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逃水
第十三夜
しおりを挟む「どうしてですか?」
抑揚がないと揶揄されがちな声には、心底わからないという感情が表れていた。
「翠、あの後すぐ寝ちゃったから」
彼女は不満げに唇を尖らせた。
昨日よりも毒気はないが、その唇はやはり紅く彩られている。
無理のある理由を捻り出さなくても、『したい』と一言言ってさえいれば、私の血色の悪い唇も彼女の色に染まっていただろうに。
「……だから、何もしないでいてくれたんですか?」
「うん。勝手にする訳にいかないし。そっちの意味で寝れたらと思ってたのはホント。でも、寂しくなかったから、十分」
キスは挨拶だが、それ以上は流石に彼女にとっても挨拶の範囲を超えているという事なのか。
「私が起きてたら……」
「起きてても、酔ってる時に聞くのはフェアじゃない」
今、私と話しているのは、出会った直後にエロ親父のような発言をかました人と同一人物なのかと二度見したが、この世に二人といない美貌は健在だった。
「……起きてても同じ結果だった、って事ですね」
「そ。一緒に寝てくれて、ありがと。信じて着いてきてくれたのも、嬉しかった」
彼女の視線の先には、二本の空き缶。
「……そんな風に言ってくれるんですね。私、紅さんの言う意味では寝てないのに」
寄り添っていると思っていた二本の間には、わずかな隙間があった。
近くにいるのに、触れ合っていない私達みたいだ。
「楽しかったから。翠はそうじゃなかった?」
「楽しかったに決まってるじゃないですか。なんで寝落ちなんかしちゃったんだろうって後悔してます」
こちらを向いた彼女の耳には大きなピアスが揺れていて、寂しげだった穴を確実に塞いでいる。
それでも、私の心の穴は広がって、広がって。寂しさに耐えかねて、今にも千切れる寸前だった。
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