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《砂漠の秘宝と、快楽を記す遺跡へ》 ――触れ合いを石に刻んだ民の、失われた祈りとは?
第167話『忘れられない夜を、ありがとう』
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──泡は、選べるものになった。
それはほんの一週間前まで、都市の誰もが想像しなかったことだった。
けれど、ひとりの施術師の小さな“願い”が、
泡の流れを少しだけ変えた。
*
《ナミウ=ロア・癒政庁通達書 第887号》
すべての施術所において、
「記録泡」と「記録封鎖泡」を患者が自ら選択できる制度を正式に導入する。
施術者と施術対象者が合意のうえで記録された記憶は、
都市倫理に反するものとはみなさない。
なお、記録に際して“名を呼ぶ施術”を希望する場合は、
記録香を併用のうえ、責任をもって管理すること。
「選べる施術」──それは、《ナミウ=ロア》が初めて“記憶”と“癒し”を並べて語った日だった。
*
その朝、施術庵の門前には、泡香を求める市民が列を成していた。
けれど今までと違うのは、
香炉の横にふたつの香瓶が並んでいること。
片方は、「癒しを忘れる泡」
もう片方は、「癒しを記す泡」
「……どっちが正しいかは分からないけど、
少なくとも“ありがとう”を残したい夜もあるからさ」
老婦人が、記録泡の瓶を手に取って言う。
「“名を呼ばれた記憶”って、悪くないなって思ったのよ」
小さな少女が、施術師に向かってうつむきながら呟く。
「だって、わたし、きのう、“わたしって呼ばれてうれしかった”って、初めて思ったから」
そして、施術所の奥。
今日も施術に立つのは、リセ=フェアレン。
以前と同じ真っ白な施術衣に身を包んでいても、
その眼差しだけは、まるで違っていた。
そこには、恐れも、否定も、沈黙もない。
あるのは、ただひとつ――“覚えていて”という願い。
*
「いらっしゃいませ。
本日は、“記録泡”と“洗浄泡”のどちらをご希望なさいますか?」
そう告げるときの声が、ほんのわずか震えているのは、
きっと彼女自身が“誰かにふれた夜”を忘れていないからだ。
「記録泡でお願いします。
……名前を、呼んでもいいですか?」
そう言われたとき、リセは小さくうなずいた。
「はい。どうぞ……“リセ”と、呼んでください」
*
その夜、施術を終えたリセは、
海に面した香炉の前で、風に舞う記録香を見つめていた。
背後から流星が近づく。
「……よく頑張ったな、リセ」
「……頑張ったのは、都市のみなさんです。
私は、ただ一度、自分の名前を残したくなっただけで……」
「それが、泡の流れを変えたんだよ」
流星は香の火を見つめながら言う。
「“忘れても癒される”も、
“覚えているから癒される”も、
どっちも間違いじゃない。
大事なのは、選べることだ」
リセは、静かに手を重ねるように香にかざし、言った。
「私は……誰かにとって、“名を記される施術師”でありたい。
“あの夜、あなたがいた”って、誰かが覚えていてくれるなら──
私は、それだけで、今日も誰かを癒せます」
「私は、覚えていてほしい。
あなたにふれた夜のことを。
あなたの名を呼んで、あなたにふれた“この手”のことを」
香が揺れ、泡が舞い上がる。
記録石板には、今日施術を受けた人々の“泡文字”が綴られていた。
「リセさんの手、あったかかった」
「名前を呼んでもらったとき、涙が出ました」
「わたしは、癒されたことを、ちゃんと覚えていたい」
「ありがとう」
「忘れない」
「もう一度、あの手に触れてもらえたら、今度はちゃんと名前を呼びます」
リセはそっと、胸元の小さな記録帳を開いた。
そこには彼女自身の手で書かれた、ただ一文。
『私は、癒しを残したい。
たった一人でもいい。
あの人が、私を“リセ”と呼んでくれた記憶があるなら、
私は、その夜を、ずっと灯し続けていける。』
そしてその灯は、泡よりもやさしく、
香よりも確かに、海の夜風に溶けていった。
それはほんの一週間前まで、都市の誰もが想像しなかったことだった。
けれど、ひとりの施術師の小さな“願い”が、
泡の流れを少しだけ変えた。
*
《ナミウ=ロア・癒政庁通達書 第887号》
すべての施術所において、
「記録泡」と「記録封鎖泡」を患者が自ら選択できる制度を正式に導入する。
施術者と施術対象者が合意のうえで記録された記憶は、
都市倫理に反するものとはみなさない。
なお、記録に際して“名を呼ぶ施術”を希望する場合は、
記録香を併用のうえ、責任をもって管理すること。
「選べる施術」──それは、《ナミウ=ロア》が初めて“記憶”と“癒し”を並べて語った日だった。
*
その朝、施術庵の門前には、泡香を求める市民が列を成していた。
けれど今までと違うのは、
香炉の横にふたつの香瓶が並んでいること。
片方は、「癒しを忘れる泡」
もう片方は、「癒しを記す泡」
「……どっちが正しいかは分からないけど、
少なくとも“ありがとう”を残したい夜もあるからさ」
老婦人が、記録泡の瓶を手に取って言う。
「“名を呼ばれた記憶”って、悪くないなって思ったのよ」
小さな少女が、施術師に向かってうつむきながら呟く。
「だって、わたし、きのう、“わたしって呼ばれてうれしかった”って、初めて思ったから」
そして、施術所の奥。
今日も施術に立つのは、リセ=フェアレン。
以前と同じ真っ白な施術衣に身を包んでいても、
その眼差しだけは、まるで違っていた。
そこには、恐れも、否定も、沈黙もない。
あるのは、ただひとつ――“覚えていて”という願い。
*
「いらっしゃいませ。
本日は、“記録泡”と“洗浄泡”のどちらをご希望なさいますか?」
そう告げるときの声が、ほんのわずか震えているのは、
きっと彼女自身が“誰かにふれた夜”を忘れていないからだ。
「記録泡でお願いします。
……名前を、呼んでもいいですか?」
そう言われたとき、リセは小さくうなずいた。
「はい。どうぞ……“リセ”と、呼んでください」
*
その夜、施術を終えたリセは、
海に面した香炉の前で、風に舞う記録香を見つめていた。
背後から流星が近づく。
「……よく頑張ったな、リセ」
「……頑張ったのは、都市のみなさんです。
私は、ただ一度、自分の名前を残したくなっただけで……」
「それが、泡の流れを変えたんだよ」
流星は香の火を見つめながら言う。
「“忘れても癒される”も、
“覚えているから癒される”も、
どっちも間違いじゃない。
大事なのは、選べることだ」
リセは、静かに手を重ねるように香にかざし、言った。
「私は……誰かにとって、“名を記される施術師”でありたい。
“あの夜、あなたがいた”って、誰かが覚えていてくれるなら──
私は、それだけで、今日も誰かを癒せます」
「私は、覚えていてほしい。
あなたにふれた夜のことを。
あなたの名を呼んで、あなたにふれた“この手”のことを」
香が揺れ、泡が舞い上がる。
記録石板には、今日施術を受けた人々の“泡文字”が綴られていた。
「リセさんの手、あったかかった」
「名前を呼んでもらったとき、涙が出ました」
「わたしは、癒されたことを、ちゃんと覚えていたい」
「ありがとう」
「忘れない」
「もう一度、あの手に触れてもらえたら、今度はちゃんと名前を呼びます」
リセはそっと、胸元の小さな記録帳を開いた。
そこには彼女自身の手で書かれた、ただ一文。
『私は、癒しを残したい。
たった一人でもいい。
あの人が、私を“リセ”と呼んでくれた記憶があるなら、
私は、その夜を、ずっと灯し続けていける。』
そしてその灯は、泡よりもやさしく、
香よりも確かに、海の夜風に溶けていった。
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