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二章
フルゥと再会
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魔王が去ってから、しばらくするとオルフェンが、ゆっくりとまぶたを開いた。
ーーー意識が戻ったみたいだ。
僕は大きく息を吐き、安堵しながらオルフェンの様子をじっと見ていた。
焦点の合わない目がしばらく宙を彷徨い、次の瞬間、彼ははっと息を呑んで上体を起こした。
「え?俺、生きてる?」
震える手が血で濡れたはずの服の下の致命傷を負った場所を、恐る恐る探る。
「嘘だろ、なんで、なんで塞がって」
驚きと戸惑いが入り混じり、肩が震えている。
その様子を見つめながら、
目頭がじんわり熱くなった。
――本当に、生きてるんだ。
オルフェンを救ったのは、間違いなく魔王だ。
魔王に感謝しなければ。
続いて、アレンとレミーユも目を覚ました。
「……っ、オルフェン!? 生きてるの?」
レミーユは呆然とした表情のまま口元を押さえ、涙を浮かべる。
アレンも信じられないものを見るようにオルフェンへ駆け寄り抱きついた。
「よかった……!本当に生きて……!」
生還を確認し合う中、アレンがふと思い出したかのように周囲を見回す。
「さっきの男は、どこへ行った?」
アレンの言葉にレミーユも恐る恐る視線を巡らせる。
「消えた?一体、何者だったの?」
「あの人は、魔王様だったよ」
「「「は?」」」
僕が告げれば三人の動きが一瞬止まる。
「ま、魔王……?」
レミーユは不安げに手をぎゅっと握りしめた。
「オルフェンを治していったんだ。僕たちを殺すつもりはなかったみたいだよ」
オルフェンはぽかんと口を開け、レミーユは露骨に眉を寄せた。
普段は感情を見せない貴族の顔が、隠しきれないほど複雑に歪んでいる。
アレンもただ険しい目で僕をにらむだけだ。
困惑するのもわかる。
この目で見た僕でさえ、オルフェンを治したのも、戦う気が全く無いのも信じられなかった。
想像してた残虐な魔王と全く違ったことに頭が追いつかなかった。
魔王が悪なのか善なのかまだはっきりと答えを持っていない。
けれどあの背にあった哀しみだけは、鮮明に覚えていた。
「魔王がオルフェンを治した?」
レミーユが恐る恐る呟く。
アレンは耐えきれないように声を荒げた。
「真白、冗談で済む話じゃないぞ」
「冗談じゃないよ」
「魔王が回復なんてするわけない! あいつは人間を滅ぼすために存在してるんだ!」
レミーユも強く頷く。
「そうよ。ありえないわ。そんなの、物語の中の作り話でもありえない」
オルフェンまでが言う。
「俺を助ける理由なんてないだろ」
三人の中で魔王という存在は絶対的な悪で固定されている。
不気味なほどにそれ以外の可能性を疑う余地が一切ない。
思えば、三人は時々思想が強くなるときがあったように思う。
それは決まって王の話をする時と、魔を前にした時だ。
冷静さを失い、人が変わったように感情的に剣を振り下ろそうとしたこともあった。
(あ……これ……)
背中がひやりと冷えた。
恐怖や嫌悪を強制される瞳の力。
魔王が言っていた呪いとはこのことか。
僕は必死で説得を試みた。
この三人なら僕の言うことを信じてくれるはずだ。
でも、現実は違った。
「違う、本当に違うんだ。あの人はオルフェンを――」
「真白が治したんだろ!」
オルフェンが遮るように叫んだ。
「回復魔法が得意なんだろ?だから助けてくれたんだ!そんな嘘つく理由なんて、どこにある!」
「嘘じゃない!!」
自分でも驚くほど強く声が出た。
三人も僕の勢いに目を丸くする。
なんで、なんで伝わらないんだ。
胸がきゅっと締めつけられ、息が乱れる。
どれだけ説明しても決して理解されないことに焦りを覚える。
「見たんだよ!あの人が自分の力で黒い粒子を光に変えてオルフェンの傷を塞いだの!僕は何もしてない!」
三人は一瞬だけ黙った。
けれどその沈黙は僕の意見を聞き入れたのではなかった。
アレンはゆっくり首を振る。
「洗脳されてないか? 真白」
純粋に僕を心配している目だ。
レミーユは不安そうに袖を握りしめた。
「何かされたんじゃ?」
「魔王を庇うなんて普通じゃない」
オルフェンが続ける。
こんなにも信じてくれないと悲しくなる。
だけど同時に、静かな確信が湧いた。
「わかった。でも、僕は嘘なんてついてない。本当に、助けてくれたんだ」
オルフェンは眉を寄せ、まるで可哀想なやつを見る目で僕を見た。
「真白……」
胸の奥が、きゅうっと締めつけられる。
けれど、心のどこかが冷静にささやいた。
(このままじゃ誰も救えない。真実を知らなきゃ……僕が動かなきゃ)
どれだけ必死に言葉を重ねても、三人の意志は揺らがなかった。
信じる余地すら与えられない、大きな壁に邪魔されているみたいだった。
(……もう、言葉じゃ無理だ)
このままでは、三人は僕を置いて魔王討伐に向かってしまう。
オルフェンは治ったし、レミーユとアレンは魔王への悪意に支配されている。
魔王を倒せば国は大喜びだろう。
王も民も英雄として迎えるはずだ。
だけど、僕はもうこの世界のおかしさを見てしまった。
呪いや固定観念、魔王に向けられた理由のない恐怖がどこから来ているのかも想像できてしまう。
この世界を野放しにしていけない。
でも、呪いを解かないと三人とまともに会話すらできない。
魔王が言った言葉を思い出す。
この呪いは意思を縛るもの。
解くには、魔王か魔王以上の力を持つ存在が必要だ。
でも、そんな存在、本当にいるのか。
普通の人間じゃ不可能だ。
国の誰に頼んでも、呪いに気づく前に処される可能性すらある。
(……いない。そんな都合よく――)
そう思った瞬間。
ひとつの影が、脳裏をかすめた。
ふわふわして、ちょっと変で、でも底知れない力を持った1匹。
(……あいつなら)
王の前では決して姿を現さず、王城に入ることすらしなかったフルゥ。
けれど、王都からはもう遠い。
街道もとうに途切れ、周囲に人影ひとつない深い森の中。
今なら大丈夫だ。
僕は大きく息を吸い、勢いのまま叫んだ。
「フルゥーーーーー!! 出てきてええええ!! 王都からここまで離れたんだよ! もう大丈夫だよおおおお!!!!」
急に大声で訳のわからないことを叫び出した僕に、
三人が不審人物に向けるような目を向けてくるが屈しない。
返事を待って耳をすませば、返ってきたのは、あの元気な声だった。
「うるさあああああ!!!!もう、真白ったら!いつからそんなお茶目になったのさ!」
「あ、来た!ここだよ!!」
僕は笑いながら手をぶんぶん振った。
久々に見る、小さくてキュートな姿に頬が緩む。
背中の翼を動かし飛び回ると淡い光が周囲に漂う。
「フルゥ、元気だった?」
目の前まできたその頭を撫でようと手を伸ばせば、後ろにぐいっと引っ張られた。
背後の空気が刺すように冷たくなっているのに気づく。
ーーーしまった。
完全に舞い上がってて気づかなかった。
オルフェンは剣を抜き刃をフルゥに向ける。
レミーユは詠唱に入ろうとし、アレンに至っては、僕を守るように前に立ちふさがる。
「おい、真白。こいつ、誰のぬいぐるみだ?」
「魔力の波が異常だ」
「真白くん、離れて。それはぬいぐるみじゃないわ」
……いや、散々な謂れようだな
案の定、フルゥはほっぺをぷくっと膨らませ、
小さな前足(?)を組んで、見たことないほど不機嫌になった。
「失礼じゃない?みんなのことずっと見守っててあげてたのにさ」
僕はアレンの腕を振りほどき、一歩前に出た。
逆にフルゥを庇うように立つ。
「まあまあ、怒らないで。みんな、フルゥは僕たちの味方だよ。王城に来るまではフルゥに助けてもらってたんだ。」
その言葉に、アレンが目を瞠り、フルゥは嬉しそうに笑う。
「フルゥに頼みたいことがある。みんなの呪いを解いてほしいんだ」
「もちろん!解いてあげるよ!」
フルゥは空中でぴょこんと跳ね、翼をぱたぱたさせながら胸を張った。
完全に自分の出番だ!というテンションだ。
だが、その明るさとは真逆の空気が、僕の背中側で流れている。
「……今、呪いと言ったか?」
アレンの声が低くなる。
三人は互いに顔を見合わせ、
“全く身に覚えがない”という困惑に満ちていた。
そんな緊張と困惑の視線をものともせず、
フルゥはくるりと回転しながら朗らかに叫ぶ。
「だいじょうぶ!説明より実践のほうが早いってば!君たち全員につけられてる“枷”、ぜ~~んぶ外してあげる!」
フルゥの体がふわりと淡い光に包まれた。
最初はかすかだった光が、心臓の鼓動に合わせて脈を打ちながら、次第に強く、暖かく広がっていく。
ぱらぱらと花びらのようにきらめきが舞い降り、三人の胸元から黒い影がすうっと抜けていった。
その瞬間、張りつめていた夜気がふっとほどける。
闇に沈んでいた森の向こう側で、薄い青がゆっくりと滲み出すように広がりはじめた。
まるで凍りついていた空気が目を覚ましたように、風が微かに揺れる。
地平線の端で、夜と朝の境目がじわりと混ざり合う。
呪いが解かれたことに世界が呼応するかのように、朝がゆっくりと顔を出しはじめていた。
フルゥが振り返って僕を見る。
「終わったよー!」
「ありがとう、フルゥ」
僕は笑顔でフルゥの頭を撫でてから三人の様子を見た。
オルフェンが小さく息を吐き、レミーユは自分の頬に手を当てる。
アレンはぼうっと遠くを見ていた。
「なにか、変わったことは?」
「王への忠誠が、嘘みたいになくなったわ」
「それどころか憎しみまで湧いてくるな。自分の意思や感情を操られていたなんて」
尋ねればオルフェンが自傷気味に笑う。
視界の端でアレンが崩れ落ちるように膝をついた。
「アレンッ!? どうしたのっ、大丈夫……っ?」
僕は咄嗟に駆け寄った。
レミーユとオルフェンも僕の後ろで息を呑む。
「あ……れ……」
小刻みに震え、何かをぶつぶつ呟いている。
「殺そうとしたんじゃない……!殺させられてたんだ……!」
顔を上げるアレンは涙の跡はないが真っ青だ。
歯を食いしばり、悔しさが噛みしめた音と一緒に漏れる。
僕はアレンの尋常じゃない様子にあの時のように背中を摩って落ち着かせる。
アレンは魔物を殺したくないと悲痛に訴えていた。
それが呪いが解かれて爆発したんだと推測できた。
「俺……ずっと……」
「大丈夫、大丈夫だよ。アレンは何も悪くない。呪いで操られていただけだ」
「……違うんだ、真白」
「俺が好きなのはノクトだ。ノクトは、魔王なんだ。」
「え……?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
けれどアレンの瞳に嘘はなかった。
「だから俺は好きな相手を、王の命令で殺すように言われて‥‥」
言葉が途切れ、アレンは悔しそうに顔を歪めた。
レミーユが思わず口元を押さえる。
オルフェンも一瞬だけ目を見開いたが、すぐに真剣な眼差しに戻った。
僕はすべてが一本の線になって繋がった気がした。
アレンの体調不良も、怒りっぽさも、言動のちぐはぐも、
自分でも戸惑っているような苦しげな表情を浮かべていることがあったのも、
全部、アレンの本心が呪いに抗おうとしていたからだ。
気づいたとき、こみ上げる憤りに身体が震えた。
アレンがそんなことをするわけがない、と心のどこかでずっと思っていたから。
悔しくて、惨めで、どれだけ苦しかっただろうか。
僕はそっとその手を取った。
「アレン、苦しかったよね。気づけなくてごめん。でも、もう大丈夫だよ。呪いは解けたんだ」
彼は強がることもできず、小さく息を吐いた。
ようやく自分を責めるのをやめたようだった。
「今の状況だと、魔王がこの世界の黒幕じゃない可能性が高い。僕、心当たりがあるんだ。王城の書庫で見た隠し部屋にあった本、それに魔王じゃない黒幕の記録があると思う。だから僕は一度、屋敷に戻る」
僕が言うとアレンは迷うように視線を揺らした。
「……俺は……どうしたら……」
その問いは、きっとずっと胸の中で燻っていたものだ。
僕はアレンの手をぎゅっと握った。
「アレンが選びたい方に行けばいいよ。でも、アレンが本当にノクトさんを想ってるなら会いに行くべきだと思う」
アレンの肩がびくりと震えた。
「俺が、ノクトに会いに行ってまた暴走したら……?」
その声はあまりにも弱くて、まるで別人だった。
怖いのは当然だ。
好きな相手を、自分の意思とは関係なく殺そうとしていた。
そんな恐怖、簡単に割り切れるはずがない。
僕はかぶりを振った。
「もう大丈夫だよ。呪いは完全にフルゥが解いてくれたんだし」
「ふふん!そうだよー、君がどこに行こうが、何をしようが、もう自由なの!」
フルゥは僕の横で当たり前のように胸を張って言った。
アレンは唇を噛みしめたまま、拳を握る。
「ノクトさんは、アレンを恨んだりしないよ。だって、好きだったんでしょ。その感情は呪いとは別だ」
アレンはようやく、泣きそうな顔で小さく頷いた。
「ノクトに……会いに行きたい」
「うん。大丈夫だよ」
それは、呪いの鎖から解き放たれた“初めての願い”のように聞こえた。
僕は転移魔法陣を紙に書いて魔力をため、アレンに渡した。
アレンは震える指で転移魔法陣の紙を受け取った。
まだ不安は完全に消えていないはずなのに、その瞳には確かな光が戻っていた。
「本当に…… 俺、行ってもいいんだよな」
「もちろん。アレンの気持ちで決めていいんだよ」
僕がそう言うと、アレンはぎゅっと紙を胸に抱いた。
「ノクトに全部話したい。俺がどう感じてたかも、どうしてあんな風になってしまったかも。逃げたくない」
その言葉には、罪悪感でも自己嫌悪でもない、ただ純粋な決意だけが宿っていた。
「よかった」
思わず息が漏れた。
アレンがちゃんと、自分の意思で前を向けたことが本当に嬉しかった。
レミーユがそっとアレンの背中に触れる。
「うん。行ってあげて」
「お前の選択だ。後悔しないようにな」
オルフェンもアレンに言葉をかける。
アレンは深く頷いた。
「ありがとう。真白、レミーユ、オルフェン、そしてフルゥも。俺、行くよ」
ふっと風が揺れた。
魔法陣に流し込まれる魔力が輝き、アレンの足元に光が広がる。
光が包んでいき、アレンの輪郭がゆっくりとかすむ。
そして次の瞬間、眩しい光が弾け、アレンの姿は完全に消えた。
残された空気は、どこか清々しかった。
アレンが自分の想いに向き合いに行ったように、
僕たちも、この世界の真実に向き合わなければならない。
僕は小さく息を吸い、顔を上げた。
レミーユとオルフェンも、真剣な表情で頷く。
「あの本を確かめに、僕も行くよ。レミーユとオルフェンもついてきてくれるとありがたいんだけど、」
「なら、わたしたちも手伝うわ。呪いが解けた今なら、王の命令なんてもう通用しないもの」
「俺も同じだ。王に利用されていたって気づいた以上、黙ってはいられない」
「ありがとう。二人がいてくれると心強いよ」
「フルゥはフルゥは?フルゥも一緒に行くよー!嬉しいでしょ?」
頭上でパタパタ羽をはためかせるフルゥに苦笑する。
「嬉しいよ、ありがとうフルゥ」
僕が言うと、フルゥは嬉しそうに飛び回った。
「真白が持って帰ったという本ね。隠し部屋にあったのなら、王が隠したかった何かが書かれていてもおかしくないわ」
「うん。作者の名前もなかったけど、内容が気になるんだ。魔王が書いた記録だったらいいんだけど」
レミーユの表情が引き締まる。
「その本に何もなかったとしても、もう一度あの隠し部屋を探れば別の書物が見つかるかもしれない。王城がどう動いてるかわからないから、急がなきゃ」
オルフェンは剣を握り直し、視線を鋭くした。
「でもさ、そんなことをするより、いっそ王を直接斬れば早いんじゃない?」
「オルフェン、それは……」
僕は首を横に振った。
「証拠なしで王を斬ったら、僕たちが反逆者だよ。呪いで操られた兵士たちと戦うことにもなる。それに王本人がどれほど力を持っているかまだわかってないんだ」
レミーユも静かに補足する。
「ええ。王城は呪いで操られた兵や魔術師で埋まっているかもしれない。正面突破は得策じゃないわ」
オルフェンは納得したように息を吐いた。
「…確かに、証拠がなくちゃなにもできないってわけか。なら、王に勘付かれる前に屋敷に戻ろう」
僕は強く頷いた。
懐から魔法陣の紙を取り出し、三人が手を触れられる位置に広げた。
地面に置くと、淡く青い光がゆっくりと広がっていく。
「フルゥ、僕たちを屋敷まで頼むね」
「まかせて!」
元気な声とともに、ふわっとフルゥが舞い降りる。
その翼から落ちる光が魔法陣に触れると、図形に沿って光が走り、魔力の流れが一気に強まった。
レミーユが小さく息を呑む。
「すごいわ。フルゥ、魔法陣の補強までしてくれてるのね」
「ふふん、これくらい朝飯前だよー!」
こんな緊迫した状況でも、フルゥがいると場が少し柔らかくなる。
オルフェンが僕に視線を向けた。
「真白。本を見たらどうするつもりだ?」
「確証を得る。それから王と向き合う準備をする」
そう言うと、二人の表情がぐっと引き締まった。
魔法陣が完成した合図のように、強い光が周囲を包みはじめる。
フルゥが僕の肩にちょこんと乗った。
「しっかり掴まってねー。飛ぶよ!」
「じゃあ、行こう」
三人は互いの腕に軽く触れ合い、光の中心へ身を預けた。
次の瞬間、強い風が巻き起こり、視界が白く染まる。
屋敷への転移が始まった。
ーーー意識が戻ったみたいだ。
僕は大きく息を吐き、安堵しながらオルフェンの様子をじっと見ていた。
焦点の合わない目がしばらく宙を彷徨い、次の瞬間、彼ははっと息を呑んで上体を起こした。
「え?俺、生きてる?」
震える手が血で濡れたはずの服の下の致命傷を負った場所を、恐る恐る探る。
「嘘だろ、なんで、なんで塞がって」
驚きと戸惑いが入り混じり、肩が震えている。
その様子を見つめながら、
目頭がじんわり熱くなった。
――本当に、生きてるんだ。
オルフェンを救ったのは、間違いなく魔王だ。
魔王に感謝しなければ。
続いて、アレンとレミーユも目を覚ました。
「……っ、オルフェン!? 生きてるの?」
レミーユは呆然とした表情のまま口元を押さえ、涙を浮かべる。
アレンも信じられないものを見るようにオルフェンへ駆け寄り抱きついた。
「よかった……!本当に生きて……!」
生還を確認し合う中、アレンがふと思い出したかのように周囲を見回す。
「さっきの男は、どこへ行った?」
アレンの言葉にレミーユも恐る恐る視線を巡らせる。
「消えた?一体、何者だったの?」
「あの人は、魔王様だったよ」
「「「は?」」」
僕が告げれば三人の動きが一瞬止まる。
「ま、魔王……?」
レミーユは不安げに手をぎゅっと握りしめた。
「オルフェンを治していったんだ。僕たちを殺すつもりはなかったみたいだよ」
オルフェンはぽかんと口を開け、レミーユは露骨に眉を寄せた。
普段は感情を見せない貴族の顔が、隠しきれないほど複雑に歪んでいる。
アレンもただ険しい目で僕をにらむだけだ。
困惑するのもわかる。
この目で見た僕でさえ、オルフェンを治したのも、戦う気が全く無いのも信じられなかった。
想像してた残虐な魔王と全く違ったことに頭が追いつかなかった。
魔王が悪なのか善なのかまだはっきりと答えを持っていない。
けれどあの背にあった哀しみだけは、鮮明に覚えていた。
「魔王がオルフェンを治した?」
レミーユが恐る恐る呟く。
アレンは耐えきれないように声を荒げた。
「真白、冗談で済む話じゃないぞ」
「冗談じゃないよ」
「魔王が回復なんてするわけない! あいつは人間を滅ぼすために存在してるんだ!」
レミーユも強く頷く。
「そうよ。ありえないわ。そんなの、物語の中の作り話でもありえない」
オルフェンまでが言う。
「俺を助ける理由なんてないだろ」
三人の中で魔王という存在は絶対的な悪で固定されている。
不気味なほどにそれ以外の可能性を疑う余地が一切ない。
思えば、三人は時々思想が強くなるときがあったように思う。
それは決まって王の話をする時と、魔を前にした時だ。
冷静さを失い、人が変わったように感情的に剣を振り下ろそうとしたこともあった。
(あ……これ……)
背中がひやりと冷えた。
恐怖や嫌悪を強制される瞳の力。
魔王が言っていた呪いとはこのことか。
僕は必死で説得を試みた。
この三人なら僕の言うことを信じてくれるはずだ。
でも、現実は違った。
「違う、本当に違うんだ。あの人はオルフェンを――」
「真白が治したんだろ!」
オルフェンが遮るように叫んだ。
「回復魔法が得意なんだろ?だから助けてくれたんだ!そんな嘘つく理由なんて、どこにある!」
「嘘じゃない!!」
自分でも驚くほど強く声が出た。
三人も僕の勢いに目を丸くする。
なんで、なんで伝わらないんだ。
胸がきゅっと締めつけられ、息が乱れる。
どれだけ説明しても決して理解されないことに焦りを覚える。
「見たんだよ!あの人が自分の力で黒い粒子を光に変えてオルフェンの傷を塞いだの!僕は何もしてない!」
三人は一瞬だけ黙った。
けれどその沈黙は僕の意見を聞き入れたのではなかった。
アレンはゆっくり首を振る。
「洗脳されてないか? 真白」
純粋に僕を心配している目だ。
レミーユは不安そうに袖を握りしめた。
「何かされたんじゃ?」
「魔王を庇うなんて普通じゃない」
オルフェンが続ける。
こんなにも信じてくれないと悲しくなる。
だけど同時に、静かな確信が湧いた。
「わかった。でも、僕は嘘なんてついてない。本当に、助けてくれたんだ」
オルフェンは眉を寄せ、まるで可哀想なやつを見る目で僕を見た。
「真白……」
胸の奥が、きゅうっと締めつけられる。
けれど、心のどこかが冷静にささやいた。
(このままじゃ誰も救えない。真実を知らなきゃ……僕が動かなきゃ)
どれだけ必死に言葉を重ねても、三人の意志は揺らがなかった。
信じる余地すら与えられない、大きな壁に邪魔されているみたいだった。
(……もう、言葉じゃ無理だ)
このままでは、三人は僕を置いて魔王討伐に向かってしまう。
オルフェンは治ったし、レミーユとアレンは魔王への悪意に支配されている。
魔王を倒せば国は大喜びだろう。
王も民も英雄として迎えるはずだ。
だけど、僕はもうこの世界のおかしさを見てしまった。
呪いや固定観念、魔王に向けられた理由のない恐怖がどこから来ているのかも想像できてしまう。
この世界を野放しにしていけない。
でも、呪いを解かないと三人とまともに会話すらできない。
魔王が言った言葉を思い出す。
この呪いは意思を縛るもの。
解くには、魔王か魔王以上の力を持つ存在が必要だ。
でも、そんな存在、本当にいるのか。
普通の人間じゃ不可能だ。
国の誰に頼んでも、呪いに気づく前に処される可能性すらある。
(……いない。そんな都合よく――)
そう思った瞬間。
ひとつの影が、脳裏をかすめた。
ふわふわして、ちょっと変で、でも底知れない力を持った1匹。
(……あいつなら)
王の前では決して姿を現さず、王城に入ることすらしなかったフルゥ。
けれど、王都からはもう遠い。
街道もとうに途切れ、周囲に人影ひとつない深い森の中。
今なら大丈夫だ。
僕は大きく息を吸い、勢いのまま叫んだ。
「フルゥーーーーー!! 出てきてええええ!! 王都からここまで離れたんだよ! もう大丈夫だよおおおお!!!!」
急に大声で訳のわからないことを叫び出した僕に、
三人が不審人物に向けるような目を向けてくるが屈しない。
返事を待って耳をすませば、返ってきたのは、あの元気な声だった。
「うるさあああああ!!!!もう、真白ったら!いつからそんなお茶目になったのさ!」
「あ、来た!ここだよ!!」
僕は笑いながら手をぶんぶん振った。
久々に見る、小さくてキュートな姿に頬が緩む。
背中の翼を動かし飛び回ると淡い光が周囲に漂う。
「フルゥ、元気だった?」
目の前まできたその頭を撫でようと手を伸ばせば、後ろにぐいっと引っ張られた。
背後の空気が刺すように冷たくなっているのに気づく。
ーーーしまった。
完全に舞い上がってて気づかなかった。
オルフェンは剣を抜き刃をフルゥに向ける。
レミーユは詠唱に入ろうとし、アレンに至っては、僕を守るように前に立ちふさがる。
「おい、真白。こいつ、誰のぬいぐるみだ?」
「魔力の波が異常だ」
「真白くん、離れて。それはぬいぐるみじゃないわ」
……いや、散々な謂れようだな
案の定、フルゥはほっぺをぷくっと膨らませ、
小さな前足(?)を組んで、見たことないほど不機嫌になった。
「失礼じゃない?みんなのことずっと見守っててあげてたのにさ」
僕はアレンの腕を振りほどき、一歩前に出た。
逆にフルゥを庇うように立つ。
「まあまあ、怒らないで。みんな、フルゥは僕たちの味方だよ。王城に来るまではフルゥに助けてもらってたんだ。」
その言葉に、アレンが目を瞠り、フルゥは嬉しそうに笑う。
「フルゥに頼みたいことがある。みんなの呪いを解いてほしいんだ」
「もちろん!解いてあげるよ!」
フルゥは空中でぴょこんと跳ね、翼をぱたぱたさせながら胸を張った。
完全に自分の出番だ!というテンションだ。
だが、その明るさとは真逆の空気が、僕の背中側で流れている。
「……今、呪いと言ったか?」
アレンの声が低くなる。
三人は互いに顔を見合わせ、
“全く身に覚えがない”という困惑に満ちていた。
そんな緊張と困惑の視線をものともせず、
フルゥはくるりと回転しながら朗らかに叫ぶ。
「だいじょうぶ!説明より実践のほうが早いってば!君たち全員につけられてる“枷”、ぜ~~んぶ外してあげる!」
フルゥの体がふわりと淡い光に包まれた。
最初はかすかだった光が、心臓の鼓動に合わせて脈を打ちながら、次第に強く、暖かく広がっていく。
ぱらぱらと花びらのようにきらめきが舞い降り、三人の胸元から黒い影がすうっと抜けていった。
その瞬間、張りつめていた夜気がふっとほどける。
闇に沈んでいた森の向こう側で、薄い青がゆっくりと滲み出すように広がりはじめた。
まるで凍りついていた空気が目を覚ましたように、風が微かに揺れる。
地平線の端で、夜と朝の境目がじわりと混ざり合う。
呪いが解かれたことに世界が呼応するかのように、朝がゆっくりと顔を出しはじめていた。
フルゥが振り返って僕を見る。
「終わったよー!」
「ありがとう、フルゥ」
僕は笑顔でフルゥの頭を撫でてから三人の様子を見た。
オルフェンが小さく息を吐き、レミーユは自分の頬に手を当てる。
アレンはぼうっと遠くを見ていた。
「なにか、変わったことは?」
「王への忠誠が、嘘みたいになくなったわ」
「それどころか憎しみまで湧いてくるな。自分の意思や感情を操られていたなんて」
尋ねればオルフェンが自傷気味に笑う。
視界の端でアレンが崩れ落ちるように膝をついた。
「アレンッ!? どうしたのっ、大丈夫……っ?」
僕は咄嗟に駆け寄った。
レミーユとオルフェンも僕の後ろで息を呑む。
「あ……れ……」
小刻みに震え、何かをぶつぶつ呟いている。
「殺そうとしたんじゃない……!殺させられてたんだ……!」
顔を上げるアレンは涙の跡はないが真っ青だ。
歯を食いしばり、悔しさが噛みしめた音と一緒に漏れる。
僕はアレンの尋常じゃない様子にあの時のように背中を摩って落ち着かせる。
アレンは魔物を殺したくないと悲痛に訴えていた。
それが呪いが解かれて爆発したんだと推測できた。
「俺……ずっと……」
「大丈夫、大丈夫だよ。アレンは何も悪くない。呪いで操られていただけだ」
「……違うんだ、真白」
「俺が好きなのはノクトだ。ノクトは、魔王なんだ。」
「え……?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
けれどアレンの瞳に嘘はなかった。
「だから俺は好きな相手を、王の命令で殺すように言われて‥‥」
言葉が途切れ、アレンは悔しそうに顔を歪めた。
レミーユが思わず口元を押さえる。
オルフェンも一瞬だけ目を見開いたが、すぐに真剣な眼差しに戻った。
僕はすべてが一本の線になって繋がった気がした。
アレンの体調不良も、怒りっぽさも、言動のちぐはぐも、
自分でも戸惑っているような苦しげな表情を浮かべていることがあったのも、
全部、アレンの本心が呪いに抗おうとしていたからだ。
気づいたとき、こみ上げる憤りに身体が震えた。
アレンがそんなことをするわけがない、と心のどこかでずっと思っていたから。
悔しくて、惨めで、どれだけ苦しかっただろうか。
僕はそっとその手を取った。
「アレン、苦しかったよね。気づけなくてごめん。でも、もう大丈夫だよ。呪いは解けたんだ」
彼は強がることもできず、小さく息を吐いた。
ようやく自分を責めるのをやめたようだった。
「今の状況だと、魔王がこの世界の黒幕じゃない可能性が高い。僕、心当たりがあるんだ。王城の書庫で見た隠し部屋にあった本、それに魔王じゃない黒幕の記録があると思う。だから僕は一度、屋敷に戻る」
僕が言うとアレンは迷うように視線を揺らした。
「……俺は……どうしたら……」
その問いは、きっとずっと胸の中で燻っていたものだ。
僕はアレンの手をぎゅっと握った。
「アレンが選びたい方に行けばいいよ。でも、アレンが本当にノクトさんを想ってるなら会いに行くべきだと思う」
アレンの肩がびくりと震えた。
「俺が、ノクトに会いに行ってまた暴走したら……?」
その声はあまりにも弱くて、まるで別人だった。
怖いのは当然だ。
好きな相手を、自分の意思とは関係なく殺そうとしていた。
そんな恐怖、簡単に割り切れるはずがない。
僕はかぶりを振った。
「もう大丈夫だよ。呪いは完全にフルゥが解いてくれたんだし」
「ふふん!そうだよー、君がどこに行こうが、何をしようが、もう自由なの!」
フルゥは僕の横で当たり前のように胸を張って言った。
アレンは唇を噛みしめたまま、拳を握る。
「ノクトさんは、アレンを恨んだりしないよ。だって、好きだったんでしょ。その感情は呪いとは別だ」
アレンはようやく、泣きそうな顔で小さく頷いた。
「ノクトに……会いに行きたい」
「うん。大丈夫だよ」
それは、呪いの鎖から解き放たれた“初めての願い”のように聞こえた。
僕は転移魔法陣を紙に書いて魔力をため、アレンに渡した。
アレンは震える指で転移魔法陣の紙を受け取った。
まだ不安は完全に消えていないはずなのに、その瞳には確かな光が戻っていた。
「本当に…… 俺、行ってもいいんだよな」
「もちろん。アレンの気持ちで決めていいんだよ」
僕がそう言うと、アレンはぎゅっと紙を胸に抱いた。
「ノクトに全部話したい。俺がどう感じてたかも、どうしてあんな風になってしまったかも。逃げたくない」
その言葉には、罪悪感でも自己嫌悪でもない、ただ純粋な決意だけが宿っていた。
「よかった」
思わず息が漏れた。
アレンがちゃんと、自分の意思で前を向けたことが本当に嬉しかった。
レミーユがそっとアレンの背中に触れる。
「うん。行ってあげて」
「お前の選択だ。後悔しないようにな」
オルフェンもアレンに言葉をかける。
アレンは深く頷いた。
「ありがとう。真白、レミーユ、オルフェン、そしてフルゥも。俺、行くよ」
ふっと風が揺れた。
魔法陣に流し込まれる魔力が輝き、アレンの足元に光が広がる。
光が包んでいき、アレンの輪郭がゆっくりとかすむ。
そして次の瞬間、眩しい光が弾け、アレンの姿は完全に消えた。
残された空気は、どこか清々しかった。
アレンが自分の想いに向き合いに行ったように、
僕たちも、この世界の真実に向き合わなければならない。
僕は小さく息を吸い、顔を上げた。
レミーユとオルフェンも、真剣な表情で頷く。
「あの本を確かめに、僕も行くよ。レミーユとオルフェンもついてきてくれるとありがたいんだけど、」
「なら、わたしたちも手伝うわ。呪いが解けた今なら、王の命令なんてもう通用しないもの」
「俺も同じだ。王に利用されていたって気づいた以上、黙ってはいられない」
「ありがとう。二人がいてくれると心強いよ」
「フルゥはフルゥは?フルゥも一緒に行くよー!嬉しいでしょ?」
頭上でパタパタ羽をはためかせるフルゥに苦笑する。
「嬉しいよ、ありがとうフルゥ」
僕が言うと、フルゥは嬉しそうに飛び回った。
「真白が持って帰ったという本ね。隠し部屋にあったのなら、王が隠したかった何かが書かれていてもおかしくないわ」
「うん。作者の名前もなかったけど、内容が気になるんだ。魔王が書いた記録だったらいいんだけど」
レミーユの表情が引き締まる。
「その本に何もなかったとしても、もう一度あの隠し部屋を探れば別の書物が見つかるかもしれない。王城がどう動いてるかわからないから、急がなきゃ」
オルフェンは剣を握り直し、視線を鋭くした。
「でもさ、そんなことをするより、いっそ王を直接斬れば早いんじゃない?」
「オルフェン、それは……」
僕は首を横に振った。
「証拠なしで王を斬ったら、僕たちが反逆者だよ。呪いで操られた兵士たちと戦うことにもなる。それに王本人がどれほど力を持っているかまだわかってないんだ」
レミーユも静かに補足する。
「ええ。王城は呪いで操られた兵や魔術師で埋まっているかもしれない。正面突破は得策じゃないわ」
オルフェンは納得したように息を吐いた。
「…確かに、証拠がなくちゃなにもできないってわけか。なら、王に勘付かれる前に屋敷に戻ろう」
僕は強く頷いた。
懐から魔法陣の紙を取り出し、三人が手を触れられる位置に広げた。
地面に置くと、淡く青い光がゆっくりと広がっていく。
「フルゥ、僕たちを屋敷まで頼むね」
「まかせて!」
元気な声とともに、ふわっとフルゥが舞い降りる。
その翼から落ちる光が魔法陣に触れると、図形に沿って光が走り、魔力の流れが一気に強まった。
レミーユが小さく息を呑む。
「すごいわ。フルゥ、魔法陣の補強までしてくれてるのね」
「ふふん、これくらい朝飯前だよー!」
こんな緊迫した状況でも、フルゥがいると場が少し柔らかくなる。
オルフェンが僕に視線を向けた。
「真白。本を見たらどうするつもりだ?」
「確証を得る。それから王と向き合う準備をする」
そう言うと、二人の表情がぐっと引き締まった。
魔法陣が完成した合図のように、強い光が周囲を包みはじめる。
フルゥが僕の肩にちょこんと乗った。
「しっかり掴まってねー。飛ぶよ!」
「じゃあ、行こう」
三人は互いの腕に軽く触れ合い、光の中心へ身を預けた。
次の瞬間、強い風が巻き起こり、視界が白く染まる。
屋敷への転移が始まった。
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