7 / 15
第6錠
しおりを挟む
すっかり満ちた腹を抱えて、水瀬は朝日を浴びながら薬局までの道を歩いていた。
満腹になるのは当たり前だ。途中で食べきれないとギブアップした純平の分まで腹に収めたのだから。深夜のラーメンに付き合ってくれた純平は満腹のせいか、異常に眠いと言って駅前で別れた。
水瀬はカラオケ店で仮眠を取った後、出勤するために薬局へ向かっている。
純平は今頃、夢の中だろうか。会った時は冴えない表情をしていたが、別れ際にはなにかが吹っ切れたような、そしてすこし眠そうな顔をしていた。あれでいい。元気がない時は食って寝るのが一番だ。
薬局の裏口に回り、鍵を開ける。土曜日の出勤はいつも水瀬が一番乗りである。ロッカーに私物をしまい込んで、白衣を着た。思い出したように耳につけていたピアスを外す。髪色やアクセサリーにはあまりうるさくない職場ではあるが、あまりピアスの数が多いと威圧感を覚える患者もいる。水瀬なりに気を遣った結果だ。
「おはようございまーす」
パソコンの立ち上げや、届いたファックスの確認などをしていると後輩の長島が出勤してきた。長島は薬剤師ではなく薬局事務のアルバイトで、大学を卒業したばかりだという。
「水瀬さん、あいかわらず早いですね」
白衣を着て、ゆるく巻いた髪の毛をまとめながら長島が話しかけてくる。
「家に帰るのめんどくさかったから」
「またオールで出勤ですか? 若いって羨ましい」
「長島さんのほうが年下でしょ」
大学を卒業したばかりの長島とは十歳差である。断然、長島のほうが若い。
気づくと入口前の掃き掃除を終えた長島が、すぐそばに立っていた。
「今度、一緒に食事に行きませんか?」
きらきらとしたアイメイクで囲われた目を見る。そして首を振る。
「俺はいいよ。他の人誘いな」
「なんで毎回断るんですか! 一回くらい行ってくれたっていいじゃないですか!」
ぷくっと頬を膨らませた長島は愛らしい。きっと本人もわかってやっているのだろうし、こういうタイプが好きな男が存在することだってわかる。
背を向けようとすると、回り込まれた。うるうるとした目が、自分を見上げている。
「さては水瀬さん、彼女がいますね?」
「前も言ったけど、いないよ」
「じゃあどうして断るんですか? そんなに私のことが嫌いですか?」
「別に嫌いってわけじゃないけど……」
好きでもない、と心の中で呟いてしまうのは本人に悪いだろうか。
とにかく、この話を引き伸ばしてもいいことはない。長島の肩に手をかける。あくまでやんわりと事実だけを告げた。
「俺、女の子に興味ないから」
◇ ◇ ◇
人生ではじめて付き合った人は、学校の先生だった。中学生の時のことだ。
自分の恋愛対象が男だということに気づいたのは、中学生の時だった。周りが夢中になっている女性アイドルにまったく興味が湧かないこと、クラスの女子に告白されてもまったく心が動かなかったこと、気づけば数学の先生のことばかり目で追っていたこと。
数学の先生は男だった。結婚していて、子どももいた。先生の奥さんが羨ましかった。先生が結婚する前に出会っていたら――なんて子どもじみた想像を何度もしたことを覚えている。
どうして付き合うことになったのか、詳しい経緯は覚えていない。ただ課題ノートの隅に書いたメッセージに、先生が毎回律儀に返事を書いてくれたことは覚えている。二人だけの秘密だと、その先生は言ってくれた。
先生の家庭を壊しているという自覚はなかった。もし自分が女なら、先生の奥さんにとって自分は排除するべき人間になったかもしれないが、男だったから。先生が同性愛者だったのかどうかすら、今となってはわからない。
中学を卒業したら、先生との関係はあっさりと終わった。卒業式の日に、もう会うことは二度とないと言われた。
それからは自分が同性が好きだということは隠して生きている。カモフラージュに女の子と付き合ったこともあるが、どの人とも長続きしなかった。当然だ。女性というものに興味がないのだから。デート中も、好きでもない人形と向き合っているみたいで苦痛だった。
疲れの見える、沈んだ表情。諦めが澱のように溜まっている、濁った瞳。助言を受け入れる素直さ。ラーメンに誘った時の、新鮮な驚き。眠たくなってきたと言って恥ずかしそうに頭を下げた早朝の顔。
吐き出されるファックスの紙束を見ながら、水瀬はいつの間にか純平のことを思い出していた。首を振る。彼はただの患者だ。ちょっとした運命の間違いで、薬局の外でも関係を持ってしまっただけで。
それに純平はいたって普通の異性愛者のはずだ。自分が受け入れられるはずがない。
水を飲むついでにバックヤードに行き、ロッカーからスマホを取り出した。純平とは昨夜、連絡先を交換している。水瀬のほうから連絡先を交換したいと言ったら、純平はあっさりと二つ返事でIDを送ってくれた。
スマホの画面にはメッセージの通知がひとつ、届いていた。意味もなく辺りを見回してからタップする。純平からのメッセージだ。
『水瀬さんとラーメンのおかげでよく眠れました。ありがとうございます』
患者に感謝されること。それはこの仕事をやっていくうえで嬉しいことでもある。
しかしどうしてだろう。いつもとはちがう部分が疼くような気がした。
満腹になるのは当たり前だ。途中で食べきれないとギブアップした純平の分まで腹に収めたのだから。深夜のラーメンに付き合ってくれた純平は満腹のせいか、異常に眠いと言って駅前で別れた。
水瀬はカラオケ店で仮眠を取った後、出勤するために薬局へ向かっている。
純平は今頃、夢の中だろうか。会った時は冴えない表情をしていたが、別れ際にはなにかが吹っ切れたような、そしてすこし眠そうな顔をしていた。あれでいい。元気がない時は食って寝るのが一番だ。
薬局の裏口に回り、鍵を開ける。土曜日の出勤はいつも水瀬が一番乗りである。ロッカーに私物をしまい込んで、白衣を着た。思い出したように耳につけていたピアスを外す。髪色やアクセサリーにはあまりうるさくない職場ではあるが、あまりピアスの数が多いと威圧感を覚える患者もいる。水瀬なりに気を遣った結果だ。
「おはようございまーす」
パソコンの立ち上げや、届いたファックスの確認などをしていると後輩の長島が出勤してきた。長島は薬剤師ではなく薬局事務のアルバイトで、大学を卒業したばかりだという。
「水瀬さん、あいかわらず早いですね」
白衣を着て、ゆるく巻いた髪の毛をまとめながら長島が話しかけてくる。
「家に帰るのめんどくさかったから」
「またオールで出勤ですか? 若いって羨ましい」
「長島さんのほうが年下でしょ」
大学を卒業したばかりの長島とは十歳差である。断然、長島のほうが若い。
気づくと入口前の掃き掃除を終えた長島が、すぐそばに立っていた。
「今度、一緒に食事に行きませんか?」
きらきらとしたアイメイクで囲われた目を見る。そして首を振る。
「俺はいいよ。他の人誘いな」
「なんで毎回断るんですか! 一回くらい行ってくれたっていいじゃないですか!」
ぷくっと頬を膨らませた長島は愛らしい。きっと本人もわかってやっているのだろうし、こういうタイプが好きな男が存在することだってわかる。
背を向けようとすると、回り込まれた。うるうるとした目が、自分を見上げている。
「さては水瀬さん、彼女がいますね?」
「前も言ったけど、いないよ」
「じゃあどうして断るんですか? そんなに私のことが嫌いですか?」
「別に嫌いってわけじゃないけど……」
好きでもない、と心の中で呟いてしまうのは本人に悪いだろうか。
とにかく、この話を引き伸ばしてもいいことはない。長島の肩に手をかける。あくまでやんわりと事実だけを告げた。
「俺、女の子に興味ないから」
◇ ◇ ◇
人生ではじめて付き合った人は、学校の先生だった。中学生の時のことだ。
自分の恋愛対象が男だということに気づいたのは、中学生の時だった。周りが夢中になっている女性アイドルにまったく興味が湧かないこと、クラスの女子に告白されてもまったく心が動かなかったこと、気づけば数学の先生のことばかり目で追っていたこと。
数学の先生は男だった。結婚していて、子どももいた。先生の奥さんが羨ましかった。先生が結婚する前に出会っていたら――なんて子どもじみた想像を何度もしたことを覚えている。
どうして付き合うことになったのか、詳しい経緯は覚えていない。ただ課題ノートの隅に書いたメッセージに、先生が毎回律儀に返事を書いてくれたことは覚えている。二人だけの秘密だと、その先生は言ってくれた。
先生の家庭を壊しているという自覚はなかった。もし自分が女なら、先生の奥さんにとって自分は排除するべき人間になったかもしれないが、男だったから。先生が同性愛者だったのかどうかすら、今となってはわからない。
中学を卒業したら、先生との関係はあっさりと終わった。卒業式の日に、もう会うことは二度とないと言われた。
それからは自分が同性が好きだということは隠して生きている。カモフラージュに女の子と付き合ったこともあるが、どの人とも長続きしなかった。当然だ。女性というものに興味がないのだから。デート中も、好きでもない人形と向き合っているみたいで苦痛だった。
疲れの見える、沈んだ表情。諦めが澱のように溜まっている、濁った瞳。助言を受け入れる素直さ。ラーメンに誘った時の、新鮮な驚き。眠たくなってきたと言って恥ずかしそうに頭を下げた早朝の顔。
吐き出されるファックスの紙束を見ながら、水瀬はいつの間にか純平のことを思い出していた。首を振る。彼はただの患者だ。ちょっとした運命の間違いで、薬局の外でも関係を持ってしまっただけで。
それに純平はいたって普通の異性愛者のはずだ。自分が受け入れられるはずがない。
水を飲むついでにバックヤードに行き、ロッカーからスマホを取り出した。純平とは昨夜、連絡先を交換している。水瀬のほうから連絡先を交換したいと言ったら、純平はあっさりと二つ返事でIDを送ってくれた。
スマホの画面にはメッセージの通知がひとつ、届いていた。意味もなく辺りを見回してからタップする。純平からのメッセージだ。
『水瀬さんとラーメンのおかげでよく眠れました。ありがとうございます』
患者に感謝されること。それはこの仕事をやっていくうえで嬉しいことでもある。
しかしどうしてだろう。いつもとはちがう部分が疼くような気がした。
10
あなたにおすすめの小説
小石の恋
キザキ ケイ
BL
やや無口で平凡な男子高校生の律紀は、ひょんなことから学校一の有名人、天道 至先輩と知り合う。
助けてもらったお礼を言って、それで終わりのはずだったのに。
なぜか先輩は律紀にしつこく絡んできて、連れ回されて、平凡な日常がどんどん侵食されていく。
果たして律紀は逃げ切ることができるのか。
平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。
しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。
基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。
一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。
それでも宜しければどうぞ。
ビジネス婚は甘い、甘い、甘い!
ユーリ
BL
幼馴染のモデル兼俳優にビジネス婚を申し込まれた湊は承諾するけれど、結婚生活は思ったより甘くて…しかもなぜか同僚にも迫られて!?
「お前はいい加減俺に興味を持て」イケメン芸能人×ただの一般人「だって興味ないもん」ーー自分の旦那に全く興味のない湊に嫁としての自覚は芽生えるか??
姉の男友達に恋をした僕(番外編更新)
turarin
BL
侯爵家嫡男のポールは姉のユリアが大好き。身体が弱くて小さかったポールは、文武両道で、美しくて優しい一つ年上の姉に、ずっと憧れている。
徐々に体も丈夫になり、少しずつ自分に自信を持てるようになった頃、姉が同級生を家に連れて来た。公爵家の次男マークである。
彼も姉同様、何でも出来て、その上性格までいい、美しい男だ。
一目彼を見た時からポールは彼に惹かれた。初恋だった。
ただマークの傍にいたくて、勉強も頑張り、生徒会に入った。一緒にいる時間が増える。マークもまんざらでもない様子で、ポールを構い倒す。ポールは嬉しくてしかたない。
その様子を苛立たし気に見ているのがポールと同級の親友アンドルー。学力でも剣でも実力が拮抗する2人は一緒に行動することが多い。
そんなある日、転入して来た男爵令嬢にアンドルーがしつこくつきまとわれる。その姿がポールの心に激しい怒りを巻き起こす。自分の心に沸き上がる激しい気持に驚くポール。
時が経ち、マークは遂にユリアにプロポーズをする。ユリアの答えは?
ポールが気になって仕方ないアンドルー。実は、ユリアにもポールにも両方に気持が向いているマーク。初恋のマークと、いつも傍にいてくれるアンドルー。ポールが本当に幸せになるにはどちらを選ぶ?
読んでくださった方ありがとうございます😊
♥もすごく嬉しいです。
不定期ですが番外編更新していきます!
俺の好きな男は、幸せを運ぶ天使でした
たっこ
BL
【加筆修正済】
7話完結の短編です。
中学からの親友で、半年だけ恋人だった琢磨。
二度と合わないつもりで別れたのに、突然六年ぶりに会いに来た。
「優、迎えに来たぞ」
でも俺は、お前の手を取ることは出来ないんだ。絶対に。
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
僕を守るのは、イケメン先輩!?
八乙女 忍
BL
僕は、なぜか男からモテる。僕は嫌なのに、しつこい男たちから、守ってくれるのは一つ上の先輩。最初怖いと思っていたが、守られているうち先輩に、惹かれていってしまう。僕は、いったいどうしちゃったんだろう?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる