男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ

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第3章 凰家の足跡

記部

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 太い上がり眉の片方を吊り上げ、不快そうにこちらを見る女官。痺れるほどに張り詰めた空気に、羅刹は緊張していた。
彤史とうしをしております、紅梅こうばいと申します」
「宦官のらんだ。こいつは羅王らおう。妃の不審死について調査をしている」
 紅梅の目は、雲嵐の腰に下がる佩玉はいぎょくを睨みつける。本物かどうかを見聞するような目つきだ。気持ちはわかる。こんなヘンテコな男が訪ねてきたら、まず疑う。

「お話は伺っております。調べたい内容について言っていただければ、こちらでまとめてお渡ししますが」
 彼女の言葉に、羅刹はひっそりと肩を落とした。期待していた後宮の歴史には、触れることは難しいかもしれない。
 後宮の記部。それが今いる部署の名前だ。皇帝のお渡りの記録、妃嬪の妊娠出産時の記録など、後宮で起こったあらゆる事柄を記録する部署である。そして記録をとるのが彤史とうしという役職だ。羅刹の求めに応じ、雲嵐は後宮の記録を保管するこの部署を訪れていた。

「それでは意味がない。直接記録を見せて欲しい」
「以前別の宦官の方がすでに見ておられます」

 食い下がる雲嵐を羅刹は見守る。今日は宦官役であるせいか、雲嵐が率先して話している。が、宦官らしい声の丸さを意識している様子はなく、いつもの通りの低音で喋っていた。「堂々としていれば、ああ、こういう奴もいるんだと思われる」戦法でやはりいくらしい。

「見落としがあるかもしれない」
「私どもの仕事を下に見ておられるのでしょうか?」
「そんなことを言っているのではない。我々は仕事で来ている。協力しろ」

 仮面の下の表情は見えないが、雲嵐が苛立っているのがわかる。

 この人、あまり交渉ごとに向いていないな。会話が下手すぎる。これまで人と向き合ってこなかったのか?

 箱入り娘ならぬ、箱入り息子だったのだろうか。このまま放っておけば、喧嘩に発展しそうな勢いである。
 羅刹は紅梅の表情を窺う。彼女の表情は訪ねてきた時から変わらない。射るように真っ直ぐに、こちらを見ている。

 真摯な表情の裏にあるのは仕事に対する誇りなのか。それとも宦官に対する偏見か。

「いくら大事なものを失っていても、男性であるお二人に記録を見られることが、妃嬪にとってどれほど許し難いことか、お分かりでしょうか」

 澄んだ瞳の女官の言葉に、羅刹は気づく。

 そっか、そうだよね……。

 この人が守っているのは、自分の仕事ではない。妃の尊厳なのだ。
 記録の中には、閨ごとの詳細も書かれると聞く。それを宦官であるとはいえ男性に見られることに抵抗があるのだ。妃を思っているからこそ、彼女は雲嵐に歯向かっている。

「紅梅さん、こちらの態度をお詫びいたします」

 口を開きかけた雲嵐を手で制し、羅刹は前に出た。

「配慮の欠けた態度でした。ですが、私どもは、新たな犠牲者を出したくないのです。妃の皆様に、安心してお世継ぎを産んでいただくために、改めて後宮の悪霊について調べを進めています。事態の解決のために、どうしても記録の確認が必要なのです」

 紅梅は、唇を結び、おしだまる。
 彼女の表情の変化を見て、羅刹はわざと声を落とし、彼女にだけ聞こえるように言葉を紡ぐ。

「悪霊の仕業と信じ込まれていますが、実は人の手である可能性が出てきています」

 実際はこれからそれを見つけるところなのだが。方便というやつだ。

「私どもは犯人特定のため、この手で情報を集めたいのです」

 頑なだった女官の表情が崩れる。明らかに動揺している様子だ。

「どうかご協力いただけませんか」
「……わかりました」

 紅梅の瞳に羅刹が映る。少しの間があったあと、彼女は口を開いた。

「記録でご覧になったことは、必要な情報以外、外には漏らさぬようお願いします」

「……! ありがとうございます、もちろんです」

 羅刹は両こぶしを合わせ、頭を下げた。
 よかった、これで前に進む。そう思って顔を上げて驚いた。

 紅梅の鼻の頭は赤くなり、気の強そうな大きな瞳からは、涙が溢れ出ていたのだ。

「姉の無念を、どうか晴らしてください」
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