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物乞い
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アルバン子爵家が王国の貴族名鑑から消えてからしばらく経ったある日のこと。
セレネ伯爵家の門前に二人の男女が座り込んでいた。
「お願いだ! ディアナを呼んでくれ!」
「お願いします、ディアナ様とお話を……!」
薄汚れたボロボロの服を身に着けた男女は必死にディアナの名を叫んでいる。
「無礼者が! 伯爵令嬢であるお嬢様の名前を口にするなど何を考えている!!」
門番がその二人の不敬に怒り、腰に携えた剣を抜く。
抜き身の刃が眼前に晒された彼等は情けなく腰を抜かし「ヒイイッ!?」と悲鳴をあげた。
「ぼ、ぼくはディアナの夫だぞ!? 夫が妻に会いに来て何が悪いと言うんだ!」
「はあ? お嬢様は未婚だぞ? 夫なんているわけないだろう?」
男の不可解な言葉に門番が顔を顰める。
するとそこに柔らな声がかかった。
「騒がしいわね? どうしたというの?」
外出着を身に着けたディアナが門前へと姿を現した。
今日はこれから馬車で外出する予定だというのに、騒がしいので気になって様子を見に来たようだ。
「これはお嬢様! 申し訳ございません、いますぐこいつらどかしますので「ディアナ? ディアナだね!? 僕だよ! エーリックだ!」」
門番の言葉を遮り、男の方がディアナを見て叫ぶ。
ディアナは見知らぬ男が自分の名を呼ぶことに怪訝そうな顔を見せた。
「エーリック……? どちら様かしら?」
なんだかどこかで聞いたことのある名前だ。
よく見れば男の顔もどこかで見たような気もする。
どこで見かけたかしら……とディアナが記憶を辿る間に、ただならぬ気配を感じた侍女と門番が彼女の前に出た。
「お嬢様! 不審者の前に姿を見せてはなりません!」
「そうですよお嬢様! 御身に何かあったらどうするのですか!!」
侍女と門番の必死の形相にディアナは肩をビクッと震わせた。
「ご、ごめんなさいね。なんだか知っている声のような気がして……」
「ディアナ! 忘れちゃったのかい!? 僕だよ、君の夫でアルバン子爵家嫡男のエーリックだ!」
門番に剣を突き付けられ威嚇されていても、男は必死で言い募る。
そして家名を告げられたディアナはやっと思い出したように手の平をパンと鳴らした。
「ああ! 元アルバン子爵家の! 生きていらっしゃったんですね?」
ディアナの辛辣な台詞に男は「うっ……」と言葉を詰まらせた。
だがすぐに気を取り直し、縋るような目で彼女を見つめる。
「ごめん……怒ってるんだよね? 君が怒るのも無理はない。あの日……僕は君を裏切ったのだから……」
「そこ、馬車が通るのに邪魔だからどいてくださる?」
なにやら芝居がかった態度を見せ始めた男にディアナはきっぱりと言い放った。
「え? え……? ディ、ディアナ? そんなに怒っているのかい?」
「? いえ、別に怒ってはいませんよ? 邪魔だからどいてほしいだけですの」
ディアナの端正な顔からは確かに怒りなど感じられない。
ただ純粋に障害物にどいてほしいというだけのようだ。
だが男にとっては怒っていないのだからそれでいいというわけではない。
むしろそれが逆に不気味に思えた。
「い、いやその……聞いてくれ! 僕はあれから苦労の連続で、金にも困る生活を……」
「お金? ああ、なるほど。物乞いにいらしたのね?」
同情を誘うように話すも、ディアナの反応は男が想像したものとは全く違った。
話を遮り、物乞いと決めつる。
呆気にとられた男の眼前に、侍女が小さな袋を投げつけた。
袋の中身は硬貨なのか地面に当たると「チャリン」と音がする。
「それを持って立ち去ってくださいませ。では御機嫌よう」
男の話を聞く気もなく、さっさと終わらせて邸の方へと戻るディアナ。
その華奢な背に追いすがるように男は手を伸ばすも、門番によってその手を掴まれる。
「い、いてててっ!? 何するんだ!」
「ほら、邪魔だって言ってんだろう? 今からここを馬車が通るんだよ、さっさとどけ!」
男は門番によって道の端へと追いやられた。
それを見て今まで呆然としていた女がハッと我に返る。
「リック!? 大丈夫?」
「あ、ああ……ドリス、ありがとう……」
道端で寄り添う二人の前を一代の馬車が通り過ぎてゆく。
煌びやかな装飾の4頭立ての馬車は持ち主の財政状況を表しているかのようで、二人はそれを見て惨めな気分になった。
「話と違うじゃない……。ディアナさんはまだ貴方に未練があるって……」
「い、いや、あれはきっと照れているだけで……」
「どこがよ!? いかにも『どうでもいいです』って顔していたじゃない!」
「で、でも! 僕が彼女の夫であることは間違いないし……」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人に門番が近寄り、侮蔑の表情を浮かべる。
「ディアナお嬢様に夫はいないと言っただろう? そのような出鱈目を吐くのは止めてもらおうか」
「出鱈目なんかじゃないっ! 確かに僕は彼女と結婚式を挙げたんだ! 神の御前で愛を誓い合った仲だぞ!?」
いけしゃあしゃあと言う男を門番は睨みつけた。
まるで「お前が言うな」とばかりの鋭い眼差しで。
「ああ、確かにお嬢様は数か月前に式を挙げられた。花婿となった男は歴史に名を残すほどの愚者でな。哀れに思った国王陛下が即日中に離婚を認めてくださったのだ。なのでお嬢様は経歴に傷こそついてしまわれたが、今は未婚の身。決して愚者の妻などという不名誉な立場ではないわ!」
「は……? はぁ!? 離婚だって? 馬鹿な! 僕はそんなの認めていないぞ!?」
男の返答に門番は声を立てて笑い出した。
馬鹿が馬鹿なことを言っていると。
「何故、神の御前で偽の誓いを立てるような罰当たりの許可がいるのだ? さあ、とっとここを立ち去れ。お優しいお嬢様よりお恵みを頂いただけ有難いと思え!」
門番の言葉に疑問を感じたものの、彼が刃を振るい男の髪先を切ったことでそれは吹き飛んだ。
彼は本気だと命の危機を感じ、男は女の手を掴み逃げるようにその場を立ち去る。
手にはしっかり投げられた硬貨の袋を握って。
セレネ伯爵家の門前に二人の男女が座り込んでいた。
「お願いだ! ディアナを呼んでくれ!」
「お願いします、ディアナ様とお話を……!」
薄汚れたボロボロの服を身に着けた男女は必死にディアナの名を叫んでいる。
「無礼者が! 伯爵令嬢であるお嬢様の名前を口にするなど何を考えている!!」
門番がその二人の不敬に怒り、腰に携えた剣を抜く。
抜き身の刃が眼前に晒された彼等は情けなく腰を抜かし「ヒイイッ!?」と悲鳴をあげた。
「ぼ、ぼくはディアナの夫だぞ!? 夫が妻に会いに来て何が悪いと言うんだ!」
「はあ? お嬢様は未婚だぞ? 夫なんているわけないだろう?」
男の不可解な言葉に門番が顔を顰める。
するとそこに柔らな声がかかった。
「騒がしいわね? どうしたというの?」
外出着を身に着けたディアナが門前へと姿を現した。
今日はこれから馬車で外出する予定だというのに、騒がしいので気になって様子を見に来たようだ。
「これはお嬢様! 申し訳ございません、いますぐこいつらどかしますので「ディアナ? ディアナだね!? 僕だよ! エーリックだ!」」
門番の言葉を遮り、男の方がディアナを見て叫ぶ。
ディアナは見知らぬ男が自分の名を呼ぶことに怪訝そうな顔を見せた。
「エーリック……? どちら様かしら?」
なんだかどこかで聞いたことのある名前だ。
よく見れば男の顔もどこかで見たような気もする。
どこで見かけたかしら……とディアナが記憶を辿る間に、ただならぬ気配を感じた侍女と門番が彼女の前に出た。
「お嬢様! 不審者の前に姿を見せてはなりません!」
「そうですよお嬢様! 御身に何かあったらどうするのですか!!」
侍女と門番の必死の形相にディアナは肩をビクッと震わせた。
「ご、ごめんなさいね。なんだか知っている声のような気がして……」
「ディアナ! 忘れちゃったのかい!? 僕だよ、君の夫でアルバン子爵家嫡男のエーリックだ!」
門番に剣を突き付けられ威嚇されていても、男は必死で言い募る。
そして家名を告げられたディアナはやっと思い出したように手の平をパンと鳴らした。
「ああ! 元アルバン子爵家の! 生きていらっしゃったんですね?」
ディアナの辛辣な台詞に男は「うっ……」と言葉を詰まらせた。
だがすぐに気を取り直し、縋るような目で彼女を見つめる。
「ごめん……怒ってるんだよね? 君が怒るのも無理はない。あの日……僕は君を裏切ったのだから……」
「そこ、馬車が通るのに邪魔だからどいてくださる?」
なにやら芝居がかった態度を見せ始めた男にディアナはきっぱりと言い放った。
「え? え……? ディ、ディアナ? そんなに怒っているのかい?」
「? いえ、別に怒ってはいませんよ? 邪魔だからどいてほしいだけですの」
ディアナの端正な顔からは確かに怒りなど感じられない。
ただ純粋に障害物にどいてほしいというだけのようだ。
だが男にとっては怒っていないのだからそれでいいというわけではない。
むしろそれが逆に不気味に思えた。
「い、いやその……聞いてくれ! 僕はあれから苦労の連続で、金にも困る生活を……」
「お金? ああ、なるほど。物乞いにいらしたのね?」
同情を誘うように話すも、ディアナの反応は男が想像したものとは全く違った。
話を遮り、物乞いと決めつる。
呆気にとられた男の眼前に、侍女が小さな袋を投げつけた。
袋の中身は硬貨なのか地面に当たると「チャリン」と音がする。
「それを持って立ち去ってくださいませ。では御機嫌よう」
男の話を聞く気もなく、さっさと終わらせて邸の方へと戻るディアナ。
その華奢な背に追いすがるように男は手を伸ばすも、門番によってその手を掴まれる。
「い、いてててっ!? 何するんだ!」
「ほら、邪魔だって言ってんだろう? 今からここを馬車が通るんだよ、さっさとどけ!」
男は門番によって道の端へと追いやられた。
それを見て今まで呆然としていた女がハッと我に返る。
「リック!? 大丈夫?」
「あ、ああ……ドリス、ありがとう……」
道端で寄り添う二人の前を一代の馬車が通り過ぎてゆく。
煌びやかな装飾の4頭立ての馬車は持ち主の財政状況を表しているかのようで、二人はそれを見て惨めな気分になった。
「話と違うじゃない……。ディアナさんはまだ貴方に未練があるって……」
「い、いや、あれはきっと照れているだけで……」
「どこがよ!? いかにも『どうでもいいです』って顔していたじゃない!」
「で、でも! 僕が彼女の夫であることは間違いないし……」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人に門番が近寄り、侮蔑の表情を浮かべる。
「ディアナお嬢様に夫はいないと言っただろう? そのような出鱈目を吐くのは止めてもらおうか」
「出鱈目なんかじゃないっ! 確かに僕は彼女と結婚式を挙げたんだ! 神の御前で愛を誓い合った仲だぞ!?」
いけしゃあしゃあと言う男を門番は睨みつけた。
まるで「お前が言うな」とばかりの鋭い眼差しで。
「ああ、確かにお嬢様は数か月前に式を挙げられた。花婿となった男は歴史に名を残すほどの愚者でな。哀れに思った国王陛下が即日中に離婚を認めてくださったのだ。なのでお嬢様は経歴に傷こそついてしまわれたが、今は未婚の身。決して愚者の妻などという不名誉な立場ではないわ!」
「は……? はぁ!? 離婚だって? 馬鹿な! 僕はそんなの認めていないぞ!?」
男の返答に門番は声を立てて笑い出した。
馬鹿が馬鹿なことを言っていると。
「何故、神の御前で偽の誓いを立てるような罰当たりの許可がいるのだ? さあ、とっとここを立ち去れ。お優しいお嬢様よりお恵みを頂いただけ有難いと思え!」
門番の言葉に疑問を感じたものの、彼が刃を振るい男の髪先を切ったことでそれは吹き飛んだ。
彼は本気だと命の危機を感じ、男は女の手を掴み逃げるようにその場を立ち去る。
手にはしっかり投げられた硬貨の袋を握って。
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