鬼嫁物語

楠乃小玉

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六十七話 急転直下

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 永禄十年

 神戸、長野、木造など北畠氏の主だった重臣たちは織田方に寝返っていた。
 領主北畠教具は政を息子の具房に政を任せ、具房は一向宗に懐柔され、
 市場を開き、他国の安い物品を大量に入れていたので、伊勢国内の国人たちが辟易としていたからだ。
 このような有様では、北畠氏の敗北はすぐであると織田家の誰もが考えていた。

 だが、楠木正忠の息子、楠木正具が頑強に抵抗し、佐久間の軍勢も一時押し返されていた。
 信長は美濃で七万の軍勢をととのえ、
 永禄十二年、改めて伊勢の北畠を攻めた。
 一門衆のほとんどが寝返り、北畠の軍勢はわずか一万六千である。

 「ははは、佐久間の指揮ゆえ勝てんのですに、拙者にお任せいただければ、
 すぐに北畠などひねりつぶして見せますにい」

 軍議でそう大言壮語したのは元々熱田の東加藤家の居候であった
 滝川一益であった。

 「あの恩知らずの居候が……」

 佐久間信盛は小声でつぶやきながらギリギリと歯切りしをした。

 信長は滝川一益に三万の兵を預け、自らは四万の兵力で北畠氏が立てこもる大河内城を正面から攻めた。

 滝川一益は幼少の頃伊勢に住んでおり、この辺りの地形にも詳しかった。

 大河内城に通じる城の背後の間道を通って城に攻め寄せた。
 しかし、その間道には大量のマムシがばらまかれえおり、多くの兵士が噛まれた。
 とっさの事に織田軍の兵士は狼狽し、混乱しているところに楠木正具の伏せ勢が攻めかかり、
 織田軍は大混乱に陥って撤退した
 
 滝川一益敗走の報を聞いた信長は正面攻撃を中止して軍を引いた。

 敵はたかだか一万六千。

 信長は織田方に抵抗した領民を追い立てて大河内城に逃げ込ませて兵糧攻めに切り替えた。

 だが、北畠勢が夜陰にまぎれて城を抜け出し、織田方の兵糧を焼いたり、細かい夜襲をしかけてくる。

 夜中に鍋を叩き、大声をあげて織田軍を寝かさない。

 織田方は次第に消耗し、戦いは膠着状態となった。

 信長は、大河内城の無理攻めをあきらめ、将軍、足利義昭に北畠との和睦の調停を願った。
 信長によって将軍の地位につけてもらった義昭は素直にこの願いを聞き入れ、
 北畠の嫡男として織田信長の子供、茶筅丸を北畠の養子にすることで和睦が成立した。

 和睦にあたって、佐久間信盛と左京亮は危険であるからと、楠木正具を捕らえて処刑するよう
 信長に嘆願したが、楠木正成を信奉する信長はその意見を頑強に拒絶した。

 結局、楠木正具は、北畠領から逃亡し行方をくらました。


 楠木正具にしてやられた事で、滝川一益の面目は丸つぶれになり、しばらくは
 信長に対して差し出口をしなくなった。

 これで、元々織田家の重臣である佐久間信盛の意見も織田家で通りやすくなろだろうと
 左京亮の兄の信盛も機嫌をよくしていた。

 が、織田信長は妙なよそ者を連れてきた。

 武藤舜秀むとうきよひでという者であった。

 なんでも若狭に親戚がおり、若狭に精通しているという。
 織田信長は伊勢の次の侵攻先を信長に反抗的な若狭の武田氏に定めていると宣言しており、
 それもあって、この武藤氏を重要視しているようであった。
 
 岩室長門守の次は滝川一益、その次は武藤舜秀。
 織田信長は妙に他国の者に入れ込む癖があった。

 伊勢攻略のあと、新参者の武藤がずっと信長の傍にいることで、佐久間信盛は
 しばらく不機嫌であった。

 信長は武藤の言を入れ、若狭攻略を開始した。
 慎重な信長は、若狭の小大名武田氏を攻略するのに三万の大軍勢を動員した上に、
 徳川家康に同盟軍の派遣を求めた。

 たかが小領主相手にいくらなんでも慎重すぎる。

 「これは他にかにかお考えがあるのではございますまいか」
 行軍の途中、左居亮は兄の信盛に尋ねた。
 「なに、伊勢の北畠は七万でも攻め潰せなかった。用心に越したことはない」
 信盛はそう答えた。

 が、信長は若狭ではなく越前に進軍した。

 「敵は越前朝倉なり」
 信長の号令の元、織田軍は朝倉方の金ケ崎城の支城、天筒山城に攻め寄せ、一日で陥落させた。
 ここで武藤舜秀が目覚ましい活躍をしたので、信長を大いに喜ばせた。

 その勢いのまま、金ケ崎城に攻め寄せたが、朝倉方は援軍をよこさない。
 「あやしい……脆すぎる」

 織田信長はそこで進軍を止めた。
 そこの陣中に早馬が駆け込んでくる。

 「浅井長政殿ご謀反、背後から攻め寄せてまいります」

 それを聞いた信長は首をかしげた。

 「何故長政が謀反する。浅井と朝倉は権益をめぐって戦をしたこともある。
 さして入魂でもなかろう。謀反を起して朝倉を助けて浅井に何の得があるか」

 信長は最初、浅井長政の謀反を信じなかった。

 しかし、次々に浅井長政が背後から進軍してくるとの知らせが入ってくる。

 「これはしたり……さて、殿しんがりであるが」
 
 「某にお任せくだされ」

 武藤舜秀が名乗りをあげた。

 「そなたは新参、この危急の時に織田の兵たちは命を盾に守ろうとはすまい」

 「ならば、我ら別所勢が」

 播磨別所の家臣、神吉頼定と淡河定範が名乗りをあげる。

 「申し訳ないが、別所の棟梁でなければ総大将はまかせられぬ」
 信長がこれも却下する。

 「ならば摂津守護であるこの池田勝正がうけたまわろう」

 池田勝正が名乗りをあげる。

 「おお、摂津守護職の池田殿ならば申し分はない。別所衆の方々もそれで依存はないか」
 「うむ、守護様が御大将なら文句はござらぬ」 
 神吉頼定がそう言った。

 「よし、ならば、木下藤吉郎、そなたが池田殿の与力として織田軍を率いよ」

 信長は木下藤吉郎にそう命じた。

 「かしこまった」

 木下藤吉郎はそう言ってニッコリと笑った。


  そこに大和の松永久秀が走り出てきた。

 「信長様、あなた様は日乃本の国の明日に無くてはならぬお方、この松永久秀、
 我が命に代えても信長様をお守りする所存でござる。
 幸い、近江には油の流通を通じて入魂にしている国人衆も多い。どうか、この久秀に
 道案内をお任せくださいませ」

 そう言って久秀は信長の前に平伏した

 「おお、嬉しいことを言ってくれる、では久秀、道案内をいたせ」

 信長はそう命じた。

 信盛、左京亮ら重臣たちも信長のあとに続いた。
 織田軍本隊は木下藤吉郎に任せられたため、
 信長に付き従ったのはほんの数十名であった。
 ここを敵に襲われたらひとたまりもない。
 だが、ここで主君信長公と一緒に死ねるならそれが本望だと左京亮は思った。

 「恐れながら」

 もう一人、信長の前に走り出た者がいた。
 それは、岩室長門守の小者、甲賀衆の猫の目という者であった。

 「いままで身を粉にして信長様のために働いてまいりました。
 信長様もこの後、どうなるか分からぬ身の上、どうか今まっで働いた報酬をいただきたい」

 「何を無礼な、小者の分際で」

 左京亮は激怒して猫の目に向けて刀を突きつけた。

 「やめろ、左京亮」

 信長が止める。

 「え、あ、はい」

 動揺する左京亮。

 「よかろう、して何が欲しい」

 「信長様ご着用の鎧兜がほしい」

 「なにを、増長するなよ」

 左京亮が激怒して猫の目につかみかかろうとする。

 「やめろ」
 信長が一喝する。

 「よかろう、もっていくがいい」

 信長は鎧兜を脱いで、猫の目に渡した。

 「上様、おさらばでございまする」

 猫の目はそう言って目からボロボロと涙を流した。

 「うむ」

 信長は貧相な猫の目の鎧兜をもらい受け、着用して馬にのり、その場を立ち去った。

 「何故、あのような者に鎧を」

 左京亮は信長に馬を並べ、不満そうにいった。

 「あいつは岩室の最後の忘れ形見だ。こたびも奴の手勢が浅井の謀反を教えてくれた。
 せめてものつぐないだ」

 信長はそう言って馬を進めた。

 その後、左居亮は猫の目の姿を二度と見ることはなかった。

 松永久秀は目立たぬ間道を通り、朽木谷を目指した。
 そこの小領主、朽木元網くつきもとつなの元に久秀は向かい、
 織田信長は将軍足利義昭の家臣にすぎず、もし、ここで信長を殺しても、必ず
 幕府軍に朽木谷は攻められるので、信長を助けるしかないと説得した。
 朽木元網は松永久秀の言を受け入れ、家臣の長谷川惣兵衛茂元に案内をさせて、 
 山中の地元の者も少数しかしらない裏道を通って丹波の波多野氏の領地まで信長を逃がした。
 別れ際、長谷川は茶菓子とお茶を信長にふるまったが、
 信長は大いに喜び、長谷川に自分のはいている鹿革のたちつけ(袴の一種)
 と銀の箸を長谷川に渡した。

 「本来であれば鎧兜でもやりたいのだが、己の物は今はこれしかないのだ」

 信長は照れ臭そうに苦笑いした。
 「ははっ、ありがたき幸せ何百年先まで大事に保ち子々孫々まで家宝にしまする」
 長谷川はそう言って平伏した。

 「ははは大袈裟だなあ」

 信長はそう言って照れ臭そうに頭をかいた。



 
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