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二章
村と魔物
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次の村では、子どもたちが「勇者様だ!」と駆け寄ってきた。
アレンは最初こそ戸惑っていたが、「勇者様の剣、見せて!」と目を輝かせる子に負けて、結局剣を抜いて構えの手本を見せていた。
僕も子供たちと鬼ごっこやかくれんぼをして遊んだり、オルフェンさんと一緒に水汲みや薪運びといった村の仕事を手伝ったりした。
レミーユさんは遊んで怪我をした子どもたちに治癒魔法をかけ、「転ばないようにね」と声をかける。
その優しさに、村の大人たちが次々と頭を下げた。
夜は焚き火を囲んで、買った野菜や干し肉を煮込んだスープを作る。
香りに釣られてオルフェンさんが覗き込み、「お、味見してもいい?」とスプーンを突っ込む。
アレンは「まだだって言ってんだろ」と呆れながらも火の番を続ける。
僕は木の実のデザートを皿に並べていた。
そんなささやかな夜の積み重ねが、旅の中の安らぎになっていた。
村を離れるたびに「また来てね」と手を振る声が背後から響き、
その温かさが、ゆっくりと胸の奥に広がっていく。
ただ、王都から離れるにつれて、平和な村は徐々に姿を消していった。
店の数も減り、市場で調達できる物資の種類は限られてくる。
村に負担をかけないよう、保存のきく食料だけを最低限買い足し、気づけば口にするものは質素なものばかりになっていた。
そもそもこれは世界を救うための旅だ。
贅沢は言ってられない。
食べれるものがあるだけありがたいのだ。
今日も朝食に、硬い黒パンと干し肉を口に入れる。
動きっぱなしでお腹が空いているから余計美味しく感じて食べ物を口に運ぶ手が止まらない。
食べ物を詰めてほっぺたを膨らませている所を見られ、レミーユに
「真白くんはいつも美味しそうに食べるわね」
と微笑まれる。
食いしん坊キャラが定着しそうで恥ずかしい。
レミーユやオルフェンが黙々と食べている中、アレンだけはいつもの半分ほどしか口をつけていなかった。
アレンは旅を重ねるごとに、少しずつ食べる量が減っているみたいだ。
最初はお腹の調子が悪いのかなって思う程度だったけれど、毎朝のように半分以上残す姿を何度も見ているうちに、嫌な予感がしてくる。
ーーー病気だったら早めにお医者さんに見てもらったほうがいいんだけど
アレンは言いたくないことは絶対に口にしない。
無理に踏み込めば、彼はきっと距離を取ってしまう。
「アレン、今日もそれしか食べないの?」
「……ああ、最近ちょっと食欲ないだけだから大丈夫」
「ほんとに?」
アレンは笑ってごまかすように答えたけれど、その顔色はどこか冴えない。
「体調が悪いなら今日は無理に動かないで休もうか」
オルフェンがそっと声をかける。
しかしアレンは首を振り、
「いや、本当に大丈夫だ。予定通り進むぞ」
と言って先に立ち上がりは旅支度を始めてしまった。
僕は硬いパンを口に詰めたせいかなかなか噛みきれず、
ほっぺたをハムスター状態にしながらアレンと同じように旅支度を始めた。
あんまり食べすぎるとお腹いっぱいで動けなくなるからな。
といっても、アレンは食べなさすぎるから旅の途中で食べられそうな軽食をいくつか鞄に詰めておこう。
干し果物、固いパン、ナッツ。
腹持ちはいいけれど、荷物にならない程度のものを一通り。
そして思った通り、アレンは自分の分の昼食を持ってこなかった。
僕たちが食事を始める中で一人遠くの景色を眺めるアレン。
「はい、これ。食べられる分だけどうぞ」
果物を差し出すと、アレンは少し驚いたように目を瞬いた。
「……ありがとう。お前の分は?」
「僕の分は持ってきてあるから大丈夫」
「そうか。なら、遠慮なく」
アレンは短くそう言って、黙々と口に運び始めた。
ちゃんと飲み込んで食べてくれているのを見て、胸をそっと撫で下ろした。
顔色も今朝よりかは良くなっている。
ここ数日は、歩き続けては魔物を倒し、また歩くの繰り返し。
体力の消耗も激しい。
だから彼が少しでも食べ物を口にして、元気を取り戻してくれたらいいなと思う。
食事を終えて、三つ目の山をひたすら下っていくと、ふもとに広がる小さな集落にたどり着く。
茅葺きの家が十数軒。
ゆるやかな斜面に沿って並んでいた。
陽に焼けた屋根はところどころ草が抜け落ち、軒先には手入れが途絶えたままの農具が立てかけられている。
畑の隅では、枯れかけた作物が風に細かく揺れていた。
実りの時期にはまだ早いはずなのに、葉はしおれ、土はやけに乾いている。
人の気配が長く途絶えている村特有の、埃っぽい匂いが鼻をかすめた。
子どもたちの姿は一人として見えず、家の扉もほとんどが固く閉ざされたままだった。
中に誰かがいる気配はかすかに感じるのに、まるで村全体が息を潜めているようだ。
「……静かだね」
オルフェンが周囲を警戒するように目を細めた。
僕も同意して頷く。
いままでの村みたいな賑やかさが感じられず不気味だ。
やがて、建物の中から僕らがいることに気づいたのか腰の曲がった老人が出てきてゆっくりとこちらへ近づいてきた。
「あなたがたはもしや勇者様でございますか」
「ええ。国王陛下の命を受けて魔王討伐の旅をしております」
レミーユが穏やかに答えると、老人の目がぱっと見開かれた。
「どうか……どうか助けてくだされ!北の森に棲みついた魔獣が、夜になるたびに村を襲うのです。田畑を荒らして家畜をさらい、き、昨日はとうとう子どもが一人!」
老人は早口でまくし立てるように言葉を吐き出した。
その声は、震えて割れ、悲鳴のようにかすれていた。
僕は思わず、その震える手をそっと握った。
ーーー人間の、しかも子どもが
老人の後ろには、俯き、ハンカチを口元に押し当てながら泣いている女性がいた。
その肩に寄り添う男性は、歯を食いしばりながらも、今にも崩れ落ちそうに震えている。
「この子らの子どもは、目の前で、連れていかれたのです」
老人の声は途中で途切れ、嗚咽しか出てこなかった。
その悲しみの重さに、胸がぎゅっと掴まれる。
その子はどれだけ怖かっただろう。
僕がもっと早くこの村に来ていたら、助けられたんじゃないか。
でも、もう失った命は戻らないし、時間を戻すことなんてできない。
「わかりました。俺たちがその魔獣を討ちましょう」
アレンが静かに告げると、村人たちの間にざわめきが広がった。
泣きはらした目が、次々とこちらを向く。
縋りつくような希望と、もう二度と同じ悲しみを味わいたくないという願望が入り混じった視線だ。
レミーユがそっと胸に手を当てる。
「助けなきゃ。放ってはおけません」
オルフェンは唇を結び、北の森へ視線を投げた。
「魔物が出るまでに戦う準備をしよう」
これ以上、犠牲者が増えて、魔物に怯える生活なんて、させたくない。
安心して眠り、朝を迎えることができる。
そんな当たり前の日々をもう一度取り戻してあげたい。
その思いは四人とも同じだ。
最初に声をかけてきたご老人であるこの村の村長の案内で、僕たちは古い集会所へ通された。
中には数人の村人が集まっており、皆やつれた顔で僕らを見つめていた。
「夜になると魔獣が来るんです。決まって日が落ちてからでして」
村長の声は弱々しかった。
「昼間は出ないんですか?」
僕は尋ねる。
「はい。明るい時間には姿を見せません。だからこそ、余計に恐ろしくて、夜になると誰も眠れんのです」
言葉通り、村の人たちの目の下には濃いクマが刻まれていた。
情報収集のため村の人から話を聞き終え、僕たちは集落の外れにある広場で地図を広げた。
アレンが膝をつき、村の北にある森の位置を指でなぞる。
「夜に現れる、黒い毛並み。背に甲殻。家畜を食い荒らし、人も襲う……。特徴からして、おそらく黒甲獣だな」
「黒甲獣……?」
聞いたことのない名前に僕が聞き返す。
「魔王軍の眷属に分類される中級魔物よ」
レミーユが答えた。
「夜行性で、皮膚の表面を覆う黒い甲羅が普通の武器を弾くの。魔力にも敏感で、気配を感じるとすぐに襲いかかってくる。放置しておけば、村どころか周辺の街道も危険になるわ」
「つまり、ここで倒さなきゃ被害はもっと広がると」
オルフェンが低くつぶやく。
その声には、騎士としての責任がにじんでいた。
アレンは地図をたたみ、立ち上がる。
「日が落ちる前に森の入り口を見ておこう。夜になってから奴が動くのを待つ。結界はレミーユ、支援は真白。俺とオルフェンで正面を押さえる」
「了解だ」
「……はい!」
その夜。
僕たちは村の北にある森の入り口に身を潜めていた。
空は雲に覆われ、月明かりもない。
あたりは、深い闇に包まれていた。
「来るぞ」
アレンの声に合わせ、僕は地面に大きな魔法陣を展開する。
土の上を這うような低い唸りが聞こえ、ずしんずしんと足音が地面を揺らしながらこちらへ近づいてくる。
やがて、闇の奥から巨大な影が姿を現した。
四つ足の獣。熊に似ているが、背中には黒い甲殻があり、口からは赤い光が漏れている。
刀のように鋭い爪が、地面をえぐった。
「っ、でかい……!」
僕はその迫力に圧倒される。
こんな生き物が現実にいるなんて。
魔獣がこちらに気づき、濁った黄色い眼がぎらりと光った。
「気を抜くな!真白、詠唱を!」
「はいっ!」
アレンが正面から剣を構え、オルフェンが左へ回り込む。
レミーユが後方で僕たちを守る盾を展開する。
魔物が地面に作った魔法陣に足を踏み入れた瞬間、僕は魔法の詠唱を始めた。
――“火よ、命を照らせ、炎槍!”
赤い光が迸り、炎の槍が魔獣の肩を貫いた。
青い液体が流れ落ち、痛みから獣が咆哮を上げ、風が爆ぜたような衝撃が走る。
その威圧に、膝が震えた。
「大丈夫だ真白!俺たちがいる!」
アレンの叫びが耳に届く。
僕はもう一度力を込めて魔法を放つ。
雷のような光が魔獣の頭上に落下し、魔獣は地面に倒れ痺れてしまう。
その好きにアレンとオルフェンの剣の光が交差し、魔獣の固い甲羅を切り裂いた。
最後にオルフェンの刃が魔獣の喉を断ち切る。
地面に崩れ落ちた黒甲獣の身体の焼けた匂いと焦げた土の臭いが、風に混ざって流れていく。
しばらくして、アレンが剣を引き抜き、息を整えながら低く言った。
「もう動かないな」
周囲を警戒していたオルフェンも剣を下ろし、慎重に死骸へと近づく。
「念のため確認しておく」
足でそっと突くと、黒甲獣の体がぴくりとも動かない。
「魔力の反応も感じません。完全に沈黙していますわ」
レミーユが祈りの杖を掲げて呟いた。
その言葉に、ようやく緊張がほどける。
「……倒したんだ」
思わずつぶやくと、胸の奥がじんわり熱くなった。
ーーーやった、やった!初めて戦いで魔獣を倒せた!
初めての本格的な魔物討伐。怖かったけど、確かに達成感があった。
アレンは黒甲獣の背をしゃがみ込みながら観察する。
「甲殻の強度は想定通り。剣で貫くには、魔力をまとわせて一点に集中させる必要があったな」
「牙と爪は素材として使える。黒鉄よりも硬い場合がある」
オルフェンが手際よくナイフを取り出し、切り出しを始めた。
「採取、僕も手伝います!」
そう言いながら腰を落とし、背中の甲殻を持ち上げる。思ったよりずっしりとしていて重い。
魔力が抜けていく途中なのか、まだ微かに熱を帯びていた。
「火の魔力が残ってる。冷める前に、レミーユの浄化を」
「ええ。魔素の影響で腐敗が早まりますからね」
彼女が杖を軽く振ると、光がふわりと死骸を包み、嫌な臭いが消えていく。
「よし。これで素材の状態は保たれる」
オルフェンが満足げに頷く。
アレンは立ち上がり、遠くの村の方角を見た。
「これでしばらくは村も安全だ。明日の朝、報告に戻ろう」
僕たちはその場に腰を下ろし、息をついた。
焚き火の準備をしながら見上げた空には、もう星が滲み始めていた。
翌朝、僕たちは集落に戻った。
薄明かりの中、村人たちがぽつぽつと外へ出てきて、僕らの姿を見つけた瞬間、誰かが小さく息を呑むのが聞こえた。
「……まさか」
オルフェンが魔獣の討伐を告げると、村の空気が一気に震えた。
次の瞬間、最初に泣き崩れたのは、昨日老人の後ろで泣いていた女性だった。
「もう、誰も連れていかれないんですね……」
その母親につられるように、周りの村人たちも次々に涙を流し、僕たちの前に集まってきた。
「こんな日が来るなんて……」
「あなたたちは真の英雄だ」
皺だらけの手が、冷たく、でも必死に僕の手を握ってくる。
ずっと張り詰めていた恐怖がなくなって心から安心しているのが伝わってきた。
(僕たちが、守れたんだ)
昨日の魔物は怖かった。
膝だって震えていたし、恐怖で吐きそうだった。
それでも、諦めずに手を伸ばし、魔法を放った。
しがみつくように握られる手の温もり。
村人たちのすすり泣きがまっすぐ胸に響く。
(僕、こんなふうに、誰かの力になれたんだ)
ずっと無力だと思ってた。
勇者パーティーの一員になったのも、異世界人だからと期待されたからで、本当は自分には何もできないんじゃないかと、不安だった。
でも、自分の力で人を守ることができた。
村の人たちの命を救えた。
その事実が、心の奥から誇らしい。
焚きたての朝日が村を照らし、柔らかな光が、胸の奥の小さな火を優しく撫でる。
あたたかさに包まれながら、僕は生まれて初めて、自分を誇らしく思った。
これからも、誰かを守れる自分でありたい。
そう強く心に誓った。
アレンは最初こそ戸惑っていたが、「勇者様の剣、見せて!」と目を輝かせる子に負けて、結局剣を抜いて構えの手本を見せていた。
僕も子供たちと鬼ごっこやかくれんぼをして遊んだり、オルフェンさんと一緒に水汲みや薪運びといった村の仕事を手伝ったりした。
レミーユさんは遊んで怪我をした子どもたちに治癒魔法をかけ、「転ばないようにね」と声をかける。
その優しさに、村の大人たちが次々と頭を下げた。
夜は焚き火を囲んで、買った野菜や干し肉を煮込んだスープを作る。
香りに釣られてオルフェンさんが覗き込み、「お、味見してもいい?」とスプーンを突っ込む。
アレンは「まだだって言ってんだろ」と呆れながらも火の番を続ける。
僕は木の実のデザートを皿に並べていた。
そんなささやかな夜の積み重ねが、旅の中の安らぎになっていた。
村を離れるたびに「また来てね」と手を振る声が背後から響き、
その温かさが、ゆっくりと胸の奥に広がっていく。
ただ、王都から離れるにつれて、平和な村は徐々に姿を消していった。
店の数も減り、市場で調達できる物資の種類は限られてくる。
村に負担をかけないよう、保存のきく食料だけを最低限買い足し、気づけば口にするものは質素なものばかりになっていた。
そもそもこれは世界を救うための旅だ。
贅沢は言ってられない。
食べれるものがあるだけありがたいのだ。
今日も朝食に、硬い黒パンと干し肉を口に入れる。
動きっぱなしでお腹が空いているから余計美味しく感じて食べ物を口に運ぶ手が止まらない。
食べ物を詰めてほっぺたを膨らませている所を見られ、レミーユに
「真白くんはいつも美味しそうに食べるわね」
と微笑まれる。
食いしん坊キャラが定着しそうで恥ずかしい。
レミーユやオルフェンが黙々と食べている中、アレンだけはいつもの半分ほどしか口をつけていなかった。
アレンは旅を重ねるごとに、少しずつ食べる量が減っているみたいだ。
最初はお腹の調子が悪いのかなって思う程度だったけれど、毎朝のように半分以上残す姿を何度も見ているうちに、嫌な予感がしてくる。
ーーー病気だったら早めにお医者さんに見てもらったほうがいいんだけど
アレンは言いたくないことは絶対に口にしない。
無理に踏み込めば、彼はきっと距離を取ってしまう。
「アレン、今日もそれしか食べないの?」
「……ああ、最近ちょっと食欲ないだけだから大丈夫」
「ほんとに?」
アレンは笑ってごまかすように答えたけれど、その顔色はどこか冴えない。
「体調が悪いなら今日は無理に動かないで休もうか」
オルフェンがそっと声をかける。
しかしアレンは首を振り、
「いや、本当に大丈夫だ。予定通り進むぞ」
と言って先に立ち上がりは旅支度を始めてしまった。
僕は硬いパンを口に詰めたせいかなかなか噛みきれず、
ほっぺたをハムスター状態にしながらアレンと同じように旅支度を始めた。
あんまり食べすぎるとお腹いっぱいで動けなくなるからな。
といっても、アレンは食べなさすぎるから旅の途中で食べられそうな軽食をいくつか鞄に詰めておこう。
干し果物、固いパン、ナッツ。
腹持ちはいいけれど、荷物にならない程度のものを一通り。
そして思った通り、アレンは自分の分の昼食を持ってこなかった。
僕たちが食事を始める中で一人遠くの景色を眺めるアレン。
「はい、これ。食べられる分だけどうぞ」
果物を差し出すと、アレンは少し驚いたように目を瞬いた。
「……ありがとう。お前の分は?」
「僕の分は持ってきてあるから大丈夫」
「そうか。なら、遠慮なく」
アレンは短くそう言って、黙々と口に運び始めた。
ちゃんと飲み込んで食べてくれているのを見て、胸をそっと撫で下ろした。
顔色も今朝よりかは良くなっている。
ここ数日は、歩き続けては魔物を倒し、また歩くの繰り返し。
体力の消耗も激しい。
だから彼が少しでも食べ物を口にして、元気を取り戻してくれたらいいなと思う。
食事を終えて、三つ目の山をひたすら下っていくと、ふもとに広がる小さな集落にたどり着く。
茅葺きの家が十数軒。
ゆるやかな斜面に沿って並んでいた。
陽に焼けた屋根はところどころ草が抜け落ち、軒先には手入れが途絶えたままの農具が立てかけられている。
畑の隅では、枯れかけた作物が風に細かく揺れていた。
実りの時期にはまだ早いはずなのに、葉はしおれ、土はやけに乾いている。
人の気配が長く途絶えている村特有の、埃っぽい匂いが鼻をかすめた。
子どもたちの姿は一人として見えず、家の扉もほとんどが固く閉ざされたままだった。
中に誰かがいる気配はかすかに感じるのに、まるで村全体が息を潜めているようだ。
「……静かだね」
オルフェンが周囲を警戒するように目を細めた。
僕も同意して頷く。
いままでの村みたいな賑やかさが感じられず不気味だ。
やがて、建物の中から僕らがいることに気づいたのか腰の曲がった老人が出てきてゆっくりとこちらへ近づいてきた。
「あなたがたはもしや勇者様でございますか」
「ええ。国王陛下の命を受けて魔王討伐の旅をしております」
レミーユが穏やかに答えると、老人の目がぱっと見開かれた。
「どうか……どうか助けてくだされ!北の森に棲みついた魔獣が、夜になるたびに村を襲うのです。田畑を荒らして家畜をさらい、き、昨日はとうとう子どもが一人!」
老人は早口でまくし立てるように言葉を吐き出した。
その声は、震えて割れ、悲鳴のようにかすれていた。
僕は思わず、その震える手をそっと握った。
ーーー人間の、しかも子どもが
老人の後ろには、俯き、ハンカチを口元に押し当てながら泣いている女性がいた。
その肩に寄り添う男性は、歯を食いしばりながらも、今にも崩れ落ちそうに震えている。
「この子らの子どもは、目の前で、連れていかれたのです」
老人の声は途中で途切れ、嗚咽しか出てこなかった。
その悲しみの重さに、胸がぎゅっと掴まれる。
その子はどれだけ怖かっただろう。
僕がもっと早くこの村に来ていたら、助けられたんじゃないか。
でも、もう失った命は戻らないし、時間を戻すことなんてできない。
「わかりました。俺たちがその魔獣を討ちましょう」
アレンが静かに告げると、村人たちの間にざわめきが広がった。
泣きはらした目が、次々とこちらを向く。
縋りつくような希望と、もう二度と同じ悲しみを味わいたくないという願望が入り混じった視線だ。
レミーユがそっと胸に手を当てる。
「助けなきゃ。放ってはおけません」
オルフェンは唇を結び、北の森へ視線を投げた。
「魔物が出るまでに戦う準備をしよう」
これ以上、犠牲者が増えて、魔物に怯える生活なんて、させたくない。
安心して眠り、朝を迎えることができる。
そんな当たり前の日々をもう一度取り戻してあげたい。
その思いは四人とも同じだ。
最初に声をかけてきたご老人であるこの村の村長の案内で、僕たちは古い集会所へ通された。
中には数人の村人が集まっており、皆やつれた顔で僕らを見つめていた。
「夜になると魔獣が来るんです。決まって日が落ちてからでして」
村長の声は弱々しかった。
「昼間は出ないんですか?」
僕は尋ねる。
「はい。明るい時間には姿を見せません。だからこそ、余計に恐ろしくて、夜になると誰も眠れんのです」
言葉通り、村の人たちの目の下には濃いクマが刻まれていた。
情報収集のため村の人から話を聞き終え、僕たちは集落の外れにある広場で地図を広げた。
アレンが膝をつき、村の北にある森の位置を指でなぞる。
「夜に現れる、黒い毛並み。背に甲殻。家畜を食い荒らし、人も襲う……。特徴からして、おそらく黒甲獣だな」
「黒甲獣……?」
聞いたことのない名前に僕が聞き返す。
「魔王軍の眷属に分類される中級魔物よ」
レミーユが答えた。
「夜行性で、皮膚の表面を覆う黒い甲羅が普通の武器を弾くの。魔力にも敏感で、気配を感じるとすぐに襲いかかってくる。放置しておけば、村どころか周辺の街道も危険になるわ」
「つまり、ここで倒さなきゃ被害はもっと広がると」
オルフェンが低くつぶやく。
その声には、騎士としての責任がにじんでいた。
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「了解だ」
「……はい!」
その夜。
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あたりは、深い闇に包まれていた。
「来るぞ」
アレンの声に合わせ、僕は地面に大きな魔法陣を展開する。
土の上を這うような低い唸りが聞こえ、ずしんずしんと足音が地面を揺らしながらこちらへ近づいてくる。
やがて、闇の奥から巨大な影が姿を現した。
四つ足の獣。熊に似ているが、背中には黒い甲殻があり、口からは赤い光が漏れている。
刀のように鋭い爪が、地面をえぐった。
「っ、でかい……!」
僕はその迫力に圧倒される。
こんな生き物が現実にいるなんて。
魔獣がこちらに気づき、濁った黄色い眼がぎらりと光った。
「気を抜くな!真白、詠唱を!」
「はいっ!」
アレンが正面から剣を構え、オルフェンが左へ回り込む。
レミーユが後方で僕たちを守る盾を展開する。
魔物が地面に作った魔法陣に足を踏み入れた瞬間、僕は魔法の詠唱を始めた。
――“火よ、命を照らせ、炎槍!”
赤い光が迸り、炎の槍が魔獣の肩を貫いた。
青い液体が流れ落ち、痛みから獣が咆哮を上げ、風が爆ぜたような衝撃が走る。
その威圧に、膝が震えた。
「大丈夫だ真白!俺たちがいる!」
アレンの叫びが耳に届く。
僕はもう一度力を込めて魔法を放つ。
雷のような光が魔獣の頭上に落下し、魔獣は地面に倒れ痺れてしまう。
その好きにアレンとオルフェンの剣の光が交差し、魔獣の固い甲羅を切り裂いた。
最後にオルフェンの刃が魔獣の喉を断ち切る。
地面に崩れ落ちた黒甲獣の身体の焼けた匂いと焦げた土の臭いが、風に混ざって流れていく。
しばらくして、アレンが剣を引き抜き、息を整えながら低く言った。
「もう動かないな」
周囲を警戒していたオルフェンも剣を下ろし、慎重に死骸へと近づく。
「念のため確認しておく」
足でそっと突くと、黒甲獣の体がぴくりとも動かない。
「魔力の反応も感じません。完全に沈黙していますわ」
レミーユが祈りの杖を掲げて呟いた。
その言葉に、ようやく緊張がほどける。
「……倒したんだ」
思わずつぶやくと、胸の奥がじんわり熱くなった。
ーーーやった、やった!初めて戦いで魔獣を倒せた!
初めての本格的な魔物討伐。怖かったけど、確かに達成感があった。
アレンは黒甲獣の背をしゃがみ込みながら観察する。
「甲殻の強度は想定通り。剣で貫くには、魔力をまとわせて一点に集中させる必要があったな」
「牙と爪は素材として使える。黒鉄よりも硬い場合がある」
オルフェンが手際よくナイフを取り出し、切り出しを始めた。
「採取、僕も手伝います!」
そう言いながら腰を落とし、背中の甲殻を持ち上げる。思ったよりずっしりとしていて重い。
魔力が抜けていく途中なのか、まだ微かに熱を帯びていた。
「火の魔力が残ってる。冷める前に、レミーユの浄化を」
「ええ。魔素の影響で腐敗が早まりますからね」
彼女が杖を軽く振ると、光がふわりと死骸を包み、嫌な臭いが消えていく。
「よし。これで素材の状態は保たれる」
オルフェンが満足げに頷く。
アレンは立ち上がり、遠くの村の方角を見た。
「これでしばらくは村も安全だ。明日の朝、報告に戻ろう」
僕たちはその場に腰を下ろし、息をついた。
焚き火の準備をしながら見上げた空には、もう星が滲み始めていた。
翌朝、僕たちは集落に戻った。
薄明かりの中、村人たちがぽつぽつと外へ出てきて、僕らの姿を見つけた瞬間、誰かが小さく息を呑むのが聞こえた。
「……まさか」
オルフェンが魔獣の討伐を告げると、村の空気が一気に震えた。
次の瞬間、最初に泣き崩れたのは、昨日老人の後ろで泣いていた女性だった。
「もう、誰も連れていかれないんですね……」
その母親につられるように、周りの村人たちも次々に涙を流し、僕たちの前に集まってきた。
「こんな日が来るなんて……」
「あなたたちは真の英雄だ」
皺だらけの手が、冷たく、でも必死に僕の手を握ってくる。
ずっと張り詰めていた恐怖がなくなって心から安心しているのが伝わってきた。
(僕たちが、守れたんだ)
昨日の魔物は怖かった。
膝だって震えていたし、恐怖で吐きそうだった。
それでも、諦めずに手を伸ばし、魔法を放った。
しがみつくように握られる手の温もり。
村人たちのすすり泣きがまっすぐ胸に響く。
(僕、こんなふうに、誰かの力になれたんだ)
ずっと無力だと思ってた。
勇者パーティーの一員になったのも、異世界人だからと期待されたからで、本当は自分には何もできないんじゃないかと、不安だった。
でも、自分の力で人を守ることができた。
村の人たちの命を救えた。
その事実が、心の奥から誇らしい。
焚きたての朝日が村を照らし、柔らかな光が、胸の奥の小さな火を優しく撫でる。
あたたかさに包まれながら、僕は生まれて初めて、自分を誇らしく思った。
これからも、誰かを守れる自分でありたい。
そう強く心に誓った。
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何年もずっと連絡をとらずにいた自分を笑って許す悠也に、楓は戸惑いながらも、そばにいたい、という気持ちを抑えられず一緒に過ごすようになる。もう少し今だけ、この夏が終わったら今度こそ悠也のもとを去るのだと言い聞かせながら。
しかしある夜、悠也が、「ずっと親友だ」と自分に無邪気に伝えてくることに耐えきれなくなった楓は…。
お互いを大切に思いながらも、「すき」の色が違うこととうまく向き合えない、不器用な少年二人の物語。
主人公楓目線の、片思いBL。
プラトニックラブ。
いいね、感想大変励みになっています!読んでくださって本当にありがとうございます。
2024.11.27 無事本編完結しました。感謝。
最終章投稿後、第四章 3.5話を追記しています。
(この回は箸休めのようなものなので、読まなくても次の章に差し支えはないです。)
番外編は、2人の高校時代のお話。
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜
キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。
モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。
このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。
「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」
恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。
甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。
全8話。
両片思いの幼馴染
kouta
BL
密かに恋をしていた幼馴染から自分が嫌われていることを知って距離を取ろうとする受けと受けの突然の変化に気づいて苛々が止まらない攻めの両片思いから始まる物語。
くっついた後も色々とすれ違いながら最終的にはいつもイチャイチャしています。
めちゃくちゃハッピーエンドです。
幼馴染がいじめるのは俺だ!
むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに...
「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」
「はっ...ぁ??」
好きな奴って俺じゃないの___!?
ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子
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主人公 いじめられっ子
小鳥遊洸人
タカナシ ヒロト
小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。
姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。
高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、
脳破壊。
千透星への恋心を自覚する。
幼馴染 いじめっ子
神宮寺 千透星
ジングウジ チトセ
小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。
美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている)
転校生の須藤千尋が初恋である
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