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話と違う
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「ねえちょっと……どういうことなのよアレ……」
王都の安宿にて女がベットに腰掛け、苛立ちを含んだ声でそう問いかけた。
女の名はドリス。
数か月前にセレネ伯爵家とアルバン子爵家の結婚式に現れた闖入者である。
花婿エーリックの長年の恋人であった彼女は、数か月前までは優越感に満ちていた。
貴族のお嬢様よりも彼が自分を選んでくれたこと、そしてそのお嬢様に恥をかかせたことで。
だが今の彼女はあの時の自分の行動をひどく後悔していた。
「分からない……。けど、きっと拗ねているんだよ。僕が何も言わずに姿を消したから……」
「拗ねるって態度じゃなかったわよ!? どう見ても貴方、あの女に存在すら忘れられていたじゃない! どういうことよ!?」
楽観的な思考なのか、それとも自惚れが強いのか、男は現実を見ようとしない。
それがドリスを更に苛立たせた。
「そんなに怒らないでよドリス、ほら、ワインでも飲んで落ち着こう? おつまみにチーズもあるよ?」
ワインもチーズも露店で購入した安価な物だ。
それでも口にするのは実に数か月ぶり。ここしばらくは固いパンと薄いスープしか口に出来なかったから。
「……美味しい、けど……前飲んだ物の方が美味しかった……。二人でよく飲んだあのレストランの方が……」
「うん……そうだね。でも、ディアナとよりを戻せばまた連れていけるから」
「……………………そうね」
ドリスはモソモソとした食感の塩辛いチーズをワインで流した。
油断すると出てきそうな相手への罵詈雑言と共に……。
(よりを戻せる? 拗ねてる? あの態度を見て、どうしてそんな楽観的な考えが出来るのよ!!)
エーリックの楽観的な思考にドリスは嫌気が差してきた。
この、ディアナとよりを戻そうというのは彼が考えたことだ。
庶民の暮らしに嫌気が差した彼が。
駆け落ちし、市井で暮らし始めた二人だが生活は早いうちから破綻していた。
そもそも身の回りのこと全てを誰かにしてもらっていた貴族が庶民の生活なんて無理だ。
狭い家も、粗末な食事も、彼は数か月で音を上げた。
「明日、もう一度邸に行ってみよう」
「……大丈夫なの? 今度こそ門番に切り捨てられるんじゃない?」
門番がこちらに剣を向けてきた恐ろしさは忘れられない。
人生で刃を突き付けられる経験はあれが初めてだ。
出来ればもう二度と味わいたくない。
「大丈夫だよ。なんたってディアナは僕に惚れているのだからね!」
「………………」
この人のこの自信はどこから来るのだろう。
それとも、ドリスが知らないだけで貴族の男は皆こうなのだろうか?
エーリックはセレネ伯爵家のディアナに自分が見初められて婚約したと言っていたが、果たしてそれは真実なのだろうか。先程の彼女の顔から恋慕の情など微塵も感じなかったのに。
「……明日は、貴方一人で行ってもらえないかしら?」
「え!? ど、どうしてだい?」
何でここで”どうして”なんていう言葉が出てくるのか、とドリスは心底呆れた。
だがそれを隠し、彼が好む庇護欲をそそる表情を見せる。
「だって……アタシがいない方が話を聞いてくれるかもしれないもの。アタシはほら、ディアナさんにとっては恋敵だし、いない方がいいでしょう?」
こんなの嘘だ。自分がいようがいまいが関係ないとドリスはもうとっくに理解している。
同じ女だから分かる。彼女はエーリックに愛情などこれっぽっちも抱いていないことを。
彼女のあれは路傍の石を見る目だった。
普通、結婚式の日に逃げた夫が再び姿を現したならあんな目はしないのではないか。
愛情にしても憎しみにしても、何かしらかの温度をもった反応をするはずだ。
あの時は何故あんなことをしたのかと怒りを露わにするなり、今更何の用だと蔑んだりと感情を見せてもおかしくない。
なのにあの……まるで『存在自体がどうでもよかった』という無感情な反応は何だ。
怖い、とただそれだけを感じた。
もう関わりたくない、とも。
「……そうか、そうだね。ディアナがいくら僕を好きでも、僕が愛しているのはドリスただ一人だから……」
この悲劇のヒーローぶってる反応に苛々する。
あの反応の、どこをどう見たらそんな勘違いを出来るのか。
「うん、だから明日は貴方一人でディアナさんの所に行って、話をしてきてね? アタシはここで待っているから」
あの時恵んでもらった袋には銀貨がいっぱい詰まっていた。
安い宿に数日宿泊してもおつりがくるほどに。
「分かったよ、僕に任せて。ディアナと話がついたら迎えに来るからね!」
きっとそんなことは無理だ。
そう分かってもドリスは敢えてそれを飲み込む。
「頑張ってね、リック! アタシはここで貴方の健闘を祈っているわ」
無邪気を装いドリスはエーリックに抱き着いた。
彼は愛しい女性の可愛らしい行動に鼻の下を伸ばす。
彼女が蔑んだ表情をしていることも知らずに……。
王都の安宿にて女がベットに腰掛け、苛立ちを含んだ声でそう問いかけた。
女の名はドリス。
数か月前にセレネ伯爵家とアルバン子爵家の結婚式に現れた闖入者である。
花婿エーリックの長年の恋人であった彼女は、数か月前までは優越感に満ちていた。
貴族のお嬢様よりも彼が自分を選んでくれたこと、そしてそのお嬢様に恥をかかせたことで。
だが今の彼女はあの時の自分の行動をひどく後悔していた。
「分からない……。けど、きっと拗ねているんだよ。僕が何も言わずに姿を消したから……」
「拗ねるって態度じゃなかったわよ!? どう見ても貴方、あの女に存在すら忘れられていたじゃない! どういうことよ!?」
楽観的な思考なのか、それとも自惚れが強いのか、男は現実を見ようとしない。
それがドリスを更に苛立たせた。
「そんなに怒らないでよドリス、ほら、ワインでも飲んで落ち着こう? おつまみにチーズもあるよ?」
ワインもチーズも露店で購入した安価な物だ。
それでも口にするのは実に数か月ぶり。ここしばらくは固いパンと薄いスープしか口に出来なかったから。
「……美味しい、けど……前飲んだ物の方が美味しかった……。二人でよく飲んだあのレストランの方が……」
「うん……そうだね。でも、ディアナとよりを戻せばまた連れていけるから」
「……………………そうね」
ドリスはモソモソとした食感の塩辛いチーズをワインで流した。
油断すると出てきそうな相手への罵詈雑言と共に……。
(よりを戻せる? 拗ねてる? あの態度を見て、どうしてそんな楽観的な考えが出来るのよ!!)
エーリックの楽観的な思考にドリスは嫌気が差してきた。
この、ディアナとよりを戻そうというのは彼が考えたことだ。
庶民の暮らしに嫌気が差した彼が。
駆け落ちし、市井で暮らし始めた二人だが生活は早いうちから破綻していた。
そもそも身の回りのこと全てを誰かにしてもらっていた貴族が庶民の生活なんて無理だ。
狭い家も、粗末な食事も、彼は数か月で音を上げた。
「明日、もう一度邸に行ってみよう」
「……大丈夫なの? 今度こそ門番に切り捨てられるんじゃない?」
門番がこちらに剣を向けてきた恐ろしさは忘れられない。
人生で刃を突き付けられる経験はあれが初めてだ。
出来ればもう二度と味わいたくない。
「大丈夫だよ。なんたってディアナは僕に惚れているのだからね!」
「………………」
この人のこの自信はどこから来るのだろう。
それとも、ドリスが知らないだけで貴族の男は皆こうなのだろうか?
エーリックはセレネ伯爵家のディアナに自分が見初められて婚約したと言っていたが、果たしてそれは真実なのだろうか。先程の彼女の顔から恋慕の情など微塵も感じなかったのに。
「……明日は、貴方一人で行ってもらえないかしら?」
「え!? ど、どうしてだい?」
何でここで”どうして”なんていう言葉が出てくるのか、とドリスは心底呆れた。
だがそれを隠し、彼が好む庇護欲をそそる表情を見せる。
「だって……アタシがいない方が話を聞いてくれるかもしれないもの。アタシはほら、ディアナさんにとっては恋敵だし、いない方がいいでしょう?」
こんなの嘘だ。自分がいようがいまいが関係ないとドリスはもうとっくに理解している。
同じ女だから分かる。彼女はエーリックに愛情などこれっぽっちも抱いていないことを。
彼女のあれは路傍の石を見る目だった。
普通、結婚式の日に逃げた夫が再び姿を現したならあんな目はしないのではないか。
愛情にしても憎しみにしても、何かしらかの温度をもった反応をするはずだ。
あの時は何故あんなことをしたのかと怒りを露わにするなり、今更何の用だと蔑んだりと感情を見せてもおかしくない。
なのにあの……まるで『存在自体がどうでもよかった』という無感情な反応は何だ。
怖い、とただそれだけを感じた。
もう関わりたくない、とも。
「……そうか、そうだね。ディアナがいくら僕を好きでも、僕が愛しているのはドリスただ一人だから……」
この悲劇のヒーローぶってる反応に苛々する。
あの反応の、どこをどう見たらそんな勘違いを出来るのか。
「うん、だから明日は貴方一人でディアナさんの所に行って、話をしてきてね? アタシはここで待っているから」
あの時恵んでもらった袋には銀貨がいっぱい詰まっていた。
安い宿に数日宿泊してもおつりがくるほどに。
「分かったよ、僕に任せて。ディアナと話がついたら迎えに来るからね!」
きっとそんなことは無理だ。
そう分かってもドリスは敢えてそれを飲み込む。
「頑張ってね、リック! アタシはここで貴方の健闘を祈っているわ」
無邪気を装いドリスはエーリックに抱き着いた。
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