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ドリス
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ドリスはアルバン子爵家の下級メイドだった。
ありがちな話だが、ひょんなことからその家の跡取りであるエーリックと恋仲になり、互いに添い遂げたいと思うまでとなる。
貴族と平民は夫婦になれない。
なので二人が添い遂げる方法としては、エーリックが身分を捨てて平民になるか、ドリスを愛人として囲うかのどちらかだ。
だがエーリックはそのどちらの方法もとらなかった。
というよりも、何の行動もとらないと言った方が正しい。
『アルバン子爵家を継ぐためには婚約者と結婚しなきゃならない。でも僕が愛するのは君だけだよ、ドリス』
婚約者よりも自分を選んでくれたことは嬉しかった。
だが、結局彼は自分をどうするのかは分からずじまいだ。
愛人として囲うつもりならばメイドを辞めなければならない。
そうすると収入源は何も無いので、家を買ってもらい生活費も貰わなければ。
だけど彼は一向にそうする気配がない。
家を買ってほしいと頼んでも『そんなの父上が許さないよ』と言うし、身分を捨てるのかと問えば『それは母上が許してくれないだろうし……』と言う。
煮え切らない態度に苛々したが、彼のことが好きだったのでドリスもそれ以上は何も追及しなかった。
そしてあれよあれよという間にエーリックが婚約者との結婚式を迎えることとなる。
婚約者が嫁いでくる家で呑気にメイドをやってなんかいられない。
焦ったドリスは結婚式場まで乗り込み、花嫁から愛しい彼を奪い去るという強硬策に出た。
結果、彼も自分を選んでくれた。
横にいる綺麗なお嬢様よりも、平民の自分を―――。
それはドリスに震えるほどの優越感を覚えさせ、その快感が脳内を麻痺させるた。
貴族の結婚式をぶち壊すことがどれほど恐ろしいのか。それを考えさせないほどに。
頭が冷えて現実を自覚したのはすぐだった。
働くことも、自分の身の回りの世話すらも出来ないエーリック。
そんな彼と市井で暮らすことがどんなに大変か、ドリスは全く想像していなかった。
(結局アタシが外で働いて家のこともして……この人はただぐうたらしているだけ。そんな生活が嫌で、王都まで来ちゃったけど……完全にそれは間違いだったわ)
肉体労働も出来ない傅かれる立場のお坊ちゃまが市井で職にありつけるわけがない。
かといって、家事が出来るかというとそれも全くだ。
結局、ドリスが昼間外で働き、夜は家事とエーリックの世話をする毎日。
寝る暇も休む暇もなく、心も体もすり減ってしまった。
質素な生活に嫌気が差したのかエーリックは「このままここにいてもドリスに苦労させるだけだ」「ディアナの所に戻り、君を愛人として囲う」と言い出した。
「何の為に駆け落ちしたと思ってるのよ!? ふざけないで!!」
激高したドリスにエーリックは「君を日陰の身にさせるのは心苦しいよ、でもそうすれば何不自由なく優雅に暮らせるんだよ? ドレスも宝石も好きなだけ買えるし、ご馳走だって食べ放題だ。家事も仕事もしなくていいんだよ?」と宥めた。
苦労をしなくていい。優雅に暮らせる。
この言葉は今のドリスにはひどく甘美なものだ。
それに疲弊しきった頭では碌に考えられず、二つ返事で彼に従いセレネ伯爵家の門前で懇願するとまで至った。
しかし、冷静になった今なら分かる。
その提案は『ディアナがエーリックに惚れていて、彼の言うことなら何でも聞く』という前提がないと成り立たない。
むしろその前提があったとしても、ドリスの存在はディアナにとって憎き恋敵だ。
優遇されるなんて期待する方が間違っている。
「エーリックが戻ってくる前にさっさと逃げましょう。まあ……戻ってはこないかもしれないけど……」
ここ数か月でドリスはすっかりエーリックへの気持ちが冷めていた。
生活していく上で彼は完全にお荷物だ。何の役にも立たないのに、やたら世話がやける。
“愛している”と口にするだけで、それを行動では示さない。
彼が行動できることといえば、高い食事を御馳走するとか高価な贈り物をするとか、お金を使うことだけだ。それ以外は何も出来やしない。
「なにが『ドリスも一緒にディアナにお願いしよう! 愛し合う二人の姿を見ればきっと分かってくれる!』よ! 馬鹿だわ! 馬鹿! 馬鹿! 彼女をどれだけ甘っちょろい女だと見くびっているのよ!? 婚約者だったくせに……何も分かっていないんだわ!」
あの、こちらを路傍の石としか見ていないような彼女の目。
隙があるように見えて、いざ手を出したら完膚なきまで潰されそうな威圧感。
あれが本物の貴族なんだ。
甘っちょろいアルバン子爵家とは大違い。
当主夫妻は息子が使用人の女と恋仲になっているというのに、口頭で注意するだけでドリスを排除しようと動くことすらしない、生温い人種とは根本から違う。
「何であんな人がエーリックのような甘ちゃんと婚約していたの……? 愛情すらなかったようだけど……」
どこをどう見ても彼女がエーリックを好きだったとはこれっぽっちも思えない。
それに、何故自分達がこうして無事でいられたのかも理解不能だ。
恥をかかされたとして、エーリック共々始末されてもおかしくないのに……。
「考えたって分からないし、今更どうしようもないわ。それよりも早く逃げなくちゃ……」
荷物を纏め、ドリスはさっさと宿を出た。
行くあてなどないけれど、お荷物さえいないなら一人でどうとでも生きていける。
「そういえばあの人はどうしているのかしらね……?」
あの時、自分を結婚式場まで手引きしてくれた人はどうしているだろうかとドリスはふと考えた。
招待客でもない、完全なる部外者であるドリスを式場まで手引きした関係者。
その人が協力を申し出てくれたおかげで駆け落ちまで成し遂げられた。
「いや、今思えば余計なお世話だったわ。あの人さえ余計なこと言いださなければ、駆け落ちなんて馬鹿なことしなくて済んだのに……」
頭の中に思い浮かんだその人の名を憎々し気に呟き、ドリスは大通りにある辻馬車へと乗った。
ありがちな話だが、ひょんなことからその家の跡取りであるエーリックと恋仲になり、互いに添い遂げたいと思うまでとなる。
貴族と平民は夫婦になれない。
なので二人が添い遂げる方法としては、エーリックが身分を捨てて平民になるか、ドリスを愛人として囲うかのどちらかだ。
だがエーリックはそのどちらの方法もとらなかった。
というよりも、何の行動もとらないと言った方が正しい。
『アルバン子爵家を継ぐためには婚約者と結婚しなきゃならない。でも僕が愛するのは君だけだよ、ドリス』
婚約者よりも自分を選んでくれたことは嬉しかった。
だが、結局彼は自分をどうするのかは分からずじまいだ。
愛人として囲うつもりならばメイドを辞めなければならない。
そうすると収入源は何も無いので、家を買ってもらい生活費も貰わなければ。
だけど彼は一向にそうする気配がない。
家を買ってほしいと頼んでも『そんなの父上が許さないよ』と言うし、身分を捨てるのかと問えば『それは母上が許してくれないだろうし……』と言う。
煮え切らない態度に苛々したが、彼のことが好きだったのでドリスもそれ以上は何も追及しなかった。
そしてあれよあれよという間にエーリックが婚約者との結婚式を迎えることとなる。
婚約者が嫁いでくる家で呑気にメイドをやってなんかいられない。
焦ったドリスは結婚式場まで乗り込み、花嫁から愛しい彼を奪い去るという強硬策に出た。
結果、彼も自分を選んでくれた。
横にいる綺麗なお嬢様よりも、平民の自分を―――。
それはドリスに震えるほどの優越感を覚えさせ、その快感が脳内を麻痺させるた。
貴族の結婚式をぶち壊すことがどれほど恐ろしいのか。それを考えさせないほどに。
頭が冷えて現実を自覚したのはすぐだった。
働くことも、自分の身の回りの世話すらも出来ないエーリック。
そんな彼と市井で暮らすことがどんなに大変か、ドリスは全く想像していなかった。
(結局アタシが外で働いて家のこともして……この人はただぐうたらしているだけ。そんな生活が嫌で、王都まで来ちゃったけど……完全にそれは間違いだったわ)
肉体労働も出来ない傅かれる立場のお坊ちゃまが市井で職にありつけるわけがない。
かといって、家事が出来るかというとそれも全くだ。
結局、ドリスが昼間外で働き、夜は家事とエーリックの世話をする毎日。
寝る暇も休む暇もなく、心も体もすり減ってしまった。
質素な生活に嫌気が差したのかエーリックは「このままここにいてもドリスに苦労させるだけだ」「ディアナの所に戻り、君を愛人として囲う」と言い出した。
「何の為に駆け落ちしたと思ってるのよ!? ふざけないで!!」
激高したドリスにエーリックは「君を日陰の身にさせるのは心苦しいよ、でもそうすれば何不自由なく優雅に暮らせるんだよ? ドレスも宝石も好きなだけ買えるし、ご馳走だって食べ放題だ。家事も仕事もしなくていいんだよ?」と宥めた。
苦労をしなくていい。優雅に暮らせる。
この言葉は今のドリスにはひどく甘美なものだ。
それに疲弊しきった頭では碌に考えられず、二つ返事で彼に従いセレネ伯爵家の門前で懇願するとまで至った。
しかし、冷静になった今なら分かる。
その提案は『ディアナがエーリックに惚れていて、彼の言うことなら何でも聞く』という前提がないと成り立たない。
むしろその前提があったとしても、ドリスの存在はディアナにとって憎き恋敵だ。
優遇されるなんて期待する方が間違っている。
「エーリックが戻ってくる前にさっさと逃げましょう。まあ……戻ってはこないかもしれないけど……」
ここ数か月でドリスはすっかりエーリックへの気持ちが冷めていた。
生活していく上で彼は完全にお荷物だ。何の役にも立たないのに、やたら世話がやける。
“愛している”と口にするだけで、それを行動では示さない。
彼が行動できることといえば、高い食事を御馳走するとか高価な贈り物をするとか、お金を使うことだけだ。それ以外は何も出来やしない。
「なにが『ドリスも一緒にディアナにお願いしよう! 愛し合う二人の姿を見ればきっと分かってくれる!』よ! 馬鹿だわ! 馬鹿! 馬鹿! 彼女をどれだけ甘っちょろい女だと見くびっているのよ!? 婚約者だったくせに……何も分かっていないんだわ!」
あの、こちらを路傍の石としか見ていないような彼女の目。
隙があるように見えて、いざ手を出したら完膚なきまで潰されそうな威圧感。
あれが本物の貴族なんだ。
甘っちょろいアルバン子爵家とは大違い。
当主夫妻は息子が使用人の女と恋仲になっているというのに、口頭で注意するだけでドリスを排除しようと動くことすらしない、生温い人種とは根本から違う。
「何であんな人がエーリックのような甘ちゃんと婚約していたの……? 愛情すらなかったようだけど……」
どこをどう見ても彼女がエーリックを好きだったとはこれっぽっちも思えない。
それに、何故自分達がこうして無事でいられたのかも理解不能だ。
恥をかかされたとして、エーリック共々始末されてもおかしくないのに……。
「考えたって分からないし、今更どうしようもないわ。それよりも早く逃げなくちゃ……」
荷物を纏め、ドリスはさっさと宿を出た。
行くあてなどないけれど、お荷物さえいないなら一人でどうとでも生きていける。
「そういえばあの人はどうしているのかしらね……?」
あの時、自分を結婚式場まで手引きしてくれた人はどうしているだろうかとドリスはふと考えた。
招待客でもない、完全なる部外者であるドリスを式場まで手引きした関係者。
その人が協力を申し出てくれたおかげで駆け落ちまで成し遂げられた。
「いや、今思えば余計なお世話だったわ。あの人さえ余計なこと言いださなければ、駆け落ちなんて馬鹿なことしなくて済んだのに……」
頭の中に思い浮かんだその人の名を憎々し気に呟き、ドリスは大通りにある辻馬車へと乗った。
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