どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

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五十八話 代官のこと

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 元実は日常業務の他に伊賀衆の業務監視を任されていた。

 奴等が裏で何をしているのかは分からない。

 しかし、目で見えている部分では対したことはやっていない。

 ほとんどが、口こみで聞いてきたことの整理や諸国の商人の大福帳の映り。

 物の動きで合戦の準備などを読むそうだ。

 あとは、村山修験の中で選抜隊を編成し、
 使える者を密偵にする。

 競争倍率は厳しく、望んでもなかなか密偵にはなれぬようであった。 

 藤林はといえば、
 ちょっと背伸びして大人ぶっているただの子供であった。

 他国では恐れられているそうだが、
 それは実態をしらぬ者の無知ゆえの恐れなのだろう。
 本当にたいした事のない普通の連中であった。

 ただ、最近藤林の元に村山修験で密偵を志したにも拘わらず
 才覚無しとして放逐された者らがつきまとっているようであった。

 藤林が屋敷から出てくると、
 その前で土下座して、なんとか復帰させてもらえるよう
 懇願しているようだ。

 藤林はこれを無視しているようであったが、
 修験者たちもしつこかった。

 努力さえすれば必ず成功するという考えが
 今川家の中では主流となっていたので、
 この者たちも再雇用されるよう努力をしているつもりなのであろう。

 もっと違う方向で別の職種をさがせばいいと思うのだが。

 ある日、藤林と共に報告を済ませ、
 今川館を出ようとしたとき、
 恐れ多くも義元公が門の処までお見送りくだされた。

 やんごとなきお血筋の方ながら、
 まことに心使いの行き届かれた名君である。

 すると、いつものごとく、解雇された修験者たちが御前に駆け参じ、
 義元公の御前に土下座した。

「我らになにとぞ、今ひとたびの機会をお与えくだりませ。
 どのような苦難にも耐えてみせまする。どのような努力もいといませぬ」

 藤林は無表情のまま刀を引き抜き、
 横に振り払って話している修験者の首を刎ねた。
 驚いた他の修験者たちが逃げ惑うのをあるいは突き、
 あるいは殴って皆殺しにした。

 懐から竹笛を出してピーッと吹くと
 藤林の配下の者が来て死体を戸板に乗せて運び、
 あとを掃き清めて砂を撒き、何事もなかったかのようにしたてた。

 「何故、我に忠節を誓った者を切るか」

 義元公は無表情にたずねられた。

 「これは忠義ではございませぬ。脅しでございます」

 「というと」

 「大衆の面前で懇願し、それを義元公がお認めにならなければ、
 世間は義元公を慈悲無き方と思うでしょう。
 それを避けるためには此奴らの要求を聞くしかありませぬ。
 坊主がよく使う手口でございましょう」

 義元公の口元に笑みが浮かんだ。

 「たしかに」

 義元公は納得されると、すこぶるご機嫌になられた。

 「その方の言い分もっともである」

 義元公は藤林の言い分を認め、なんら罰することがなかった。

 
 元実はその場では何も言わなかったが、
 別の日、伊賀衆の行状を報告するさい、
 一言、あのような乱暴を街中させては外聞が悪うございますと
 義元公に忠告さしあげた。

 義元公は元実の言葉を軽く聞き流された。

 それから三日経た後。

 今川屋敷より呼び出しがあった。

 何事かと思うて急ぎ参上してみれば、
 五年も前の村木砦の事であった。

 そこで、三河衆から元実への不満が書き連ねた書状が
 義元公に届けられたということであった。

 誰がやったか断定はできない。

 証拠もない。

 しかし、誰がやったかは確実に分かる。

 しかし、証拠もなく、それを糾弾することもできず、
 糾弾すれば余計に見苦しき言い逃れ、
 責任転嫁の誹りはまぬがれない。

 顔無き者の恐ろしさをこの時初めて知った。

 「その方が送った土手者であるが、
 甲州訛りが酷すぎて、意思の疎通が出来なかったそうじゃ。
 しかも土手の経験がなく、
 まったく使い物にならなかった。
 このため、防壁の建設が遅れ、
 多くの今川家股肱の臣の命が奪われたのだ」

 「しかし、前に同じように調達した時は言葉がちゃんと通じました」

 自分でそこまで言って、元実ははたと気づいた。

 代官だ。

 あの時は間に代官が入っていた。

 代官が、言葉の通じる者、合戦の経験があるものをより分けて、
 ちゃんと使える者だけを差し出してくれたのだ。

 代官はすでに廃止されていて、
 そのような細々とした雑事も己でやらねばならなかったのだ。

 「代官が……」

 元実がつぶやいた。

 「代官がおらなんだ故、選別ができなんだか。
 そのような事を己でやることが経費節減であろうが」

 常々の超過勤務で休みも一日も取ったことがない。
 それでも寝る間を削って、働いてきた。

 そこに経費節減で雑事までせねばならぬのか。

 死ねと仰せなら戦場で死にたい。

 「怠け者が」

 義元公のお言葉が実元の胸に激しくささった。

 「そのように怠けたければ、
 今後いつまでなりとも怠けこけて寝ておれ。
 そなたに申しつけたる役職、すべて解任する。」

 義元公が吐き捨てるように言われた。

 「申し訳ございませぬ」

 謝るしかなかった。

 今まで長年をかけて築きあげてきた信用が、
 こんな事で一瞬にして崩れ去ってしまった。
 これで全てを失ってしまった。

 「追って沙汰あるまで蟄居謹慎申しつける」

 「ははっ」

 元実は平伏した。

 今川館を退出し、肩を落し、
 家を逐われた野良犬のように体を縮めて
 家に帰っていった。

 家に帰ると、父が笑顔で待っていた。

 「是非も無し。今より失いし信任、一つずつ積み上げてゆくがよかろう」

 「父上」 
 元実は泣いた。
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