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第4章 ジャンヌの西進
第28話 オムカ軍出陣
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翌日の昼前。
俺たちは西の砦を後にした。
昨日は遅くまで軍議をしていたから、正直この時間でも眠い。
でもここを出ればもう敵地だ。
補給も簡単にできないし、敵中で孤立する可能性を大いに秘めている。
だからこそ緊張感をもって、慎重に慎重を期して進まなければならない。
陣立てはこうだ。
まず先頭が俺の隊200。
道案内のセンドと、俺の『古の魔導書』で地形を見ながら進むためそうなった。
逆に殿軍はサカキの隊の歩兵200。
退路を断たれたら敵中で孤立して袋叩きに遭うため、後ろにサカキがいるのは安心だ。
というか先頭に置いておくと、どこまでも敵を追いかけて突っ込んでいく未来が見えて不安だったのもある。
そしてその間に挟まれるようにしているのが、虎の子のクルレーン率いる鉄砲隊100。
ここに置いたのは奇襲に対し一番狙われづらいところであることと、前と後ろ、どちらにでも対応できるようにしているためだ。
合計500の戦力で、10万近くいると言われているビンゴ戦線の帝国軍と戦うのだから勝機の沙汰とは思えない。
さらに輸送部隊も連れていない、つまり食料も武器も野営の道具も手持ち以外は何も持たない状態だから、息継ぎなしで大海を渡ろうとしているのと同じようなものだ。
一言で言えば無謀。
控えめに言って狂人の発想。
宝くじを1枚買って一等を狙うようなもの。
だが、やり遂げなければならない。
騎馬は俺と斥候用に10頭ばかりいるだけで他は全部歩兵だ。
森や山が多い地形では騎馬隊は動かしづらい。というより無力化されるに違いない。だから機動力のいる斥候と、体力なしのヘタレ軍師以外の馬は全部置いていったのだ。
とにかく前方に斥候を伸ばしながらも、速度はそれなりを保ちながら進軍する。
一応、砦の西門から出たので、原野を一気に突っ切って、最前線となる帝国の砦に向かったと見られているだろう。
だがそれは偽装だ。
今日の夕方に野営の準備をした後、夜陰に紛れて一気に北上。北にある森林地帯の手前を西に折れて、そこで一時休憩。その翌朝、相手に発見される前に目指すべき砦に一気に強襲をかけるというものだ。
だから今のところは特に姿を隠すまでもなく、悠々と進んでいるわけだが。
「ねぇ明彦くん」
その最中。
俺の馬の横を歩く里奈が話しかけてきた。
俺は馬を降りて里奈の横を歩く。
少しくらいなら俺の体力でも持つだろう。
「今はジャンヌだって言っただろ」
「ぶー、それくらいいいじゃん」
頬を膨らませて抗議する里奈。
ちょっと可愛いかった。
なお護衛についてだが、俺の左斜め前をサールが、右斜め後ろをフレールがいて警護してくれている。
おそらく里奈との会話は聞こえないだろう。
ちなみに昨日はあれから彼らの元を訪れたが、
『この汚名は必ず返上します』
とだけ言われてあとは影のように俺の警護に戻った。
フレールいわく、好きにさせてください、ということだったので好きにさせることにした。
閑話休題。
さて、今は里奈。
可愛いから許してあげたいと思わないでもないが、駄目なものは駄目。そうでもしないと、マリアとニーアに詰問された時のように、余計な騒動を引き起こす。
「分かったよ。じゃあジャンヌ……おぉ、なんかこの呼び方もいいかも。本当のジャンヌ・ダルクみたい!」
「いいから。で、なんだよ」
「あー、えっとね……」
急に歯切れが悪くなる里奈。
それでもようやく覚悟を決めたのか、こう言ってきた。
「私も戦っていいの?」
「それは――」
一瞬言葉に詰まって考える。
いや、それは何度も考えた話題。
そして答えの決まっている話題。
「駄目だ」
「そう……」
「里奈の戦い方を見れば、いつかの敵だと結びつける奴はきっといる。この部隊にも因縁のある連中は少なからずいるからな。それに、里奈が別に危険を侵さなくても、この軍はそうそう負けないさ」
「そう……そうだね」
その時の里奈は、ホッとしたような、哀しそうな、複雑な表情をしていた。
だから俺は次のカードを切ることにした。
「なにより、里奈に危険なことはしないでほしい」
「…………」
あれ?
本当は「ありがとう、優しいんだね」的な回答を期待していたんだけど、なんで黙るんだよ。
「里奈?」
「あ、うん。ごめんね。ありがとう。そう思ってくれるのは嬉しい。けど……」
「けど、なんだよ」
「…………」
黙り込んでしまった里奈。
その沈黙が、どこか不吉な予感を助長させる。
「はっきり言ってくれ。今は誰も聞いてない。それに……俺とお前の仲だろ」
俺と里奈の仲。
それって何? って聞かれるとすごい困る。
けどこうでもしないと里奈は話してくれない。そんな気がした。
「うん……」
ようやく意を決したのか、里奈が口を開いた。
「この世界に来て気づいたの。私には何もないんだなって。煌夜さんみたいな人を惹き付ける才能もなく、堂島さんみたいな人を率いる才能もなく、諸人さんみたいな人を仲介するような才能もなく、明彦くんみたいな人を導く才能もない」
「そんなの……俺にそんな才能はないよ」
「うぅん。明彦くんにはそういう才能があるんだよ。じゃなきゃ、こんなことはできない。こんな人たちに信頼されることもない。けど……私には何もなかった」
「そんなことないだろ。里奈には里奈の良いところがある。何より俺が知ってる。里奈はこんな俺にも話しかけてくれたし、優しいし、面白そうに笑うし、一緒にいると楽になるし。そんなところが……俺は……」
好き、という言葉が言えない。
くそっ、つくづくヘタレだな、俺は!
「うん……ありがとう。でもね、私も私自身で1個だけ、たった1個だけ人に自慢できる…………そんなものがあったの」
それが何か。突っ込んで聞くことがなんとなく憚られた。
だから里奈の言葉を待った。
「それはね、人殺しの才能。私は人を殺すのが得意だったの。人を殺すと、嬉しくなってすぐにまた次の人を同じようにしたくなる。いけないことだって分かってるのに、それが楽しくて楽しくて……。戦いの後にそれをどれだけ悔やんでも、心のどこかでは次の戦いを望んだの」
俺から視線を外し、俯くようにして言うその時の里奈の声は、どこか重く、地の底から湧き出るような暗い響きを持って俺を圧倒していた。
俺は迷った。
確信が持てなくなった。
今ここにいるのは里奈なのか。
それとも里奈の皮をかぶった何かなのか。
そう自信が揺らぐほどの異様さを放っていた。
「そんな人でなしの私を、明彦くんは救ってくれた。こうして、一緒にいられる時を作ってくれた。そんな明彦くんだから、恩返しをしたいの。でも私にできることはそれしかない。だから明彦くん。私に人を――」
「里奈!」
絞り出すように、圧倒してくる何かを弾き飛ばすように、俺は叫んだ。
周囲が振り返る。前方のサールは振り返らなかった。それがどこか救いのように思えた。
くそ。
そんな風に思っていたのか。
そんな風に考えていたのか。
そんな風に悩んでいたのか。
情けない。
短い間とはいえあれだけ一緒にいたのに、そんな思いを俺は汲み取れなかった。ただ里奈と一緒にいられることが嬉しくてしょうがなかったとは。
なんて自分本位な勝手な奴だ。
だからこそ、遅まきながらも今からでも、俺は里奈に言わなくちゃならない。
「やっぱりダメだ……それだけは絶対ダメだ」
言いながらも俺は1つの不安を抱いていた。
先ほどの里奈。
人殺しが才能だと信じ、
人殺しを楽しいと言い。
人殺しで報いると話した。
その時、彼女は。
――嗤っていなかったか?
ただそれは聞けない。
聞いてもし、万が一、億が一……そうだと言われたら、俺は里奈とこれまでと同じように接することができる自信がなかったから。
それほど先ほどの里奈は異質。
だからこそ。
だからこそここではっきりと否定しないといけない。異質なものを封じなければいけない。そういった一種の使命感を感じてそう言い切った。
少しの間、里奈はうつむいて黙っていたが、ようやく顔をあげて――
「分かった……明彦くん。優しいね」
それはさっき聞けると思った言葉。
けど、その時に返ってくるはずだった言葉と、今こうして実際に聞く言葉では、どこか意味が違ったように思えてならない。
「とにかく、そういうことだから。里奈は何も心配しなくていいんだ」
不穏な話はそれで打ちきりだと言わんばかりに、俺は馬に乗って話を切り上げた。
不穏だったのは俺の心の中だったのかもしれない。
とにかくこの話題を続けることを本能的に避けた。
それが失敗だったとは俺は思わない。少なくとも、表面上は少なくともいつもと同じ里奈に戻ったのだから。
それから黙々と歩き続けること数時間。
「ジャンヌ殿。そろそろ野営の準備をすべきかと」
「あ、あぁ。そうだな」
センドに言われて『古の魔導書』を見る。
左手に林があるだけで開けた土地だ。
前方に一番近い砦があるようだが、まだ見えない。あと10キロ近くはあるだろう。
正直、こんな平原のど真ん中で野営なんて、いつでも襲ってきてくださいと言っているようなものだ。
一応メリットもあって、大軍が来ても察知しやすいというものがあるが、陽が沈めば意味がない。
ま、そもそもここに野営するつもりはないわけだけど。
「よし、ここに陣を張る! 俺の隊は水を汲んで来い。南に小川があるはずだ。サカキの隊は左手の林で木を切って柵を作れ! クルレーンは周囲の警備とそれぞれの手伝い!」
指示を出すと俺、サカキ、センドの3人で集まって野原に地図を広げる。
フレールとサールは少し離れた位置で周囲に気を配っている。
「今はここの位置だ。敵の砦からそれなりに離れてるから、相手の動きを見てから対応できると思うけど一応斥候を出しておこう。俺たちの目的はそいつらと戦うわけじゃないからな」
「ええ、問題ないと思います」
「俺も同意だ。それからジャンヌちゃん。陣は簡単でいいな?」
「捨てる陣地だ。けど西側、敵の砦がある方と南北の一部は作っておいてくれ。敵から見える方だな。あとかがり火を多めに置いておきたい」
「分かった、そうする」
「陽が沈んでから北上しますが……その、自分はそこまで星読みに長けているわけではないので……」
センドが自信なさげに言う。
携行型の方位磁石はあるにはあるが、夜間の行軍では過信できない。
だからこそ星の位置を見ながら自身の位置を把握するのが順当だが、それにもスキルがいるだろう。都会の夜空で育った俺には無理だ。
「そこについては秘策があるから大丈夫ですよ。間違ってもセンドさんを責めることはしないです」
秘策。要は『古の魔導書』なわけだけど。
これは今の俺の位置を地図に表すGPS的なものがあるから、星を見るまでもなく道が合っているかどうか分かるのだ。科学技術万歳!
「はぁ。ではおまかせします」
それから細かい打ち合わせをしていると、火も傾いて夕飯の準備ができたという報告が来た。
夕飯――といってもシリアルバーと乾燥させた肉に、川の水を煮沸して作った即席のスープのみ。
シリアルバーなんてものはもちろんこの世界にはなかったけど、いざという時のためにミストに作らせていた。たこ焼きを焼いていたという理由で最低限料理はできるだろうし、無理でも彼女のネットワークなら誰かにお願いすることも可能だろうと思ってのこと。
『雑穀とナッツ、それから乾燥させた果物をぶちこんで揚げただけの簡素な奴さ。あまり味には期待しないでほしいさ』
苦心の結果、そんな言い訳と共に供出されたシリアルバーは、確かに味は簡素なものの栄養価はありそうだった。
ちなみにシータにないか問い合わせるつもりだったがやめた。
シリアルバーはこういった軍の遠征にはもってこいの食べ物。こんな小さいながらも栄養価があって空腹も紛れる。
――そんな有用なものを、他国に知られたくない。そんな後ろ暗い理由もあった。
そんな簡素な夕食が終わると、見張りと斥候を除いて全軍で休憩とした。
少しでも休んでこの後の強行軍に備えるためだ。
俺も草の上に横になって目を閉じる。
あと数時間で、これから長く続くだろうビンゴ領を巡る戦いの緒戦が始まる。それはきっとこの戦の今後を占う大事な戦いになるだろう。
ここで失敗するわけにはいかない。
それはオムカ王国の滅亡に直結するのだ。
だから俺は頭の中で何度もこの後の動きをシミュレートし、そしていつの間にか浅い眠りに落ちて行った。
俺たちは西の砦を後にした。
昨日は遅くまで軍議をしていたから、正直この時間でも眠い。
でもここを出ればもう敵地だ。
補給も簡単にできないし、敵中で孤立する可能性を大いに秘めている。
だからこそ緊張感をもって、慎重に慎重を期して進まなければならない。
陣立てはこうだ。
まず先頭が俺の隊200。
道案内のセンドと、俺の『古の魔導書』で地形を見ながら進むためそうなった。
逆に殿軍はサカキの隊の歩兵200。
退路を断たれたら敵中で孤立して袋叩きに遭うため、後ろにサカキがいるのは安心だ。
というか先頭に置いておくと、どこまでも敵を追いかけて突っ込んでいく未来が見えて不安だったのもある。
そしてその間に挟まれるようにしているのが、虎の子のクルレーン率いる鉄砲隊100。
ここに置いたのは奇襲に対し一番狙われづらいところであることと、前と後ろ、どちらにでも対応できるようにしているためだ。
合計500の戦力で、10万近くいると言われているビンゴ戦線の帝国軍と戦うのだから勝機の沙汰とは思えない。
さらに輸送部隊も連れていない、つまり食料も武器も野営の道具も手持ち以外は何も持たない状態だから、息継ぎなしで大海を渡ろうとしているのと同じようなものだ。
一言で言えば無謀。
控えめに言って狂人の発想。
宝くじを1枚買って一等を狙うようなもの。
だが、やり遂げなければならない。
騎馬は俺と斥候用に10頭ばかりいるだけで他は全部歩兵だ。
森や山が多い地形では騎馬隊は動かしづらい。というより無力化されるに違いない。だから機動力のいる斥候と、体力なしのヘタレ軍師以外の馬は全部置いていったのだ。
とにかく前方に斥候を伸ばしながらも、速度はそれなりを保ちながら進軍する。
一応、砦の西門から出たので、原野を一気に突っ切って、最前線となる帝国の砦に向かったと見られているだろう。
だがそれは偽装だ。
今日の夕方に野営の準備をした後、夜陰に紛れて一気に北上。北にある森林地帯の手前を西に折れて、そこで一時休憩。その翌朝、相手に発見される前に目指すべき砦に一気に強襲をかけるというものだ。
だから今のところは特に姿を隠すまでもなく、悠々と進んでいるわけだが。
「ねぇ明彦くん」
その最中。
俺の馬の横を歩く里奈が話しかけてきた。
俺は馬を降りて里奈の横を歩く。
少しくらいなら俺の体力でも持つだろう。
「今はジャンヌだって言っただろ」
「ぶー、それくらいいいじゃん」
頬を膨らませて抗議する里奈。
ちょっと可愛いかった。
なお護衛についてだが、俺の左斜め前をサールが、右斜め後ろをフレールがいて警護してくれている。
おそらく里奈との会話は聞こえないだろう。
ちなみに昨日はあれから彼らの元を訪れたが、
『この汚名は必ず返上します』
とだけ言われてあとは影のように俺の警護に戻った。
フレールいわく、好きにさせてください、ということだったので好きにさせることにした。
閑話休題。
さて、今は里奈。
可愛いから許してあげたいと思わないでもないが、駄目なものは駄目。そうでもしないと、マリアとニーアに詰問された時のように、余計な騒動を引き起こす。
「分かったよ。じゃあジャンヌ……おぉ、なんかこの呼び方もいいかも。本当のジャンヌ・ダルクみたい!」
「いいから。で、なんだよ」
「あー、えっとね……」
急に歯切れが悪くなる里奈。
それでもようやく覚悟を決めたのか、こう言ってきた。
「私も戦っていいの?」
「それは――」
一瞬言葉に詰まって考える。
いや、それは何度も考えた話題。
そして答えの決まっている話題。
「駄目だ」
「そう……」
「里奈の戦い方を見れば、いつかの敵だと結びつける奴はきっといる。この部隊にも因縁のある連中は少なからずいるからな。それに、里奈が別に危険を侵さなくても、この軍はそうそう負けないさ」
「そう……そうだね」
その時の里奈は、ホッとしたような、哀しそうな、複雑な表情をしていた。
だから俺は次のカードを切ることにした。
「なにより、里奈に危険なことはしないでほしい」
「…………」
あれ?
本当は「ありがとう、優しいんだね」的な回答を期待していたんだけど、なんで黙るんだよ。
「里奈?」
「あ、うん。ごめんね。ありがとう。そう思ってくれるのは嬉しい。けど……」
「けど、なんだよ」
「…………」
黙り込んでしまった里奈。
その沈黙が、どこか不吉な予感を助長させる。
「はっきり言ってくれ。今は誰も聞いてない。それに……俺とお前の仲だろ」
俺と里奈の仲。
それって何? って聞かれるとすごい困る。
けどこうでもしないと里奈は話してくれない。そんな気がした。
「うん……」
ようやく意を決したのか、里奈が口を開いた。
「この世界に来て気づいたの。私には何もないんだなって。煌夜さんみたいな人を惹き付ける才能もなく、堂島さんみたいな人を率いる才能もなく、諸人さんみたいな人を仲介するような才能もなく、明彦くんみたいな人を導く才能もない」
「そんなの……俺にそんな才能はないよ」
「うぅん。明彦くんにはそういう才能があるんだよ。じゃなきゃ、こんなことはできない。こんな人たちに信頼されることもない。けど……私には何もなかった」
「そんなことないだろ。里奈には里奈の良いところがある。何より俺が知ってる。里奈はこんな俺にも話しかけてくれたし、優しいし、面白そうに笑うし、一緒にいると楽になるし。そんなところが……俺は……」
好き、という言葉が言えない。
くそっ、つくづくヘタレだな、俺は!
「うん……ありがとう。でもね、私も私自身で1個だけ、たった1個だけ人に自慢できる…………そんなものがあったの」
それが何か。突っ込んで聞くことがなんとなく憚られた。
だから里奈の言葉を待った。
「それはね、人殺しの才能。私は人を殺すのが得意だったの。人を殺すと、嬉しくなってすぐにまた次の人を同じようにしたくなる。いけないことだって分かってるのに、それが楽しくて楽しくて……。戦いの後にそれをどれだけ悔やんでも、心のどこかでは次の戦いを望んだの」
俺から視線を外し、俯くようにして言うその時の里奈の声は、どこか重く、地の底から湧き出るような暗い響きを持って俺を圧倒していた。
俺は迷った。
確信が持てなくなった。
今ここにいるのは里奈なのか。
それとも里奈の皮をかぶった何かなのか。
そう自信が揺らぐほどの異様さを放っていた。
「そんな人でなしの私を、明彦くんは救ってくれた。こうして、一緒にいられる時を作ってくれた。そんな明彦くんだから、恩返しをしたいの。でも私にできることはそれしかない。だから明彦くん。私に人を――」
「里奈!」
絞り出すように、圧倒してくる何かを弾き飛ばすように、俺は叫んだ。
周囲が振り返る。前方のサールは振り返らなかった。それがどこか救いのように思えた。
くそ。
そんな風に思っていたのか。
そんな風に考えていたのか。
そんな風に悩んでいたのか。
情けない。
短い間とはいえあれだけ一緒にいたのに、そんな思いを俺は汲み取れなかった。ただ里奈と一緒にいられることが嬉しくてしょうがなかったとは。
なんて自分本位な勝手な奴だ。
だからこそ、遅まきながらも今からでも、俺は里奈に言わなくちゃならない。
「やっぱりダメだ……それだけは絶対ダメだ」
言いながらも俺は1つの不安を抱いていた。
先ほどの里奈。
人殺しが才能だと信じ、
人殺しを楽しいと言い。
人殺しで報いると話した。
その時、彼女は。
――嗤っていなかったか?
ただそれは聞けない。
聞いてもし、万が一、億が一……そうだと言われたら、俺は里奈とこれまでと同じように接することができる自信がなかったから。
それほど先ほどの里奈は異質。
だからこそ。
だからこそここではっきりと否定しないといけない。異質なものを封じなければいけない。そういった一種の使命感を感じてそう言い切った。
少しの間、里奈はうつむいて黙っていたが、ようやく顔をあげて――
「分かった……明彦くん。優しいね」
それはさっき聞けると思った言葉。
けど、その時に返ってくるはずだった言葉と、今こうして実際に聞く言葉では、どこか意味が違ったように思えてならない。
「とにかく、そういうことだから。里奈は何も心配しなくていいんだ」
不穏な話はそれで打ちきりだと言わんばかりに、俺は馬に乗って話を切り上げた。
不穏だったのは俺の心の中だったのかもしれない。
とにかくこの話題を続けることを本能的に避けた。
それが失敗だったとは俺は思わない。少なくとも、表面上は少なくともいつもと同じ里奈に戻ったのだから。
それから黙々と歩き続けること数時間。
「ジャンヌ殿。そろそろ野営の準備をすべきかと」
「あ、あぁ。そうだな」
センドに言われて『古の魔導書』を見る。
左手に林があるだけで開けた土地だ。
前方に一番近い砦があるようだが、まだ見えない。あと10キロ近くはあるだろう。
正直、こんな平原のど真ん中で野営なんて、いつでも襲ってきてくださいと言っているようなものだ。
一応メリットもあって、大軍が来ても察知しやすいというものがあるが、陽が沈めば意味がない。
ま、そもそもここに野営するつもりはないわけだけど。
「よし、ここに陣を張る! 俺の隊は水を汲んで来い。南に小川があるはずだ。サカキの隊は左手の林で木を切って柵を作れ! クルレーンは周囲の警備とそれぞれの手伝い!」
指示を出すと俺、サカキ、センドの3人で集まって野原に地図を広げる。
フレールとサールは少し離れた位置で周囲に気を配っている。
「今はここの位置だ。敵の砦からそれなりに離れてるから、相手の動きを見てから対応できると思うけど一応斥候を出しておこう。俺たちの目的はそいつらと戦うわけじゃないからな」
「ええ、問題ないと思います」
「俺も同意だ。それからジャンヌちゃん。陣は簡単でいいな?」
「捨てる陣地だ。けど西側、敵の砦がある方と南北の一部は作っておいてくれ。敵から見える方だな。あとかがり火を多めに置いておきたい」
「分かった、そうする」
「陽が沈んでから北上しますが……その、自分はそこまで星読みに長けているわけではないので……」
センドが自信なさげに言う。
携行型の方位磁石はあるにはあるが、夜間の行軍では過信できない。
だからこそ星の位置を見ながら自身の位置を把握するのが順当だが、それにもスキルがいるだろう。都会の夜空で育った俺には無理だ。
「そこについては秘策があるから大丈夫ですよ。間違ってもセンドさんを責めることはしないです」
秘策。要は『古の魔導書』なわけだけど。
これは今の俺の位置を地図に表すGPS的なものがあるから、星を見るまでもなく道が合っているかどうか分かるのだ。科学技術万歳!
「はぁ。ではおまかせします」
それから細かい打ち合わせをしていると、火も傾いて夕飯の準備ができたという報告が来た。
夕飯――といってもシリアルバーと乾燥させた肉に、川の水を煮沸して作った即席のスープのみ。
シリアルバーなんてものはもちろんこの世界にはなかったけど、いざという時のためにミストに作らせていた。たこ焼きを焼いていたという理由で最低限料理はできるだろうし、無理でも彼女のネットワークなら誰かにお願いすることも可能だろうと思ってのこと。
『雑穀とナッツ、それから乾燥させた果物をぶちこんで揚げただけの簡素な奴さ。あまり味には期待しないでほしいさ』
苦心の結果、そんな言い訳と共に供出されたシリアルバーは、確かに味は簡素なものの栄養価はありそうだった。
ちなみにシータにないか問い合わせるつもりだったがやめた。
シリアルバーはこういった軍の遠征にはもってこいの食べ物。こんな小さいながらも栄養価があって空腹も紛れる。
――そんな有用なものを、他国に知られたくない。そんな後ろ暗い理由もあった。
そんな簡素な夕食が終わると、見張りと斥候を除いて全軍で休憩とした。
少しでも休んでこの後の強行軍に備えるためだ。
俺も草の上に横になって目を閉じる。
あと数時間で、これから長く続くだろうビンゴ領を巡る戦いの緒戦が始まる。それはきっとこの戦の今後を占う大事な戦いになるだろう。
ここで失敗するわけにはいかない。
それはオムカ王国の滅亡に直結するのだ。
だから俺は頭の中で何度もこの後の動きをシミュレートし、そしていつの間にか浅い眠りに落ちて行った。
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