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75.見えないから気づけることもある
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宮殿には、お祖父様が用意した私達の部屋がある。普段から好きに使えるよう整えられた私室だが、物の位置が分からなかった。見えていたらなんて事ない段差、家具の配置、すべてが私に牙を剥く。
部屋を動き回るのは危険と判断し、私はベッドの上で過ごすようになった。お医者様の診察では、首を強く叩かれたことによる、一時的な失明だろうと。治す方法はなく、視力が戻るまで安静にするだけ。
「あぶぅ! あ゛くっ」
エルの声に左を向いて、何も見えない現実に唇を噛む。常に寄り添うのはリリアナと、侍女のモニカだった。彼女は父親が医者で、医療の心得がある。看護が必要になった私のため、お祖母様が選んだ侍女だった。
「モニカ、エルに何かあるの?」
「若君は寝返りを打とうとしていますね。柵を掴んで声を上げるんです。まだ数日は無理だと思いますけれど」
だから安心していい。そんな声が聞こえた気がして、ほっとした。見えなくなってから、お祖父様やお祖母様が腫れ物に触るように気遣う。その気持ちは分かるし、愛されている自覚はあった。でも少しだけ寂しい。
お母様は逆で、スキンシップが極端に増えた。話す時は必ず手を握り、触れる指先はほんのり薄荷の香りがする。侍女のモニカに尋ねたら、こっそり教えてくれた。
目が見えないと嗅覚や聴覚が敏感になるから、指先を薄荷水で清めてから触れているのだと。小さなリリアナも真似て、指先に薄荷の香りを纏うようになった。
「お姉様、あのね……手を出して」
言われるまま手のひらを上に向ければ、何かがそっと置かれた。確かめようとした私に、リリアナが説明する。
「薔薇なの。棘は落としてもらった。香りがいい種類なのよ」
手に触れた茎に葉はなくて、棘も感じなかった。棒状の茎を辿るように指先で触れ、花びらのしっとりした冷たさを楽しむ。それをゆっくりと顔に近づけた。
「ありがとう、いい香りだわ」
「色は赤じゃなくて、黄色よ。今はまだ半分くらいだけど、開いたら黄色が赤に変わるの……お姉様と見たいな」
「そうね。その頃には見えると嬉しいわ」
気遣う幼子の優しさがただ嬉しい。一緒に見たい、そう言われても苦しさはなかった。焦らなくてもいい。時間が経てば、回復するかもしれない。悪い方へ考えるのはやめたの。
「失礼します、バレンティナ様。リリアナ、迷惑をかけていないか?」
「ちゃんとお姉様のお手伝いをしてるわ」
オスカル様がノックした音、歩み寄る音は耳が覚えた。忙しい時間を割いて、一日に何度も顔を見せてくれる。近づいた彼は、用意された椅子に腰掛けて色々な話をした。過去に旅行した国の景色、大公領で有名な塔の鐘の音、今日起きた小さな出来事。
オスカル様の声は柔らかくて、耳に心地よかった。詳しく説明してくれるので、目の前に景色が広がるよう。色や匂いまで感じ取れそうだった。
「ありがとうございます、とても楽しいお話だわ」
「手に触れますね、バレンティナ様」
断ってから、彼は私の手を握った。包み込むような両手は温かく、荒れている。ざらりと手のひらが硬いのは、剣を振るう人だから? 指の節々が大きくて、ゴツゴツしていた。以前、手を握ってもらった時は気づかなかったけれど、見えないから知れることもある。
「顔色が良くなりましたね。明日はリリアナと私が付き添いますので、散歩でもいかがですか?」
「散歩……」
どうしようか、迷惑をかけると思うけれど、外に出たい気持ちもあった。でもエルを置いていけないわ。そう思った私の心を読んだように、付け足された。
「安心してください。エル様もご一緒です。そのためにモニカがいるのです」
「お願いします」
ずっと引き篭もっているわけにいかない。これはチャンスなの。自分にそう言い聞かせた。
部屋を動き回るのは危険と判断し、私はベッドの上で過ごすようになった。お医者様の診察では、首を強く叩かれたことによる、一時的な失明だろうと。治す方法はなく、視力が戻るまで安静にするだけ。
「あぶぅ! あ゛くっ」
エルの声に左を向いて、何も見えない現実に唇を噛む。常に寄り添うのはリリアナと、侍女のモニカだった。彼女は父親が医者で、医療の心得がある。看護が必要になった私のため、お祖母様が選んだ侍女だった。
「モニカ、エルに何かあるの?」
「若君は寝返りを打とうとしていますね。柵を掴んで声を上げるんです。まだ数日は無理だと思いますけれど」
だから安心していい。そんな声が聞こえた気がして、ほっとした。見えなくなってから、お祖父様やお祖母様が腫れ物に触るように気遣う。その気持ちは分かるし、愛されている自覚はあった。でも少しだけ寂しい。
お母様は逆で、スキンシップが極端に増えた。話す時は必ず手を握り、触れる指先はほんのり薄荷の香りがする。侍女のモニカに尋ねたら、こっそり教えてくれた。
目が見えないと嗅覚や聴覚が敏感になるから、指先を薄荷水で清めてから触れているのだと。小さなリリアナも真似て、指先に薄荷の香りを纏うようになった。
「お姉様、あのね……手を出して」
言われるまま手のひらを上に向ければ、何かがそっと置かれた。確かめようとした私に、リリアナが説明する。
「薔薇なの。棘は落としてもらった。香りがいい種類なのよ」
手に触れた茎に葉はなくて、棘も感じなかった。棒状の茎を辿るように指先で触れ、花びらのしっとりした冷たさを楽しむ。それをゆっくりと顔に近づけた。
「ありがとう、いい香りだわ」
「色は赤じゃなくて、黄色よ。今はまだ半分くらいだけど、開いたら黄色が赤に変わるの……お姉様と見たいな」
「そうね。その頃には見えると嬉しいわ」
気遣う幼子の優しさがただ嬉しい。一緒に見たい、そう言われても苦しさはなかった。焦らなくてもいい。時間が経てば、回復するかもしれない。悪い方へ考えるのはやめたの。
「失礼します、バレンティナ様。リリアナ、迷惑をかけていないか?」
「ちゃんとお姉様のお手伝いをしてるわ」
オスカル様がノックした音、歩み寄る音は耳が覚えた。忙しい時間を割いて、一日に何度も顔を見せてくれる。近づいた彼は、用意された椅子に腰掛けて色々な話をした。過去に旅行した国の景色、大公領で有名な塔の鐘の音、今日起きた小さな出来事。
オスカル様の声は柔らかくて、耳に心地よかった。詳しく説明してくれるので、目の前に景色が広がるよう。色や匂いまで感じ取れそうだった。
「ありがとうございます、とても楽しいお話だわ」
「手に触れますね、バレンティナ様」
断ってから、彼は私の手を握った。包み込むような両手は温かく、荒れている。ざらりと手のひらが硬いのは、剣を振るう人だから? 指の節々が大きくて、ゴツゴツしていた。以前、手を握ってもらった時は気づかなかったけれど、見えないから知れることもある。
「顔色が良くなりましたね。明日はリリアナと私が付き添いますので、散歩でもいかがですか?」
「散歩……」
どうしようか、迷惑をかけると思うけれど、外に出たい気持ちもあった。でもエルを置いていけないわ。そう思った私の心を読んだように、付け足された。
「安心してください。エル様もご一緒です。そのためにモニカがいるのです」
「お願いします」
ずっと引き篭もっているわけにいかない。これはチャンスなの。自分にそう言い聞かせた。
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