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第5章 母と息子
母の心
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周囲に池が巡らされた玉龍宮。蓮の花は朝の光を受けて、白い花を咲かせている。
羅刹は雲嵐と共に、池の見える四阿で長椅子に腰掛け、鏡花妃を待っていた。
「すぐ会ってくださるとは思いませんでしたね」
羅刹がそういえば、雲嵐は仏頂面で応える。
「金を払えば急な任務でも完璧にこなしてくれる侍女がいるからな」
機嫌が悪い。雲嵐は直前まで羅刹を徳妃に会わせることに反対していた。
焼石の中に飛び込むようなものだ、というが、いまさらである。
「そんな優秀な人間がいるなら僕はいらないのでは」
「あいつになんでも頼んでいたら破産する」
羅刹は宦官服、雲嵐は胡服を着ていた。
他の妃の宮に行く際は雲嵐も官女の服か宦官服を着ていたが、ここに来る際はそういうわけには行かないのだろう。
髪はまとめ、冕冠を被っている。つまり、東宮としてここには来ているということだ。常服としては若干華美な感じもするので、彼なりに心を武装しているということなのかもしれない。
「ん? ちょっと待ってください……それって、僕が無料で使える便利な労働力ってことです……?」
「そういう意味では言ってない」
「そういう意味になりますよ」
「あらあら、仲がよろしいこと」
鈴を転がしたような声に、羅刹は慌てて拱手の格好をとる。雲嵐は微動だにせず、座った格好のまま、四阿にやってきた声の主を見上げていた。
「母上」
「ずいぶんひさしぶりねえ、翠嵐。相変わらず憎たらしい翡翠の瞳をしているわぁ」
片眉を上げ、鏡花妃は優美に笑う。嘲笑のように見えるが、心のうちはどうなのだろう。
「茶を用意させたから、あなたも座って。軟禁状態で暇なの。話し相手になってちょうだい」
「無駄話をしに来たわけではありません。茶は結構です」
「まあ、そんな様子だから、女の子にモテないのよ」
すでに二人の間には火花が散っている。羅刹はハラハラしながら、話の行く末を見守っていた。
「なぜ、妃殺しの罪を被ったのですか」
「その言い方だと、やったのは私ではないと思ってくれているのね。実の息子に信じてもらえて、嬉しいわぁ」
「ふざけないでください! いったい何を企んでいるのです!」
だん、と卓を拳で叩き、雲嵐は立ち上がる。羅刹が宥めようとするも、雲嵐の興奮は収まらない。
「企んでいるだなんて人聞きの悪い」
「母上が罪を被ったおかげで、羅刹は消されそうになったのです」
「あなたの囲い子がどうなったって、妾には関係ないわ」
「監察史まで使って、なぜ羅刹のことを調べていたのですか」
「なぜってあなた、次期皇帝に取り入るものを吟味するのは大事なことでしょう」
「俺が皇帝になれるわけがないでしょう。それは母上が一番わかっているはず」
ここまで雲嵐が感情を表に出すのも珍しい。
「後宮で調査をしていた時、尾行をつけたのも母上ですね」
「あら、バレちゃったのね」
ペロリ、と舌を出し、イタズラがバレた子どものように笑う鏡花妃を見て、雲嵐は額に青筋を立てて怒っている。
「で、羅刹。あなたは翠嵐に取りいり、私腹を肥やそうとするドブ鼠なのかしら?」
ようやく水がこちらに向けられた。これでこの険悪な雰囲気に終止符が打てる。羅刹はそう思いほっとした。
「僕は、東宮様から大変ありがたいお話しを賜ったため、身を粉にして働いております」
「ふうん、やっぱり見返りがあるの。あなた、本当は女の子よね。将来の皇后の座でも狙っているのかしら」
「母上!」
この人は羅刹が女であることを確信している。漢林から報告は行っているだろうが、まだ決定的な情報ではないはず。女の勘というやつだろうか。であればきっと、下手な誤魔化しは事態を悪化させかねない。
羅刹はもう開き直ることにした。
「いえ、官吏として最高の職を与えていただくことを約束していただいております」
「あら、女でありながら東宮の許しを得て、宰相にでもなるつもり?」
「いえ!」
「違うの?」
「志部に配属していただく約束をしております!」
目を爛々とさせ、喜びを爆発させたような表情をする羅刹を前に、鏡花妃は固まった。
「志部……?」
「はい! 歴史と徹底的に向き合える、桃源郷のような部署、志部です!」
「ひたすら書類と向き合いながら、地道な調査と報告書作りに勤しむ、志部?」
意味がわからない、という様子の彼女に、羅刹は畳み掛けるように言う。
「そんな! 地味だなんて! 尊い仕事です。後世に伝える歴史をまとめる仕事ですよ? 時には膨大な資料を前に、何を省き、何を文書として残すべきか悩むことでしょう。ですがそれも至高の悩み! 英雄の軌跡を、この手で綴ることだってできるかもしれませんよね。ああ、考えただけで身が震えます! 本当にこんなに素晴らしい仕事が世の中にあるなんて……」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。もういい、もういいわ」
「まだ語り足りません!」
「とにかく黙りなさい!」
「はっ! 申し訳ありません! 志部という単語を出したら興奮してしまい……」
鏡花妃は雲嵐を見、羅刹を見て、もう一度雲嵐を見た。
「なんとなく、権力に媚びを売って蜜を啜ろうとする人間ではないとはわかったけど。……そばにつける人間がコレでいいの?」
「……頭の良さと、論理的思考力は確かなので……」
「なんだか、気が抜けちゃったわ。やはりお茶を飲みましょう」
雲嵐も、鏡花妃の言葉に黙って同意を示した。
羅刹はただ単に聞かれたことに素直に答えただけだったのだが。空気は軽くなったので結果としては良かった。
「で、妾がなぜ罪を被ったか、だったわね」
はぁ、とため息をつき、徳妃は茶の表面に視線を漂わせる。
「もう終わりにした方がいいと思ったの。この茶番を。一度壊れてしまったものは、もう直らないから」
羅刹は雲嵐と共に、池の見える四阿で長椅子に腰掛け、鏡花妃を待っていた。
「すぐ会ってくださるとは思いませんでしたね」
羅刹がそういえば、雲嵐は仏頂面で応える。
「金を払えば急な任務でも完璧にこなしてくれる侍女がいるからな」
機嫌が悪い。雲嵐は直前まで羅刹を徳妃に会わせることに反対していた。
焼石の中に飛び込むようなものだ、というが、いまさらである。
「そんな優秀な人間がいるなら僕はいらないのでは」
「あいつになんでも頼んでいたら破産する」
羅刹は宦官服、雲嵐は胡服を着ていた。
他の妃の宮に行く際は雲嵐も官女の服か宦官服を着ていたが、ここに来る際はそういうわけには行かないのだろう。
髪はまとめ、冕冠を被っている。つまり、東宮としてここには来ているということだ。常服としては若干華美な感じもするので、彼なりに心を武装しているということなのかもしれない。
「ん? ちょっと待ってください……それって、僕が無料で使える便利な労働力ってことです……?」
「そういう意味では言ってない」
「そういう意味になりますよ」
「あらあら、仲がよろしいこと」
鈴を転がしたような声に、羅刹は慌てて拱手の格好をとる。雲嵐は微動だにせず、座った格好のまま、四阿にやってきた声の主を見上げていた。
「母上」
「ずいぶんひさしぶりねえ、翠嵐。相変わらず憎たらしい翡翠の瞳をしているわぁ」
片眉を上げ、鏡花妃は優美に笑う。嘲笑のように見えるが、心のうちはどうなのだろう。
「茶を用意させたから、あなたも座って。軟禁状態で暇なの。話し相手になってちょうだい」
「無駄話をしに来たわけではありません。茶は結構です」
「まあ、そんな様子だから、女の子にモテないのよ」
すでに二人の間には火花が散っている。羅刹はハラハラしながら、話の行く末を見守っていた。
「なぜ、妃殺しの罪を被ったのですか」
「その言い方だと、やったのは私ではないと思ってくれているのね。実の息子に信じてもらえて、嬉しいわぁ」
「ふざけないでください! いったい何を企んでいるのです!」
だん、と卓を拳で叩き、雲嵐は立ち上がる。羅刹が宥めようとするも、雲嵐の興奮は収まらない。
「企んでいるだなんて人聞きの悪い」
「母上が罪を被ったおかげで、羅刹は消されそうになったのです」
「あなたの囲い子がどうなったって、妾には関係ないわ」
「監察史まで使って、なぜ羅刹のことを調べていたのですか」
「なぜってあなた、次期皇帝に取り入るものを吟味するのは大事なことでしょう」
「俺が皇帝になれるわけがないでしょう。それは母上が一番わかっているはず」
ここまで雲嵐が感情を表に出すのも珍しい。
「後宮で調査をしていた時、尾行をつけたのも母上ですね」
「あら、バレちゃったのね」
ペロリ、と舌を出し、イタズラがバレた子どものように笑う鏡花妃を見て、雲嵐は額に青筋を立てて怒っている。
「で、羅刹。あなたは翠嵐に取りいり、私腹を肥やそうとするドブ鼠なのかしら?」
ようやく水がこちらに向けられた。これでこの険悪な雰囲気に終止符が打てる。羅刹はそう思いほっとした。
「僕は、東宮様から大変ありがたいお話しを賜ったため、身を粉にして働いております」
「ふうん、やっぱり見返りがあるの。あなた、本当は女の子よね。将来の皇后の座でも狙っているのかしら」
「母上!」
この人は羅刹が女であることを確信している。漢林から報告は行っているだろうが、まだ決定的な情報ではないはず。女の勘というやつだろうか。であればきっと、下手な誤魔化しは事態を悪化させかねない。
羅刹はもう開き直ることにした。
「いえ、官吏として最高の職を与えていただくことを約束していただいております」
「あら、女でありながら東宮の許しを得て、宰相にでもなるつもり?」
「いえ!」
「違うの?」
「志部に配属していただく約束をしております!」
目を爛々とさせ、喜びを爆発させたような表情をする羅刹を前に、鏡花妃は固まった。
「志部……?」
「はい! 歴史と徹底的に向き合える、桃源郷のような部署、志部です!」
「ひたすら書類と向き合いながら、地道な調査と報告書作りに勤しむ、志部?」
意味がわからない、という様子の彼女に、羅刹は畳み掛けるように言う。
「そんな! 地味だなんて! 尊い仕事です。後世に伝える歴史をまとめる仕事ですよ? 時には膨大な資料を前に、何を省き、何を文書として残すべきか悩むことでしょう。ですがそれも至高の悩み! 英雄の軌跡を、この手で綴ることだってできるかもしれませんよね。ああ、考えただけで身が震えます! 本当にこんなに素晴らしい仕事が世の中にあるなんて……」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。もういい、もういいわ」
「まだ語り足りません!」
「とにかく黙りなさい!」
「はっ! 申し訳ありません! 志部という単語を出したら興奮してしまい……」
鏡花妃は雲嵐を見、羅刹を見て、もう一度雲嵐を見た。
「なんとなく、権力に媚びを売って蜜を啜ろうとする人間ではないとはわかったけど。……そばにつける人間がコレでいいの?」
「……頭の良さと、論理的思考力は確かなので……」
「なんだか、気が抜けちゃったわ。やはりお茶を飲みましょう」
雲嵐も、鏡花妃の言葉に黙って同意を示した。
羅刹はただ単に聞かれたことに素直に答えただけだったのだが。空気は軽くなったので結果としては良かった。
「で、妾がなぜ罪を被ったか、だったわね」
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