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第12錠
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純平の頭は常に色々なことを考え続けている。仕事のこと、上司のこと、転職のこと、不眠のこと、水瀬のこと――。
その思考は休まることを知らない。眠れない間もずっと、様々な考えが頭の中を巡り続ける。
出勤して一番に、上山から理不尽な叱責を受けた。どうやら上山が作った資料に不備があり、それを部長クラスの人間に指摘されたらしい。その腹いせで純平は怒られ、今日の会議の準備をすべて一人で担うことになった。後輩の宮田が手伝うと言ってくれたが、丁重に断る。勝手に宮田の手を借りて、また上山に怒鳴られたら面倒だ。
会議に出席する人数分の資料を刷って、純平は会議室に着いた。椅子の数を確認し、一人ひとりの席に資料を置いていく。会議の準備が終わったら滞っている自分の仕事をしなければいけない。上山から押しつけられる仕事が多すぎて、自分の受け持つ仕事まで手が回っていない。
今日も残業だ、と思いつつ最後の資料を置いた時だった。ぐらりと視界が揺れた。目の前がぐるぐると回る。強烈な吐き気が込み上げてくる。なにかに掴まりたい。手を伸ばしたが、届くものはなかった。
まぶたが下りるように、勝手に視界がブラックアウトしていく。純平が最後に見たのは、迫りくる会議室の床だった。
◇ ◇ ◇
パッと目が覚めた。体感時間では五分も経っていないように思う。白い天井が見える。なぜか額がズキズキと痛んだ。
純平はゆっくりと身体を起こした。身体の上にかけられていた大きなタオルケットが、腹の辺りでわだかまる。
なぜ自分はベッドで眠っていたのか。たしか会社の会議室で会議の準備をしていて――。
「あ、目が覚めましたか?」
声をかけられて、純平はのろのろと顔を上げた。廊下から看護師がこちらを覗き込んでいる。
「ここは……」
「市民病院ですよ。佐野純平さんで間違いないですね?」
「はい。そうですけど……」
病院? 仕事はどうなった? 今の時間は?
ベッドのそばのテーブルに自分のリュックとスーツの上着が透明なビニール袋に入れられておいてあった。雑多にスマホも入れられているのを発見し、ビニール袋に手を突っ込んでスマホを取り出す。
時刻はすでに昼を回っていた。純平が会議室で準備をしていた時間から三時間以上が経っていることになる。
「佐野さん。調子はどうですか」
また誰かに声をかけられ、顔を上げる。今度は医者だった。先ほどの看護師が後ろに控えている。
調子は、と尋ねられ純平はすこし迷ってから額に手を当てた。
「おでこが痛いです」
「倒れた時にぶつけたんでしょう。会社の会議室で倒れているところを発見されて、救急搬送されてきたんですよ」
そうか、自分は倒れたのか。そう受け入れるまでしばらく時間がかかった。倒れている自分を見つけた人はさぞ驚いたことだろう。救急車を呼んだのが誰だかはわからないが、同情する。
「身体に大きな異常は見当たりませんでした。おそらく過労か寝不足といったところかと。仕事が忙しいんですか?」
「まあ……」
「帰るなら念のため、誰かに迎えに来てもらってください。ご両親は?」
「他県に住んでいるので、難しいかと……」
「他に誰か、来てくれそうな知り合いはいますか?」
知り合い、と言われてもすぐには思い浮かばなかった。純平は人付き合いがそれほど得意なほうではない。会社以外で属しているコミュニティはないし、こちらには友達と呼べるような人もいない。
最悪、会社の誰かを呼び出すか……そこまで思い詰めた時、純平はたった一人だけ思い当たる人物がいることに気づいた。連絡すれば、もしかしたら来てくれるかもしれない。
「一人だけ、来てくれそうな人がいるので連絡してみます」
◇ ◇ ◇
連絡を終え、ベッドでぼんやりと座っていると廊下をバタバタと駆けてくる音がした。最初は急患かなにかで看護師が走っているのかと思ったが、そうではなかった。足音が純平のいる部屋の前で止まったからだ。
「佐野さん!」
開け放たれたドアから勢いよく水瀬が駆け込んでくる。仕事中だったのか、シャツに白衣を羽織った服装で、病院関係者のようにも見えてしまう。
「すみません、水瀬さんしか頼る人がいなくて――」
「そんなことはどうでもいいです。身体は? 頭ぶつけたんですよね? ちゃんと検査してもらいましたか?」
水瀬はベッドに駆け寄るなり、純平の額にかかる前髪を払った。茶色の目が忙しなく自分の様子を観察している。
「ああ、ちょっと腫れてる。ここぶつけたんですね」
「大丈夫です。冷やせば治るって」
「あんまり急に動かないでください。車椅子を持ってきてもらいましょう。玄関まで――」
「いえ、大丈夫ですから……!」
くるりと背を向けて看護師を呼ぼうとする水瀬の服の裾を慌てて引く。振り返った水瀬の顔には焦燥と、不安がないまぜになって現れていた。
心の奥深いところが、ぎゅっと疼くような感覚がした。自分のことをここまで心配してくれる人が、他にいただろうか。水瀬のそれはすでに仕事上の関係を超えているようで――。
「あの……」
言いかけて言葉に詰まる。なんと言えばいいのだろう。なんと言えば、水瀬に伝わるのだろう。
水瀬は服の裾を掴んでいた純平の手を両手で包んだ。その手がどこまでも温かくて。純平はふいに泣きそうになった。
「ひとまず、家に帰りましょう。佐野さんが落ち着ける場所に行くべきです」
その思考は休まることを知らない。眠れない間もずっと、様々な考えが頭の中を巡り続ける。
出勤して一番に、上山から理不尽な叱責を受けた。どうやら上山が作った資料に不備があり、それを部長クラスの人間に指摘されたらしい。その腹いせで純平は怒られ、今日の会議の準備をすべて一人で担うことになった。後輩の宮田が手伝うと言ってくれたが、丁重に断る。勝手に宮田の手を借りて、また上山に怒鳴られたら面倒だ。
会議に出席する人数分の資料を刷って、純平は会議室に着いた。椅子の数を確認し、一人ひとりの席に資料を置いていく。会議の準備が終わったら滞っている自分の仕事をしなければいけない。上山から押しつけられる仕事が多すぎて、自分の受け持つ仕事まで手が回っていない。
今日も残業だ、と思いつつ最後の資料を置いた時だった。ぐらりと視界が揺れた。目の前がぐるぐると回る。強烈な吐き気が込み上げてくる。なにかに掴まりたい。手を伸ばしたが、届くものはなかった。
まぶたが下りるように、勝手に視界がブラックアウトしていく。純平が最後に見たのは、迫りくる会議室の床だった。
◇ ◇ ◇
パッと目が覚めた。体感時間では五分も経っていないように思う。白い天井が見える。なぜか額がズキズキと痛んだ。
純平はゆっくりと身体を起こした。身体の上にかけられていた大きなタオルケットが、腹の辺りでわだかまる。
なぜ自分はベッドで眠っていたのか。たしか会社の会議室で会議の準備をしていて――。
「あ、目が覚めましたか?」
声をかけられて、純平はのろのろと顔を上げた。廊下から看護師がこちらを覗き込んでいる。
「ここは……」
「市民病院ですよ。佐野純平さんで間違いないですね?」
「はい。そうですけど……」
病院? 仕事はどうなった? 今の時間は?
ベッドのそばのテーブルに自分のリュックとスーツの上着が透明なビニール袋に入れられておいてあった。雑多にスマホも入れられているのを発見し、ビニール袋に手を突っ込んでスマホを取り出す。
時刻はすでに昼を回っていた。純平が会議室で準備をしていた時間から三時間以上が経っていることになる。
「佐野さん。調子はどうですか」
また誰かに声をかけられ、顔を上げる。今度は医者だった。先ほどの看護師が後ろに控えている。
調子は、と尋ねられ純平はすこし迷ってから額に手を当てた。
「おでこが痛いです」
「倒れた時にぶつけたんでしょう。会社の会議室で倒れているところを発見されて、救急搬送されてきたんですよ」
そうか、自分は倒れたのか。そう受け入れるまでしばらく時間がかかった。倒れている自分を見つけた人はさぞ驚いたことだろう。救急車を呼んだのが誰だかはわからないが、同情する。
「身体に大きな異常は見当たりませんでした。おそらく過労か寝不足といったところかと。仕事が忙しいんですか?」
「まあ……」
「帰るなら念のため、誰かに迎えに来てもらってください。ご両親は?」
「他県に住んでいるので、難しいかと……」
「他に誰か、来てくれそうな知り合いはいますか?」
知り合い、と言われてもすぐには思い浮かばなかった。純平は人付き合いがそれほど得意なほうではない。会社以外で属しているコミュニティはないし、こちらには友達と呼べるような人もいない。
最悪、会社の誰かを呼び出すか……そこまで思い詰めた時、純平はたった一人だけ思い当たる人物がいることに気づいた。連絡すれば、もしかしたら来てくれるかもしれない。
「一人だけ、来てくれそうな人がいるので連絡してみます」
◇ ◇ ◇
連絡を終え、ベッドでぼんやりと座っていると廊下をバタバタと駆けてくる音がした。最初は急患かなにかで看護師が走っているのかと思ったが、そうではなかった。足音が純平のいる部屋の前で止まったからだ。
「佐野さん!」
開け放たれたドアから勢いよく水瀬が駆け込んでくる。仕事中だったのか、シャツに白衣を羽織った服装で、病院関係者のようにも見えてしまう。
「すみません、水瀬さんしか頼る人がいなくて――」
「そんなことはどうでもいいです。身体は? 頭ぶつけたんですよね? ちゃんと検査してもらいましたか?」
水瀬はベッドに駆け寄るなり、純平の額にかかる前髪を払った。茶色の目が忙しなく自分の様子を観察している。
「ああ、ちょっと腫れてる。ここぶつけたんですね」
「大丈夫です。冷やせば治るって」
「あんまり急に動かないでください。車椅子を持ってきてもらいましょう。玄関まで――」
「いえ、大丈夫ですから……!」
くるりと背を向けて看護師を呼ぼうとする水瀬の服の裾を慌てて引く。振り返った水瀬の顔には焦燥と、不安がないまぜになって現れていた。
心の奥深いところが、ぎゅっと疼くような感覚がした。自分のことをここまで心配してくれる人が、他にいただろうか。水瀬のそれはすでに仕事上の関係を超えているようで――。
「あの……」
言いかけて言葉に詰まる。なんと言えばいいのだろう。なんと言えば、水瀬に伝わるのだろう。
水瀬は服の裾を掴んでいた純平の手を両手で包んだ。その手がどこまでも温かくて。純平はふいに泣きそうになった。
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