男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ

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第5章 母と息子

国のために

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「蒼徳は心を病んでいるのよ」

 予想していなかった言葉に、羅刹は驚愕する。

「そんな、進士式の時にはそんなご様子は」
「父上が、心を病む……? 馬鹿な」
「翠嵐は強くて傲慢なあの人しか知らないものね」

 徳妃は蓮池の方に視線をやる。頬杖をつく横顔は、悲しげだった。

「羅刹の年では知らないと思うけど。もともと、禹国は凰一族あっての大国だったの。彼らは才気に満ち溢れた一族で、とくに政の舞台は凰族の能吏が長い間重責をになっていた」

 黙って聞いている羅刹を見て、鏡花妃は微笑む。

「あら、翠嵐はずいぶんあなたを信用しているのだこと。消された禹国も歴史についてもすでに知っているのね」

 一瞬、つまらなそうな顔をした鏡花だが。そのまま話を続けた。

「若い頃の蒼徳はきっと妬ましかったのね。彼らの才能が。血に由来する賢さが。——だから愚かな臣たちの言葉に耳を貸してしまった。『凰族は国家の枢軸に棲みつき、国庫の金を自らのもののように使っている』という作り話を」

 蒼徳は血気盛んな若者だった。東宮という地位に甘んじず、各地を見てまわりたいと禁軍の一部隊を率い、国境の防衛や戦にも積極的に参加した。民とも言葉を交え、理想を語り、自らの力で禹国をより良い国へ導きたいという強い意志があった。

 凰一族は彼にとって、目の上のたんこぶだった。いかに理想を語ろうと一笑に付されてしまう。さらにその返答として、蒼徳が考えていたものよりさらに上等な案を突きつけられた。

「私の寝所にやってきたとき、盛んに凰族のことをこき下ろしていたわ。政に棲みつく寄生虫どもめって。でも、どこかで認めていたのよ。凰族の力なしにはこの国は成り立たないと」

「しかし、彼らを排除する言い訳を見つけてしまったのですね」

 翠嵐の言葉に、徳妃は頷く。

「彼らは言葉巧みに、蒼徳をそそのかした。彼こそが時代を変える皇帝になると。古い概念を取り崩し、国家の膿を出し、新しい禹国を作るのだと。そして玉座に座った蒼徳は、彼らに同調してしまった」

 蒼徳が同調すれば、それは激流となって凰族を襲った。偉大な一族の存在は抹消され、あらゆる書物から排除された。凰族の功績は他の一族のものだったことになる。

 鏡花の話を聞きながら、眉を顰め、考え込んでいた翠嵐が、口を開く。

「気づいた時には遅かったのですね。凰族が政治の中心にいた頃より、自国の状況は悪くなっていると」

「ええ。新しい国だなんだと言っていたのに、結局やったことはほとんど凰一族の真似事。しかも劣化版よ。蒼徳は臣下を御しきれず、自分の力のなさに絶望した。そして心から悔やんだ。自分がしてしまったことに」

 理想はただの絵空事に過ぎなかった。自分がやったのは、国を支えた屋台骨を燃やし尽くし、ようやく立っている状態の城を泥で塗り固めること。

 見た目だけは繕った、ハリボテの城の王になった自分の身を顧みて、皇帝はどれだけ苦しんだだろう。

「翠嵐はねぇ、自分が蒼徳に憎まれていると思っているのかもしれないけど。彼はね、あなたの瞳の奥に自分が殺した凰族の影を見て、怯えているの」

 なんということだろう、と羅刹は思った。
 きっと凰族も蒼徳も、目指す場所は一緒だった。禹国の民のために良い政治を行うこと。
 だが人の心に巣食う嫉妬が、事態をあらぬ方向へと捻じ曲げてしまった。

「羅刹は、蔡華の出自をご存知?」
「……はい」
「ということは、禹国内で大麻流通の片棒を担った一族というのも知っているわね」
「やはり、そうなのですね」
「燕族は薬師を多く輩出した一族でもあるの。大麻だけでなく、薬草の扱いに秀でていたわ。一族の知識を使ってか、蔡華は蒼徳の症状をうまく抑えているみたい。けど緩和が精一杯のようねぇ」

「徳妃様は、どうして大麻と燕氏のつながりをご存知なのですか」

 燕氏の罪は当時東宮だった蒼徳により隠された。一部の関係者のみしる事実であるはず。

 柳のような眉が悲しげに歪んだ。

「大麻騒乱当時、燕氏ゆかりの侍女がいたの。組織の調査は水面下のものだったけれど。彼女が教えてくれたの、一族が犯してしまった大罪を。……彼女も処刑されてしまったわ」

 彼女は茶の入った器を傾ける。

「話が長くなってしまったわね。私が罪を被ったのは、そうすれば闇雲に犯人探しをするより、犯人を炙り出しやすいと思ったからよ。きっとは、私が身の潔白を証明しようと大騒ぎするだろうと思っているだろうから。すんなり罪を受け入れたら、狼狽えるんじゃないかと思ってねぇ」

 そういうことか。「彼」と言ったということは、徳妃も犯人の目星はついているのだろう。

「何より、心を病んだ皇帝を、このまま玉座につけておくのは正常な国のあり方じゃないわ。……直近で御渡りのあった妃たちも、気づいたんじゃないかしら。蒼徳が狂ってしまっていることに」

「犯人の動機はそれですか。父上の病状を隠し、玉座を維持するため。ひいては、自分が甘い汁を吸い続けるため」

「どうかしらねぇ。それは犯人に聞かないことには、確実なことは言えないわぁ。妾も彼の動機を図りかねているところがあってね」

 鏡花の顔から、力が抜ける。
 どこかホッとしたような笑みを浮かべた。

「翠嵐、あなたのやるべきことはわかって?」
「母上になど言われなくとも、わかっております」

 おそらく徳妃は、この日のために雲嵐、いや翠嵐を陰ながら育ててきたのだろう。滅び行く禹国の救済のために。

「あの……」
「あらなあに、羅刹」
「一つお聞きしたいことが。閨ごとに関することなのですが」

 親子喧嘩の流れから、驚きの話の連続で聞きそびれていたが。本来彼女を訪れたのは犯人の手口について意見を得るためだ。

 徳妃鏡花の瞳が見開かれ、扇で口元を隠した。

「まあ、気が早いのね」
「……? なんのことでしょう」

 羅刹は首を傾げる。

「いいのよ。やっと息子に訪れた春だもの。さあこちらへいらっしゃい。翠嵐、あなたはそこに残っているのよ」

 立ち上がりかけた雲嵐を、衛士がその場にとどめる。

「そういう意味じゃないんですって!」と言う羅刹の言葉に耳など貸さず、徳妃は羅刹を引きずって行った。
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