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第1章 夢は叶えるためにある
進士式
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禹国の皇城内にある鳳凰殿に、真新しい薄青の官服に袖を通したものたちが整列する。今日執り行われているのは進士式。新人官吏の任命式である。
「状元及第、柳羅刹前へ」
「はいっ」
背丈の低い青年が、堂々とした態度で皇帝の前に進んでいく。色素の薄い茶色の瞳に黒い頭髪。体も痩せっぽちでどこか頼りない。
「科挙の平均及第年齢って三十歳だのに。あいつどっからどう見ても十代だろう」
「あれが第一等の成績をおさめただなんて、どこのお大臣が後ろ盾にいるんだ」
「いや、平民らしいぞ。しかも孤児の」
厳粛な空気の中、羅刹は皇帝から賜った任命書を握り締め、もといた位置へ戻る。そしてしばらくすると彼は小刻みに震え始めた。
「ふふ、ふふふふ……」
不気味な笑い声に周囲の人間の視線が自然と集まる。
「おまけに気味の悪い奴だな」
「まあ、状元、榜眼、探花は、毎年奇人変人らしいし」
ヒソヒソと噂する周りの目などお構いなし。羅刹は一人妄想に耽る。
紙職人のもとに働き手としてもらわれた羅刹は、子どもの頃からずっと働き詰めだった。唯一の楽しみは、養い親の書庫で史書を読むこと。偉業を果たした官吏の足跡、国を食い荒らした愚鈍の帝、負け戦に勝利を呼び込んだ才知の軍師。この国の血となり肉となった人物たちの物語に想いを馳せる時間は、何よりも得難い喜びを羅刹に与えてくれた。
すっかり歴史オタクに育った羅刹は、ある日運命を変える知らせに出会う。紙を仕入れに来た宮廷の官吏から、百年ぶりに禹国の正史を紡ぐ史書編纂事業が立ち上がり、新たに志部という部署ができるという話を聞いたのだ。
「養父に科挙を受けたいと言った時は大目玉をくらったなぁ。もはや懐かしい思い出だ」
女は科挙を受験できないのだから当たり前である。それでも諦められなかった羅刹は寝る間も惜しんで隠れて勉強を重ねた。そしていよいよ準備が整うと養父の浮気の証拠を掴み、強請って科挙への挑戦状を手に入れたのだ。
「まずは官吏としてしっかり能力を示さなきゃ。志部に行くには上司の推薦が必要だし」
新任の官吏は進士と呼ばれ、仮配属の部署で一年を過ごす。その後正式な辞令を受けて本配属となるのだ。それまでに優秀さをしっかりと示し、志部に行きたいアピールをさりげなくしておけば、きっと考えてもらえるはず。
ぶつぶつひとりごとを言っているうちに最後の進士が呼ばれ、間も無く進士式も終わりを迎えようとしている。
「進士の諸君。我が禹国の繁栄のため、力を尽くすがよい。期待しているぞ」
皇帝の声が響き渡る。その場にいる他の進士と同じく、羅刹は左膝を床につき、両の拳を合わせて首を垂れた。
これはまだ始まりに過ぎない。夢のため、女であることを隠し通し、どんなことでもやり遂げて見せよう。そう気を引き締めたはずだったのだが。
どうやら覚悟は足りなかったらしい。
◇ ◇ ◇
希望に満ち溢れた進士式からひと月が経ったころ。春の麗らかな日差しの中、羅刹は大量の紙の束を抱えて宮廷中を歩き回っていた。
「ええっと、次は工部だよね。ってええ! 嘘ぉ、こんなに遠いのぉ……」
半泣きになりながら地図を確認する。配っているのは各部に配布する人事異動者のリストだ。宮廷の人事をつかさどる吏部に仮配属された彼女の今日の任務は、午前中にこの束を配り終えることである。
同期の官吏の出世の行方は、やはり誰しも気になるらしい。どの部も忙しく動き回っているが、羅刹が顔を出し、吏部のりの字を口にした瞬間、ひったくるように書類をもっていかれた。
「吏部です、異動……」
「確認しておく!」
工部に到着して早々、古株らしき若葉色の官服を着た男に、手元の書類をひったくられる。ここも同じか。疲れもあり、ムッとした羅刹は「ちゃんとお礼くらい言いなさいよ」と心の中で毒づきながら、すでにこちらに背を向けている男に向かい顎を突き出し威嚇してみせた。
すると背中に目でもついているのか、くるりと後ろを振り返られる。
「まだ何かあるのか?」
「いえ、何もアリマセン」
顎を引っ込みそびれた顔でそう返した羅刹は、逃げるように工部を飛び出していく。
「しまったしまった。私は優秀な新人! そうでなきゃらないんだから。他部に悪印象を持たれる行動は避けないと……」
自分に言い聞かせるように言いながら、残った書類を確認する。残るは御史台、官吏を監察し、不正を正す部署であり、他の官吏たちからは敬遠されている場所だ。できれば行きたくないが、仕事とあればそうはいかない。
「こっちだな」
手に持っていた地図を懐にしまい、書類を両手で抱え直す。進士を表す薄青の官服は汗に濡れていた。
小走りになりながら人気のない外廊下を進む。太陽はまだ上がりきっていないようだ。
「ああ、よかった。なんとか昼までには配り終えられそう」
思わず安堵の言葉が口をついて出たそのとき。
ばしん。
生暖かく、重たいものが肩の上に落ちる。
「いったいなに!?」
なにが当たったのかと歩みを止めてみれば、二度、三度と衝撃が続いた。
「状元及第、柳羅刹前へ」
「はいっ」
背丈の低い青年が、堂々とした態度で皇帝の前に進んでいく。色素の薄い茶色の瞳に黒い頭髪。体も痩せっぽちでどこか頼りない。
「科挙の平均及第年齢って三十歳だのに。あいつどっからどう見ても十代だろう」
「あれが第一等の成績をおさめただなんて、どこのお大臣が後ろ盾にいるんだ」
「いや、平民らしいぞ。しかも孤児の」
厳粛な空気の中、羅刹は皇帝から賜った任命書を握り締め、もといた位置へ戻る。そしてしばらくすると彼は小刻みに震え始めた。
「ふふ、ふふふふ……」
不気味な笑い声に周囲の人間の視線が自然と集まる。
「おまけに気味の悪い奴だな」
「まあ、状元、榜眼、探花は、毎年奇人変人らしいし」
ヒソヒソと噂する周りの目などお構いなし。羅刹は一人妄想に耽る。
紙職人のもとに働き手としてもらわれた羅刹は、子どもの頃からずっと働き詰めだった。唯一の楽しみは、養い親の書庫で史書を読むこと。偉業を果たした官吏の足跡、国を食い荒らした愚鈍の帝、負け戦に勝利を呼び込んだ才知の軍師。この国の血となり肉となった人物たちの物語に想いを馳せる時間は、何よりも得難い喜びを羅刹に与えてくれた。
すっかり歴史オタクに育った羅刹は、ある日運命を変える知らせに出会う。紙を仕入れに来た宮廷の官吏から、百年ぶりに禹国の正史を紡ぐ史書編纂事業が立ち上がり、新たに志部という部署ができるという話を聞いたのだ。
「養父に科挙を受けたいと言った時は大目玉をくらったなぁ。もはや懐かしい思い出だ」
女は科挙を受験できないのだから当たり前である。それでも諦められなかった羅刹は寝る間も惜しんで隠れて勉強を重ねた。そしていよいよ準備が整うと養父の浮気の証拠を掴み、強請って科挙への挑戦状を手に入れたのだ。
「まずは官吏としてしっかり能力を示さなきゃ。志部に行くには上司の推薦が必要だし」
新任の官吏は進士と呼ばれ、仮配属の部署で一年を過ごす。その後正式な辞令を受けて本配属となるのだ。それまでに優秀さをしっかりと示し、志部に行きたいアピールをさりげなくしておけば、きっと考えてもらえるはず。
ぶつぶつひとりごとを言っているうちに最後の進士が呼ばれ、間も無く進士式も終わりを迎えようとしている。
「進士の諸君。我が禹国の繁栄のため、力を尽くすがよい。期待しているぞ」
皇帝の声が響き渡る。その場にいる他の進士と同じく、羅刹は左膝を床につき、両の拳を合わせて首を垂れた。
これはまだ始まりに過ぎない。夢のため、女であることを隠し通し、どんなことでもやり遂げて見せよう。そう気を引き締めたはずだったのだが。
どうやら覚悟は足りなかったらしい。
◇ ◇ ◇
希望に満ち溢れた進士式からひと月が経ったころ。春の麗らかな日差しの中、羅刹は大量の紙の束を抱えて宮廷中を歩き回っていた。
「ええっと、次は工部だよね。ってええ! 嘘ぉ、こんなに遠いのぉ……」
半泣きになりながら地図を確認する。配っているのは各部に配布する人事異動者のリストだ。宮廷の人事をつかさどる吏部に仮配属された彼女の今日の任務は、午前中にこの束を配り終えることである。
同期の官吏の出世の行方は、やはり誰しも気になるらしい。どの部も忙しく動き回っているが、羅刹が顔を出し、吏部のりの字を口にした瞬間、ひったくるように書類をもっていかれた。
「吏部です、異動……」
「確認しておく!」
工部に到着して早々、古株らしき若葉色の官服を着た男に、手元の書類をひったくられる。ここも同じか。疲れもあり、ムッとした羅刹は「ちゃんとお礼くらい言いなさいよ」と心の中で毒づきながら、すでにこちらに背を向けている男に向かい顎を突き出し威嚇してみせた。
すると背中に目でもついているのか、くるりと後ろを振り返られる。
「まだ何かあるのか?」
「いえ、何もアリマセン」
顎を引っ込みそびれた顔でそう返した羅刹は、逃げるように工部を飛び出していく。
「しまったしまった。私は優秀な新人! そうでなきゃらないんだから。他部に悪印象を持たれる行動は避けないと……」
自分に言い聞かせるように言いながら、残った書類を確認する。残るは御史台、官吏を監察し、不正を正す部署であり、他の官吏たちからは敬遠されている場所だ。できれば行きたくないが、仕事とあればそうはいかない。
「こっちだな」
手に持っていた地図を懐にしまい、書類を両手で抱え直す。進士を表す薄青の官服は汗に濡れていた。
小走りになりながら人気のない外廊下を進む。太陽はまだ上がりきっていないようだ。
「ああ、よかった。なんとか昼までには配り終えられそう」
思わず安堵の言葉が口をついて出たそのとき。
ばしん。
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なにが当たったのかと歩みを止めてみれば、二度、三度と衝撃が続いた。
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