57 / 165
雨の日の報せ
しおりを挟む
窓の外は薄暗い灰色に染まっていた。細く冷たい雨が、石造りの屋敷の窓硝子を静かに叩いている。
庭の薔薇は首を垂れ、遠くの木々は靄に霞んでいた。レースのカーテンを指でそっと払い、セシリアはその様子をしばし眺めていた。すると廊下の奥から執事が静かな足音を立てて近づいてきた。
「奥様」
執事は一歩下がった位置で声をかけ、深く頭を垂れる。セシリアがゆるやかに振り向くと、彼は手紙を差し出した。
「旦那さまより、伝書にて。先ほど、門番が受け取りました。」
セシリアはわずかに目を見開き、すぐに手紙を受け取り、中身に目を通した。
中には短い文面が記されており、それを読み終えた彼女はぽつりと呟いた。
「……今日は、お戻りになれないと……」
「はい、馬車が足止めを受けておられるご様子。道が冠水しているとのことです。」
執事は声を低く抑え、夫人の表情を伺うように言葉を選んだ。
彼女は手紙を持ったまま雨音に耳を傾けた。
「この雨……止みそうにないわね」
「ええ、奥様。夜までにはさらに強まるかと。火をお増やしいたしますか?」
「……そうね、お願い」
セシリアは深く息を吐き、力が抜けるように椅子に身を預けた。
手紙を膝の上に置いたまま、指先で封蝋を撫でている。執事は静かに一礼し、暖炉へ向かって火をくべはじめた。
部屋に新しい炎の音が生まれ、外の雨音と溶け合う。
執事はうつむくセシリアを気遣うように見つめ、言葉もなく部屋を出て行った。
誰もいなくなった静かな部屋で、彼女の口から鈴が鳴るような笑い声が漏れる。
「ふふっ……。まさか、こんなありきたりな手段に出るとはね……」
手紙の文字はエリオットのものではなく、ロベールの筆跡だった。
彼はセシリアにだけ伝わるよう、ある情報を手紙にそっと忍ばせており、それを読んだ彼女は全てを悟ったのだ。
今夜、エリオットが邸へと帰らないのは、ロベールがそう誘導したからだと。
「”今宵、ご当主様は瓜単語を召し上がるでしょう”か……。ふふっ、なかなか洒落たこと書いてくれるじゃない」
この『瓜』とはキャサリンのことを指しているのだろう。それというのも、よくセシリアが彼女のことを『ウリ坊』と呼んでいるから。
彼女の猪突猛進な性格から最初は『イノシシ』と呼んでいた。だが、母親のオニキス子爵夫人の方が見た目も迫力もその名に相応しい。母親に比べるとキャサリンはイノシシの子供の『ウリ坊』のようだとロベールに話し、そこから隠語にも使えるからと彼女をそう呼んでいた。
ちなみに、本来の主であるオニキス子爵夫人とその娘が嘲られているというのに、ロベールは怒りの色一つ見せず、ただ身を震わせて笑っていたのである。言い得て妙だと。
この背景を踏まえると、彼の書いた言葉は今夜エリオットとキャサリンが結ばれることを示しているのだろう。
おそらく今日も彼等はひっそりと逢引きをしており、そこで急な雨に降られて帰宅困難なので致し方なくどこかの宿屋で一泊……とかいう恋愛小説などでありきたりな展開がロベールの誘導により成立したのかもしれない。
多分、彼は「急なご利用でしたので、お部屋の空きが一室しかございませんでした」とか上手いことを言って二人を同じ部屋に泊まらせたのだろう。若い男女、しかも互いに想い合っている状況で一晩を共にすれば、どうなるかは想像に難くない。
「……そうか。ロベールの案とは、こういうことだったのね」
数日前に彼はこう言った。密室に長時間押し込めれば自然とそういう展開になるはずです、と。
セシリアにはそのやり方が無茶すぎて、とても現実的だとは思えなかった。一見簡単そうに思えるが、婚前交渉を拒んでいるエリオットがキャサリンと密室で二人きりになるとは考えにくい。
しかし、雨で帰宅困難なので仕方なく……という理由がつけば、あの流されやすいエリオットは簡単に受け入れるだろう。もしかするとロベールは近々大雨が降ることを知っていたのだろうか。だとすれば流石としか言いようがない。
セシリアがロベールの手法に感心していたそのとき、突然、廊下を走る革靴の音が響いてきた。
「おくつろぎ中のところ申し訳ございません。奥様、領地より急を要する報せが届いております」
額に汗を滲ませた執事の緊迫した様子にセシリアの表情がわずかに引き締まる。
「……内容は?」
「はい、領地の川が溢れ、畑が一部流されたとのこと。家屋にも被害が出ているようです」
セシリアは椅子からすぐに立ち上がり、執事へと目を向けた。
庭の薔薇は首を垂れ、遠くの木々は靄に霞んでいた。レースのカーテンを指でそっと払い、セシリアはその様子をしばし眺めていた。すると廊下の奥から執事が静かな足音を立てて近づいてきた。
「奥様」
執事は一歩下がった位置で声をかけ、深く頭を垂れる。セシリアがゆるやかに振り向くと、彼は手紙を差し出した。
「旦那さまより、伝書にて。先ほど、門番が受け取りました。」
セシリアはわずかに目を見開き、すぐに手紙を受け取り、中身に目を通した。
中には短い文面が記されており、それを読み終えた彼女はぽつりと呟いた。
「……今日は、お戻りになれないと……」
「はい、馬車が足止めを受けておられるご様子。道が冠水しているとのことです。」
執事は声を低く抑え、夫人の表情を伺うように言葉を選んだ。
彼女は手紙を持ったまま雨音に耳を傾けた。
「この雨……止みそうにないわね」
「ええ、奥様。夜までにはさらに強まるかと。火をお増やしいたしますか?」
「……そうね、お願い」
セシリアは深く息を吐き、力が抜けるように椅子に身を預けた。
手紙を膝の上に置いたまま、指先で封蝋を撫でている。執事は静かに一礼し、暖炉へ向かって火をくべはじめた。
部屋に新しい炎の音が生まれ、外の雨音と溶け合う。
執事はうつむくセシリアを気遣うように見つめ、言葉もなく部屋を出て行った。
誰もいなくなった静かな部屋で、彼女の口から鈴が鳴るような笑い声が漏れる。
「ふふっ……。まさか、こんなありきたりな手段に出るとはね……」
手紙の文字はエリオットのものではなく、ロベールの筆跡だった。
彼はセシリアにだけ伝わるよう、ある情報を手紙にそっと忍ばせており、それを読んだ彼女は全てを悟ったのだ。
今夜、エリオットが邸へと帰らないのは、ロベールがそう誘導したからだと。
「”今宵、ご当主様は瓜単語を召し上がるでしょう”か……。ふふっ、なかなか洒落たこと書いてくれるじゃない」
この『瓜』とはキャサリンのことを指しているのだろう。それというのも、よくセシリアが彼女のことを『ウリ坊』と呼んでいるから。
彼女の猪突猛進な性格から最初は『イノシシ』と呼んでいた。だが、母親のオニキス子爵夫人の方が見た目も迫力もその名に相応しい。母親に比べるとキャサリンはイノシシの子供の『ウリ坊』のようだとロベールに話し、そこから隠語にも使えるからと彼女をそう呼んでいた。
ちなみに、本来の主であるオニキス子爵夫人とその娘が嘲られているというのに、ロベールは怒りの色一つ見せず、ただ身を震わせて笑っていたのである。言い得て妙だと。
この背景を踏まえると、彼の書いた言葉は今夜エリオットとキャサリンが結ばれることを示しているのだろう。
おそらく今日も彼等はひっそりと逢引きをしており、そこで急な雨に降られて帰宅困難なので致し方なくどこかの宿屋で一泊……とかいう恋愛小説などでありきたりな展開がロベールの誘導により成立したのかもしれない。
多分、彼は「急なご利用でしたので、お部屋の空きが一室しかございませんでした」とか上手いことを言って二人を同じ部屋に泊まらせたのだろう。若い男女、しかも互いに想い合っている状況で一晩を共にすれば、どうなるかは想像に難くない。
「……そうか。ロベールの案とは、こういうことだったのね」
数日前に彼はこう言った。密室に長時間押し込めれば自然とそういう展開になるはずです、と。
セシリアにはそのやり方が無茶すぎて、とても現実的だとは思えなかった。一見簡単そうに思えるが、婚前交渉を拒んでいるエリオットがキャサリンと密室で二人きりになるとは考えにくい。
しかし、雨で帰宅困難なので仕方なく……という理由がつけば、あの流されやすいエリオットは簡単に受け入れるだろう。もしかするとロベールは近々大雨が降ることを知っていたのだろうか。だとすれば流石としか言いようがない。
セシリアがロベールの手法に感心していたそのとき、突然、廊下を走る革靴の音が響いてきた。
「おくつろぎ中のところ申し訳ございません。奥様、領地より急を要する報せが届いております」
額に汗を滲ませた執事の緊迫した様子にセシリアの表情がわずかに引き締まる。
「……内容は?」
「はい、領地の川が溢れ、畑が一部流されたとのこと。家屋にも被害が出ているようです」
セシリアは椅子からすぐに立ち上がり、執事へと目を向けた。
2,517
あなたにおすすめの小説
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
ローザリンデの第二の人生
梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。
彼には今はもういない想い人がいた。
私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。
けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。
あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。
吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
1/10 HOTランキング1位、小説、恋愛3位ありがとうございます。
結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください
シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。
国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。
溺愛する女性がいるとの噂も!
それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。
それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから!
そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。
【完結】これをもちまして、終了とさせていただきます
楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。
伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。
そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。
「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」
神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。
「お話はもうよろしいかしら?」
王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。
※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m
さようなら、お別れしましょう
椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。
妻に新しいも古いもありますか?
愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?
私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。
――つまり、別居。
夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。
――あなたにお礼を言いますわ。
【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる!
※他サイトにも掲載しております。
※表紙はお借りしたものです。
【完結】無自覚人たらしマシュマロ令嬢、王宮で崇拝される ――見た目はぽっちゃり、中身は只者じゃない !
恋せよ恋
ファンタジー
富豪にして美食家、オラニエ侯爵家の長女ステファニー。
もっちり体型から「マシュマロ令嬢」と陰口を叩かれる彼女だが、
本人は今日もご機嫌に美味しいものを食べている。
――ただし、この令嬢、人のオーラが色で見える。
その力をひけらかすこともなく、ただ「気になるから」と忠告した結果、
不正商会が摘発され、運気が上がり、気づけば周囲には信奉者が増えていく。
十五歳で王妃に乞われ、王宮へ『なんでも顧問』として迎えられたステファニー。
美食を愛し、人を疑わず、誰にでも礼を尽くすその姿勢は、
いつの間にか貴族たちの心を掴み、王子たちまで惹きつけていく。
これは、
見た目はぽっちゃり、されど中身は只者ではないマシュマロ令嬢が、
無自覚のまま王宮を掌握していく、もっちり系・人たらし王宮譚。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 エール📣いいね❤️励みになります!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる