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逃水
第十二夜
しおりを挟む「本当ですか?」
「うん。アタシ、キス以上の事、翠としたいって昨日から言ってるのに。断る筈ないってわからなかった?」
言わんとしていることはわかるが、『セックスはしてもキスは拒む人もいる』と実体験に基づく捻くれた考えに逃げていたら、彼女の顔が真正面に迫っていた。
声を発する前に、頬に柔らかいものが触れる。
「ちょっと、紅さん! キスするなら、その前に一言下さいって昨日も言って…………あ!」
ずずいっと彼女に詰め寄り、はたと気付く。
彼女は私に向かって偉そうにアドバイスしておきながら、二回も私の頬に同意なくキスをしているではないか。
「やっと気付いた? アタシが翠にキスするの、二回目」
彼女はピースサインを目元に翳した。
時代遅れのその仕草を見て胸が疼いたのは、彼女に痛々しさを感じたからではない。
私自身がよくわかっている。
枯れ果てたと思っていた感情は、私の中にもまだ残っていたらしい。
「しかも、二回とも合意も得ずに、です」
「二回も、ごめんね」
「本当ですよ! ……と言いたい所ですけど、紅さんにとっては挨拶なんですもんね。別に良いですよ。特別です」
今日限りの特別に意味などないのに。
「ありがと」
彼女は私の心情など知らず、無邪気な笑顔を浮かべている。
「でも、次からは予告してくださいね」
今日限りだとわかっていないのも、信じたくないのも、実は私も同じかもしれない。
この部屋を出るまでに何回してくれるだろうなんて期待して、馬鹿みたいだ。
「ん。善処する」
「……って、そういえばまだ教えてくれてないじゃないですか! 誤魔化される所でした! 早く教えてくださいよ、私達がヤったのかヤってないのか」
「してない。キスマークはつけたけど、他には何も」
猫被りをやめて即物的に問うと、彼女は淡々と答えた。
これまで勿体つけていたのが噓のようだ。
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