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薄翅蜉蝣
第十二夜
しおりを挟むそうこうしているうちに出発の時間がやってきた。
「ウチから出れないの、不便でしょ」
尋常ではなかった汗が大分引き、声の調子もほぼ通常通りになった彼女は、指にボールチェーンを引っ掛け、鍵を手渡してきた。
「ありがとうございます」
海を舞台とした某テーマパークの、イタリアの氷菓に由来するキャラクターのぬいぐるみが、こちらに微笑みかけている。
「可愛いよね」
熱心に見つめているのに気付いたらしい。
ピアスをはじめとするアクセサリー類はもちろん、部屋着や生活雑貨にまで範囲を広げても、この家にあるキャラクター物は数えるほどだと思っていたので驚いていただけだが、可愛いという評価に異論はない。
「はい」
見間違いでなければ、アクセサリートレイに置いてあったそれを両手で受け止める。
「お出掛けの間に夕飯の買い物しておきますね」
「ん。アタシの分もお願い」
「もちろん。お粥とかにします? 好きなアレンジあったら教えてください。……あ、お粥よりおじや派ですか? その二つ、どう違うんだっけ……?」
「多分、帰る頃には何ともないから。翠の好きな物、食べよ」
メモ帳アプリを起動しつつ聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
ちらっと彼女を窺うと、浮かべていたのは大量の汗ではなく優しい笑顔。
強がっている風には見えないし、信じても良いかもしれない。
安心して、夕飯の献立の検討に入った。
「そうですか? じゃあ、冷やし中華か石焼ビビンバ……。あ、出汁茶漬けも捨てがたいかも。食べたばっかりだけど、またお刺身も食べたいな……」
一通り挙げたメニューは、自分でも意外に感じる物ばかりだった。
彼女はああ言っていたが、私の分とは別に、お粥やうどんなどの消化に優れた食事も用意しておこうと考えていたから、どれも私が今純粋に食べたい物だ。
昨夜は食べさせられるままに暴飲暴食したせいで、胃がストライキしているのかもしれない。
口には出さなかったが、今なら初めて一緒に外食した時に頼んだ野菜盛り沢山プレートをぺろりと平らげるのも難しくはない気がした。
あの時も完食はしたが、最後の方は雑穀米が満腹中枢を刺激してきて、なかなかに苦戦を強いられたから。
「夏、って感じ。元気出そう」
「ですね。でも、お粥も良いな……。病気の時じゃなくてもたまに食べたくなっちゃうんですよね」
「何になるか、楽しみにしてる。……あ、そろそろ降りなきゃ」
テレビの時刻表示を見た彼女が立ち上がった。
「いってらっしゃい。……あと! この鍵、使い終わったら、さっきのとこに戻しておけば良いですか?」
玄関に急ぐ彼女の背中に向かって問い掛ける。
「ううん。翠にあげる!」
振り返った彼女が手を振った。
耳にも指にも、そして首にもアクセサリーのない彼女に手を振り返したが、その前に彼女は前を向いてしまっていた。
しばらくの間は居候の身だ。
事あるごとに断って借りるより、双方にとってその方が楽という事だろう。
だが、私には彼女が『ここは翠の家でもある』と言ってくれているような気がした。
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