【完】クレオメの時間〜花屋と極道〜

ムラサキ

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 じめじめとした暑い朝。小夜は喪服を着て、百目鬼組の人間と共に御神体のある場所へと移動していた。母、夏夜の七回忌は一般的なものと違って、親族だけでなく、若衆も含めて厳かに執り行われた。喪服を着るのは今年で最後だ。悲しみにはもう慣れた。今は母がどこかで見てくれている気がして、それが頑張れるきっかけだったりする。
 御神体の前で禰宜の祝詞、お祓いを終え、母が埋葬されたお墓の前で手を合わせ、屋敷に戻った。その後、一言も話さない会食の準備に追われ、会食が終わり次第、片付けを終えた。
 小夜は堅苦しい喪服を脱いで、涼しげな水色のワンピースに着替えた。小さな鞄を肩にかけ、急足で裏道から屋敷を出る。肌を刺すように照りつける太陽はいつの間に夏を運んできたのだろうか。朔也と再会した冬から、もうそろそろ半年が経とうとしている。
 朔也と会えなくなってから、最初は心臓が潰れてしまうのではないかというくらいに悲しみに暮れていたが、周りの人や出来事によって、悲しむ頻度も少なくった気がする。特に武流は小夜の側を離れず、真っ直ぐに好きだと伝えてくれている。失恋は新しい恋で癒やせとは言うが、その通りに小夜の心は確実に癒されていった。しかし、朔也が心の中で消えないのも事実だった。一日とて忘れたことは無い。笑顔、言葉、体温、感触、匂い、そして声…。心はもちろん体に朔也の思い出が染み付いて忘れさせてくれない。そして、小夜の中には引っかかるものがあった。朔也が放った最後の『お前といると疲れるんだよ』という言葉が信じられなかった。信じたく無いだけなのかもしれないが、どうしても朔也が本心で言ったとは思えなかった。朔也の背中はあの時、微かに震えていた。

(朔也くんはどんな気持ちであんなこと言ったの…。)

 小夜が考え事をしながら歩いて行った先は、夏夜が亡くなった場所だった。昔のようにもう花を添えることはできないが、命日や何か悲しいことがあった時や、逆に嬉しいことがあった時にこうしてこの場を訪れている。

(お母さん、私ちゃんとお母さんのように立派な人になれてるかな。)

小夜はその場にしゃがみ込み、手を合わせた。

(私、このままの気持ちで武流と付き合って良いのかな。朔也くんを忘れるの待ってたら、いつまで経っても武流の気持ちに応えてあげられないよ。それとも、忘れられないまま新しい恋に行っても良いのかな。)

小夜が語りかけても、目を開いても誰も答えてくれない。小夜はまたねと言うと、立ち上がって後ろを振り返った。
 心臓が止まった。そこには脳裏に焼き付いて離れない、毎夜毎夜思い出していた顔があった。その場に立ち尽くしていた朔也は息を荒げて、泣きそうな目で小夜を見ていた。

「なんで、ここに…。」

小夜が言いかけた途端、夕立が降り始めた。朔也は何も言わずに小夜の手を引き、走り出した。小夜は急に激しく降る雨に濡れながら、されるがままに朔也の後を走った。心臓が締め付けられる。心拍数が上がる。ずっと忘れられなかった温もりが、右腕の手首から伝わってくる。小夜は泣きそうになって、頬を濡らしているのが雨なのか、涙なのかわからなくなっていた。
 朔也が連れてきたのは昔の宇津井屋の建物だった。昔と違い、中は花も棚もなく、居住区だった和室には時が止まったように全てのものが置いてかれていた。

「どうして…。ここ…」
「買い取ったんだ。金ができてから。」

朔也は小夜がいる方を向かずに淡々と話した。小夜はそのことが気に食わなくて、朔也の背中を睨むだけだった。雨が髪を濡らして滴れている。服も肌にくっついて気持ちが悪い。小夜は急に冷えた体を身震いさせた。

「風邪ひくぞ。」

朔也は小夜を見ずにバスタオルを渡した。小夜はいよいよ腹が立ち、バスタオルを奪うように受け取った後、朔也に思いっきり投げつけた。

「ほっといてよ!…なんで、酷いこと言っといて、優しくするの!?私の気持ち…知ってるんでしょ…」

小夜は言葉に力が入らなくなり、泣き出しそうになってしまった。でも、朔也の前で泣くのが悔しくて、歯を食いしばって我慢した。

「私…帰る…」
「小夜!!」

朔也は小夜の手を取って、強く握った。小夜は顔を見られたくなくて、振り返ろうとしなかった。朔也は少し間を置いた後、小夜が投げつけたバスタオルを広げて、小夜の頭に被せた。

「雨、すぐ止むからその後にしろ。風邪引くぞ。」

小夜は被せられたバスタオルの端を掴んで、顔を覆うように涙を拭いた。

「なんなのよ…。」

しばらくして、朔也は電気ストーブを納戸から出し、小夜に当てるように置いた。小夜もさすがに冷えて寒かったので、痩せ我慢することなく素直に温んでいた。
 朔也は上の服だけ脱ぐと、無造作にバスタオルで髪と体を拭き、小夜に背中を向けていた。

「…なんであそこに居たの。」

朔也は黙ったまま、バスタオルで体を拭くまねをした。

「…私と話す気ないってこと?」
「お前の…」
「え?」

朔也はやっと小夜の方を向いて、目を見た。

「今日、お前の母親の命日だろ。」
「そう、だけど…。」

また沈黙ができてしまった。朔也が何を言おうとしているのか分からない小夜は混乱するしかなかった。

「…最近、どう?元気だった?」
「……朔也くんに関係ないでしょ。」
「彼氏とかできたのか?」
「…は?」
「良い感じの奴いただろ?店の前に来てた奴。いいな。若いって。俺も昔に戻り…」

パァァン!!

「良い加減にしてよ!!…なんで、そんな酷いこと言えるの?そんなの私が好きな朔也くんじゃない!最低!!」

小夜は大粒の涙を流しながら、喉が引き裂かれそうな声を出していた。小夜の左手と同様に、朔也の右頬は赤くなり、痺れるような痛みが残っていた。
 小夜はバスタオルを感情に任せて、強く捨てた。雨はまだ激しく降っていたが、小夜はお構いなしに、出て行こうとした。朔也は一瞬躊躇った後、勢いよく飛び出し、小夜を後ろから抱きしめた。

「なんで…!!離して!!」

朔也の腕を振り落とそうともがいたが、朔也の力が強すぎて振り解けなかった。ずっとこの腕の中にいたいと思っていたはずなのに、今はこの腕の中を出たくて仕方がない。

「離して!離して!」
「好きだ。」

その言葉に小夜は動きを止めた。同時に、溢れていた涙が別の意味で流れ始めた。

「今なんて?」
「ごめん。本当は今日あそこに行けば、お前に会えると思って…。ずっと耐えてたんだ。自分に嘘をついて、お前のこと忘れようとしても、お前が頭の中にずっと…」
「どうして…。どうして、あの時に言ってくれなかったの。なんで今更…今更言うのよ!!」

小夜は朔也を突き飛ばすように腕の中から出た。小夜は今まで苦しんでいた責任を全部朔也に押し付けたいと思っていた。実際にそうなのだから。でも、そんな小夜の怒りとは無関係に朔也の顔は後悔と哀愁に飲まれていた。今にも崩れそうでクリスマスの時のような脆さを漂わせていた。小夜は自然と怒りが消えざる終えないような感覚に陥った。

「ごめん。本当はずっと昔から好きだった。ずっと認めたくなかったんだ。だから、お前と離れた後、お前を忘れようと必死になってた。」
「…。」
「でも、海外に行っても、誰といても、お前のこと忘れられなかった。」
「朔也くん…」
「日本に戻ってきたのは、確かめたかったからだ。お前に会って気持ちに決着をつけたかった。でも、いざ帰ってきてもお前の情報を知りようもないし、第一、会ってからどうするかなんて決めてもなかった。でも、あの日、何も決心がつかないままお前に会った。」

朔也は悲しそうな笑顔で真っ直ぐに小夜を見つめた。小夜は体が跳ねるような心臓の音で身動きができなくなるような感覚に陥った。

「あの時の感覚はまだ覚えてる。今すぐにでも抱きしめてやりたくて、触れたくて。」
「じゃあ、どうして私が思いを伝えたときに、突き返すようなこと言ったの?」
「お前を泣かせたからだ。」
「え?」
「あの日、酒に酔った勢いでお前に酷いことをした。あの時の泣き顔が忘れられなくて、ショックだった。お前を傷つけた。罪悪感でいっぱいだった。」
「それは…」
「それに、お前はまだ未成年だ。俺が手を出すことによって、お前の将来を潰すかもしれない。そう思って、無理にでもお前から離れようとした…。でも、あの後、お前との思い出とか、お前が言った好きって言葉も忘れられなくて…。ずっと、苦しか…」

小夜は朔也の口を塞ぐように、勢いよく口づけをした。朔也は驚きの余り、体を硬直させた。小夜の唇。甘い匂い。黒い瞳。自ずと、朔也の目から涙が一粒流れた。
 小夜は朔也から唇を離すと、朔也の潤んだ瞳を見た。

「バカだよ。朔也くん。私の将来は私が考えることだよ。朔也くんが頭抱えることなんかじゃないよ。」
「小夜。」

朔也は小夜を抱きしめながら畳に優しくゆっくり寝かせた。その後、震えた唇で吐息のような「愛してる」を言ったあと、雨で冷えた小夜の頬を大きな手で包んだ。

「朔也くん。いいよ。」
「小夜…。」
「来て。」

 豪雨が降る中、二人は冷えた体を温め合うように重ね合わせた。荒くなる息も、寒さも、薄暗さも、その中で感じるくすぐったくて愛おしい感触も、二人にとって唯一無二でずっと求めていたものだった。
 店の側に力強く咲いているクレオメの花はその強さと儚さで蝶を誘惑し、蜘蛛のように捕え、蝶はそのクレオメの甘い蜜を吸って離れない。
 やっと結ばれた二人が乗り越えた困難はほんの僅かなものでしかないことを、二人はまだ知らない。
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