10 / 165
帰ってきたエリオット
しおりを挟む
夜の静けさを裂くように、森を抜ける細道を一台の馬車が進んでいた。
月明かりは雲に隠れ、灯りといえば、馬車の揺れるランタンの淡い光のみ。光は心もとない影を車内に投げかけ、男の顔を時折照らした。
男は窓の外を見つめながら、無言のまま座っていた。厚手のコートの襟を立て、帽子を深くかぶっているが、目元に疲労の色が滲んでいる。揺れる馬車に身を預け、片手で窓枠を支えながら、彼は何かを考え込むように唇を固く結んでいた。
「セシリアはまだ起きているだろうか……」
ぽつりと呟く声が誰もいない車内に響いた。
彼の名はエリオット。ガーネット家当主であり、セシリアの夫となった男だ。
花嫁であるセシリアに何も告げないまま初夜を放棄して外出し、セシリアの好感度を地の底まで下げ、自分の知らないところで社会的評価がぐんぐん下がっているという史上最低な夫である。
彼はとある事情により、元婚約者に会いにいっていた。
それに対して罪悪感はあるようで、妻であるセシリアにどう説明しようかと頭を悩ませている。
「怒っているよな……。何も告げずに一人きりにさせたわけだし……。だが、説明してもきっと理解はしてもらえなかっただろうし……」
はあ、とため息をひとつ零して項垂れた。
頭の中はぐるぐると回る思考で渦巻いている。何を、どこまで、どう伝えればいいのか。答えが出ないまま時間だけが過ぎていき、気づけばもう邸は目の前だった。
「……おかえりなさいませ、旦那様」
門を抜け、馬車を降りると執事が出迎えてくれた。
心なしか彼の表情も声もいつもより素っ気なく感じる。それに……
「ん? 家令はどうした?」
いつも出迎えは家令が担当していたはずだ。それなのに今日は執事が代わりを務めている。なにかあったのかと尋ねれば、執事の顔が嫌そうに歪んでいく。
「……家令さんは全身複雑骨折で入院しましたよ」
「は……? 全身複雑骨折だと!? いったい何があったんだ?」
その一言が放たれた瞬間、執事の眉がぴくりと動いた。わずかな反応だったが、空気が一変するには十分だった。
「……何があった?」
執事はゆっくりと顔を上げ、目の前の主人を睨んだ。
そのあまりにも恐ろしい形相にエリオットは「ひっ……!?」と悲鳴をあげて後ずさる。
「何があった、じゃありませんよっ……!! あったんですよ! とんでもないことが! 旦那様のせいで家令さんはあんな目に遭ったんですからね!? 他人事みたいに言うのやめてくれませんか!」
邸中に聞こえるんじゃないかというくらいの怒声をあげる執事にエリオットはたまらず地面に尻もちをついた。
「は? え? 僕のせい……?」
「そうです! 全ては旦那様が奥様を放置して出かけてしまうのが悪いんですよおおおおおお!!!!!」
喉が張り裂けるんじゃないかというくらいに叫ぶ執事。
その声を聞きつけた他の使用人達が邸からわらわらとこの場に集まって来た。
「あ! お前達、いいところに……」
天の助け、と言わんばかりに駆け付けたメイドや他の執事に顔を向けると、彼等が一様にこちらをまるで道端に捨ててある生ごみを見るような目で見ているのに気づく。
「え? え……? な、なんだお前達……、なんで僕をそんな目で見るんだ……?」
訳の分からない状況に困惑するエリオットに向かい、メイドや執事は口々に言い募った。
「そうですよ! 旦那様のせいです!」「奥様を放置して他の女のところに行くなんて、男の風上にも置けません!」「最低! 最低です! 女の敵!」「よく初夜にそんなことができますね! 人としてどうかしています!」
次々に降ってくる罵詈雑言の嵐にエリオットは成す術もない。
ただ唖然としたまま、昨日までは忠誠を誓ってくれていたはずの使用人達の豹変した姿を見続けていた……。
月明かりは雲に隠れ、灯りといえば、馬車の揺れるランタンの淡い光のみ。光は心もとない影を車内に投げかけ、男の顔を時折照らした。
男は窓の外を見つめながら、無言のまま座っていた。厚手のコートの襟を立て、帽子を深くかぶっているが、目元に疲労の色が滲んでいる。揺れる馬車に身を預け、片手で窓枠を支えながら、彼は何かを考え込むように唇を固く結んでいた。
「セシリアはまだ起きているだろうか……」
ぽつりと呟く声が誰もいない車内に響いた。
彼の名はエリオット。ガーネット家当主であり、セシリアの夫となった男だ。
花嫁であるセシリアに何も告げないまま初夜を放棄して外出し、セシリアの好感度を地の底まで下げ、自分の知らないところで社会的評価がぐんぐん下がっているという史上最低な夫である。
彼はとある事情により、元婚約者に会いにいっていた。
それに対して罪悪感はあるようで、妻であるセシリアにどう説明しようかと頭を悩ませている。
「怒っているよな……。何も告げずに一人きりにさせたわけだし……。だが、説明してもきっと理解はしてもらえなかっただろうし……」
はあ、とため息をひとつ零して項垂れた。
頭の中はぐるぐると回る思考で渦巻いている。何を、どこまで、どう伝えればいいのか。答えが出ないまま時間だけが過ぎていき、気づけばもう邸は目の前だった。
「……おかえりなさいませ、旦那様」
門を抜け、馬車を降りると執事が出迎えてくれた。
心なしか彼の表情も声もいつもより素っ気なく感じる。それに……
「ん? 家令はどうした?」
いつも出迎えは家令が担当していたはずだ。それなのに今日は執事が代わりを務めている。なにかあったのかと尋ねれば、執事の顔が嫌そうに歪んでいく。
「……家令さんは全身複雑骨折で入院しましたよ」
「は……? 全身複雑骨折だと!? いったい何があったんだ?」
その一言が放たれた瞬間、執事の眉がぴくりと動いた。わずかな反応だったが、空気が一変するには十分だった。
「……何があった?」
執事はゆっくりと顔を上げ、目の前の主人を睨んだ。
そのあまりにも恐ろしい形相にエリオットは「ひっ……!?」と悲鳴をあげて後ずさる。
「何があった、じゃありませんよっ……!! あったんですよ! とんでもないことが! 旦那様のせいで家令さんはあんな目に遭ったんですからね!? 他人事みたいに言うのやめてくれませんか!」
邸中に聞こえるんじゃないかというくらいの怒声をあげる執事にエリオットはたまらず地面に尻もちをついた。
「は? え? 僕のせい……?」
「そうです! 全ては旦那様が奥様を放置して出かけてしまうのが悪いんですよおおおおおお!!!!!」
喉が張り裂けるんじゃないかというくらいに叫ぶ執事。
その声を聞きつけた他の使用人達が邸からわらわらとこの場に集まって来た。
「あ! お前達、いいところに……」
天の助け、と言わんばかりに駆け付けたメイドや他の執事に顔を向けると、彼等が一様にこちらをまるで道端に捨ててある生ごみを見るような目で見ているのに気づく。
「え? え……? な、なんだお前達……、なんで僕をそんな目で見るんだ……?」
訳の分からない状況に困惑するエリオットに向かい、メイドや執事は口々に言い募った。
「そうですよ! 旦那様のせいです!」「奥様を放置して他の女のところに行くなんて、男の風上にも置けません!」「最低! 最低です! 女の敵!」「よく初夜にそんなことができますね! 人としてどうかしています!」
次々に降ってくる罵詈雑言の嵐にエリオットは成す術もない。
ただ唖然としたまま、昨日までは忠誠を誓ってくれていたはずの使用人達の豹変した姿を見続けていた……。
4,284
あなたにおすすめの小説
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
ローザリンデの第二の人生
梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。
彼には今はもういない想い人がいた。
私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。
けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。
あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。
吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
1/10 HOTランキング1位、小説、恋愛3位ありがとうございます。
【完結済】王女に夢中な婚約者様、さようなら 〜自分を取り戻したあとの学園生活は幸せです! 〜
鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
王立学園への入学をきっかけに、領地の屋敷から王都のタウンハウスへと引っ越した、ハートリー伯爵家の令嬢ロザリンド。婚約者ルパートとともに始まるはずの学園生活を楽しみにしていた。
けれど現実は、王女殿下のご機嫌を取るための、ルパートからの理不尽な命令の連続。
「かつらと黒縁眼鏡の着用必須」「王女殿下より目立つな」「見目の良い男性、高位貴族の子息らと会話をするな」……。
ルパートから渡された「禁止事項一覧表」に縛られ、ロザリンドは期待とは真逆の、暗黒の学園生活を送ることに。
そんな日々の中での唯一の救いとなったのは、友人となってくれた冷静で聡明な公爵令嬢、ノエリスの存在だった。
学期末、ロザリンドはついにルパートの怒りを買い、婚約破棄を言い渡される。
けれど、深く傷つきながら長期休暇を迎えたロザリンドのもとに届いたのは、兄の友人であり王国騎士団に属する公爵令息クライヴからの婚約の申し出だった。
暗黒の一学期が嘘のように、幸せな長期休暇を過ごしたロザリンド。けれど新学期を迎えると、エメライン王女が接触してきて……。
※10万文字超えそうなので長編に変更します。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください
シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。
国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。
溺愛する女性がいるとの噂も!
それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。
それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから!
そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。
さようなら、お別れしましょう
椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。
妻に新しいも古いもありますか?
愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?
私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。
――つまり、別居。
夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。
――あなたにお礼を言いますわ。
【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる!
※他サイトにも掲載しております。
※表紙はお借りしたものです。
【完結】これをもちまして、終了とさせていただきます
楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。
伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。
そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。
「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」
神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。
「お話はもうよろしいかしら?」
王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。
※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる