333 / 544
第5章 第十五次帝国戦役編
第328話 夜間戦闘任務
しおりを挟む
「隊長! 緊急招集です!」
「……おう。すぐ行く」
数日の間両軍がにらみ合いを続けていたある日の夜のことだった。
寝所に飛び込んできたハリスによって彼はたたき起こされ、八番砦指揮所に向かった。
既に全身を黒鎧で包んでおり、腰には刀を差している。
第1192小隊の部下を全員叩き起こして即応状態で待機させておくと、彼は副官のアーキムを伴ってハルツの所へと向かった。
「1192小隊長アラタ、ただいま到着しました」
「来たか。お前に頼みたいことがあってな」
ハルツは挨拶をすっ飛ばしていきなり本題に入ろうとする。
「何ですか?」
「公国軍本隊に合流して、コートランド川での戦闘に参加してほしい」
つまり、異動命令だった。
特に断る理由は無い。
「了解です。一応事情を聞いておきたいのですが」
「ここ数日間、敵が夜襲を仕掛けていることは知っているな?」
「初耳です」
「そうか。流石に日中のごり押しでは無理があるとの判断だろう。そこで【暗視】持ちを数名寄越してほしいと言う要請だ」
【暗視】スキルの保持者はそこそこ希少で、大隊に一人もいないケースもある。
しかし、隠密行動を得意とする人員を多くそろえた1192小隊はその限りではない。
アラタ、キィ、アーキム、バートン、ヴィンセント、ハリスの6名がスキルホルダーだった。
この夜戦に特化した戦闘部隊を用いない手はない。
【暗視】持ちとそのサポート要員として、第1192小隊はコートランド川付近の戦場に向かうことになった。
「準備が整い次第出発します」
「頼むぞ」
そうハルツは短く託すと、また仕事に戻っていった。
八番砦をはじめとして、ミラ丘陵地帯ではここ数日ほとんど戦闘が発生していない。
それでもコートランド川の戦いは激化しているのか、彼らを夜中に叩き起こしてまで応援要請を届けに来たのだ。
事態は一刻を争う。
そう解釈したアラタにより、部隊に指示が下った。
「馬を起こして水を飲ませて草を食べさせろ! 我々はこれより、コートランド川付近に陣を敷くカナン公国軍司令部に向かう! 10分後に出発だ!」
「「「了解!」」」
こうなると行動は早かった。
元々即応状態で待機させてあったので、隊員の方の準備は少なかった。
借りていた兵営を片付けて、馬に追加で積み込む。
軍馬に食事を取らせようとすると、中には不機嫌になるものもいたのでそこは各自で対応する。
人間の性格が皆違うように、馬にもそれぞれタイプがあるのだ。
アラタの馬は部下によって用意されていて、彼が身辺の整理を終えた頃には愛馬のドバイは鞍を乗せて主を待っていた。
「ブルルゥ…………」
「こんな時間にごめんな。もう一走り頼めるか」
「ブフゥ」
自信満々に鼻息を吐くドバイは大丈夫そうだ。
装具点検と忘れ物チェックを完了した一行は、深夜の3時に八番砦を出る。
「よし、出るぞ」
砦の裏口から出た20騎の小隊は、闇夜に紛れて南東へと向かった。
七番砦と九番砦の間をすり抜けるように通過していき、戦場を縦断する川沿いを駆け抜けていく。
遠掛けが目的なら、中々楽しいものだ。
暑い夏でも夜は多少マシで、疾走する馬の背中で風を感じればかなり気持ちがいい。
両軍の主戦場はミラ丘陵地帯からおよそ20km。
八番砦からだと23kmほどだった。
1時間と少しで司令部まで到着するまでの時間、特に話すことは無い。
それなりの速度で走っているし、敵と遭遇することは無いにしても細心の注意を払わなければならない。
結果特に会話は生まれず、アラタはひとりこれからのことを考えていた。
班分けをどうするのか。
思案する内容はこれに尽きる。
これから夜間の任務が増えることが想定される中で、どのように部隊を運用することが正しいのか。
暗闇の中でも昼間のような視界で戦うことのできるスキル【暗視】。
アラタが異世界にやって来て、【痛覚軽減】の次に獲得したスキルであり、これまで幾度となく彼の命を救ってきた。
暗闇の戦闘の生命線とも言えるこのスキル、隊内でこれを所持しているのは6人。
5個分隊でこの人員を均等に分けることを想定するのなら、配置換えが必要だった。
だが、部隊の仲間全員が誰一人として例外なく打ち解けられているわけではないと、彼は知っていた。
立場上仇敵同士の人間もいるし、元から性格が合わない人間同士も多い。
彼らをここに繋ぎとめているのは、人間性よりも能力を必要とする特殊部隊という性質、そしてそのトップに君臨するアラタの求心力に他ならなかった。
ある者は彼の強さに心酔し、ある者は旧友の頼みだからと快く仕事を引き受け、ある者は仕事だと割り切る、そんなバラバラのチーム。
そういった人間関係も加味した上で決定したこの分隊を、能力を考慮して組み直すのは中々に尻込みする話だった。
例えば第2分隊、ここは特務警邏の色が濃い。
4人中3人が特務警邏の現職、そしてエルモを除いた2人とダリルは元八咫烏である。
対して第4分隊は警邏機構の対テロ特殊部隊出身者と軍関係者が2名ずつ。
ここを混ぜれば派閥意識の強いアーキムはほぼ間違いなく部下の扱いに差を作るし、それを黙って我慢するほどアレサンドロもバッカスも優しくない。
ただ、元八咫烏に【暗視】持ちが集中している以上、どこかでこういう構成は生まれてしまう。
アラタにとって、頭の痛い話だった。
最悪自分が力でねじ伏せて文句を言わせないという選択肢もあるにはあるが、それではいざという時に信頼して命を預けることは出来ない。
過去にそうやって自滅した組織を、彼は敵味方問わず見てきた。
どうしたものかと思案を続ける彼の視界の左側で流れる川の幅は、徐々に広く大きくなっていく。
それにつられて、彼の思考も拡散していく。
あれこれ考えてはみたものの、結局どうすれば部隊の雰囲気が悪くならず【暗視】持ちを均等配置できるのか。
リーダーって難しいなぁ。
そう彼は今まで自分を引っ張ってくれていたキャプテンたちに感謝を思い浮かべた。
もうその思いは届かないけれども、それでも思わずにはいられなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「第1192小隊、小隊長アラタ着任いたしました」
「待っていた。まあ掛けたまえ」
「失礼します」
アラタは木でできた背もたれのない椅子に座った。
小学校の図工室にある椅子と似ている。
違う点は、脚に何のために使うのか分からない板がついていないことくらい。
司令部の中には人が溢れていたが、気を遣ってくれたのかアラタとアイザック・アボット大将のいる一角は隔離されたように人の往来が無かった。
「茶も出せなくて悪いな」
そう言いながら、アボットも座る。
「いえ、お構いなく」
いつから伸ばしているんだろう。
アラタはアボットの立派な髭に興味津々だ。
あまり髭が濃くない彼は、きっとアボットのような髭を生やすことは無いだろう。
そこまでにかかる時間が長すぎるし、何よりそうしたいとも思えない。
遥香は、エリザベスは髭面が好みではなかったから。
それでもサンタクロースのような豊満で純白の髭は見るものを惹きつける効果があるようで、相手が話を切り出すまでアラタの眼は釘付けだった。
「気になるかね?」
「あ、いや……そのー……へへへ、立派なものですね」
「そう言ってくれると嬉しいよ。緊張は解けたようだな」
「あまり緊張はしない方なので」
「それは結構。では本題に入らせてもらう」
アボットは数枚の紙を手渡してきた。
アラタはそれを受け取ると、内容を確認する。
絵だ。
というより、図形、地図が描かれていた。
どの地形にも共通して言えるのは、上側に横断するようにコートランド川が流れている。
つまりこの地図の方角は、上が東、左が北ということになる。
そして彼が見る限り、いくつかの地点に丸印が書かれていた。
その数は15個。
「どういう意味かわかるかね?」
いつの間にかアボットは煙草に火を点けていて、一服している。
テントの中に煙が充満しているが、それは初めからだ。
司令部のようなストレスのかかる部署では、人員の喫煙率は驚くほどに高い。
公国軍司令官の彼がこうして大っぴらに吸っているのだから、他の兵士たちの免罪符にもなる。
アラタは一応煙草はやめたので、特に吸うつもりは無い。
それより今は大将の質問に答える方が先だ。
「渡河が比較的容易な箇所。実際には敵が渡河を試みた激戦地でしょうか」
アボットは頷いた。
正解らしい。
「付け加えると、その情報はここ3日間の、という但し書きがつく。そしてその時間帯は午後11時から午前2時まで。分かるな?」
頷きで返す。
「【暗視】持ちは一時的に指揮権限を格上げさせて、全体の指揮に回るように運用している。ただ元々数が少ない上に、軍の採用計画に【暗視】の有無は考慮されていない。今は出来るだけ多くのスキルホルダーが必要なのだ」
「それで自分の小隊に要請が来たと」
「その通り。貴官らは夜襲の際に重要箇所を見て回り、現場で戦う兵士たちに適切な助言を行ってほしい。1分隊当たり3カ所、どこか1カ所でも崩れれば戦争の流れが大きく向こうに傾いてしまう。重要任務だ。受けてくれるな?」
「はい」
アラタは一切の逡巡なく応えた。
それはもう、要請したはずのアボットが多少面食らうくらい。
初めからそう決めていたにしても、少し速すぎるくらいに。
「……なるほど、中佐が推すわけだ」
「何の話でしょうか?」
「いや、こちらの話だ。気にしなくていい」
アボットが立ち上がると、それにつられてアラタも起立した。
「貴官の所属は変わらず第1師団だが、今は司令部付き特別小隊として任務に当たってもらいたい。誰かに所属を聞かれたらそのように答えるように」
「了解であります」
「よし、日中は休息を取り、夜に備えよ。以上!」
「失礼します」
アラタはその場を辞して、部下たちの方へと向かっていった。
もうすぐ朝になる。
どうか自分の子供や孫たち、そしてアラタのような未来ある若者たちが、明日も、明後日も、10年後も同じ朝を迎えることが出来るようにと、アボットは神に祈った。
※※※※※※※※※※※※※※※
「リーバイ、少しいいか」
「いや、今忙しいから後にしてくれ」
「ダメだ。今来い」
「……面倒な奴だ」
第1師団、第2連隊長のリーバイ・トランプ中佐は渋々席を立ち、テントの外にやってきた。
連れ出したのはハルツ・クラークだ。
時刻は朝6時半、指揮官たちはもう仕事を始めている。
「今日の対策を練らなくてはならない。手短にな」
「アラタを、いや1192小隊をなぜ貸し出した?」
「というと?」
リーバイは自分だけ淹れたコーヒーを啜りながら聞く。
「ミラの戦場だってこれから激化する。それなのにアラタたちを向こうに渡してしまったのにはどういう考えがあるのかと聞いている」
「あー、なるほど、ハルツは中々に近視的だな」
リーバイが煽ると、ハルツは露骨に機嫌が悪くなる。
扱いやすすぎて笑いをこらえるのに必死だ。
「怒ったか?」
「……いや。もう一度聞く。なぜだ」
「彼の成長を見込んで、かな」
「どういう……」
「帝国との戦いはこれからも続く。それこそカナン公国とウル帝国が存在する限りな。ではただ戦争に勝つだけでは足りない。次の戦いに目を向けつつ、この戦いに勝つことが求められる。私が想定しているのはそういう未来だ」
「アラタを指揮官として育て上げるということで合っているのか?」
「そうだともいえるな」
「戦争は外交の結果だ。あいつのような若いのにそのツケを支払わせる必要は無いだろ」
「じゃあいざという時に大切なものを守るだけの力が無くて、彼に世界を呪ってほしいとでも?」
「そういうことを言っているのではない。アラタに重責を押し付ける必要は無いと言っているのだ」
「そうかな」
リーバイはとぼけた顔で言う。
「そうだ」
対照的にハルツの顔はくそがつくくらい真面目だ。
「アラタ君、中々見込みのある若者じゃないか。戦う術を持っていて、若く、好戦的で、人殺しの才能があり、そして何より世界を恨むほどの心の闇がある。これ以上に優秀な兵士の素質を持つ人間はそういないよ」
「……お前に引き合わせるべきではなかった」
「いや、君が彼を軍から遠ざけたとしても、遅かれ早かれこうなっていたさ。まさに神の思し召しってやつだね」
「俺は神は信じない」
「好きにすると言い。信仰の自由だからね。ただ、ここでは私は君の上官であり、アラタ君の上官でもある。発言や行動には気を付けたまえ」
「変わらないな。昔からちっとも」
「それはお互い様だよ。ただ、ハルツ。君は少し優しくなったかい?」
「…………弱くなっただけだ」
「よく分かっているじゃないか」
敵味方入り乱れる思惑の中で、アラタは戦う。
この戦争だけが戦いなのではなく、きっとこれから先の彼の人生はいつもこんな感じなのだろう。
利用し、利用され、騙し、騙され、あらゆることが双方向に働いていく。
ならせめて、前向きな感情も双方向に繋がってほしいというハルツの願いは、この時代を生きるアラタにとっては高望みし過ぎなのだろうか。
そして戦局は、ゆっくりと動き始める。
「……おう。すぐ行く」
数日の間両軍がにらみ合いを続けていたある日の夜のことだった。
寝所に飛び込んできたハリスによって彼はたたき起こされ、八番砦指揮所に向かった。
既に全身を黒鎧で包んでおり、腰には刀を差している。
第1192小隊の部下を全員叩き起こして即応状態で待機させておくと、彼は副官のアーキムを伴ってハルツの所へと向かった。
「1192小隊長アラタ、ただいま到着しました」
「来たか。お前に頼みたいことがあってな」
ハルツは挨拶をすっ飛ばしていきなり本題に入ろうとする。
「何ですか?」
「公国軍本隊に合流して、コートランド川での戦闘に参加してほしい」
つまり、異動命令だった。
特に断る理由は無い。
「了解です。一応事情を聞いておきたいのですが」
「ここ数日間、敵が夜襲を仕掛けていることは知っているな?」
「初耳です」
「そうか。流石に日中のごり押しでは無理があるとの判断だろう。そこで【暗視】持ちを数名寄越してほしいと言う要請だ」
【暗視】スキルの保持者はそこそこ希少で、大隊に一人もいないケースもある。
しかし、隠密行動を得意とする人員を多くそろえた1192小隊はその限りではない。
アラタ、キィ、アーキム、バートン、ヴィンセント、ハリスの6名がスキルホルダーだった。
この夜戦に特化した戦闘部隊を用いない手はない。
【暗視】持ちとそのサポート要員として、第1192小隊はコートランド川付近の戦場に向かうことになった。
「準備が整い次第出発します」
「頼むぞ」
そうハルツは短く託すと、また仕事に戻っていった。
八番砦をはじめとして、ミラ丘陵地帯ではここ数日ほとんど戦闘が発生していない。
それでもコートランド川の戦いは激化しているのか、彼らを夜中に叩き起こしてまで応援要請を届けに来たのだ。
事態は一刻を争う。
そう解釈したアラタにより、部隊に指示が下った。
「馬を起こして水を飲ませて草を食べさせろ! 我々はこれより、コートランド川付近に陣を敷くカナン公国軍司令部に向かう! 10分後に出発だ!」
「「「了解!」」」
こうなると行動は早かった。
元々即応状態で待機させてあったので、隊員の方の準備は少なかった。
借りていた兵営を片付けて、馬に追加で積み込む。
軍馬に食事を取らせようとすると、中には不機嫌になるものもいたのでそこは各自で対応する。
人間の性格が皆違うように、馬にもそれぞれタイプがあるのだ。
アラタの馬は部下によって用意されていて、彼が身辺の整理を終えた頃には愛馬のドバイは鞍を乗せて主を待っていた。
「ブルルゥ…………」
「こんな時間にごめんな。もう一走り頼めるか」
「ブフゥ」
自信満々に鼻息を吐くドバイは大丈夫そうだ。
装具点検と忘れ物チェックを完了した一行は、深夜の3時に八番砦を出る。
「よし、出るぞ」
砦の裏口から出た20騎の小隊は、闇夜に紛れて南東へと向かった。
七番砦と九番砦の間をすり抜けるように通過していき、戦場を縦断する川沿いを駆け抜けていく。
遠掛けが目的なら、中々楽しいものだ。
暑い夏でも夜は多少マシで、疾走する馬の背中で風を感じればかなり気持ちがいい。
両軍の主戦場はミラ丘陵地帯からおよそ20km。
八番砦からだと23kmほどだった。
1時間と少しで司令部まで到着するまでの時間、特に話すことは無い。
それなりの速度で走っているし、敵と遭遇することは無いにしても細心の注意を払わなければならない。
結果特に会話は生まれず、アラタはひとりこれからのことを考えていた。
班分けをどうするのか。
思案する内容はこれに尽きる。
これから夜間の任務が増えることが想定される中で、どのように部隊を運用することが正しいのか。
暗闇の中でも昼間のような視界で戦うことのできるスキル【暗視】。
アラタが異世界にやって来て、【痛覚軽減】の次に獲得したスキルであり、これまで幾度となく彼の命を救ってきた。
暗闇の戦闘の生命線とも言えるこのスキル、隊内でこれを所持しているのは6人。
5個分隊でこの人員を均等に分けることを想定するのなら、配置換えが必要だった。
だが、部隊の仲間全員が誰一人として例外なく打ち解けられているわけではないと、彼は知っていた。
立場上仇敵同士の人間もいるし、元から性格が合わない人間同士も多い。
彼らをここに繋ぎとめているのは、人間性よりも能力を必要とする特殊部隊という性質、そしてそのトップに君臨するアラタの求心力に他ならなかった。
ある者は彼の強さに心酔し、ある者は旧友の頼みだからと快く仕事を引き受け、ある者は仕事だと割り切る、そんなバラバラのチーム。
そういった人間関係も加味した上で決定したこの分隊を、能力を考慮して組み直すのは中々に尻込みする話だった。
例えば第2分隊、ここは特務警邏の色が濃い。
4人中3人が特務警邏の現職、そしてエルモを除いた2人とダリルは元八咫烏である。
対して第4分隊は警邏機構の対テロ特殊部隊出身者と軍関係者が2名ずつ。
ここを混ぜれば派閥意識の強いアーキムはほぼ間違いなく部下の扱いに差を作るし、それを黙って我慢するほどアレサンドロもバッカスも優しくない。
ただ、元八咫烏に【暗視】持ちが集中している以上、どこかでこういう構成は生まれてしまう。
アラタにとって、頭の痛い話だった。
最悪自分が力でねじ伏せて文句を言わせないという選択肢もあるにはあるが、それではいざという時に信頼して命を預けることは出来ない。
過去にそうやって自滅した組織を、彼は敵味方問わず見てきた。
どうしたものかと思案を続ける彼の視界の左側で流れる川の幅は、徐々に広く大きくなっていく。
それにつられて、彼の思考も拡散していく。
あれこれ考えてはみたものの、結局どうすれば部隊の雰囲気が悪くならず【暗視】持ちを均等配置できるのか。
リーダーって難しいなぁ。
そう彼は今まで自分を引っ張ってくれていたキャプテンたちに感謝を思い浮かべた。
もうその思いは届かないけれども、それでも思わずにはいられなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「第1192小隊、小隊長アラタ着任いたしました」
「待っていた。まあ掛けたまえ」
「失礼します」
アラタは木でできた背もたれのない椅子に座った。
小学校の図工室にある椅子と似ている。
違う点は、脚に何のために使うのか分からない板がついていないことくらい。
司令部の中には人が溢れていたが、気を遣ってくれたのかアラタとアイザック・アボット大将のいる一角は隔離されたように人の往来が無かった。
「茶も出せなくて悪いな」
そう言いながら、アボットも座る。
「いえ、お構いなく」
いつから伸ばしているんだろう。
アラタはアボットの立派な髭に興味津々だ。
あまり髭が濃くない彼は、きっとアボットのような髭を生やすことは無いだろう。
そこまでにかかる時間が長すぎるし、何よりそうしたいとも思えない。
遥香は、エリザベスは髭面が好みではなかったから。
それでもサンタクロースのような豊満で純白の髭は見るものを惹きつける効果があるようで、相手が話を切り出すまでアラタの眼は釘付けだった。
「気になるかね?」
「あ、いや……そのー……へへへ、立派なものですね」
「そう言ってくれると嬉しいよ。緊張は解けたようだな」
「あまり緊張はしない方なので」
「それは結構。では本題に入らせてもらう」
アボットは数枚の紙を手渡してきた。
アラタはそれを受け取ると、内容を確認する。
絵だ。
というより、図形、地図が描かれていた。
どの地形にも共通して言えるのは、上側に横断するようにコートランド川が流れている。
つまりこの地図の方角は、上が東、左が北ということになる。
そして彼が見る限り、いくつかの地点に丸印が書かれていた。
その数は15個。
「どういう意味かわかるかね?」
いつの間にかアボットは煙草に火を点けていて、一服している。
テントの中に煙が充満しているが、それは初めからだ。
司令部のようなストレスのかかる部署では、人員の喫煙率は驚くほどに高い。
公国軍司令官の彼がこうして大っぴらに吸っているのだから、他の兵士たちの免罪符にもなる。
アラタは一応煙草はやめたので、特に吸うつもりは無い。
それより今は大将の質問に答える方が先だ。
「渡河が比較的容易な箇所。実際には敵が渡河を試みた激戦地でしょうか」
アボットは頷いた。
正解らしい。
「付け加えると、その情報はここ3日間の、という但し書きがつく。そしてその時間帯は午後11時から午前2時まで。分かるな?」
頷きで返す。
「【暗視】持ちは一時的に指揮権限を格上げさせて、全体の指揮に回るように運用している。ただ元々数が少ない上に、軍の採用計画に【暗視】の有無は考慮されていない。今は出来るだけ多くのスキルホルダーが必要なのだ」
「それで自分の小隊に要請が来たと」
「その通り。貴官らは夜襲の際に重要箇所を見て回り、現場で戦う兵士たちに適切な助言を行ってほしい。1分隊当たり3カ所、どこか1カ所でも崩れれば戦争の流れが大きく向こうに傾いてしまう。重要任務だ。受けてくれるな?」
「はい」
アラタは一切の逡巡なく応えた。
それはもう、要請したはずのアボットが多少面食らうくらい。
初めからそう決めていたにしても、少し速すぎるくらいに。
「……なるほど、中佐が推すわけだ」
「何の話でしょうか?」
「いや、こちらの話だ。気にしなくていい」
アボットが立ち上がると、それにつられてアラタも起立した。
「貴官の所属は変わらず第1師団だが、今は司令部付き特別小隊として任務に当たってもらいたい。誰かに所属を聞かれたらそのように答えるように」
「了解であります」
「よし、日中は休息を取り、夜に備えよ。以上!」
「失礼します」
アラタはその場を辞して、部下たちの方へと向かっていった。
もうすぐ朝になる。
どうか自分の子供や孫たち、そしてアラタのような未来ある若者たちが、明日も、明後日も、10年後も同じ朝を迎えることが出来るようにと、アボットは神に祈った。
※※※※※※※※※※※※※※※
「リーバイ、少しいいか」
「いや、今忙しいから後にしてくれ」
「ダメだ。今来い」
「……面倒な奴だ」
第1師団、第2連隊長のリーバイ・トランプ中佐は渋々席を立ち、テントの外にやってきた。
連れ出したのはハルツ・クラークだ。
時刻は朝6時半、指揮官たちはもう仕事を始めている。
「今日の対策を練らなくてはならない。手短にな」
「アラタを、いや1192小隊をなぜ貸し出した?」
「というと?」
リーバイは自分だけ淹れたコーヒーを啜りながら聞く。
「ミラの戦場だってこれから激化する。それなのにアラタたちを向こうに渡してしまったのにはどういう考えがあるのかと聞いている」
「あー、なるほど、ハルツは中々に近視的だな」
リーバイが煽ると、ハルツは露骨に機嫌が悪くなる。
扱いやすすぎて笑いをこらえるのに必死だ。
「怒ったか?」
「……いや。もう一度聞く。なぜだ」
「彼の成長を見込んで、かな」
「どういう……」
「帝国との戦いはこれからも続く。それこそカナン公国とウル帝国が存在する限りな。ではただ戦争に勝つだけでは足りない。次の戦いに目を向けつつ、この戦いに勝つことが求められる。私が想定しているのはそういう未来だ」
「アラタを指揮官として育て上げるということで合っているのか?」
「そうだともいえるな」
「戦争は外交の結果だ。あいつのような若いのにそのツケを支払わせる必要は無いだろ」
「じゃあいざという時に大切なものを守るだけの力が無くて、彼に世界を呪ってほしいとでも?」
「そういうことを言っているのではない。アラタに重責を押し付ける必要は無いと言っているのだ」
「そうかな」
リーバイはとぼけた顔で言う。
「そうだ」
対照的にハルツの顔はくそがつくくらい真面目だ。
「アラタ君、中々見込みのある若者じゃないか。戦う術を持っていて、若く、好戦的で、人殺しの才能があり、そして何より世界を恨むほどの心の闇がある。これ以上に優秀な兵士の素質を持つ人間はそういないよ」
「……お前に引き合わせるべきではなかった」
「いや、君が彼を軍から遠ざけたとしても、遅かれ早かれこうなっていたさ。まさに神の思し召しってやつだね」
「俺は神は信じない」
「好きにすると言い。信仰の自由だからね。ただ、ここでは私は君の上官であり、アラタ君の上官でもある。発言や行動には気を付けたまえ」
「変わらないな。昔からちっとも」
「それはお互い様だよ。ただ、ハルツ。君は少し優しくなったかい?」
「…………弱くなっただけだ」
「よく分かっているじゃないか」
敵味方入り乱れる思惑の中で、アラタは戦う。
この戦争だけが戦いなのではなく、きっとこれから先の彼の人生はいつもこんな感じなのだろう。
利用し、利用され、騙し、騙され、あらゆることが双方向に働いていく。
ならせめて、前向きな感情も双方向に繋がってほしいというハルツの願いは、この時代を生きるアラタにとっては高望みし過ぎなのだろうか。
そして戦局は、ゆっくりと動き始める。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
生贄にされた少年。故郷を離れてゆるりと暮らす。
水定ゆう
ファンタジー
村の仕来りで生贄にされた少年、天月・オボロナ。魔物が蠢く危険な森で死を覚悟した天月は、三人の異形の者たちに命を救われる。
異形の者たちの弟子となった天月は、数年後故郷を離れ、魔物による被害と魔法の溢れる町でバイトをしながら冒険者活動を続けていた。
そこで待ち受けるのは数々の陰謀や危険な魔物たち。
生贄として魔物に捧げられた少年は、冒険者活動を続けながらゆるりと日常を満喫する!
※とりあえず、一時完結いたしました。
今後は、短編や別タイトルで続けていくと思いますが、今回はここまで。
その際は、ぜひ読んでいただけると幸いです。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる