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第3章 凰家の足跡
後宮再び
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「へっぷし」
絹のような黒髪を梳く女の手がぴたりと止まる。
「おやぁ? 感冒でございますか」
部屋着を着た美しい髪の持ち主は、翡翠のような瞳を伏せたまま答えた。
「……雨に濡れた」
「それはそれは大変でございますね! そんな時は張家特製! 秘伝の感冒薬を!」
大仰に驚いてみせつつ、どこからか薬袋を取り出したのは、濃い緑色の侍女服を着た女である。
「いらん。お前のところの薬は効くが値段が高い」
「ではこちらでいかがでしょう。なんと、感冒薬と強壮剤の同時購入で今なら二割引!」
「うるさいぞ麗玲。黙って仕事しろ」
「仕方ありませんね、翠の君が倒れては、我が商会も商売あがったりでございます。試供品の強壮剤だけ置いておきますので、お気に入り頂いたらご購入のご検討を……」
しつこい。肩をすぼめ、イライラを抑えるように両手握り合わせて大きなため息をつく。
「わかった。置いてけ」
ピン、と背筋を伸ばし、満面の笑みを浮かべた狐目の侍女、は怪しげな薬びんをそそと置き、茶を淹れてくると言って出ていった。
実家の利益優先、仕事と私生活は分けたいタイプで扱いやすいと思い、そば付きの侍女に選んだが。隙あらば商品を売り込んでこようとするのがいただけない。
「あ、翠の君、ご指示いただいた件ですが。今日中に手配が整いそうです」
ふたたびにゅっと襖の間から現れた麗玲に、雲嵐はびくりとする。気配もなしに首だけ出すのはやめてほしい。
「そうか」
「いかがいたしますか?」
雲嵐の頭に、好きなことしか眼中にない女官吏の顔が浮かぶ。
呼び出せば嫌な顔をされそうだが、雲嵐には味方が少ない。彼女を使うほかなかった。
それに。もし羅刹が血筋の者なら。きっと真実を見出してくれるはずだ。
「吏部尚書に柳羅刹を貸すよう言ってくれ。俺の名前を出していい」
そう言って椅子に身を預けると、怪しげな薬瓶を一気飲みした。
◇ ◇ ◇
「ええっまた午後は特別任務ですか」
「仕方ねえじゃねえか。お偉いさんの頼みだ。シャッキリ働いてこいよ」
いつものようにガハガハと笑いながら、綺尚書は乱暴に羅刹の頭を撫でる。力が強すぎて、髪の毛が全部無くなりそうな撫で方だ。
「僕もたまにはお日様の光を浴びながら仕事がしたいよ」
対する鵬侍郎はまたぼやいている。
「仮面をつけた宦官が迎えに来るそうだから。なんなの君、最近。これまでは異様に歴史好きアピールしてたけど、今度はお面にハマったの? お面教でも布教してるの? それも彼女の影響?」
女の影ありと踏んでから、鵬のあたりが強くなっている気がする。
「彼女じゃありません! 一回その話は忘れてください」
「どうだかなあ」
羅刹は鵬の嫌味攻撃から逃げ、席につく。
っていうか、お偉いさんて。結局雲嵐って、どこの家の坊ちゃんなのよ。皇族の印を持たされるほどの食客って、いったい何をしているんだか。
そして午後。吏部の入り口にやってきた雲嵐を見て羅刹は絶句した。
「今日は張り子じゃない……」
いつも頭から首まですっぽり被っている張り子の面の代わり、見たことのないド派手な面を被っている。赤や黄、緑の原色を使ったやけに細長い木彫りの面だ。
服は今日は宦官の格好、ということは、今日も後宮に向かうということなのだろう。髪は頭上にまとめ上げ、一つに束ねている。
「そのお面……」
「ああ、これか。これはな。南の島国のとある部族が、祭祀のときにつける面らしい。ほとんど裸に近い体に彫り物をした男どもが、腰蓑をつけ、この面をつけて激しく踊るそうだ」
「いや、そのお面の背景情報はどうでもいいです。私が疑問に思ったのは、なぜ張り子からそれに切り替えたのかという部分で」
「ああ……」
雲嵐は顔を俯け、頭をかく。
「お前の家から帰った日、自分の部屋に着く頃には面の表面の絵の具がドロドロに溶けていた。加えて暗闇、部屋に灯る提灯の灯り。それに照らし出されたびしょ濡れの襦裙。お前、それを目撃したとしたらどうする」
「叫びますね」
「叫ばれた。そして横刀で叩き切られそうになった」
「でも面は外さないんですね」
「俺の瞳は目立つからな」
「でもそのお面はちょっと……陽気が過ぎる気が」
「そうか? でも濡れてもただれまい」
その場でちょっと踊ってみせる雲嵐を、怪訝な顔で見つめる羅刹。
この人、面の雰囲気に合わせて性格も変化してるのでは。今日は以前に比べ、若干だがお調子者の雰囲気を纏っている。
実にくだらない気づきを得つつ、雲嵐に続く羅刹だった。
絹のような黒髪を梳く女の手がぴたりと止まる。
「おやぁ? 感冒でございますか」
部屋着を着た美しい髪の持ち主は、翡翠のような瞳を伏せたまま答えた。
「……雨に濡れた」
「それはそれは大変でございますね! そんな時は張家特製! 秘伝の感冒薬を!」
大仰に驚いてみせつつ、どこからか薬袋を取り出したのは、濃い緑色の侍女服を着た女である。
「いらん。お前のところの薬は効くが値段が高い」
「ではこちらでいかがでしょう。なんと、感冒薬と強壮剤の同時購入で今なら二割引!」
「うるさいぞ麗玲。黙って仕事しろ」
「仕方ありませんね、翠の君が倒れては、我が商会も商売あがったりでございます。試供品の強壮剤だけ置いておきますので、お気に入り頂いたらご購入のご検討を……」
しつこい。肩をすぼめ、イライラを抑えるように両手握り合わせて大きなため息をつく。
「わかった。置いてけ」
ピン、と背筋を伸ばし、満面の笑みを浮かべた狐目の侍女、は怪しげな薬びんをそそと置き、茶を淹れてくると言って出ていった。
実家の利益優先、仕事と私生活は分けたいタイプで扱いやすいと思い、そば付きの侍女に選んだが。隙あらば商品を売り込んでこようとするのがいただけない。
「あ、翠の君、ご指示いただいた件ですが。今日中に手配が整いそうです」
ふたたびにゅっと襖の間から現れた麗玲に、雲嵐はびくりとする。気配もなしに首だけ出すのはやめてほしい。
「そうか」
「いかがいたしますか?」
雲嵐の頭に、好きなことしか眼中にない女官吏の顔が浮かぶ。
呼び出せば嫌な顔をされそうだが、雲嵐には味方が少ない。彼女を使うほかなかった。
それに。もし羅刹が血筋の者なら。きっと真実を見出してくれるはずだ。
「吏部尚書に柳羅刹を貸すよう言ってくれ。俺の名前を出していい」
そう言って椅子に身を預けると、怪しげな薬瓶を一気飲みした。
◇ ◇ ◇
「ええっまた午後は特別任務ですか」
「仕方ねえじゃねえか。お偉いさんの頼みだ。シャッキリ働いてこいよ」
いつものようにガハガハと笑いながら、綺尚書は乱暴に羅刹の頭を撫でる。力が強すぎて、髪の毛が全部無くなりそうな撫で方だ。
「僕もたまにはお日様の光を浴びながら仕事がしたいよ」
対する鵬侍郎はまたぼやいている。
「仮面をつけた宦官が迎えに来るそうだから。なんなの君、最近。これまでは異様に歴史好きアピールしてたけど、今度はお面にハマったの? お面教でも布教してるの? それも彼女の影響?」
女の影ありと踏んでから、鵬のあたりが強くなっている気がする。
「彼女じゃありません! 一回その話は忘れてください」
「どうだかなあ」
羅刹は鵬の嫌味攻撃から逃げ、席につく。
っていうか、お偉いさんて。結局雲嵐って、どこの家の坊ちゃんなのよ。皇族の印を持たされるほどの食客って、いったい何をしているんだか。
そして午後。吏部の入り口にやってきた雲嵐を見て羅刹は絶句した。
「今日は張り子じゃない……」
いつも頭から首まですっぽり被っている張り子の面の代わり、見たことのないド派手な面を被っている。赤や黄、緑の原色を使ったやけに細長い木彫りの面だ。
服は今日は宦官の格好、ということは、今日も後宮に向かうということなのだろう。髪は頭上にまとめ上げ、一つに束ねている。
「そのお面……」
「ああ、これか。これはな。南の島国のとある部族が、祭祀のときにつける面らしい。ほとんど裸に近い体に彫り物をした男どもが、腰蓑をつけ、この面をつけて激しく踊るそうだ」
「いや、そのお面の背景情報はどうでもいいです。私が疑問に思ったのは、なぜ張り子からそれに切り替えたのかという部分で」
「ああ……」
雲嵐は顔を俯け、頭をかく。
「お前の家から帰った日、自分の部屋に着く頃には面の表面の絵の具がドロドロに溶けていた。加えて暗闇、部屋に灯る提灯の灯り。それに照らし出されたびしょ濡れの襦裙。お前、それを目撃したとしたらどうする」
「叫びますね」
「叫ばれた。そして横刀で叩き切られそうになった」
「でも面は外さないんですね」
「俺の瞳は目立つからな」
「でもそのお面はちょっと……陽気が過ぎる気が」
「そうか? でも濡れてもただれまい」
その場でちょっと踊ってみせる雲嵐を、怪訝な顔で見つめる羅刹。
この人、面の雰囲気に合わせて性格も変化してるのでは。今日は以前に比べ、若干だがお調子者の雰囲気を纏っている。
実にくだらない気づきを得つつ、雲嵐に続く羅刹だった。
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