男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ

文字の大きさ
40 / 49
第6章 蔡華の想い

過去との対峙

しおりを挟む
 玉龍宮を出たところで、雲嵐が立ち止まった。

「すこし、時間をもらえるか」
「はい」

 羅刹の少し先をゆく後ろ姿は、まごうことなき雅さをまとっていた。
 仮面の変人の印象があまりに強すぎて、まるで別人のように感じてしまう。

 雲嵐は瞳の色を隠そうとしてか、目を伏せて歩いている。その彼を後宮女官や侍女たちは、頬を染めて見つめていた。

 本当なら、自分が関われるようなお方ではない。そう実感する。

 無言で歩き続けた先、彼が羅刹を案内したのは東宮殿だった。

 ここに外から来るのは初めてだ。麻布を被せられたり、意識のない状態で担ぎ込まれたことならあるのだが。
 改めて見ると立派な建物だ。

 室内の一室に通され、円卓につくように促される。茶の支度のために侍女が一人現れた。雲嵐は冕冠を脱ぎ、彼女にそれを渡す。

「東宮様のお客様ですか! 侍女の麗玲と申します! 以後お見知り置きを」

 凄まじい勢いの挨拶に、羅刹はギョッとする。

「羅刹様ですね? お話は伺っております。おやおや少々お疲れのご様子ですね? そんな貴方には、ひと口飲めば元気百倍、吹雪の中でも全裸で踊れると噂のこの栄養剤、今ならなんと……」

「下がれ、麗玲」
「はい! 我が君の御命令とあらば!」

 ぴし、と背筋を伸ばし、ふたたび礼をとれば、麗玲はしずしずと部屋をあとにした。

 何が起こったのか理解が追いつかず、羅刹は唖然とする。

「あれが金子を積めばなんでもこなしてくれると噂の」
「経験豊富な侍女を提供する商家があってな。そこから派遣してもらっている。隙あらば実家の商品を売りつけようとするのが問題だが、契約内容は絶対厳守なのがこちらとしては都合がいいのだ」

 敵の多い彼にとっては、下手な侍女を配属されるよりいいのかもしれない。
 雲嵐がまとめていた髪を解く。闇夜を溶かしたような黒髪がおりると同時、雲嵐の表情に疲労の色が出る。

「俺はちゃんと喋れていたか」
「はい」
「母上と、目を合わせて話したのはかなり久しぶりだった気がする」

 徳妃と顔をあわせた直後の雲嵐は、ずいぶんとつんけんしていた。まるで、傷つけられないよう威嚇する獣のように。

「羅刹、お前は誰から琵琶を習ったか、武術はどこで習ったかと、俺に聞いたな」
「聞きました。私はそれは、徳妃が影から手をまわされたものだと思っています」
「悔しいが、俺も同感だ」

 雲嵐は卓に両肘をつき、組んだ両手に額を押し付ける。

「都合よく各分野の玄人が身の回りに現れるわけはない。俺の日々の予定は、父上に厳しく管理されていた」

 翠の瞳は、遠くを見ていた。

「死んだ子どもの代わりに与えられた厄介者。侍女たちの噂話から、俺は自分の真実を知った。なぜ自分と会ってくれないのか、優しくしてもらえないのか、合点がいった」

「雲嵐……」

「よく考えれば、あのとき母上が俺に情をかけられるわけがない。下手に大切に扱えば、謀反の疑いをかけられてもおかしくない。今ならわかる。その時の凰族に対する周囲の目がどんなものだったか」

「さきほど、閨ごとの件でお話を伺った際、話してくださったのですが」

 羅刹は鏡花妃の表情を見て、とても彼女が雲嵐を憎んでいるとは思えなかった。

 それで彼女に問うた。雲嵐のことを、どう思っているのかと。

『子どもを失うっていうのは、母親にとって身を引き裂かれる如く辛いことなのよ。今思い出しても涙が出る』

 黒目がちな瞳が潤む。徳妃は右手をぎゅっと握り、胸においた。

『翠嵐は絶望の底に沈む私の腕に、渡された赤子。あたたかくて、柔らかくて、か弱くてねぇ。母を失い、支えてくれる全てさえも失ってしまった子。そんな子どもを、妾が憎めると思う?』

 ふ、と笑った鏡花の表情は、子を思う母の顔をしていた。

『あの子には辛い思いをさせてしまったわ。母として、表向き優しい態度をとってあげることはできなかった。抱きしめてあげたくても、そうしてあげることはできなかった。蒼徳は翠嵐が知恵をつけ、自分に復讐することを恐れていたから』

『でも子は勝手に育つものねぇ。私は最低限の手助けしかできなかったけれど。少し見ない間に随分と立派になって』

 雲嵐のことを語る鏡花の顔は、実の息子を思う母のものだったと羅刹は思う

 彼女は雲嵐を憎んでなどいない。ただ、愛を表現する機会を得られなかっただけなのだ。

 羅刹が鏡花の言葉を伝えれば、雲嵐の顔が困惑に歪む。そして翠の瞳から、一筋の涙が溢れでた。

「すまん」
「何を謝るのですか」
「胸がいっぱいで、止まらない」
「肩、貸しましょうか?」

 おどけてそう言えば、雲嵐は椅子を羅刹のすぐ横に寄せる。
 大柄な彼が体を丸めたかと思うと、羅刹の肩へ額を押し付けてきた。

「い、いまのは冗談だったんですが」
「しばしこのままでいろ」

 堪えていたものが溢れ出すのを感じる。羅刹の服の左肩が、あたたかな涙でじんわり濡れた。

 この人は孤独に耐えてきた。
 別に皇子が生まれるまでの東宮として、殺される運命を待ってきた。

 母からの愛など期待していなかった。
 しかし今、密かにかけられていた母の愛情を感じることができた。

 これがどれだけのことを意味するだろう。

「しかたありませんね」

 羅刹は仕方なく、雲嵐の頭に手を添え髪をすく。彼の気持ちが落ち着くまで、このままでいてやろうと思った。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる

gari@七柚カリン
キャラ文芸
旧題:国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く ☆4月上旬に書籍発売です。たくさんの応援をありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。  そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。  心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。  峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。  仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。

あやかしが家族になりました

山いい奈
キャラ文芸
★お知らせ いつもありがとうございます。 当作品、3月末にて非公開にさせていただきます。再公開の日時は未定です。 ご迷惑をお掛けいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 母親に結婚をせっつかれている主人公、真琴。 一人前の料理人になるべく、天王寺の割烹で修行している。 ある日また母親にうるさく言われ、たわむれに観音さまに良縁を願うと、それがきっかけとなり、白狐のあやかしである雅玖と結婚することになってしまう。 そして5体のあやかしの子を預かり、5つ子として育てることになる。 真琴の夢を知った雅玖は、真琴のために和カフェを建ててくれた。真琴は昼は人間相手に、夜には子どもたちに会いに来るあやかし相手に切り盛りする。 しかし、子どもたちには、ある秘密があるのだった。 家族の行く末は、一体どこにたどり着くのだろうか。

芙蓉は後宮で花開く

速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。 借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー カクヨムでも連載しております。

【純愛百合】檸檬色に染まる泉【純愛GL】

里見 亮和
キャラ文芸
”世界で一番美しいと思ってしまった憧れの女性” 女子高生の私が、生まれてはじめて我を忘れて好きになったひと。 雑誌で見つけたたった一枚の写真しか手掛かりがないその女性が…… 手なんか届かくはずがなかった憧れの女性が…… いま……私の目の前ににいる。 奇跡的な出会いを果たしてしまった私の人生は、大きく動き出す……

公主の嫁入り

マチバリ
キャラ文芸
 宗国の公主である雪花は、後宮の最奥にある月花宮で息をひそめて生きていた。母の身分が低かったことを理由に他の妃たちから冷遇されていたからだ。  17歳になったある日、皇帝となった兄の命により龍の血を継ぐという道士の元へ降嫁する事が決まる。政略結婚の道具として役に立ちたいと願いつつも怯えていた雪花だったが、顔を合わせた道士の焔蓮は優しい人で……ぎこちなくも心を通わせ、夫婦となっていく二人の物語。  中華習作かつ色々ふんわりなファンタジー設定です。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

月華後宮伝

織部ソマリ
キャラ文芸
★10/30よりコミカライズが始まりました!どうぞよろしくお願いします! ◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――? ◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます! ◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~

視える宮廷女官 ―霊能力で後宮の事件を解決します!―

島崎 紗都子
キャラ文芸
父の手伝いで薬を売るかたわら 生まれ持った霊能力で占いをしながら日々の生活費を稼ぐ蓮花。ある日 突然襲ってきた賊に両親を殺され 自分も命を狙われそうになったところを 景安国の将軍 一颯に助けられ成り行きで後宮の女官に! 持ち前の明るさと霊能力で 後宮の事件を解決していくうちに 蓮花は母の秘密を知ることに――。

処理中です...