『おしっこパニックで恋が始まる!?』

本能寺から始める常陸之介寛浩

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《帰社後の波乱編──出張の余韻と、恋とトイレのリベンジ戦》

第197話『打ち合わせは膀胱限界時間で』

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「……行くぞ、ハルカ」

 ケントの言葉に、ハルカは思わず背筋を伸ばした。

「は、はいっ……!」

 月曜の午後。出張明けの喧騒が一段落したかに見えたオフィス内で、ふたりに言い渡されたのは、急遽決定したクライアント訪問の打ち合わせ。

「15時からミーティング。30分だけど、資料確認と事前整理で1時間前から打ち合わせねー」

 上司の軽い調子の声が、ハルカの鼓膜にズンと響く。
 同時に、彼女の下腹部でも“もうひとつの打ち合わせ”が静かに始まっていた。

 ──トイレ、どうしよう。

 さっき昼食後に行こうと思ったときにはすでに列ができていて、
「まあ、あとで行けばいいか」と後回しにしたのが運の尽きだった。

 会議室に入ると、空調は妙に冷えていて、ハルカの我慢の膀胱には天敵そのものだった。

「じゃあ、資料確認から始めようか」

 ケントはすでに着席し、ノートパソコンを立ち上げていた。

 ハルカも隣に座るが、足をピッタリ揃えたまま、太ももに力を入れ続ける。

(いける……いける……まだ30分は我慢できる……)

 でも、意識すればするほど“尿意”というやつは態度を大きくしてくる。

 目の前のスライド資料の文字が、少しずつぼやけていく。

「ハルカ、ここの発注履歴って前回の見積もりに反映されてたっけ?」

「……っ、えっと……はいっ! 反映……されて、ます……!」

 返事にワンテンポ遅れた自分に気づき、思わず顔が赤くなる。
 けれど、今の彼女にとって一番大切なのは“冷静さ”だった。

(とにかく、膀胱に集中しないように……この書類、そう、見積もり見積もり……)

 そのとき、ふと会議室の扉が開いた。

「すみませーん、社用携帯忘れて……」

 ナナだった。

 一瞬、視線が交錯した。
 ナナの目が、一瞬だけハルカの足元を見た。

 キュッと閉じられた太ももと、落ち着きのない手指の動き。

 ナナは何も言わず、携帯を取って扉へ向かう。

 ──が、そのすれ違いざま。

「……あんた、本気で好きになるわけ、ないよね」

 声は小さかった。
 けれど、十分だった。

 ハルカの心に、刺さるには。

 ケントには聞こえていなかったようだ。彼は、画面の内容に目を通したままだ。

 だが、ハルカの胸の内では、トイレの限界と一緒に、もうひとつの“感情の境界線”が揺れていた。

 **

「はい、それじゃ15時からの商談に向けて、これでOKだね」

「は、はい……!」

 ぎこちない返事をした瞬間、ハルカは椅子から立ち上がる。

(……トイレ! もうだめっ、マジでやばい……!)

 カバンを持って一礼し、会議室を飛び出す。

 その背中を、ケントが見ていたことに彼女は気づいていなかった。

「……どうしたんだ?」

 ポツリと呟いたその声は、冷房の風音にかき消されていった。

 **

 女子トイレの前は、またもや行列。

「あと……二人……お願い、間に合って……!」

 ハルカは、口の中で何度も神に祈った。

 だが、背後から忍び寄る影──

「……お疲れ。商談、がんばって」

 ナナだった。

 すれ違うときに、もう一度だけ声をかけられる。

「……だから、期待しないでよ。あんたが“そういう目”で見てるの、知ってるから」

 まるで、ハルカが誰かのものを“横取りしようとしている”かのような口ぶりだった。

(……そんなつもり、ないよ……でも)

(でも……あの人のこと、“好きになっちゃいけない”って、誰が決めるの……?)

 トイレのドアが、開いた。

 ハルカは、一歩を踏み出す。

 ──心も、体も、限界寸前だった。

 けれど、その足は震えながらも、確かに前を向いていた。

 そして彼女は今、ひとつの“覚悟”を強めようとしていた。

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