どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

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二十一話 謀反

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 婚礼の儀式が執り行われたあと、義元公は休む間もなく三河に旅立たれた。

 三河では君主松平清康が家臣に討たれその隙を衝いて
 一族の松平信定が嫡子松平忠広を追放して国を乗っ取ってしまったのだ。

 それを調停して何とか忠広を主君の座に戻されるおつもりのようであった。

 義元公が三河にさしかかった頃であろうか、
 天文六年二月二十四日に突如として北条が今川領に攻め寄せてきた。

 その動きは速く、あっという間に富士信忠の領地である富士川の東側まで迫った。

 どう考えても早すぎる葛山氏広が裏切ったとしか考えられない。

 留守居役太原雪斎様の指揮の下一宮氏、庵原氏、岡部氏、興津氏らは
 兵を集め応戦に向かった。

 北条の大軍に追い回され、
 徐々に軍勢を削られていた富士信忠の軍勢に太原軍は合流して敵と激突した。

 「やあ、これは一宮の道化ではないか、此度はどのように笑わせてくれるか」

 敵軍の中から声がした。
 朽ち葉色の旗指物に白く南無八幡大菩薩と染め抜かれた旗を担いだ
 黒い甲冑の騎馬武者がそこに居た。
 福島孫九郎だ。

 「福島の死に損ないか、花倉の嘆願によって命助けられながら
 御屋形様から受けたご恩を仇で返すとは犬にも劣るわ」

 「武者たるは犬といわんや、畜生といわんや、勝つことこそ本にて候」

  言うが早いか騎馬武者が一元実に突進してくる。

 「おのれこざかしいわ」

 元実も突撃しようとするが郎党がその手綱を握って離さない。

 「なりませぬ若様、なりませぬ」

 一宮の郎党どもが立ちはだかって先に進めない。

 「ええい、離せ、離せ」

 元実が叫ぶ間も孫九郎が一宮の郎党を次々と切り倒してゆく。

 「おのれい」

 元実は歯をむき出しにして叫んだ。

 「引け」

 短い雪斎様の声とともに早鐘が打ち鳴らされた。

 「引くぞ元実」

  父が怒鳴った。

 「しかし父上」

 「頭を冷やせ、命令は逆らいたるは反逆ぞ」

 「くそがあ」

 元実は怒りに体を震わせながらも撤退した。

 「ははは、いつも声だけは大きいだに」

 孫九郎の嘲笑が背後に聞こえた。

 その後も北条軍は押しまくり、
 吉原をまで撤退した当方の軍勢は川岸まで圧され、
 あとは川の中に追い落とされるばかりとなった。

 川の中では早急に動くことはできず、
 敵の格好の矢の的になろう。

 もうこれで当方もお仕舞いのようであった。

 その時である。川向こうからときの声が聞こえた。

 「エイエイトー、エイエイ、エイエイトーエイエイ」

 それは新田義貞が鎌倉へ北条討伐に向かうときに使った号令であった。

 「いけませぬ、敵前で川を渡るなどいけませぬ、今すぐお逃げくだされ」

 大声で雪斎様が叫んだ。

 その声がまるで聞こえないが如く、
 お味方の軍勢は川の中に突っ込んだ。

 まさしくその戦闘で刀を抜いて迫ってこられるのは
 今川義元公であった。

 続くは百戦錬磨の朝比奈軍、瀬名軍ら精強な遠州軍であった。

 北条方は一斉に矢を射たが、当方も応戦して矢を放つ。

 北条は川中を進軍する本体と我らの部隊二つを狙って方向が定まらず、
 さして被害を及ぼさなかった。

 川を渡りきられた義元公は満面の笑みを浮かべられた。

 「よう耐えたの、あとは下がれ」

 「いいえ、共に戦いまする」

 雪斎様が叫んだ。

 「かまわぬ、策があるゆえ下がれ」

 「かしこまりました」

 我らの軍は川を渡って後ろに下がった。

 振り返ると、義元公の軍は前に進まず、その場に踏みとどまっておられた。

 「背後に武田軍出現、このままでは挟み撃ちされまする」

 黄色の旗指物をして赤い鎧を着た騎馬武者が敵陣に走り寄ってきて叫んでいる。

 「それい、一気に北条を叩き潰せ」

 「おーっ」

 義元公の号令の元、遠州軍は敵に攻めかかった。
 その時である。

 川向こうから騎馬武者一騎が狂ったように駆けてくる。

 歯を食いしばりすぎたか、口元から血が流れ落ちている。

 「敵襲でござる。遠州で堀越と井伊が謀反。
 早急に引かねば挟み撃ちにされまする。御屋形様にお知らせを」

 「心得た」

 元実は伝令の叫びを聞いて、
 踵をかえして義元公にむけて馬で駆け寄った。

 義元公は敵の殿の群れにまさに飛び込もうとした矢先であった。

 「なりませぬ、背後に敵襲、堀越と井伊が謀反でござる、すぐに撤退を」

 元実の言葉を聞いて義元公が目を大きく見開かれた。

 「馬鹿な、必ず勝てる戦をっ……」

 義元公の顔が見る間に紅潮される。

 「おのれ、命助けたる恩を仇で返すか堀越め、井伊め」

 義元公は馬をとめ、周囲に一瞥した。

 「各々方、是よりは死ぬも生きるも一緒ぞ、いざ参らん」

 「おーっ」

 否応にも将兵の士気はあがった。

 当方が撤退を開始すると、北条方の殿は勢いに乗って攻め寄せてくる。

 まるで飢えた黒い蜘蛛が獲物に襲いかかるが如く、
 真っ黒な鎧と具足の集団が押し寄せてくる。

 それを無視して川の中に入る。

 後方の者からバタバタと切り倒されていく。

 川に入ると矢が雨のように降ってくる。

 次々と味方が音も無く倒れ水に流されていくが

 そんなもの見て居る暇もなかった。

 とにかく逃げた。

 当方の命あるものが全て川を渡りきった頃、
 敵も引き返した。さすがに川を渡ってまで攻めては来ぬようだ。

 川は矢で討たれて沈んだお味方の血で真っ赤に染まっていた。

 義元公は川に向けて手を合わされた。

 あとで聞けばその時、当方の殿を勤められたのは松井宗信という若武者であったそうだ。
 此度の活躍を義元公はいたく喜ばれ、以後松井宗信を重用されるようになった。

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