どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

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五十九話 踏まれても付いてゆきます下駄の雪

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 それより暫く、元実は家で草むしりをしていた。

 外に出るわけにもいかず、家では何もする事もない。
 
 今までずっと休みもなしに働いてきただけに、
 家に居ても何もすることがなく、
 頭が狂いそうになる。

 実に仕事忙しき事のありがたみが身に染みた。

 父は、恐れ多くも多忙なる義元公御自らお叱りくださった事は
 光栄の極みであり、
 本来なら重臣でも奉行、家来であれば、
 下人以下が通達するものであると励ましてくだされた。

 それを思えば、お叱りいただけること、
 真に光栄の至りである。

 それにしても、仕事がないのは辛い。

 何も考えず、休み無く働いている方がよほど楽だ。

 体の疲れなど何ほどの事もない。

 人と人との心の軋轢ほど辛きものはない。

 追って沙汰するとのお言葉以降、
 何の沙汰無く、いつ沙汰あらんやと待ち続ける間の長きこと更なり。

 底なしの不安と恐怖は、
 いっそひと思いにお討ちくだされと叫びたくなる心持ちであった。

 子供の頃描いていた凜々しい己が姿。

 刀をふりかざし、敵を切り裂き、人々の羨望を集める荒武者。

 某は何をしているのだろう、
 こんな年まで何をしていたのだろう。

 何のために生きているのだろう。

 実元は漠然と思った。

 臣下として働きたるは、その役職取り上げられてしまえば、
 何の努力で挽回しようにも手立てなく、
 ただ漠然と日々過ごすのみ。

 こうなってはすでに万事休すと思いきや、
 人の縁とは大切にしなければならないものである。

 今まで築き上げてきた人付き合いは無駄では無かった。

 関口親永殿、孕石元泰殿、松平元康殿までお口添えくだされたのだ。

 これによって蟄居は解かれ、元実は出仕を許された。

 雑役でも何でもいい、働ける事がうれしかった。

 我は今川家の下駄に挟まった雪。

 踏まれても、踏まれても付いてゆきます下駄の雪。

 長らく踏まれるうちに、踏ま れるうちが花であると悟る日もあれ下駄の雪。

 一生懸命業務をこなすと、
 やっぱり仕事は楽しかった。

 たとえ休みがなくとも、
 仕事がないよりはましだ。

 やはり仕事が好きなのだ。

 おかげで、懸命に働くうち、
 今川内々の宴席にも招かれるようになった。

 義元公に謝罪したく、酒をもってつぎに行くと、
 義元公は柔やかに笑って杯を差し出された。

 心が氷解する思いがした。

 しかし、誰かが話しかけると、すぐ、元実の話を切って別の方と話される。

 元実がずっと義元公を見て居ても、
 一度たりとも目をあわされない。

 言外にあっちへ行けとお示しなっているのであろう。

 まだまだ働きが足りないのだ。

 もっと命を削って働かねばならぬと元実は決意した。

 元実が遠慮して義元公より少し間を置いて
 隣に座っている狭い間に山口教継の息子山口教吉が
 杯をもって割り込んできた。

 すこし苛立ちを感じながらも下がる元実。

 「お流れ頂戴したく」

 教吉は義元公がまだ先にお声もおかけにならず、
 目も合わされていないにも拘わらず、
 自ら声をかけた。驚いて周囲の重臣がそちらを見る。

 寛容な義元公は御手をヒラヒラと上下に振られてそれら臣をなだめられた。

 「吞むがよい」

 義元公は甁子より御酒を教吉の杯につがれた。

 「ありがたき幸せ」

 教吉は喜び勇んで杯をいただき、一気に飲み干した。

 「その方、血色がよいのお、家中でもそなたほど顔の色つやが良き者はおらぬぞ」

 「はい、早寝早起きを心がけておりますゆえ」

 「早寝と言うと何時頃かな」

 「はい、亥の刻でございまする」

 「うむ、それは早いのお、して何時に起きる」

 「卯の刻でございまする」

 「ははは、それは面白い冗談じゃ、
 卯の刻といえばもう日が開けているではないか、
 いかな怠け者の元実とて、そこまでは寝こけまいぞ」

 義元公が視線を元実にやる。

 「恐れ入りまする」

 元実は恐縮して平伏した。

 義元公から話を振ってくださった事が嬉しかった。

 「されど、我ら山口親子は織田方から沓掛城を奪い、
 大高城を奪い、実績はしっかりと残しておりまする。
 世は戦国、実績を残したる者こそ……」

 「武士の本分は質素倹約と勤勉。
 己を研鑽せず惰眠をむさぼるは武士にあらず」

 義元公は教吉の言葉を遮られた。  

 お顔から笑顔が消える。

 それを見た教吉は慌てて平伏した。

 「これは申し訳もござりませぬ、某、勘違いしておりました、
  実際に起きるは寅の刻にございまする」

 「それでも寝過ぎじゃ」

 義元公は顔をそむけられた。

 「興が冷めたわ」

  義元公は席をはなれられた。

 重臣たちが憤怒の表情で教吉を睨んだ。

 元実は、少しだけ心が楽になった。無論、教吉殿はお気の毒に思う。
 
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