて手紙を書くようになると、ミカイルからも時々、その日食べた食堂のメニューや、面白かった授業の話などが書かれるようになった。
このまま手紙のやり取りをしていれば、寂しさもいつか消え失せるだろう。ただ、卒業する頃にはミカイルの手紙で部屋を埋め尽くされそうなのが唯一の懸念点だった。
「「ユハン、お誕生日おめでとう!」」
今日は僕の15回目の誕生日。
朝起きると母さんと父さんが、いの一番に祝ってくれる。毎年の習慣だ。
二人に感謝をして水を飲みにキッチンへ行けば、執事のトールがちょうど朝食を作っているところに出くわした。
「お坊っちゃま、15歳のお誕生日おめでとうございます」
「もうお坊っちゃまなんて呼ぶのはやめてくれ。僕はもう15歳なんだ」
「ほっほっほっ。それは失礼いたしました、ユハン様」
トールが茶目っ気に僕を見て笑う。それに少しムッとしながら水を飲んだ。
けれど心の中は、彼が我が家に残ってくれて本当によかったという想いでいっぱいだった。
あの事件以降、最低限いた使用人の数は更に減ってしまい、今や祖父の代から勤めてくれているトールしかいない。僕の誕生日は毎年、小規模ながらも家族と使用人達によってパーティーを開いてもらっていたから、どうしても寂しさを感じてしまう。
いつも祝いに来てくれるミカイルも今年はいないのだ。
それでも両親やトールには心配をかけさせたくなくて、態度にはなるべく出さずにいようと心掛けていれば、父さんが街へプレゼントを買いに出掛けようと誘ってくれた。はたして僕の気持ちに気づいたからなのかは分からないが、僕は出掛けるのが好きなので、即座に行きたいと返事をした。
母さんは毎年僕の誕生日にケーキを作ってくれるから、それの準備のために留守番をするみたいだ。
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行き先は、ここから三時間程で着くザイフロンという街。大都会というわけではないものの、隣国から来る商人も多く、常に活気があって僕は好きだった。
楽しみだな、と思いながら馬車が動き始めるのを感じる。すると、父さんがそわそわとした様子でこちらを伺っているのが視界に入った。
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優しげに微笑んだ父さんがそう言う。
しかし、何でもとは言ってもあまり贅沢はできないことは分かっていた。
それでも父さんの気遣いを無駄にはしたくなくて、何か良い案はないか考える。なるべく高くなくて、常用できる物……。
「あ」
「思いついた?」
「ペン……、ペンが欲しい」
「ペン?そんなものでいいの?」
「ああ。最近ミカイルに沢山手紙を書いているんだけど、僕にはあまり合ってないみたいで手が痛くなるんだ。だから、書きやすいペンが欲しい」
「そっか。…それなら、いい店を知ってるんだ。そこでユハンの手に合った特注の物を作ろう」
父さんが納得したように大きく頷く。別に特注のものじゃなくてもいいのだが、意気込んだ父さんを前にしてそんなことは言えなかった。
それに、僕が遠慮していることを知ったら父さんはきっと悲しんでしまうだろう。ここは子供らしく、僕も甘えることにした。父さんの喜ぶ姿を僕も見たかったのだ。
ザイフロンへ着くと、父さんに案内され早速店へと向かった。
大通りから少し外れた場所にあるその店は、アンティーク調のお洒落な外観をしている。
ちょうど中から人が出てくるのが見え、父さんがぶつからないよう端へ避けたのに気付き、僕もそれに続こうとした。が、店から出てきた人物を見て思わず足が止まってしまう。
非常に端正な顔立ちをした、僕よりも僅かに年上に見える青年。僕はミカイル以上に綺麗な人間とこの先会うことはないだろうと思っていたのだが、そんな彼とも張り合えるくらい目を引く男だった。
しかし、僕が驚いたのはそれだけではない。彼は、黒曜石のような深く光沢のある黒髪を肩まで伸ばし、薄く色づくルビーのような赤い瞳をしていたのだ。
黒髪は、王族の象徴であり、同時に魔力持ちであることの証明も併せ持つ。
この王国にも魔法というものは存在して、魔力を持っているのは王族とその血縁者のみだった。それ以外に例外はない。
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「どうかしたのかって……さっき出てきた男、父さんも見ただろ!?黒い髪に、目の色も赤かった!」
「男?さっきのおじいさんのことか……?それに、黒い髪だなんて、王族の方がこんなところにいるわけがないよ。ユハンの見間違えじゃないのか?」
「…………はっ?」
父さんの言っていることが、まるで信じられなかった。
確かにこの目で僕は青年を見たのだ。しかも、おじいさんだって?どこからどう見てもそんな年には思えなかった。
けれども、父さんが嘘をついているようには見えない。それに、ここでそんな突拍子もない嘘をつくメリットもなかった。
「ごめん父さん。僕、少しだけ見てくる」
「え……?ちょ、ちょっと!どこに行くんだユハン!」
僕はその場から駆け出した。その青年が歩いていった方向は見ていたから、すぐに追い付けると思ったのだ。
しかし、どれだけ探しても再びあの姿を見つけることはできなかった。心配しているだろう父さんのことも気がかりで、あと少しだけ見て帰ろうと足を伸ばす。
そのつかの間の出来事だった。
突如横から腕を捕まれ、そのまま路地裏へと連れ込まれる。急すぎる出来事に僕は声も上げられず、体を固まらせる。声も出ない。誰かが顔を覗き込んでくるのが分かって、必死に瞳を動かした。
「お前、さっきオレを見て驚いてたよな?」
黒髪に、赤い瞳の青年。
その人物は、まさしく僕が今探していた男だった。彼は先程店の前で見たままの姿をしており、やはりおじいさんなどではない。僕の見間違えではなかった。
「あ、あの、貴方は……」
「オレの髪何色に見える?」
「え?……黒、ですよね?」
僕の言葉に青年の赤い瞳が大きく見開かれる。ただ見た通りの答えを言っただけなのだが、彼はとても驚いたらしい。
「おいおい。こんなことってあり得るのか?本当にオレの魔法が効いてないみたいだ」
まさか魔力持ちか?いや、そんなわけないだろ────男はぼそっと呟く。
「あの……、僕の父さんは、貴方を見ておじいさんに見えたと言っていました。でも、僕には全くそう見えないんです」
「ああ、お前のオトウサンが言ってることが正しいよ。お前がオレをちゃんと認識できているのがおかしいんだ。現に、街のヤツらも誰も気づいてないだろ?」
言われてみれば、確かにそうだ。
青年は街の中を普通に歩いていたが、誰一人として彼を見ている人などいなかった。こんなに目立つ容姿をしているのにも関わらず、だ。
「店の前でオレを見て驚いた顔をするから、まさかとは思ってお前を連れてきたんだけど……アタリだったな。今日のオレはツイてる」
目の前の青年は目元を怪しげに光らせると、ニヒルに笑った。
途端、背筋に冷たいものが走って咄嗟に体を押す。発光する足元。不気味な紋様が地面に浮かび上がる。
彼はもう一度僕の腕を掴むと、逸る気持ちを抑えるように告げた。
「よし、善はイソゲだ。行くぞ」
「ちょ、ちょっと待ってください!何してるんですか!?」
「あー?何って……オレの研究室へ行くんだよ。こんな珍しい体質、調べなくちゃもったいない……。ん?お前まさか、テレポートも効かねえのか?」
途中まで意気揚々と喋っていた彼が、驚いたように首を傾げる。僕は怖くなって、逃げようと腕を振り回した。
「おいおい、これじゃ連れて帰れねえじゃん」
「は、離してください!!」
「あ、ちょっと、暴れるなって」
彼は意外と非力なのか、思ったよりも簡単に腕を振りほどくことができた。僕が恐怖で震えていなければ、本当はもっと早く逃げ出せたのかもしれない。
僕は急いで距離を取ると、青年を睨んだ。
「何する気だったんですか!?」
「だぁから、お前をオレの研究室に連れていって調べるって言っただろ!なのに、はぁ……。オレ、こっから馬車で帰るとかムリなんだけど…」
随分とがっかりした様子で肩を落とす。
だがそれも一瞬で、すぐに気を取り直すと今度は彼の足元だけに紋様が浮かんだ。
「まあでも、お前とはまた会える気がするんだよな。オレのカンって当たるし、今日は諦めてやるよ」
「え!?ちょ、ちょっと待って……!」
「またな~」
そのまま彼は手をひらひらと振ると、姿を消した。足元の紋様もなくなっている。
まるで夢のような出来事に、僕は暫く、呆然とその場を見ていることしかできなかった。
結局、彼の正体も、何故僕だけが彼をちゃんと見ることができたのかもよく分からない。
容姿だけで言うならば、彼は第二王子なんだろう。
だがしかし、あんな乱暴な言動を王族がするのか?という疑問もあった。彼の言っていることは何一つとして理解することはできなかったし、僕をどこかに連れていこうとするのも怖かった。
それでも、もしまた会えれば、今度はちゃんと話をしてみたいと思う。そうでなければ、あまりにも不可解すぎる事が多すぎて、この胸のモヤモヤがいつまで経っても取れそうになかった。
「ユハン!いるなら返事してくれー!」
近くで聞こえた僕の名前に、ビクリと体を揺らす。父さんの声だ。
急いで路地裏を出て大通りに戻れば、必死な顔をして僕を探す父さんの姿があった。
「父さん!さっきは一人で走っていってごめん!」
「ユハン……?」
慌てて駆け寄ると、心の底から安心したような表情で父さんは僕を抱き締めた。
「ユハン!良かった、無事で……」
「……心配かけてごめん」
「本当だよ……。心臓に悪いから、もう二度とあんなマネはしないでくれ」
「……うん」
どれほど不安にさせてしまったのか、胸の中が申し訳ない気持ちでいっぱいになる。感情に任せて動いてしまうのは、僕の悪い癖だった。
「でも、何もないみたいでよかったよ。一体どこに行ってたんだ?」
「ちょっと、気になることがあって……」
「さっき店の前で会った人のこと?結局会えたのかい?」
「いや、うーん。やっぱり、僕の見間違えだったみたいだ。…………そんなことより遅くなったけどさ、さっきの店に戻ろうよ」
僕は先ほどの出来事を隠すことにした。多分言ったところで信じてもらえないだろうし、また心配をかけるのも嫌だったのだ。
その後、僕達は店に戻ってオーダーメイドのペンを注文した。
ミカイルの手紙を書くときに使うものだから、柄は彼の瞳によく似た琥珀色のペンにした。なんだか小っ恥ずかしい気もするが、ミカイルにはどうせ知られることもないだろう。
納品は後日になるそうで、店を出るともうすっかり日も暮れ始めていた。
帰宅すると、母さんの手作りのケーキと、トールの作った沢山のご馳走が僕を待っていた。
どれもすごく美味しくて、僕はお腹がいっぱいになるまで食べた。僕に寂しさを感じさせないよう、両親とトールが頑張ってくれたんだと思う。それが感じられただけでもすごく幸せな一日だった。
ミカイルからの手紙も当たり前のように届いていて、お祝いの言葉と共に手作りの押し花の栞が入っていた。花びらの色は奇しくも今日、僕が選んだペンの色と同じだ。
彼は行く前に自分のことだけを考えていて、と言っていたから、わざとミカイルを思い出させるような花を送ってきたのかもしれない。
一体何という花だろうかと気になって母さんに聞けば、ヴェラリール学園に咲いているスイズレクナという名前の花だと言う。何故か母さんはこれを見てクスクスと微笑ましげに笑っていたが、その理由は教えてくれなかった。
どうやら、聞くならミカイルに直接聞いた方がいいらしい。何故そんなに頑ななのか分からなかったが、せっかくなら今日注文したペンが届いた後に、それを使って手紙で聞くことにした。
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