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壊れた心
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「元気だったかい、姫君」
ジュリアーナの手が触れている部分の鏡面が水面のように揺れる。
すると鏡の向こうにいた青年魔女がその手を握り、鏡を通ってこちら側へとやってきた。
「ええ、お陰様で。特に本日は念願の第一歩を踏み出せましたから……。とても気分がよろしいです」
「そうか、それはよかったね。僕としては望みの為とはいえ君が僕以外と婚約をするのは複雑だけど……」
青年魔女の言葉にジュリアーナは何も返せなかった。
それというのも彼がどうしてそんな発言をするのか、その意図が分からないからだ。
(心配なさらなくてもちゃんと子供は産むという契約は果たしますのに……)
ジュリアーナくらいの年頃の乙女ならば美青年に意味深長な台詞を囁かれたら頬を染めるものだろう。だが、心が壊れかけているジュリアーナには何の感情も湧きやしない。ただ彼が自分の子を産む腹を奪われるのが嫌なのかと、何とも趣の無いことが頭に浮かぶ。
あの日、マーサを自分のせいで失った時からジュリアーナの心は徐々に壊れていった。
物事に対しての興味や関心が薄く、ダニエルへの復讐とマーサの蘇生に関することでしか喜びを見出せない。
青年魔女のような人ならざる美貌の青年から子作りを希望されたとしても恥ずかしがることなく、ただ淡々と受け入れたのもそのせいだ。やり直す前のジュリアーナであれば夫でもない殿方とそんなふしだらな真似を……と恥ずかしがったことだろう。だが、今のジュリアーナは何も感じない。それでマーサに再び会えるのなら自分の体をどうしてくれようと構わないという投げやりな気持ちで受け入れた。
「婚約したとはいえその男に触れさせてはいけないよ。君は僕のものになるのだからね」
「はい、勿論です。魔女様の御子を授かるための体を穢すような真似は致しませんわ」
「……愛を囁かれてもほだされないでね。その男、顔だけはいいようだから」
「ご安心を。もう他人の美醜に心動かされることはありません。見かけの美しさに目が眩んだ結果、大切な人を失ったのですから……」
客観的に見れば美青年が独占欲の強い台詞を囁くという乙女には垂涎ものの状況であるのに、ジュリアーナにあるのは“無”の感情のみ。返す言葉も無機質で色気もムードもないものばかりだ。
「相変わらずだね姫君は……。少しは反応してくれないと面白みに欠けるんだけどな?」
「それは申し訳ございません。しかしながらわたくしは貴方様の望むような反応はお返しできないかと」
青年魔女は何度かジュリアーナの元を訪れているが、彼女との距離は一向に縮まらない。
どれだけ甘い言葉を囁こうとも、どれだけ甘い微笑みを向けようとも、彼女が喜ぶ気配は見られない。
「冷めた性格というのも嫌いではないけどね。君は昔からその性格だった?」
「いえ……時戻りをしてからこうなりました。マーサを失ってから……何をしても心が動かされないのです」
「ふーん……なら、マーサとやらを蘇らせれば君の可愛い反応も見られるかな? なら、頑張らないとね……」
傷跡の残るジュリアーナの首元をそっと撫で、青年魔女は目を瞑る。
「……何度読み取ってもぐちゃぐちゃな術式だ。よくこれで時戻りが出来たものだと感心するよ……」
「いつも思うのですが触れただけでそんなことまで分かるものなのですか?」
「ああ、魔法を使用すると必ず痕跡が残る。といってもそれを読み取れるのは熟練の魔女だけだ」
どうやらジュリアーナの首元……マーサがつけたネックレスの痕を触るとどのような魔法が使われたかをこの青年は読み取れるようだ。何でもあの禍々しいデザインのネックレスが魔力の媒介とやらになっていたらしく、そこから痕跡を辿れるとか。なので、彼は何度もジュリアーナのもとへ訪れてはこうやって魔法の痕跡を辿っている。
「熟練の魔女様ですら難しい顔をしてしまうほどマーサが使用した魔法は複雑なものなのですね」
「いや……複雑というよりも、よくこれで成功したなというほど酷いものだ。正しいやり方が分からず色々試した結果こうなった、というようなもの。だからどの術式をどのように使用したかを一つ一つ紐解いていかなきゃならない」
「ああ……だから時間がかかるとおっしゃったのですね」
「そうだよ。まあ……それでも君が例の復讐を終えるまでには済ませておきたいと思っているよ。それで、そちらの準備はどうだい?」
「ええ、抜かりなく」
ジュリアーナは己の事情を全てこの青年に打ち明けている。
これから彼女が何を成そうとしているのかを知るのは世界で唯一この青年だけだ。
「そうか。君の成功を祈るよ。しかし、僕に任せてくれたなら人間の一人くらい簡単に破滅させられるのに」
「いいえ、これはわたくしがやらなければならないことです。そうでないと気が晴れませんから」
ひょんなことから頼もしい存在を味方に出来たことは僥倖だが、マーサ以外の件について彼に何かをお願いするつもりはない。
やり直す前の自分は何でも周囲にやってもらうことが当たり前で自ら何かをしようと思わなかった。婚約相手について調べることも、嫁ぎ先の情報を得ようとも考えなかった自分が情けなく恥ずかしい。きちんと情報を収集しておけばマーサを失うことにもならなかったと猛省し、今後は率先して動くことにした。
思えばダニエルとの婚約は不可解な点が多すぎた。
その違和感を無視した結果がこれだ。だからやり直した今回はその不可解な点を事前に調べることにした。
王家はお抱えの密偵を所有しており、王族であればそれを自由に使うことが出来る。
他国に間者として潜入することも可能な彼等が他家に入り込むことなど造作もない。
こんな便利な存在がいたというのに、使うことすら思いつかなかった過去の自分が本当に恥ずかしい。
時戻りをしたジュリアーナは早々にオーガスタ辺境伯家へ王家の密偵を潜り込ませ、情報を収集させた。有難いことに密偵というのは主である王族の指示を忠実にこなし、余計な事も言わない。何故その情報が必要なのかについて尋ねることもないのは本当に助かる。まだ婚約者でもない相手の事を何故調べるのかについて問われても返答に困るから。
かくしてオーガスタ辺境伯家に密偵を潜り込ませた結果、時戻り前に分からなかったことがいくつも判明したのだった。
ジュリアーナの手が触れている部分の鏡面が水面のように揺れる。
すると鏡の向こうにいた青年魔女がその手を握り、鏡を通ってこちら側へとやってきた。
「ええ、お陰様で。特に本日は念願の第一歩を踏み出せましたから……。とても気分がよろしいです」
「そうか、それはよかったね。僕としては望みの為とはいえ君が僕以外と婚約をするのは複雑だけど……」
青年魔女の言葉にジュリアーナは何も返せなかった。
それというのも彼がどうしてそんな発言をするのか、その意図が分からないからだ。
(心配なさらなくてもちゃんと子供は産むという契約は果たしますのに……)
ジュリアーナくらいの年頃の乙女ならば美青年に意味深長な台詞を囁かれたら頬を染めるものだろう。だが、心が壊れかけているジュリアーナには何の感情も湧きやしない。ただ彼が自分の子を産む腹を奪われるのが嫌なのかと、何とも趣の無いことが頭に浮かぶ。
あの日、マーサを自分のせいで失った時からジュリアーナの心は徐々に壊れていった。
物事に対しての興味や関心が薄く、ダニエルへの復讐とマーサの蘇生に関することでしか喜びを見出せない。
青年魔女のような人ならざる美貌の青年から子作りを希望されたとしても恥ずかしがることなく、ただ淡々と受け入れたのもそのせいだ。やり直す前のジュリアーナであれば夫でもない殿方とそんなふしだらな真似を……と恥ずかしがったことだろう。だが、今のジュリアーナは何も感じない。それでマーサに再び会えるのなら自分の体をどうしてくれようと構わないという投げやりな気持ちで受け入れた。
「婚約したとはいえその男に触れさせてはいけないよ。君は僕のものになるのだからね」
「はい、勿論です。魔女様の御子を授かるための体を穢すような真似は致しませんわ」
「……愛を囁かれてもほだされないでね。その男、顔だけはいいようだから」
「ご安心を。もう他人の美醜に心動かされることはありません。見かけの美しさに目が眩んだ結果、大切な人を失ったのですから……」
客観的に見れば美青年が独占欲の強い台詞を囁くという乙女には垂涎ものの状況であるのに、ジュリアーナにあるのは“無”の感情のみ。返す言葉も無機質で色気もムードもないものばかりだ。
「相変わらずだね姫君は……。少しは反応してくれないと面白みに欠けるんだけどな?」
「それは申し訳ございません。しかしながらわたくしは貴方様の望むような反応はお返しできないかと」
青年魔女は何度かジュリアーナの元を訪れているが、彼女との距離は一向に縮まらない。
どれだけ甘い言葉を囁こうとも、どれだけ甘い微笑みを向けようとも、彼女が喜ぶ気配は見られない。
「冷めた性格というのも嫌いではないけどね。君は昔からその性格だった?」
「いえ……時戻りをしてからこうなりました。マーサを失ってから……何をしても心が動かされないのです」
「ふーん……なら、マーサとやらを蘇らせれば君の可愛い反応も見られるかな? なら、頑張らないとね……」
傷跡の残るジュリアーナの首元をそっと撫で、青年魔女は目を瞑る。
「……何度読み取ってもぐちゃぐちゃな術式だ。よくこれで時戻りが出来たものだと感心するよ……」
「いつも思うのですが触れただけでそんなことまで分かるものなのですか?」
「ああ、魔法を使用すると必ず痕跡が残る。といってもそれを読み取れるのは熟練の魔女だけだ」
どうやらジュリアーナの首元……マーサがつけたネックレスの痕を触るとどのような魔法が使われたかをこの青年は読み取れるようだ。何でもあの禍々しいデザインのネックレスが魔力の媒介とやらになっていたらしく、そこから痕跡を辿れるとか。なので、彼は何度もジュリアーナのもとへ訪れてはこうやって魔法の痕跡を辿っている。
「熟練の魔女様ですら難しい顔をしてしまうほどマーサが使用した魔法は複雑なものなのですね」
「いや……複雑というよりも、よくこれで成功したなというほど酷いものだ。正しいやり方が分からず色々試した結果こうなった、というようなもの。だからどの術式をどのように使用したかを一つ一つ紐解いていかなきゃならない」
「ああ……だから時間がかかるとおっしゃったのですね」
「そうだよ。まあ……それでも君が例の復讐を終えるまでには済ませておきたいと思っているよ。それで、そちらの準備はどうだい?」
「ええ、抜かりなく」
ジュリアーナは己の事情を全てこの青年に打ち明けている。
これから彼女が何を成そうとしているのかを知るのは世界で唯一この青年だけだ。
「そうか。君の成功を祈るよ。しかし、僕に任せてくれたなら人間の一人くらい簡単に破滅させられるのに」
「いいえ、これはわたくしがやらなければならないことです。そうでないと気が晴れませんから」
ひょんなことから頼もしい存在を味方に出来たことは僥倖だが、マーサ以外の件について彼に何かをお願いするつもりはない。
やり直す前の自分は何でも周囲にやってもらうことが当たり前で自ら何かをしようと思わなかった。婚約相手について調べることも、嫁ぎ先の情報を得ようとも考えなかった自分が情けなく恥ずかしい。きちんと情報を収集しておけばマーサを失うことにもならなかったと猛省し、今後は率先して動くことにした。
思えばダニエルとの婚約は不可解な点が多すぎた。
その違和感を無視した結果がこれだ。だからやり直した今回はその不可解な点を事前に調べることにした。
王家はお抱えの密偵を所有しており、王族であればそれを自由に使うことが出来る。
他国に間者として潜入することも可能な彼等が他家に入り込むことなど造作もない。
こんな便利な存在がいたというのに、使うことすら思いつかなかった過去の自分が本当に恥ずかしい。
時戻りをしたジュリアーナは早々にオーガスタ辺境伯家へ王家の密偵を潜り込ませ、情報を収集させた。有難いことに密偵というのは主である王族の指示を忠実にこなし、余計な事も言わない。何故その情報が必要なのかについて尋ねることもないのは本当に助かる。まだ婚約者でもない相手の事を何故調べるのかについて問われても返答に困るから。
かくしてオーガスタ辺境伯家に密偵を潜り込ませた結果、時戻り前に分からなかったことがいくつも判明したのだった。
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