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第4章 急転直下
山積みの仕事
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薄衣の肌着一枚で寝台に横たわる若い女は、汗で額に張り付いた髪を手で横に流した。
桃色に染まった体を、恥ずかしげに布団で隠す。恋に溺れる乙女の顔を見て、錦髪の君は微笑んだ。
「僕が男だったら、君をもっと満足させてあげられたのにね」
「そんなことおっしゃらないで、蔡華様」
女は蔡華の体を両腕で包み込む。宦官にされ、声は高いままでも、体が丸くなることはなかった。最低限男として見られる体格をしていて良かったと思う。
「そのままのあなた様でも、私はお慕いしております」
「ありがとう。君が僕の唯一だよ」
彼女の顎を人差し指で掬い上げる。軽く口付けて、耳元に顔を近づける。
「子種がなくて構わなければ、いつか僕と一緒になってくれないか」
そう囁くと、彼女は感激したのか涙を流す。
滑稽だ、と、蔡華は思った。
少年を性の捌け口とする男どもの餌食にされていた時期は、自分の容姿を恨んだこともあった。だが今はこの顔の作りの良さを、長所であると捉えている。
この顔で微笑めば、たくさんの虫が自ら飛び込んでくる。捕まえられて撒き餌にされることも知らない、馬鹿な虫たちが。
「さあ、支度をして。僕も君も、仕事に戻らなければ」
「次はいつお会いできますか」
「また、こちらから会いに行くよ」
彼女の手から逃れ、寝台を離れる。
汚い。早く湯浴みをしたい。その本心が漏れないように気をつけながら支度をする。
着衣を整えていると、すがるように彼女が言った。
「では……いつになったら、籍を入れてくださるのでしょうか」
顔を俯け、思わず顔を顰めてしまう。
そろそろ処分すべき時かもしれない。関係を周りに知られては、後々困る。
重い腰を上げた根暗の翠嵐が、水面下で悪霊調査を進めてくれれば、ことは簡単だった。いくらでも濡れ衣を着せる方法があった。
それが最近、いやに派手に動き回っている。こちらの意図を読まれているようだ。
「我慢しておくれ。今主上は難しい立場におられる。お心を乱したくないんだ。僕も君と早く一緒になりたい気持ちは一緒だよ」
眉尻を下げ、悲しげに微笑んでみる。まだ十代の女は、ころりと騙された。
「では」
部屋を出れば、いつものように優美な笑みをたたえ、すれ違う官に挨拶をする。
最近、翠嵐は柳羅刹という官と一緒に行動しているようだ。今年の状元及第の進士だが、なぜまだ宮廷事情に疎いであろう新人などをそばに置いているのか。
「調べる必要がありそうですね」
◇ ◇ ◇
吏部に運ばれた山のような書類を捌きながら、羅刹は考えていた。
失われた歴史を知った今、見えなかったいろいろなものが見えて来ている。
凰一族の粛清により、彼らに関わるすべての書類が消失するか墨塗りされた。
だが凰の能吏が一斉にいなくなったことで、宮廷は混乱に陥る。彼らが勤めてきた要職はお飾りではない。極めて高度な実務能力が試される仕事ばかりだった。
冷害、蝗害などのあらゆる自然の脅威に予防策を打つ。ことが起きればあらかじめ用意しておいた蓄えを最適な流通路を考えて各地に提供し、民が飢えぬよう最善を尽くす。近隣諸国との外交、そして異民族による襲撃への対策、国防のための十分な兵力の確保など、凰家がいれば対応できていたことが、すべて後手に回る。我こそというものが取り組むも、うまく指揮をとることができなかった。
今上帝蒼徳は、凰家を凌ぐ才知を備えた皇帝であるという評判だった。だが凰族が消えてから十八年経っても、彼らが政に関わってきた時代に比べ、国は落ちぶれているように見える。
若い頃の猛禽のような眼光の鋭さは消え、蒼徳は年よりも老いて見えると聞いた。
鵬侍郎は帝の采配について、小声でいつもぼやいている。官からの評判もあまり芳しくないように感じる。
加えて悪霊騒ぎにより、後宮は混乱を極めている。世継ぎを早くもうけたくとも、お渡りが憚られる空気があった。まさに、泣きっ面に蜂である。
凰一族が目障りな皇帝としては、一刻も早く男児をもうけ、凰家の瞳を持つ翠美妃の息子——翠嵐を葬りたいところだろうに。
羅刹はため息をつく。
史書編纂事業などをはじめ、百年分の凰族の働きを葬ろうとするくらいだ。翠嵐に向けられてきた憎悪は、ただならぬものに違いない。
雲嵐て何を考えているかよくわからない人だけど、可哀想な人だな。
羅刹が生まれたのは凰族が滅びたあとで、情報統制がなされたあとだったため、翡翠の瞳のことは知らなかった。しかし凰族が栄華を誇る時代を知るものは、表向き徳妃鏡花の子とされている翠嵐が本当は誰の子なのか、あの瞳を見ればすぐ気づくはず。
顔を晒すことを許されず、籠の鳥のような生活をしていたと想像がつく。実際「遊び呆けてばかりいるうつけの東宮」というのが、官吏の間でのもっぱらの評判だ。公務などで表に出ているところを見たことがない。
会話がちょっとずれているのも、相手の感情を推し図りながら話せないのも、閉じこもって生活してきたためだろう。
「おい、羅刹」
「は、はいっ!」
突然声をかけられて飛び上がる。前にいたのは驚いた様子の綺尚書だった。
「なんだぁ、素っ頓狂な声出して」
「す、すみません、考え事をしておりました」
「さすが状元殿。考え事をしながら書類を処理する時間がおありか」
ナマズのような口髭を、綺尚書はなでつける。羅刹は嫌な予感がした。
「そんなに物足りないなら、戸部の人員応援に行ってこい」
桃色に染まった体を、恥ずかしげに布団で隠す。恋に溺れる乙女の顔を見て、錦髪の君は微笑んだ。
「僕が男だったら、君をもっと満足させてあげられたのにね」
「そんなことおっしゃらないで、蔡華様」
女は蔡華の体を両腕で包み込む。宦官にされ、声は高いままでも、体が丸くなることはなかった。最低限男として見られる体格をしていて良かったと思う。
「そのままのあなた様でも、私はお慕いしております」
「ありがとう。君が僕の唯一だよ」
彼女の顎を人差し指で掬い上げる。軽く口付けて、耳元に顔を近づける。
「子種がなくて構わなければ、いつか僕と一緒になってくれないか」
そう囁くと、彼女は感激したのか涙を流す。
滑稽だ、と、蔡華は思った。
少年を性の捌け口とする男どもの餌食にされていた時期は、自分の容姿を恨んだこともあった。だが今はこの顔の作りの良さを、長所であると捉えている。
この顔で微笑めば、たくさんの虫が自ら飛び込んでくる。捕まえられて撒き餌にされることも知らない、馬鹿な虫たちが。
「さあ、支度をして。僕も君も、仕事に戻らなければ」
「次はいつお会いできますか」
「また、こちらから会いに行くよ」
彼女の手から逃れ、寝台を離れる。
汚い。早く湯浴みをしたい。その本心が漏れないように気をつけながら支度をする。
着衣を整えていると、すがるように彼女が言った。
「では……いつになったら、籍を入れてくださるのでしょうか」
顔を俯け、思わず顔を顰めてしまう。
そろそろ処分すべき時かもしれない。関係を周りに知られては、後々困る。
重い腰を上げた根暗の翠嵐が、水面下で悪霊調査を進めてくれれば、ことは簡単だった。いくらでも濡れ衣を着せる方法があった。
それが最近、いやに派手に動き回っている。こちらの意図を読まれているようだ。
「我慢しておくれ。今主上は難しい立場におられる。お心を乱したくないんだ。僕も君と早く一緒になりたい気持ちは一緒だよ」
眉尻を下げ、悲しげに微笑んでみる。まだ十代の女は、ころりと騙された。
「では」
部屋を出れば、いつものように優美な笑みをたたえ、すれ違う官に挨拶をする。
最近、翠嵐は柳羅刹という官と一緒に行動しているようだ。今年の状元及第の進士だが、なぜまだ宮廷事情に疎いであろう新人などをそばに置いているのか。
「調べる必要がありそうですね」
◇ ◇ ◇
吏部に運ばれた山のような書類を捌きながら、羅刹は考えていた。
失われた歴史を知った今、見えなかったいろいろなものが見えて来ている。
凰一族の粛清により、彼らに関わるすべての書類が消失するか墨塗りされた。
だが凰の能吏が一斉にいなくなったことで、宮廷は混乱に陥る。彼らが勤めてきた要職はお飾りではない。極めて高度な実務能力が試される仕事ばかりだった。
冷害、蝗害などのあらゆる自然の脅威に予防策を打つ。ことが起きればあらかじめ用意しておいた蓄えを最適な流通路を考えて各地に提供し、民が飢えぬよう最善を尽くす。近隣諸国との外交、そして異民族による襲撃への対策、国防のための十分な兵力の確保など、凰家がいれば対応できていたことが、すべて後手に回る。我こそというものが取り組むも、うまく指揮をとることができなかった。
今上帝蒼徳は、凰家を凌ぐ才知を備えた皇帝であるという評判だった。だが凰族が消えてから十八年経っても、彼らが政に関わってきた時代に比べ、国は落ちぶれているように見える。
若い頃の猛禽のような眼光の鋭さは消え、蒼徳は年よりも老いて見えると聞いた。
鵬侍郎は帝の采配について、小声でいつもぼやいている。官からの評判もあまり芳しくないように感じる。
加えて悪霊騒ぎにより、後宮は混乱を極めている。世継ぎを早くもうけたくとも、お渡りが憚られる空気があった。まさに、泣きっ面に蜂である。
凰一族が目障りな皇帝としては、一刻も早く男児をもうけ、凰家の瞳を持つ翠美妃の息子——翠嵐を葬りたいところだろうに。
羅刹はため息をつく。
史書編纂事業などをはじめ、百年分の凰族の働きを葬ろうとするくらいだ。翠嵐に向けられてきた憎悪は、ただならぬものに違いない。
雲嵐て何を考えているかよくわからない人だけど、可哀想な人だな。
羅刹が生まれたのは凰族が滅びたあとで、情報統制がなされたあとだったため、翡翠の瞳のことは知らなかった。しかし凰族が栄華を誇る時代を知るものは、表向き徳妃鏡花の子とされている翠嵐が本当は誰の子なのか、あの瞳を見ればすぐ気づくはず。
顔を晒すことを許されず、籠の鳥のような生活をしていたと想像がつく。実際「遊び呆けてばかりいるうつけの東宮」というのが、官吏の間でのもっぱらの評判だ。公務などで表に出ているところを見たことがない。
会話がちょっとずれているのも、相手の感情を推し図りながら話せないのも、閉じこもって生活してきたためだろう。
「おい、羅刹」
「は、はいっ!」
突然声をかけられて飛び上がる。前にいたのは驚いた様子の綺尚書だった。
「なんだぁ、素っ頓狂な声出して」
「す、すみません、考え事をしておりました」
「さすが状元殿。考え事をしながら書類を処理する時間がおありか」
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